第二十話:初めての鬼退治
━━村の状況は一変していた。
「ベンさん、あなたも早く!」
「駄目だ、異常に気づいた勇者様が戻ってこられるかもしれない。私が時間を稼ぐ。
早く行きなさい!」
村人は振り返らずに、馬車を走らせる。
これでいい。
後方には、醜悪な顔つきをした緑色のバケモノが十数体、にじりよってきていた。
「ギャギャギャ!」
馬鹿にしたような下卑た笑い声が響く。
「うわああああぁぁぁ!」
「メエェー!」
走り去ったはずの馬車の方から絶望の悲鳴が届く。
まさか回り込まれたのか!?
「なんということだ」
訓練を怠ったことはない。みんな迅速に避難を行っていた。しかし━━ここは王都に近いから大丈夫だ、その油断が一瞬の判断を遅らせた。
それがこの結果だ。覚悟はしていたつもりだった、だが足りなかった!
目の前の異形からは目を離さないように、ジリジリと後退する。
後方の馬車からは、もう悲鳴も上がらない。村民たちは事実を受け入れ、その時をじっと待っていた。
そうか。覚悟が足りないのは、私だけだったか。
「もっと近づいてこい、糞野郎どもが……」
村にはいくつも発火装置をしかけてある。発動すれば、一気に村全体に火が回る仕掛けだ。一匹でも多く巻き添えにしてやる。
村には名前がない。ここの村だけに限ったことではない。王都から東にある全ての村は、○○にある村と呼ばれている。少しでも思い入れを減らすことで、何かあった時はすぐに村を捨てて逃げ出せるようにするためだ。
今だ! 発火装置に向かって、走り出そうとした。しかし、その気合いも空しく、ベン村長は地に膝をついた。
「え━━?」
何が起こったのか分からなかった。地面が、赤く温かい液体で染まっていく。
「あ、ああああああぁぁぁ!?」
ふくらはぎはパックリと割れ、鮮血が吹き出していた。バケモノの一匹が、手斧を投げつけたのだ。骨まで達した傷から先の感覚が、急速に失われていく。
「ベンさん!」
「ベン村長!」
村人たちの悲痛な叫びが届く。
まだだ。まだやれる。
ベンはズルズルと這っていく。
「ゲヒヒヒヒヒヒ!」
あと、あと少しなのに。ちくしょう……。
無情にも追いついたバケモノは、無骨なナイフを高々と振り上げた。
━━この村を襲うのは、簡単だった。
ゴブリン達は、ドラゴンゾンビの腹に隠れて近くの森に飛来した。臭いのがアレだったが、命令なので我慢した。
雨と闇夜に紛れて村に近づき、穂をつけたコム畑の中に身を潜めた。
朝になると、武装した連中が馬車に乗って出ていった。みんなドラゴンゾンビから出る“穢れ”に、気を取られている。
バカな奴らだ。笑いを堪えるのも苦労する。
馬車が見えなくなり、村人達が農作業をするために動き出した。
さぁ、あいつらが異変に気づいて戻ってくる前に、蹂躙しよう。
「ギャギャー!」
一斉に畑から飛び出した。
だが、思ったようには進まなかった。オレ達の姿を認めた村人達は声を掛け合い、馬車に乗り込むと、あっという間に逃げ出してしまった。
「アギャ?」
村を捨てることに躊躇いがないのか? 最初に狙うべき、子供や老人も見当たらない。どうなっている?
だが、もう遅い。馬車の行く先には、もう手が回っている。
「ギャギャギャ!」
全員ここで皆殺しだ。たっぷり“穢れ”を生み出してもらおう。
手下の放った手斧が、一人残った人間に見事命中した。
よくやった! コイツをぐちゃぐちゃにして、恐怖を煽ってからにしてやろう。
「ゲヒヒヒヒヒヒ!」
もう笑いを堪えることはない。
さぁ、やれ!
手下が駆け寄ると、ナイフを持った右腕を振り上げる。
━━だが、その右腕が振り下ろされることはなかった。
何が起こった? パァンという音とともに、右腕が消えた。
━━ドスッ
音のした方向に、ナイフと右腕を認め、ようやく理解した。
攻撃されている! どこから!?
もう一度、先ほどと同じ音がした時には、首がゴトリと転がった。
「小鬼でござるか」
輪の中心に突然現れた男は、倒れた村人に近づき、出血の続く足を縛る。
「よく、頑張ったでござるな」
「あ、あ……」
「後は、某に任せるでござる」
村人は安心したように、意識を失った。
髪のない屈強そうな男は、袖無し鎖帷子の上に薄藤色の服を着ている。戦士としては心許ない装備であった。
腰ベルトには二つの短剣を、肩ベルトには金属の棒や謎の袋を色々と付けている。
もう、戻ってきたのか。いくら何でも早すぎる!
「「ギャギャギャ!」」
手下の声で我に帰る。呆けている場合ではない。
「うるさいでござるよ」
また謎の音と共に、手下たちの体が吹き飛んでいく。奴は背中を向けたままだ。
次の瞬間にはなりふり構わず逃げ出していた。こいつには勝てないと、本能で理解する。
オレの逃げる時間を稼げ、役立たず共が!
「ギャ!?」
不意に視点が高くなった。足が地面から浮いて、バタバタしている。
━━それが彼の見た最後の景色だった。頭が燃やされたのだと、認識することすらできなかった。
「随分と早かったでござるな、ロロ殿」
真っ黒焦げになった頭を、鷲掴みにしたロロに声をかける。ゴブリンの体はビクビクと痙攣していた。
「もう既に何匹かヤっといて、よく言うぜ」
そのまま横に放り投げる。
「さて、こいつらを全員片せばいいんだな?」
「ロロ殿、この村はまだ使えるでござる。
やり過ぎないでござるよ」
「わーってるよ」
チェリャは肩ベルトから鉄串を引き抜くと、それを放る。先ほども聞こえた、パァンという音が重なり、ゴブリン達が倒れていく。
チェリャは“時の暗器士”の二つ名のごとく、数々の道具を用いる。その一つが、今放っている料理用の鉄串である。ただの調理用具もチェリャの手にかかれば暗器と化す。
極限まで敏化の魔法をかけられた鉄串は、手から解き放たれたところで音速を超える。運動エネルギーの暴力となったそれは、容易にゴブリンの四肢をもぎ、頭蓋骨を抉った。
「ギャアアァッ!?」
ロロが指を振れば火柱が上がり、ゴブリン達が丸焼きにされていく。城を出る前に行われた修行により、炎を精細に操作できるようになっていた。家を避け、柵を避け、的確に異形たちを焼いていく。
ローブの縁を中心にあしらわれた複雑な金の刺繍が、炎の揺らめきによって様々な表情を見せていた。
「ハッハッ! 死にてぇ奴から前に出ろ!」
蹂躙する者は今や、ただ蹂躙される者となっていた。指揮官を失い、大混乱に陥る。
戦意喪失したゴブリンたちは、散り散りに逃げ出してしまった。
「どうすんだよ、逃げてくぞ」
「この程度の妖であれば、苦もなく与することができると分かったでござる。
もう十分でござろう」
ロロも手応えの無さに、やや興味を失くしたようだった。退屈そうに真顔で問う。
「じゃあ、放っとくのか?」
「まさか」
チェリャは腰に差した短刀を抜き、両手で逆手に構える。
「根絶やしにござる」
そう言い残すと、目にも留まらぬ速度で縦横に駆けた。
━━僕たちが到着した時には、全てが終わっていた。
出迎えたのは、魔物の血で汚れたチェリャ、そして血と煙の臭いだった。地面にはゴブリンだったモノの肉片や、黒色の塊が散乱していた。
「うっぷ……おえぇっ!」
その惨状に、思わず胃の中から込み上げてくる。ヒヒ丸が、心配そうに背中を撫でてくれる。
「これはゴブリン、ね。逃がした個体はいる?」
エラの問いに、空から降りてきたロロが答える。
「多分いねぇよ。最後は、全部チェリャがやっちまった」
空から颯爽と現れると、本当にヒーローみたいだった。
「それはそうとヒロ殿、こちらに怪我人がいるでござる」
「本当に!? ━━うぷっ」
元々この世界にいたエラはともかくとして、チェリャもロロも、落ち着いて対処している。
後方で癒すのが仕事の僕とは、勇者としての覚悟が違うのだろう。頬を叩いて、気合いを入れ直す。
僕も、今できることをしなくては。
チェリャが、村長を抱えてやってくる。
事件の収束を理解した村人達も、馬車から降りてきた。
ある女性は周囲の惨状を見て、ある女性は血塗れのチェリャやベン村長を見て、その場にへなへなと座り込んでしまった。
「良かったな、チェリャ。お前を見た乙女達が、腰砕けになってるぜ」
「某の求めている意味と、違うでござる!」
本当はマッチョ好きな奥様のハートをバッチリ射止めていたのだが、気づかれることはなかった。
僕が村長を癒している間に、今後のことが話し合われた。
「エラ殿、この亡骸はどうするでござる? 肥料にでもしますかな」
「無理ね。こいつらも“穢れ”の発生源になるから、作物に悪影響が出るわ」
「そんじゃ燃やしちまうか。どうやって集めるか、だが━━」
「それは、我々がさせていただきます。動ける者達は手を貸してくれ!」
村人達が手分けして肉片を集め、ロロが最後に燃やしてしまった。
「それにしても、魔王がこんな手を使うなんて……。早く王都に報告しないと」
エラの言うとおり、他の村が心配だ。
想定より早く、王国軍を動かさなくてはならないとのことだった。
事後処理を終え、再び村人達に見送られながら、最初の村を後にする。
これが勇者の役目なんだ。僕は、慣れていけるだろうか。
いや、
「慣れなくちゃ、いけないんだよな」
仲間の覚悟を、そしてこの世界に住む人々の覚悟を目の当たりにした。
僕だけが、足手まといにはなりたくない。
登場人物の事情など一向に構わず、物語はその足を進めていく……。
━━ザンタ地方にある魔王封印の地では、今回の首謀者が愚痴を漏らしていた。
「あーあ、あっさりやられちゃった。つまんないの」
千里鏡で様子を見ていたが、特に盛り上がりもなく終わってしまった。
その金の瞳は、獲物を見つけた爬虫類のように妖しく輝いていたが、それも先ほどまでの話だ。
「まぁいいや」
瑠璃色の肌をした少女は、黒い羽と尻尾をパタパタと動かし、ターンをしてみせた。月白色の髪が、ふわりと円を描く。
豊満な肉体は、ほとんど露にされており、小さなビキニアーマーが辛うじて女性の大事な部分を隠している。そこに立っているだけで、数多の男性を魅了する色気を放っていた。
その見た目の割に、言動はとても幼く見える。
オモチャはまだ、たっくさんある。遊び方は無限大だ。
「待っててね。もっともーっと掻き回してあげる。
見ててよ、魔王様」




