第三話:状況は落ち着く暇を与えてくれない
「御手洗いはどこか、教えていただいても?」
「分かりました。エルム、案内を。
私はこの後の公務がありますので、これで失礼いたします」
「あ、はい。ご丁寧にありがとうございました」
軽く会釈されたので、返しておく。どうやらお辞儀の意味はこちらでも同様らしい。一方のエルム姫は無言で歩きだす。付いてこい、ということだろう。
「教えていただければ一人で行きますよ!」
エルム姫は一瞥したものの、すぐに前を向き歩いていった。何度か角を曲がり、部屋の物より一回り小さな扉の前へ案内された。
「ありがとうございました。あ、帰りは覚えているので大丈夫です!」
互いに会釈し合うと、エルム姫は廊下を引き返していった。
信用されてない、訳ではないのか……。
本当の目的は排泄行為では無かったけれど、一人になって緊張の糸が切れたのか、尿意を催してきたので用を足す。
水を流すスイッチはなく、その場を離れても水は流れない。周りを見渡すとレバーのついた蛇口と木製の器が目に入った。公園で見かけるやつとよく似ている。試しに動かしてみると勢いよく水が出てきたので、慌てて器で受けた。それを使って一応便器を流しておく。
使い方、合ってるだろうか。
もう一度水を汲み直し、バシャバシャと顔を洗う。
汚れた訳ではないが、目覚めてから感じていた頭の“もや”が全く取れない。水はとても冷たく、ピリッとした感じが心地よかった。井戸水かもしれない。
傍に掛けてあった手拭いを取ろうとしたが、伸ばした手は敢えなく空を切ることとなった。
やはり“召喚酔い”とやらは顔を一回洗ったくらいでは取れないらしい。
だけど、自分のことが何も思い出せない……。
部屋への道を辿りながら考えてみたが、名前はおろか、年齢や職業、家族構成、友人など自分に繋がる情報が完全に抜け落ちていた。知識だけが残っている。嫌な感じだ。
鏡がトイレに無かったので、夜になるのを待つしかないかな。
“落ち着けるお部屋” に戻ってきた。一応ノックをしてみたが、特に返事はない。ガチャリと扉を開けて中に入る。
天涯付きのベッドに丸いテーブル、二組の椅子、それに
横に佇む……黒服の……少……女……
先に別れたはずの第二王女、エラがそこにいた。