第三十八話:記憶操作の痕跡
「なんで薬師のあんたが、そんな高度な魔法を使える!?」
それは僕を勇者として認識していない、決定的な証言だった。
「薬師? 薬師って一体━━」
「何を言ってるの、ネネ。ヒロは勇者よ、最初からそう言ってるじゃない!」
エラは前に出ると、僕らの肩を持ってくれる。
だけどネネは腰を落とし、更に警戒心を強くする。
「聞いてないぜ、そんなことは!
ヒロはポーションの知識を見込まれてついてきた薬師だって、そう言ったはずだ!」
ネネとの会話は全く噛み合わない。
「ヒロ殿、どういうことでござる?」
「私たちの予想が当たったんじゃないかな。
おそらく彼女の記憶は━━」
ルーイは死体の方を見ないようにしながら、僕に耳打ちをする。
「ルーイ……うん、そうだね」
僕はネネに数歩近寄ると、こう問いかけた。
「覚えている? ネネは僕を最初こう呼んでいたんだ。ヒオって」
「いったい、何を━━」
「何でかっていうとね、ネネが僕の頬を引っ張ったから、うまく名前を発音できなかったんだよ」
僕は両頬をむにーっと引っ張ってみせた。
「あ、あぁ……それは覚えてる」
僕の変な顔で少し気が抜けたのか、それとも記憶の共有ができたからか……ネネの足から力が抜け、腰の位置が高くなる。
「ネネは興味を持ったんだ。こんな年端もいかない子供が勇者だってことに」
ネネの表情が陰る。
勇者一行の連絡役に任命されるほどの存在だ。記憶力が良くないと務まらない。もし記憶を操作されているなら、どこかで不都合が出るはずだ。
「いや、それは……子供が勇者一行に参加するのが不思議だっただけで……」
ネネは戸惑いを隠せないでいる。もうすっかり警戒心も薄れ、意識は自己の記憶へと向いてしまっている。
「まぁ、そんなことはどうでもいいんだ。どっちの記憶が正しいか、なんて証明できないし」
ネネはきょとんとした表情を浮かべる。
「いや……いやいや、どうでもよくないだろ!? だって━━」
「僕は薬師だ。それでいいんだよ」
今度は僕が近づいても、逃げられることはなかった。
ネネの手を取り、その瞳を真っ直ぐ見つめる。
「お願い、ネネを巻き込みたくないんだ」
ネネは僕の真意を確かめるように、じっと見つめ返す。そして、深くため息をついた。
「分かったよ、ヒロ。でも困ったときは、あたいも頼ってくれ」
ネネは僕を羽根で包むと、右頬をついばんだ。
「あたいは、お姉さんだからな」
にかっと笑いかけられ、僕も思わず破顔する。
後ろで顔を真っ赤にしたエラがあたふたしていることなど、全く気づかなかった。
ネネは敵じゃない。それが分かっただけでも、僕たちとしては心強い。
だけど、はっきりしてしまった。王国側には、勇者が4人いることを快く思ってない人間がいる。そして、記憶を操作する何らかの方法がある。
そのことは僕たちが記憶を失っていることと、無関係とは思えなかった。
「でも流石のあたいも、これにはドン引きだわ」
未だに目を覚まさないフィアの遺体を見て、そう言った。
それには僕も苦笑するしかなかった。
「で、どうすんだよ、これ」
「ちょっと見させてもらってもいい?」
僕は再びフィアに近づくと、拡声器を取り出す。これもアークセイントライトでできた魔道具で、魔力を込めると自分の声を大きくすることができる。
けれど一部の知識が戻った今は、もう1つ別の使い途が頭に浮かんでいた。
拡声器を逆に向けて耳を近づける。確かな鼓動と空気の通り抜ける音を聞き取ることができた。
「やっぱり心臓と肺は大丈夫みたいだ」
すると突然━━
「わっ」
フィアはパチッと目を開けると、上体を起こした。ゆっくりとした動作だったけど、一番近くにいた僕は、驚いて尻餅をついてしまう。
ルーイを除くみんなが、おっかなびっくり経過を見守る。
一方のフィアはどこか虚ろな目で周囲を見渡した。
「フィアさん、わかる?」
だけど問いかけに反応を返すことはない。やっぱり━━
「記憶は戻らんでござるか……」
いかに細胞を治したとしても、そこに蓄積されていた記憶まで修復することは難しい。
恐らく産まれたての赤ん坊に近い状態じゃないだろうか。
「つまり私たちの記憶回復も望み薄ということだね、ただ脳を壊して治すだけでは」
「ちっ、使えねぇ……」
ルーイは明後日の方向を見たまま、ロロも興味を無くしたようにそっぽを向いてしまった。
「気を落とさないでござるよ」
チェリャが、僕の肩を叩いてくれる。
フィアは僕らのやり取りをぼんやりと見つめた後、ゆっくりと立ち上がった。
そして、どこかへ向かってふらふらと歩きだした。
「ちょっと、どうしたの!?」
「よく分かんないけど、追いかけてみよう!」
他の住民たちに見られないようにフードを被せ、僕たちは追従を始めた。