第三十五話:壊れた心の治し方
状況を理解したヴァイス副団長は言葉を失った。
ネイサンと呼ばれた兵士の手には、鎧ごと切断された他人の手が握られていた。
「ちがう……逃げるしか……目の前で……」
彼は壊れたレコーダーのように、うわ言を繰り返していた。
僕は彼の側によると、身体の状況を確認した。目立った外傷はなく、鎧にも損傷はなさそうだった。
となると、やっぱり心への障害だろう。
「恐怖体験が元で、意識が混濁してるみたいだ」
元となった恐怖体験は、言うまでもない。
「少し離れていただけますか」
副団長はテーブルにおいてあったカップを取ると、中身を項垂れていた兵士にぶちまけた。
「ちょっと━━」
「まぁ、見てな」
止めに入ろうとした僕を、ネネが制止した。
「何をしている、ネイサン! 国を、国民を守るために騎士団に入ったという貴様の言葉は嘘だったのか!?
騎士団の意地を見せんか、馬鹿者!」
詰所の壁が揺れるほどの怒号が響くと、ネイサンの目に少しだけ光が戻る。
「副団長……」
やっと、一人の世界へ向いていた視線が、ヴァイスの方へ向くようになった。
「ゆっくりでいい。何があった?」
ネイサンは身に起きた出来事を話し始めたが、まだ混乱しており、話の内容が前後していた。
まとめるとこうだ。
ネイサンともう一人の兵士、フィアはヴァイス副団長の命令で偵察に出ていた。異形の存在がないことに安堵し、村に帰還しようとした。
すると突然、腕の長い異形が目の前に現れた。彼が腕をかざすと、フィアの足が削ぎ取られるように消えていった。すぐに手を引き、異形から引き離すが、身体の消失は止まらず……腰、左胸、顔の左半分……目の前で生きたまま、切り取られていった。
残ったのは彼が握りしめている、右腕だけだった。
「私は……私は何も……できなくて……」
凄惨な場面に近づくにつれ、ヒューヒューと過呼吸の状態になる。
会話を聞いていた兵士の何人かは想像だけで嘔気を催し、部屋を退出してしまった。
「分かった。すまなかった、もういい!」
ヴァイスがネイサンを抱き締める。途端にネイサンの無感情だった瞳から、大量の涙がこぼれ落ちる。
「何も……守れな、あ……ああああああああああ!」
彼の悲痛な叫びが木霊する。みんなその慟哭に耐えきれず、顔を背けてしまう。
「怖がらないで」
僕は彼の額に手を当てると、魔力を送り込んだ。すると徐々に呼吸が落ち着き、穏やかな寝息へと変わっていく。
眠れなくなっていた自分自身に使っていた魔法だったけど、上手くいってよかった。
「部下を守っていただき、感謝申し上げます」
ヴァイス副団長は深々と頭を下げた。それに対して、僕は首を横に振る。
「今のは一時的な効果しかありません。目を覚ませば先ほどの記憶が甦り、同じ事を繰り返すと思います」
ヴァイス副団長は苦々しげな顔つきになる。
「フィアは、ネイサンをよく慕っていました。親しくなりすぎないよう、釘を刺してはいたのですが」
その後輩を、無惨にも生きたまま喰われたのだ。正気で居られる訳がなかった。
「僕に、任せてもらえませんか。何とかできるかもしれません」
「是非、よろしくお願いいたします!」
その言葉とともに、深々と一礼した。
僕はネイサンの方へ向き直ると、目を閉じて意識を集中させた。
━━シキ、起きているんだろ?
『あぁ、起きているとも』
低く、気怠そうな声が頭に響く。
『PTSD、心的外傷後ストレス障害の治療方法を聞きたいんだね』
やっぱり僕の考えは、シキに筒抜けだ。
『ヒロ君、私を何でも屋と勘違いしていないか? 専門外だよ』
なんだ、知らないのか……。
『知ってるとも』
面倒くさいと嫌われるよ、シキ。
『専門外なのは本当だ。うまくいくとも限らん』
お願いだ、この人を助けてあげたい。
『では、次は何を要求しようか』
シキの事を黙ってる約束だろ?
『それはそれ、これはこれだ』
シキはふむ、と悩んでいるような振りをする。
『そうだな、君の身体で実験をさせてもらおうかな』
もう、やってることじゃないか。
毒キノコの反応を観察させたりとか。
『なんだ、気づいていたのか。じゃあ公認にしてくれ』
……分かった。それでいいよ。ただし、この人が助かったのを確認できたら、ね。
『よしよし。それじゃあ海馬を無理やり再生したまえ。海馬の場所は分かるね?』
海馬……短期記憶を司る場所だね。再生するとどうなるの?
『海馬が再生されると、新たな短期記憶を保存するために、古い短期記憶を忘却する反応が起こる。
前頭葉に長期記憶として保存される前に消去するんだ。うまく行くかは知らないけどね』
やってみるよ、ありがとう。
返事はなかった。シキの意識が遠ざかっていく感覚がする。
「━━ロ。ヒロ、大丈夫?」
エラの問いかけに反応して目を開ける。
「うん、大丈夫だよ。ありがとう、エラ」
さて、後はどうやって海馬にアクセスするかだけど……。
胸ポケットから透視鏡を取り出す。透視鏡にはアークセイントライトと呼ばれる深緑の宝石が埋められており、魔力を込めることで物体を透かし見ることができる。
魔力を込め、ネイサンの頭部を凝視する。頭皮が透け、頭蓋骨が透け、脳の輪郭を確認する。知識にある脳の外観と一致した。
とすると、この辺に……あった。目視できるなら、魔力の集中がしやすい。癒の魔素を使って、神経細胞を再生させる。
「ふぅ」
二つの魔法を使用したのは初めてだけど、集中力を結構使うみたいだ。特に目の回りの疲労感が強い。
「うまくいったのかい?」
「やれることはやったよ」
なんか本当に外科医の台詞みたいだ。実際どのくらい再生するのが正解かもよく分からないので、賭けみたいなものだった。
「なんと感謝を申し上げたらよいか」
ヴァイス副団長が、再び頭を垂れる。
「そんな、まだ成功したかも分からないのに……」
「いえ、このような一兵卒のために心を砕いていただくなど、本来有り得ないことです」
その言葉は、この世界の常識を僕に再認識させた。僕たちの役目は、あくまで魔王を封印することなのだ。
「さぁ私たちは今後の作戦を練ろう、この兵士は彼らに任せて」
ルーイは僕たちを表に出るように促した。
「こんなことを言うのは恐縮なんですけど━━」
僕はヴァイス副団長に声をかける。
さっき去り際にシキが思い浮かべたことを、やってみなくてはならない。
「その腕を貸していただけませんか」