第十九話:開戦の狼煙
馬車は街道を順調に進む。揺れにも耐性がついてきた。途中に何度も荷馬車とすれ違ったけど、たくさんの荷物を王都へ運んでいるようだった。
前の垂れ幕を開け、顔を出すと、車内では感じにくかった外気が頬を撫でていく。空には雨雲が掛かり、風にも雨の匂いを微かに感じるようになった。もう、いつ降り始めても不思議ではなかった。
「あ、見えてきたよ。あれじゃないかな」
僕の声にエラが顔を出す。
「そうね、あの村で間違いないと思うわ」
「思ったより、結構しっかりした村だな」
それを聞いてロロも顔を出す。バランスの悪い三色団子ができあがった。
「もう少しだね。頑張れ、ヒヒ丸」
「ヒヒー!」
馬車と訳されてはいるが、馬はいない。この世界では馬車を引く動物が二種類いて、この子はヒヒという動物だ。
毛深い猿のような見た目で、立ち上がった身の丈は僕の倍ほどある。白の毛並みが美しい。
「そのクソだせぇ名前は確定なのかよ」
「某は好きでござるがなぁ」
名前は、先ほど過半数で可決された。
「ヒヒは人語を理解できるほど賢いけど、気難しい性格で、調教がしづらいの。この子は特に希少なんだからね」
そんな事情もあり、エラにも反対された。しかし多数決は正義である。
━━ヒヒ丸の頑張りもあり、降りだすより先に、村に到着することができた。
「ありがとな、ヒヒ丸。ほら、ババナだぞー」
好物のババナを渡すと、皮ごとむしゃむしゃ頬張った。可愛いなぁ。
「やぁやぁ、勇者御一行様。遠路はるばる、ようこそお越し下さいました!」
「おーい、みんな! 勇者様がいらっしゃったぞ!」
農作業を中断し、村人達が駆け寄ってくる。
皆はあっという間に取り囲まれてしまった。
「あらやだ、いい男」
「確かにシュッとした綺麗な子ねぇ」
「違うわよ、ガタイのいい方よ」
「あんた、そっちがタイプだったの」
黄色い声もちらほら聞こえてくる。
「これこれ、勇者様が驚いているではないですか」
村の奥からペンシル型の口髭を整えた男性が歩いてくる。
「ようこそ勇者様。私はこの村の村長をしています、ベンと申します」
まずルーイが代表として握手を交わす。本来は王族であるエラの立場が上であるけれど、この旅に限っては、同行者として一歩引いている。
「よろしくお願いいたします。
皆さんもお忙しい中、出迎えていただき、ありがとうございました。どうぞ戻られてください、作業に」
爽やかな笑顔にあてられた女性が、何人かへたりこむのが見えた。
「魔性の笑みとはこのことでござるなぁ。某にも分けてくださらんか」
「お前が少し分けてもらったくらいじゃ無理だろ」
「殺生な!」
「はっはっはっ、そら皆も作業に戻ろう!」
ベンさんの一声で村人達はそれぞれの仕事場へ戻っていく。
「では、こちらへどうぞ」
「エラ、ヒヒ丸はどうしたらいい?」
このままだと雨に打たれてしまう。
「ヒヒ様もどうぞ、こちらへ。専用の小屋を用意してあります」
村長について歩き出す。畑には色々な作物が育てられているようだったけれど、一番目を引いたのは、先端が黄金色の穂になっている植物だった。
パンの材料だろうか。
村長の家は、というか村の家はほとんどそうだが、木製の柱を基礎に土壁と茅葺き屋根で作られていた。簡素ではあるが、しっかりと作られており、すきま風が入ってくることはなかった。
内装は飾り気がなく、どこか物寂しさを感じさせた。
「状況は問題ありませんか」
「はい、問題ありません。ここは平和そのものです。
収穫も間に合いそうですし、訓練の方もしっかり行き届いています」
そう、この村に立ち寄ったのは、問題が起こったからではない。現状の確認と、僕たちの寝る場所を提供してもらう為だった。王国との連絡役も兼ねているエラと、村長の間で情報交換が行われていた。
外は雨がぱらつき、村人達が家に戻っていく様子が見えた。
「いつになったら、力を使えるんだろな」
椅子に腰かけたロロがポツリと呟く。
「散々使っただろう? 修行の時に」
鎧を外しながら、ルーイが答える。
「お前さ、分かってて言ってんだろ。敵に対してだよ」
「そんなに敵を倒したいの?」
僕も会話に乗っかる。
「いやさ、確かに俺らの元いた世界で考えれば、すげー力だと思うよ? そんで導師とか王女達も、すげーすげー言ってくるから、実際相当なもんだろうけどさ。
ただ本当に魔王ってのに通用するのか、分かんねぇじゃん」
僕たちは“穢れから生まれる異形”や“魔王の眷属”と実際に会ったことがない。
全く想像がつかないこと、未知に対する不安があるのだろうか。
「だから早く誰かぶっ飛ばして、スカッとしてぇ!」
予想の先を行っていた。
「ロロらしくて、安心したよ」
「エラが言ってただろう。この村は王都に一番近いから、攻め混むには時間がかかる。何かあったら報告が入るよ、途中の村から」
ルーイの言うとおり。何事もなく、明日出発する。そのはずだ。
━━その夜、暗闇と雨に紛れて、大きな塊が落下した。
「おはよう、エラ」
「おはよう、ヒロ」
寝室を出て居間に向かうと、エラが髪をまとめている所だった。
「髪、切ったんだよね」
「そうよ、旅するには邪魔だったからね」
ピンクゴールドの美しい髪は長くても綺麗だったけど、
「短めの髪型も似合うよ」
明るいエラの雰囲気によく合ってると思った。
エラは一瞬驚いたように目を見開くと、すぐにいつもの表情に戻った。
「……ありがと」
エラは髪をまとめるのをやめて、指先でくるくる回している。
「イチャついてるところ、悪りーが」
「「イチャついてない!」」
ロロが玄関から中に入ってきて、声をかける。
「村人達が騒いでる、行くぞ」
外ではルーイとチェリャが話を聞いていた。
「火の手が上がっているみたいなんだ、向こうの森で」
確かに黒煙のようなものが、うっすらと上がっているのが見えた。
「ただ、昨日は雷の音を聞いた者がおらんのです」
雨は朝も降り続いているけど、村人の言うとおり、確かに僕も聞いた記憶はない。
「あの方向は、これから私たちが向かう方向ね。ついでに原因を確認することにしてはどうかしら」
四人とも、異論はなかった。すぐに出発の準備を整える。
「ちょっと濡れちゃうけど、ごめんな。ヒヒ丸」
「ヒヒ」
力強く頷いてくれる。その健気さに思わず抱き締める。
「あの生き物って気難しいんじゃなかったのか?」
「ごめん、私にもよく分かんない」
「ヒロ殿の優しさが伝わってるでござるよ」
後ろの議論は気にしないことにした。
━━黒煙の発生する森には十五分も要しなかった。
「みんな、装備を着ておいてくれ。嫌な予感がする、何だか」
ルーイの言葉に、それぞれが鎧やローブを装備する。
「これは!?」
「嘘、何でこんな所に!」
そこには奇妙な生物の白骨化死体が転がっていた。
「エラ、これが何か分かるの?」
「これは、ドラゴン━━いえ、ドラゴンゾンビの成れの果てだわ。だいぶ肉が朽ちているけど、地面に少しだけ腐肉が残ってる」
それはおかしい。
「おい、この辺に怪物は来ないんじゃなかったのかよ!」
「そのはずよ。この辺は“穢れ”が無いから、こんな高位のモンスターは体を維持できないの。実際こいつは力尽きているでしょ」
魔王軍は“穢れ”で大地を侵しながら進行する。伝承にも、そう記載されていた。
「じゃあ、はぐれモンスターってことかな?」
「うーん、知性の低いアンデッドなら、あり得る話だけど……」
本当にそれでいいのだろうか。ルーイと同じで、言い様のない気持ち悪さが拭えない。
「しかし、この怪物はえらく大きな服を着ているでござるな」
このドラゴンゾンビは、一枚の大きな布を巻いている。チェリャの言うとおり、元の肉付きを考慮しても不釣り合いに大きい。いや、大きすぎる。
一つ悪魔的な考えが脳裏をよぎる。
「これ、何かを包んで、運んできたんじゃ……」
意味するところを理解した四人は、すぐに周囲を警戒する。
僕たちの他に気配はない。
そこでルーイがあることに気づいた。
「これ、通った跡じゃないか? その何かが」
草むらが踏み倒されており、ずっと向こうまで続いていた。
「おい、この方向って……!」
「村の方向だ!」
全員の顔から血の気が引いていく。雨で足跡は流されており、それなりに時間が経っていることを示唆していた。
みんなの行動は早かった。すぐに馬車へ引き返す。
「先に村へ向かうでござる!」
そう言うと、尋常ならざるスピードで走り去っていった。
チェリャの魔法、時の魔素の敏化による高速移動だ。
「ヒヒ丸、さっきの村に戻って!」
「ヒヒー!」
時間がない。荷馬車は一旦ここに置いていく。ヒヒ丸から装具を外す。
「私は荷馬車に残ろう。まだ残ってるかもしれない、森の中に」
「分かった!」
「すまん、俺も先に向かうわ」
気づくと、ロロは宙に浮いていた。手と足から炎を噴出している。
「そんなことできたの!?」
「やってみたらできた。じゃあな」
炎の魔素をコントロールし、新たな能力を会得していた。そのまま村の方へ飛びさっていく。
自由になったヒヒ丸も僕とエラを担いで走り出した。
━━村の状況は一変していた。




