第五十三話:非科学的であればこそ面白い
“霊峰フジ”に足を踏み入れた後、しばらくは穏やかな登山であった。山頂付近にあるという鍛治士の聖地を目指し、中腹に差し掛かった頃だ。急に冷気が強くなり、あっという間に吹雪となった。
僕らは前に進むことも困難となり、偶然見つけた洞に避難を余儀なくされた。
「吹雪、止まないね……」
「ここでやり過ごす他ないかな、今晩は」
吹雪は弱まることを知らず、外の世界を白で覆い尽くす。
「ヒヒ丸ー、僕を暖めてー」
「ヒヒー?」
焚き火だけでは物足りず、フワフワの毛皮で暖をとる。ヒヒ丸は嫌がることなく、むしろ抱きつきやすいように体勢を変えてくれる。
「やっぱりおかしいわ……」
先程から真剣な表情で黙々と手を動かしていたエラが声を上げる。
「気づいたのかい? 何かに」
「ええ」
ルーイの問いに、エラがこくりと頷く。エラはこの世界における優秀な氷術士で、三人の王女では最も戦闘に適した能力を持つ。氷の魔素を射出する魔法を始め、地を凍らせて滑走したりできる。またイヤリングに仕込まれたアクセラの力を借りて、武器防具として身に纏うことも可能だ。
(※アクセラ:予め術式を仕込まれた、魔力を内包する宝石)
エラは手のひらを上に向けると、魔法を発動させた。しかし、形を成す前に霧散してしまう。
「今のは?」
「私は魔法で氷の蝶を作ることができるの。修行の時に覚えたんだけど、今でも練習がわりというか、手遊びみたいにして作ったりしてるのよ」
確かに以前、ヒヒ丸と蝶が戯れているのを見かけたことがあった。あれはエラのイタズラだったのか。
エラはもう一度魔法を発動してみたが、やはり同じ結果だった。
「でもここでは魔法が発動できない。というか氷の魔素が乱れていて、邪魔されている感じね」
「なるほど、じゃあ━━」
ルーイは壁に手を当てると、岩壁から器用に雪だるまの岩版を形成してみせた。
「特に違和感ないな、私は。ヒロは?」
僕も意図を理解し、種をヒヒ丸型の盆栽に成長させた。
「僕も問題ないよ」
ヒヒ丸に作品を渡すと、興味深そうに繁々と眺めていた。
「つまり誰かに使用されている、氷の魔素が。そういうことだね?」
「ええ、それも相当強大な魔力を持った奴ね。そしてその用途は━━」
「この吹雪……」
僕らは何者かから意図的に侵入を拒まれている。空中の障壁もそうだけど、部外者はあまり歓迎されないみたいだ。
「持ってくればよかったかな、招待状でも」
ルーイは肩をすくめる。
「諦めて引き返す?」
「何とか見つけたいね、突破する方法を」
僕たちは手掛かりがないか思案する。焚き火のパチパチという音が、しばらくの間を埋める。
「エラは、同じ氷術士として何かある?」
「そうね、私が逆に妨害し返すことができればいいのだけど……。魔力に差がありすぎて、生半可では埋まりそうにないわね」
エラは自分と照らし合わせて、案を捻り出そうとしてくれる。柔らかそうなピンクゴールドの前髪をくるくると指に絡めたりすると、火の揺らめきと合わさって複雑に輝いてみえる。
「後は氷と対になる魔力をぶつければ、可能性があるんだけど━━」
エラは対になる魔素の存在を語ってくれた。例えば火と氷、そして地と水、時と風……といった具合だ。それは限りなく近いのに果てしなく遠い関係である。
「……ということは、ロロだね」
「間違えたかな、人選を」
確かに、ロロならこの吹雪も一息で吹き飛ばしてくれそうだ。
「とりあえず朝になってから行動しよう、今夜はここでやり過ごして」
「この状況じゃ朝日も拝めなさそうだけどね」
せめて多少は明るくなってくれないだろうか。
「それにしても面白いね、対になる魔素の存在というのは」
「面白い?」
ルーイのいう面白いとは何のことを指すのだろう。
「少し通じるところがあると思わないか、私たちの世界における物理や化学に」
「あー、なるほど」
例えば炎と氷は温度だ。与えるか奪うかの違いなのだろう。
「じゃあ時と風は?」
「時間と空間……三次元と四次元ってところじゃないだろうか」
確かに、どう対になっているのか探すのは面白いかもしれない。
「そしたら地と水は、固体と液体! でもそしたら気体が……」
知ってたよ、とばかりにルーイがクスクス笑う。
「そうなんだよね。説明がつかない、私たちの理屈だけでは。だから面白いんだよ」
マグネシウムという共通する金属があれば、アダマンタイトなんてめちゃくちゃな鉱石も存在する。そもそも魔法なんて非科学的な事象を起こしてる時点で、僕たちの常識を当てはめるのもおかしな話だ。
「あなた達が何を言っているのか、ちんぷんかんぷんだわ」
「ヒヒー」
エラの言葉にヒヒ丸が同意する。
「導師様の授業を思い出すわね」
導師様か……。
導師ドニ。焦げ茶色の髪と髭に覆われた丸っこい老人。彼はただの魔力爆弾だった僕たちに魔法の使い方を教えてくれた。
「まだ経ってないんだよね、二週間くらいしか」
「え、本当に!?」
思わず指折り日数を数える。
うわ、本当だ。なのに随分と懐かしいことのように感じる。もうこの世界で何ヵ月も過ごしたような。
「そういえば、癒の対になる物はないの?」
エラに尋ねるが━━やはりというか━━首を横に振られた。
「癒の魔素は謎が多いから……あまり聞いたことがないの」
「そうだよね」
僕の魔法は謎が多い……。
「さ、寝るとしよう、明日に備えて」
焚き火の熱をお腹に、ヒヒ丸の体温を背中に感じながら、僕たちは眠りについた。




