第二十四話:ただ一つの油断
━━あれは本当に勇者なのか?
オーガは訝しんだ。
俺たちが潜んでいた横道に、奴らは気づかず通りすぎた。洞窟の進み方を知らないらしい。だが周囲の警戒を怠ることはなく、決して油断している訳ではない。
すぐにでも後ろから襲いかかりたかったが、一瞬で返り討ちだろう。ゴブリンたちも、それを理解している。
いざとなれば、コイツらを囮に逃げることも考えなくてはならない。距離をおいて後をつけた。
そしてチャンスは巡ってきた。奴らはコバットの大群に意識を取られた!
「グゴォ!」
ゴブリンたちよ、矢を射かけろ! 斧を放て!
呼びかけに応じたゴブリンたちが、攻撃をしかける。しかし、すんでのところで石壁に阻まれる。
くそっ! くそっ! 今がチャンスだったろう、ノロマどもめ!
だが、すぐに思い直す。おそらく奴らは洞窟での戦い方にも慣れていない。チャンスはまだ続いている!
「グオオオオオッ!」
先陣を切り、成人の体躯くらいもある棍棒を突き出す。棍棒は、石壁を事もなく突き破った。壁の向こうにいた勇者たちと目が合う。
すると奴らは何か喚いた後に、その場から逃走を始めたのだ。
待て!
追いかけようとしたが、飛び出した岩につまずき、転倒してしまった。勇者たちは、あっという間に見えなくなる。
道を塞がれたゴブリンたちが、ギャーギャーとわめく。
うるさい奴らだ。のそりと起き上がる。
考えてみろ。奴らを逃がしてしまったが、逃げたのだ。
逃げたのは、奴らの方だ!
その事実は、オーガに甘美な愉悦をもたらした。
殺してやる。
自分たちが逃げることも選択肢にあったはずだ。
だが無様に転がされた怒りと、一つの勘違いが、その選択肢を見えなくした。
奴らは腰抜けだ! 俺の姿を見て、慌てて逃げていった! 奴らをぶちのめせば、魔王様から褒美がたんまり出るぞ! お前らにも分け前をやろう。俺についてこい!
「グギャギャギャギャギャ!」
ゴブリン達からも歓喜の声があがる。もう配分の話を始めていやがる。せいぜい俺の役に立つといい。
━━少し奥に進むと、また石壁が作られていた。
馬鹿の一つ覚えみたいに……まだ俺の力を理解できないのか?
再び棍棒を振り上げると、目の前に銀色の玉が放り込まれた。
なんだ、これは?
次の瞬間、目の前の景色が真っ白に塗り替えられた。
「グオアッ!?」
何が起こった!? 何も見えんぞ!
ところ構わず、棍棒を振り回す。鈍い感触を何度か感じる。
間違いなく、勇者の攻撃だ。死の恐怖が、急激に全身へ纏わりついてくる。
素直に逃げておけばよかった! 嫌だ、消えたくない!
足を鈍い痛みが襲い、地に伏す。手を押さえつけられ、胸に冷たい感触が入ってくる。オーガが目を開けることは、二度となかった。
━━チェリャは嬉々として語った。
「めくらましでござるよ!奴らは夜目が聞くのでござろう? ピカッと行けば、相当効くはずでござる!」
「その光源を誰が作るんだよ?」
「ロロ殿でござる」
「そん時ゃ爆発もセットだからな、生き埋めになりたきゃどうぞ」
「なぁんだでござる」
「お前は俺を何だと思ってんだ!?」
まぁまぁ、とロロを落ち着かせながら考える。
光か……。
「……できるかもしれない、ルーイ!」
ルーイの魔法で、大地から特定の物質を集める能力があった。もしかしたら━━
「マグネシウムを集めることはできる?」
「マグネシウム……なるほど、やってみよう」
「それを奴らに投げてもらって━━」
するとチェリャが再び挙手をする。
「ヒロ殿、某が投げたいでござる!」
━━そして奴らはやってきた。
「来たよ、オーガが武器を構えた!」
「そぉいっ! めくらましの術!」
ルーイが作り出した、マグネシウムボールを放り投げる。
「今だよ、ロロ!」
「おらよっ! 全員、伏せやがれ!」
ロロが指を振ると、ボールが激しく燃焼し、強烈な光を放った。
「グオアッ!」
短い咆哮と共に、暴れまわる音が響く。
僕は急いで透視鏡を構え直す。
そこに広がっていたのは、まさに地獄絵図だった。
暴れるオーガの棍棒に、ゴブリンたちが打ちのめされていく。ある者は頭を叩き割られ、ある者は吹き飛ばされ━━脳漿や臓物が周囲に散乱していた。
「うぷっ……同士討ちでゴブリンが、5体やられたよ」
「某の術は中々でござるな!」
「お前、ほとんど何もしてねぇじゃん」
「絶妙な投球と、名付けの賜物でござる」
関係あるかなぁ……。
「オーガは私が止める、ロロ!」
ルーイの合図で、ロロが戦場を照らす。
「チェリャはゴブリンを!」
「承知!」
ルーイは、まだ口に手を当てる僕の肩に手を置いた。
「ヒロ。君は来るんじゃない、こちら側に」
そう言い残すと、戦場へ駆けていった。
まずルーイが一突きすると、オーガの右足が抉られ、その巨体を横たわせた。
するとチェリャが待ってましたとばかりに、その頭上を飛び越える。
腰の短剣を逆手に構えると、後方で未だにもがいているゴブリンの頭部を横に薙いだ。もう1匹の喉を返す刃で貫き、勢いそのままに、もう1匹の脳天に踵を落とす。
這いつくばって、逃走を図る3匹に鉄串を放り、頭の一部を吹き飛ばした。
まるでそれが一連のステップであるかのように、命を刈り取っていく。
その間にオーガへ近づいたルーイは、もがくような動きを制するように足で踏みつけた。そして、大きな胸に槍を深く突き立てる。オーガは一度だけビクンと体を震わせると、そのまま動かなくなった。
「あー、ロロ殿、某の獲物でござるぞー」
「うっせぇな、お前がチンタラしてるからだろうが」
いつの間にか3匹を屠っていたチェリャが、2匹を炭に変えたロロに詰め寄っていた。
嬉々として敵を屠るチェリャとロロ、
そして何の感情もなさそうに、ただ死体を見下ろすルーイ。
対照的なその光景は、グリモア城に飾られていた絵画と並んでも、違和感がないように感じられた。
戦闘は終わった。
戦闘前の高揚感や緊迫感が何だったのかと思うほど、あっという間に、あっさりと。
「これが、勇者」
三人の戦闘を見るのは、エラも初めてではなかった。しかし自分が苦戦するであろう“異形”をあっさりと片付ける様を見せられ、さすがに堪えたようだった。
その時だった。
エラの頭上に迫る物体に気づき、咄嗟に体が動いた。
「危ない!」
「え?」
呆けていたエラは、非力な僕の体当たりでも押しのけることができた。ただ━━
「あっ!」
僕は濡れた地面に足を取られ、その場に倒れ込んだ。
━━ゴリッ
嫌な音が頭蓋骨の中に響き、僕の意識は途絶えた。