第三十六話:知将フェストリは持ち上げられる
外に出ると、村中の空気が慌ただしいものに変わっていた。
「腕の長い異形……」
「ほぼ間違いなく、眷属フェストリだろうね」
ルーイが苦々しげに、その名を口にする。
「ぬうううん!」
先ほどは黙って様子を見ていたチェリャが、額をしたたかに街路樹へ打ち付けた。額から出でた鮮血が、木肌の溝を伝い流れていった。
手も足も出ず、奴を取り逃がしてしまった。そして若い兵士の命を奪わせた。それがとてつもなく悔しいのだ。
「しかし、あいつが一人だけ取り逃がすかしら……。あの強大な異形が、手間取るとは考えにくいわ」
エラの言うとおり、奴なら二人の兵士を消すことなど容易かったはずだ。
「わざと腕を持ち帰らせた。そういうことだね」
「だろうね。まずはネイサンが選ばれた、異形の恐怖を流布する役に。フィアの腕は証拠品だろう、彼の証言が真実であることを示すための」
聞けば聞くほど胸糞悪い話だ。顔がしかむ。
「でも、そこまでする理由は?
存在を隠して一気に畳み掛けるべきでは?」
エラは不合理だと、顎に手を当て首をかしげる。
「村の状況を見れば分かるんじゃねぇか?」
ロロの言葉の意味を確かめるために高台へ移動する。
村を見渡すと、先ほどの感じた空気どおり、人の往来が活発になっていた。
だけど、少し様子がおかしい。
「村人の動きがバラバラだわ……」
統率が取れていないのか、急いでいる割に避難作業があまり進んでいない。
「恐怖心をかなり煽られるからね、理解のできない殺され方というのは」
力任せに斬られたり、殴られたりするのとは違う。お菓子を型でくりぬくように、生きたまま削ぎとられるという非現実的な殺され方は、人々を恐慌に陥れる。
「焦りは人の判断や行動を鈍らせる。訓練した分、相当マシだろうけどな」
本当にフェストリという異形は、一手で多くの嫌な結果を残してくる。知将とでも呼ぶべき存在だ。
「しかし、奴は其たちを足止めできたと思っているはずでござる!
ここまで好き放題やってくれたでござるが、奴に一泡吹かせてやりましょうぞ!」
みんなの苛立ちも相当募っている。
この村だけは、落とさせない!
一方の眷属フェストリはというと━━
「全く、バカスカ分身を壊してくれやがっテ」
実は激しく弱っていた。“穢れ”が薄く、能力が制限される中で勇者達と戦闘するのは、やはり分が悪かった。
あの時はハッタリが通じて良かっタ。戦闘を続けていれば、存在を保てなくなっていたかもしれなイ。やはり年寄りの忠告は聞くものダ。
「どっちが化け物か、分かったもんじゃないネ」
今回も、たまたま偵察兵が近寄ってきてくれて助かっタ。一人取り逃がしたが、まぁいいだろウ。作戦に変更はなイ。
勇者たちが、自身のことを何十倍も狡猾で残忍な設定にしていることなどつゆ知らず、フェストリは隣に到着した異形に目を向けた。
「キイィ!」
「ちゃんとお迎えをよこすとは、ラピスも用意がいいネ」
送って寄越したグリフォンに飛び乗る。滑らかなレオンの体躯は筋肉質で座り心地が何ともいえない。
「じゃあ、後は任せましたヨ」
山のように巨大な体躯を持つ異形に声をかける。
勇者のいない村なら、こいつで十分だろウ。いや、勇者でさエ……。