第二十一話:鶴人ネネは飛来する
僕たちは魔王封印の地、ザンタ地方へ向けて再び馬車を走らせていた。
「ねぇ、エラ。そういえば、報告ってどうするの?」
休憩の度に、忙しそうに筆を走らせてはいるものの、手紙にしてどこかに投函するでもない。王国へ向かう馬車に託すのも考えたけど、一向にその気配はない。
「もしかして、そのイヤリングが発信装置になってるとか?」
エラのイヤリングには、深緑の宝石が輝いている。これはアークセイントライト━━通称アクセラといって、魔力を込めると発動できる魔術回路が組み込まれている。精霊国にある霊樹から採れる希少な宝石で、生成に百年単位の時間を要する。
この世界の人々は、そのほとんどが魔力を持たない。持っていたとしても、日常生活で利用することすらままならない。戦闘で使えるのは王族など、ごく一部に限られる。そしてその魔力を増幅したり、応用の幅を拡げてくれるのが魔道具アクセラというわけだ。
「違うわよ。ヒロの世界には、そんな便利なものがあるの?」
きっかけに無線や携帯電話について花が咲いた。エラは楽しそうに耳を傾けてくれる。その時だった━━。
「ヒヒー!」
ヒヒ丸の大きな鳴き声が聞こえ、馬車が減速する。
「ヒヒ丸、どうしたの!?」
「敵襲でござるか!」
チェリャとルーイが素早く武器を手に取る。
「大丈夫よ、ちょうど連絡役が来たみたい」
エラが馬車を飛び出し、空を見上げる。僕もそれに続いた。
まだ薄く曇がかかり、昼の眩しさを緩和している。
すると大きな鳥のような生き物が、空から飛来してきた。
「やぁ、お姫様。久しぶり」
降りてきた彼女は、流暢に言語を操ってみせた。
「この人って鶴人さん!?」
伝承で読んだ中に出てきた、クレーネ共和国を構成する種族と特徴が一致した。
まず目に入ったのは大きな翼だ。主に純白の羽毛で構成されており、手甲から背中まで続いていた。根本の一部だけが黒い羽毛となっている。頭から太ももまでは人の姿をしており、白髪のストレートには前髪だけ赤のメッシュが入っている。褐色の肌と、髪や翼のコントラストが美しかった。腰から再び白い羽毛に覆われ、膝から下はスラッとした鳥足の姿をしている。僕たちの世界にあった、ハーピーという伝説上の生物に似ていた。
僕は目をキラキラさせながら、夢中で観察を始めてしまい、不審な目で見られていることに気づかなかった。
「なに、あんた弟がいたの?」
「ち、違うわよ!
ちょっと……他人をじろじろ見たら、失礼でしょ!」
「え、あ、ごめんなさい」
「ふーん」
鶴人さんは身を屈め、お返しとばかりに僕を観察し始めた。同時に顔の距離が近くなる。
銀のアイシャドウに黄色い口紅、耳には大きな金のイヤリングをしている。顎に当てた手にはイヤリングと似た金の腕輪と、派手なネイルが輝いていた。体のラインが強調されたタイトで丈の短いワンピースからは、大きな胸元が覗いていた。
ギャルのお姉さんみたいな風貌だった。
魔王が現れる前は、国家間の紛争が絶えなかったそうだ。
見た目や考え方の違いによる差別や争いは、どこの世界でも同じらしい。外の人間が、軽く口を出すべきじゃないだろうけど。
でも悲しいよね、だって━━
「こんなに綺麗なのに……」
「は?」
彼女の目が大きく見開かれる。そしてニヤッと笑うと、
「なんだぁ、少年。
あたいとランデブーしたかったのかぁ?」
滑り込むように後ろに回られ、抱きしめられた。
「わわっ、誤解させてごめんなさい!
今のは━━その翼が綺麗だな、って意味で!」
あ、これヤバい。ふかふかの羽毛がとても心地いい。
今日が晴れていて━━太陽の匂いをたっぷり含んでいたなら、3秒で夢に誘われる自信がある。
「おいおい、そりゃ求婚だぜ? 初対面なのに随分と積極的だな」
「ちょっと、ネネ!」
エラが間に入って、僕をネネと呼ばれた女性から引き剥がす。
「この子は転生して間もないから、そっちの常識を知らないのよ」
ネネはへぇ、ふーん、ははーん、と目まぐるしく表情を変えた。
「その少年は、あたいに包まれて、嬉しそうにしてたけど?」
「してない」
してた。
「それより情報交換が先でしょ」
不機嫌になったエラは、本題へ戻そうとする。
そうだった、とネネはペロッと舌を出す。
「今朝、私たちの訪れた村が襲われたわ。ドラゴンゾンビにのったゴブリン達が襲撃してきたの」
「何だって!? あたい達が出るときには、まだそんな情報なかったぞ!
しかもドラゴンゾンビって言やぁ、高位魔族じゃないか」
「そいつを馬車代わりに使ったのよ……
それに、これが一件だけとは思えない」
「分かった、すぐにグリモア城へ持ち帰るよ」
「お願い。もし他のドラゴンゾンビと遭遇するようなら、すぐに逃げて」
「あたいが弱った奴に追いつかれるなんて流石にないだろうけど、気を付けるよ」
ネネは、もう一度こちらを振り向く。
「しっかし、こんなちんまい子が勇者ねぇ」
頬を両手でつかまれ、むにーっと広げられた。
「いひゃいでしゅ」
「まぁ、勇者なんて初めて見たけど。
あんた、名前は?」
「ひお」
「今日は忙しいけど、あたいと空で熱く語り合いたかったら、いつでも言いな。ヒオ」
「んなっ!?」
ネネがそう言うと、つまんだ左頬を軽くついばまれた。
「それにしても、あのクソ真面目なエラが色こ━━いたたたた!?」
エラがネネの耳を引っ張り、それ以上の発言を許さなかった。
エラが生真面目……今の明るいエラからは、ちょっと想像しづらいな。
つねられた頬を撫でながら、二人のやり取りを眺める。
「早く、報告しに帰ってくださる?」
「分かった、分かった」
「あの━━」
「しばし待たれよ!」
僕の言葉は変な口調の人に遮られた。
「拙者、チェリャと申すもので候。
美しき御方、拙者と、拙者と所帯を持つことを前提に━━!」
「あ、ムリ、パス。あたい、ボーイラブだから」
とりつく島もなく、撃沈していた。
誘い方にも、大分問題あったと思うけど。
そのまま、ネネはあっという間に飛び去ってしまった。
「嵐のような人だったね」
「子供の頃から、あんな感じの人よ」
見送ったあと、固まってしまったチェリャを引きずり、馬車に戻った。
「━━そんな訳で、まーったく相手にしてもらえなかったでござるよ。聞いているでござるかー、ヒヒ丸殿ー?」
「ヒヒー?」
「ヒヒ丸に絡むのやめてあげなよ」
チェリャは王城でもらってきた酒樽を抱えて、管を巻いていた。
「何があったんだ、あいつ?」
「フラれたらしいよ、亜人の美女に」
「どうでもいいな」
「不公平だね、世の中ってのは」
揺れにも慣れた勇者の旅には、一時の平穏が訪れていた。
━━王城ではクリフィス王国第一王女、エレノアがネネを出迎えていた。
「エレノアも、久しぶりだな」
「そうですね、お父様も息災でお過ごしですか?」
「元気すぎるくらいだよ」
「それは何より」
エレノアは社交辞令を交わす。
「そんな事より、大変みたいだぜ。ドラゴンゾンビが━━」
「貴女の向かった先もですか」
出だしだけで、エレノアは全てを察したように返す。
「やっぱり、他にもあるんだな」
「報告だけで、三つの村が襲われました。住民も何人か犠牲になっています」
「そんなの聞いたことないぜ」
だけど、何人かで済んでいるのは不幸中の幸いだ。事前準備の賜物と言っていい。
勇者の活躍により、犠牲者がゼロだった旨を伝えると、エレノアは安心した表情を浮かべた。
「既に騎士団長含めて、軍が出動してくれました。各国にも早鶴を飛ばしています」
「あたいも、動こうか?」
「貴女には、勇者様との連絡役という大事な役目があります。
そちらを優先してください。
ところで、勇者様とはお会いになりまして?」
「あぁ、会ったぜ。
中でもヒオって少年は面白いな。エラのお気に入りか?」
「そのことは誰にも?」
「喋ってないけど……どうした?」
「それは良かったですわ」
なんだ? 会話が噛み合ってないぞ?
エレノアがペンダントに手をかけると、深緑の宝石が輝きだした。
それと同時に、強い眠気がネネを襲った。
「おい……エレノア……あたいに、何をしやがった……」
足に力が入らない。意識を持っていかれる。
「長距離の飛行でお疲れなのでしょう。私の部屋で、ゆっくりお休みになってください」
最後に見えたのは、昔と変わらない優しい微笑みだった。
すまねぇ……エラ……ヒ……オ……