第四十四話:ラピスの愉悦
「フェストリ、お疲れー」
グリフォンに乗り、帰還した魔王の眷属フェストリに声がかかる。目を向けた先、闇の中から扇情的なビキニアーマーの異形が現れた。扇情的とはいっても、人間や下級の異形が見ればの話だ。彼女は同じ魔王の眷属、ラピスという瑠璃色の女悪魔である。
「随分とちいちゃくなったね」
「煩いですヨ」
ラピスに煽られ、怒りが増す。しかし“穢れ”を多く失ってしまい、子どもくらいの大きさになってしまったことは事実であり、甘んじて受け入れることにした。
「ただ目的は果たしましタ。十分でしょウ」
するとラピスが金の瞳を一層細め、嬉しそうな笑みを浮かべる。
「あー、まだ知らないんだー。ウケるー」
にーっと口を開くと、真っ白な二本の牙と真っ赤な舌がチラリと覗く。そして胸の谷間に仕舞い込んでいた千里鏡を差し出した。
「どういうことですかネ、これは!?」
フェストリは千里鏡に映る光景に目を疑った。勇者の足止めには成功したはずだった。だがアダマンタイマイの惨状を見れば、勇者たちが間に合ったのは間違いなかった。
「一体どうやっテ……時使いや炎使いの勇者だけで倒せたというのカ!?」
巨亀の異形は物理防御力、魔法防御力共に最硬の異形だ。そんなにあっさりと倒されるとは思えなかった。
「治してたよ、獣の足」
「治しタ!? 完全に消滅させたのですヨ!?」
正確には喰ったのだが━━両手にある巨大な口に目を落とす。最早治すという範疇ではない、創造だ。それではまるで━━。
「……そんなことより、サカの村を落としましょウ。次の手ヲ━━」
「もうしてあるから、休んでれば?」
次を言いかけて、ぐっと口をつぐむ。この飄々とした女眷属は、湯水のように配下をばら蒔いているように見えて、的確に“穢れ”を拡散させている。しくじった彼に続ける権利はなかった。
「分かりましたヨ。これは貸しにしておきますネ」
ラピスは気にしなくていいよー、と手を振る。本当は腸が煮えくり返る思いだったが、感情を押し殺す。勇者達に分身をやられた時よりダメージが大きいかもしれない。気持ちを切り替えて、与えられた部屋へ戻る。来るべき時の為に力を戻さなくてはならない。
これも全ては魔王様のため……。
━━ラピスはずっと見ていた。フェストリが失敗したことなど、正直どうでもよかった。勇者の一人、彼のことが気になって気になって仕方がない。
あの時から人が変わったようだった。勇者としての力をメキメキとつけており、成長が著しい。先日の戦闘も見事だった。全員の連携もそうだが、トドメのきっかけは彼が作ったに違いない。
だが、それすらも彼の魅力におけるほんの一欠片にすぎないし、彼女の興味を持つところではない。彼女の心をくすぐるところ、それは━━彼の行動が道理に合わないところだ。明らかに勇者の行動理念とは異なる行動が見られる。この世界における理を試しているようだ。勇者としての成長はその成果の一端にすぎない。まるで、そうまるで━━
「二人いるみたい……」
ラピスの頭のなかでピースがカチリ、カチリと嵌まっていく。その感覚が、堪らなく甘美な疼きをもたらしてくれる。
「これ、ラピス! またワシの眼を━━何があった……?」
千里鏡の異形、グリーンアイは異様な雰囲気を察知し、立ち止まった。どう表現したらよいかは分からない。例えようのない違和感━━。
そこに佇んでいる女悪魔は、本当に彼の知る彼女と同じ存在か?
「何もないよー」
敵意のない無邪気な声に、なぜグリーンアイは戦慄したのか。身体を支える緑の四つ腕に力を入れ、残る二つ腕で構えをとる。前大戦を生き残った彼でさえ、理由を知ることは敵わなかった。
気づけば先ほどの空気は霧散し、いつもと変わらない魔王城に戻っていた。気のせいだったのかと錯覚してしまうほど、ガラリと。
「そ、そうか。ところで千里鏡を返してもらうぞ」
「えー、また後で貸してよー」
グリーンアイは千里鏡を受けとると、子供の頭ほどもある眼窩に埋め込んだ。
「なんだか生暖かいんじゃが……」
「気のせい気のせい」
ぶつくさと文句を続ける老異形を部屋に押し戻し、ラピスも自室に向かう。
「はあ……っ」
先ほどまで押し殺していた、感情を解き放つ。頬は薄桃色に上気し、熱い吐息を漏らしながら身震いする。我慢しすぎて軽く気をヤってしまう所だった。
アレもシたい、コレもシたい!
常軌を逸した妄想が、頭の中で快楽物質をぶちまけていく。
「あぁ、早く会いたい! そしたら━━」
名も知らぬ小さき勇者に、どす黒い思いを馳せながら。




