第二十九話:野営準備
ぱちりと目が覚める。上半身を持ち上げると、掛けられていた深緑のマントがはらりと落ちた。
「目が覚めたんだね」
起床に気づいたルーイが、声を掛けてくる。
「ごめん、どのくらい寝てた?」
「20分くらいじゃないかな、寝ていたのは」
確かに日の高さは、意識を失う前とあまり変わっていない。数十分とは思えないほど、かなり疲れがとれていた。
マントは誰が掛けてくれたんだろう。
「それは私じゃないよ。エラ姫じゃないかな」
「だから心を読むのやめてくんない?」
ルーイは本当に心を読めるわけではない、と思う。勇者の能力でもないようだ。
「マントに目線を落とすからさ、不思議そうに」
人の仕草に敏感に反応して、答えをくれる。ルーイは特別なことじゃない、というけれど。
「ずっと起きてたの?」
横に目をやると、すでに起きていたヒヒ丸が、蝶を追いかけていた。
「まぁね。ゆっくりさせてもらうよ、夜には」
「うん、もちろん」
最近は眠るのが怖かった。前世の夢をまた見るんじゃないか、夜の静寂がより一層と余計な考えに意識を集中させた。
知識が増えることは嬉しいことのはずだけれど、思い出したら僕が僕で無くなっていくような、そんな気がした。
「今度からシエスタを導入しようかな」
「それがいいよ」
ヒヒ丸がついに蝶をつかまえた。
「あれ」
つかまえたはずの蝶は、跡形もなく消えてしまった。
僕だけが幻覚を見ていたわけでないことは、ヒヒ丸の不思議そうな顔を見れば明らかだった。
「おはよう、はおかしいわね。ちょっとは眠れた?」
エラが歩いてくる。ニーハイを脱いでおり、黒のミニスカートから覗く色白の肌が、日差しを受けて眩しく輝く。
「大丈夫だよ。マント、ありがとう」
「ええ」
エラは僕の正面に立つと、どこからか櫛を取り出し、髪を直し始めた。この世界に召喚された日、鏡ごしに濡れた前髪を整えてくれた。
「~♪」
鼻歌が聞こえる。知らない歌だ。旅の初めは━━ルーイの警戒もあって━━どことなくぎこちなかったけど、王城にいた頃の彼女に戻ってきたように感じる。チェリャは元々王族に好意的だし、ロロもエラには普通に接している。女王のことは相変わらず毛嫌いしているけど……。
「よし、できたわ」
「ありがとう」
鏡がないから、前後が分からない。多分綺麗になっているんだろうな。
「そろそろ行こうか。あまり待たせても悪いからね、ロロたちを」
━━俺たちはキャンプ地を開拓していた。
「んじゃ、いつも通り頼むわ」
「承知したでござる」
チェリャが腕を振るうと、まるで豆腐でも切るかのように大木を斬り倒す。
腕を振ったことすら、俺には認識できない。
「相変わらず無茶苦茶だな」
「時の魔術の、ちょっとした応用でござるよ」
チェリャの手にはいつの間にか鉄の糸が握られている。倒れた木に再び腕を振るうと、今度は薪の形に切り分けられていく。
もちろん、このままでは薪として使うことができない。
「ロロ殿、よろしくでござる」
「あいよ」
広げた両手に魔素を込めると、1ヵ所に集められた薪に集中させる。手を胸の前に近づけていき、炎の円蓋で包み込む。絶妙に操作された火の魔素が、薪を蒸し焼きにする。
完成を認めると、チェリャが胸の前で印を結んだ。
「では、“時送りの術”!」
「それ要る?」
「要るでござる」
炎の揺らめきが、尋常ならざる速度になる。動画を倍速再生しているような不思議な光景だった。術を解除すると、良質な炭ができあがっていた。
「こんなもんだろ」
「では食料を探しにいくでござるか。近くに川がござるから、魚でも捕らえに━━」
━━ガサガサ
不意に茂みから物音がする。チェリャは素早く腰に手を回す。
「ブゥ」
2本の牙に茶色い体毛、つぶらな瞳、そして特徴的な上向きの鼻。元いた世界のイノシシとよく似ていた。
「野生のブゥでござるぞ! 初めて拝見しもうした!」
「何だそれ」
「城での夕餉に出てきたでござろう? ロロ殿は食さなかったでござるが」
「あぁ、そうだったな」
俺は何故か分からないが、魚を除く肉類を受け付けない。宗教上の理由かもしれない、とヒロ達は言っていた。
「別に気にしねぇから、捕っていいぞ」
「承知!」
貴重な鮮度のいい食料だ。個人の嗜好で逃す手はない。
━━プギィ!
断末魔の叫びを尻目に、炭に火を灯す。
なぜ俺は、この力を求めたのか。ヒロの記憶復活をきっかけに、また考えるようになってしまった。あのク○女王の言った通りなら、前世の俺は、火を操る能力を欲していたことになる。
だが、それならば━━力を使う度に感じる、強めるほどに増す、怒りの感情はなんだ。
チロチロと動く火を見つめる。
思いっきり力を爆発させれば、答えが見つかるかもしれないと感じた。まだ、その機会には恵まれていない。考えてもしょうがないことは分かってるが、ふとした時に頭をよぎる。
「果実か野草でも探しに行くか」
暇になったので、考えを振り払うように行動を開始する。ブゥを器用に捌き始めたチェリャへ一声掛けて、森林探索へ向かった。