第十七話:慌ただしい旅立ち
王城は朝から慌ただしかった。
珍しくリンさんが訪室する前に起床した僕は、窓からその様子を眺めていた。
「おはようございます」
「おはようございます。今日は何かあるんですか?」
話によると、導師から本日で修行が終了するだろうとの報告があり、王都全てを巻き込む壮行会の準備が進んでいるらしい。
予定は明日とのことだった。
「リンさんに起こしてもらえるのも、明日で最後なんですね」
「そうなりますね」
今日も起こしてもらえばよかった。
代わりに紅茶をおかわりしたら、お腹を心配された。
「━━おい、どした?」
「飲みすぎてお腹がたぽたぽになっちゃって、うぇっ……」
馬車に乗った僕は吐き気と戦っていた。揺れと相まって余計に気持ち悪い。
「飲みすぎにはこの薬を飲むとよいでござるよ」
「飲みすぎの意味が違うだろが」
効きそうだけど、今は一口も入らないよ。
「屋台が出ているね、明日の壮行会に向けて」
ルーイが窓の外の変化に気づく。
「本当にお祭りでござるなぁ」
「俺らは通過するだけ、だけどな」
今日も馬車は正門へ続く大通りを通っていく。明日もまた僕たちはこの道を通って送り出される予定だ。
「姫は良かったのですか、私たちについてきて?」
「私は当日におめかしして立ってるだけだから、城にいても暇なのよ。それに私がいないと、塔に入れないでしょ?」
「━━本当に教えがいのない生徒達じゃったのう」
「受け取っておきます、褒め言葉として」
修行の終了は、導師ドニからあっさり告げられた。無制約下で力を行使するのに、半日も要しなかった。
ルーイの言うとおり、確かに感覚を一度掴んでからはあっという間だった。応用については勿論、これから実戦で学んでいくことになるだろう。
「そういえば、導師はどんな魔法が使えるんだ?」
ロロの質問に対して、導師はふむ、と髭を触る。
「ちっとだけじゃぞ」
すると導師の足元から魔素が流れていき、ぼこぼこと1メートルほど土が盛り上がった。
「おお……お?」
ロロやルーイたちは突然の魔法に一瞬驚いたものの、それ以上何も起こらないため間の抜けた顔になってしまった。
「こんなしがない土魔法じゃよ。がっかりしたかの?」
「必ずしも分からないからね、一流のスポーツ選手が優れた教育者かは」
それフォローになってるかなぁ。
「これでここでの修行は終いじゃ。
では、達者でな。
“土の槍術士” ルーイ、
“時の暗器士” チェリャ、
“炎 術 士” ロロ、
そして“癒士” ヒロ……」
━━日が高い内に城へ戻ると、リンさんと図書館に籠ることにした。まだ手をつけていなかった伝承を読み進める。
過去の勇者の英雄譚は、中々に男心をくすぐる内容だ。訪れた村の災難を救い、魔王の軍勢を討ち払い、そして魔王を壮絶な死闘の末に打ち破る。その様がありありと描かれていた。
しかし、やはり何といっても初代勇者の冒険が最も面白かった。圧倒的劣勢からの大逆転劇は昂るものがある。
「そういえばリンさんは、この伝承のことどう思ってます?」
「そうですね。私たちが無力すぎて、子供の頃から嫌いでした」
「そ、そうなんだ……」
受け手によってここまで印象が変わるものなのか。
「いえ、私は特別かもしれません。
大抵の人々は勇者に憧れるか、魔王に恐怖するか。子供をいい子に育てる為に使われますね」
「……なかなかクレバーな視点ですね」
彼女らしいと言えば、彼女らしい。
「でも、最近は少し印象が変わりました。
勇者様も人間であることが分かりましたから」
とても優しい笑みを向けられた。
リンさんが笑ってるところ、初めてみたかも。
「それ、僕が勇者っぽくないってことでは?」
するとまたいつもの表情に戻る。
「そうは言ってませんよ、ええ決して」
リンさんに見守られながら、夜は更けていった。
━━そして、ついに出発の朝がきた。
「ヒロ様、起きてください」
体を揺さぶられる。
「寝た振りをされても困ります」
チラッと片目を開ける。
「気づいてたんですか?」
「ヒロ様はもっとだらしない寝顔ですので」
一度姿見で自分の顔を確認してから、リンさんに問う。
「そんなにひどい?」
「はい、それはとても」
外はやや薄暗い。見上げると、空にはむら雲が広がっている。漂ってくる風から雨の匂いはしないけれど。
正面の広場では式典の準備が着々と進んでいた。昨日からは時間が駆け足で過ぎていく。それが城内の慌ただしさだけによるものではないと分かっていた。
この場所が居心地がいいから、離れたくなくなってきているから。
ふと、歌が聞こえてきた。
“嗚呼、愛おしき人
何故、君は旅立たなくてはならぬ
幸あれかし 幸あれかし
吾が処に事なく帰らむことを願ふ”
歌っていたのはリンさんだった。柔らかい、綺麗な歌声だった。
「リンさん、今の歌は?」
「二百年前の大災厄の時まで━━慕っている方や愛する子を戦地に送り出す時に、よく歌われたそうです。
ただ、大災厄の時は殆どが生きては戻れなかったので、今は不吉な歌として避けられていますが」
「でも、それって……」
古めかしい歌詞だけど、意味は大体分かる。とても優しい歌だった。
「私もそう思います。
愛する人の無事を願う心に吉凶などありましょうか。私はこの歌がとても好きです」
僕の髪をさっと整えながら、語ってくれる。
「それに私は、ヒロ様が無事に帰ってきて下さると確信しておりますので」
「うん、ありがとう」
もうこの部屋を出ることに躊躇いはない。
扉に手をかける。
「ご武運を、勇者 ヒロ様」
━━僕は広場に走り込んできた。
「おせーぞ」
「はぁはぁ、ごめん」
用意された服に着替えて向かう手筈だったのだが、いざ着てみると小さかった。使用人さん達が慌てて替えの服を持ってきてくれたが、結局集合には遅れてしまった。
月白色で八分丈のアラビアンスタイルに空色のベストを重ねている。深緑のマントは初めて着たのに、どこか懐かしい感じがした。
白銀の鎧を纏ったルーイに、薄藤色の服で上下を揃えたチェリャ、黒のローブを羽織ったロロ、そして━━
彼ら三人の横に彼女はいた。エレノアとエルムの間に立っているはずの彼女が。
(何でいるの!?)
(後で話す)
とりあえずエラを間に挟む形で横に並ぶ。王族だけでなく、貴族や軍人などが集結し、最後の参加者を待っていた。
自分に落ち度はないけれど、申し訳ない気持ちになる。
しんとした広場に女王の美しい声が響き渡った。
「我らが勇者一行が、ついに旅立つ日がきた!」
「皆の者、勇敢なる者達に敬礼!!」
大剣を前に携えた女性が、号令と共にその鞘を地面に打ち鳴らす。周囲にいた多数の兵士達がそれに呼応し、右足で地を、右手で胸当てを鳴らす。
そして深緑の軍旗が一斉に掲げられた。
正面からは音楽隊による演奏が、後方の街からは歓声が空気を震わせた。
城に背を向けると、兵士の壁が割れ、大通りへの道が開かれていく。民衆の歓声が一際大きくなった。
大通りを進んでいくと、フラワーシャワーが宙を舞い、門出を祝福してくれた。子供達が花輪を持って駆け寄ってくる。
「勇者様、いってらっしゃい!」
「かたじけない」
「姫様もいってらっしゃい!」
「お母さんの言うことをよく聞いて、いい子で待ってるのよ」
皆が笑顔で受けとる中、
「あ?」
「ひっ、ごめんなさい。」
「怖がってるじゃないか、ロロ」
「いや、ルーイ、別に怒ってるわけじゃ……
あぁ、もう、すまん!」
ロロは謝っていたけど、女の子は完全に萎縮してしまっていた。
「ごめんね、僕が代わりに貰ってもいいかな?」
「うん、お兄ちゃんも頑張ってね」
少女の顔がパッと明るくなる。
朝、早起きして作ってくれたのだろう。花輪は今そこで咲いていたかのように、生気に満ちていた。
僕らが正門を出るまで、歓声が止むことはなかった。
━━時を同じくして、王宮広場では弛緩した空気が流れていた。
「彼らに多くを託さねばならんのは、騎士団として不甲斐ないばかりですな」
大剣を携えた女性が、勇者達を見送りながら呟く。
オールバックの中年男性が静かに答える。
「騎士団長殿が気に病むことはありませんよ。
点としての武で彼らが道を開き、面としての武で王国騎士や王国軍が残党を鎮圧し、治安を守る。
あくまで役割分担ですよ」
「そうは仰られますがね。我々にも矜持というものがあるのですよ、宰相殿。
いつまで部外者に押し付けねばならんのか、と」
女王の背後を守る初代勇者達の大きな石像を見据える。
身の丈ほどある大剣を背負った者、
魔法の矢を番えた者、
フードとローブで身を隠した者。
今にも動き出しそうな迫力を持っていた。昔も今も変わらず、この世界の人々を見守っている。
この宰相も騎士団長も幼い頃からこの像を見て育ち━━ある時は憧れ、ある時は恐怖した。
彼らの庇護の元で我々は生かされている。
「しかも一行には、年端もいかぬ少年もいたではないですか」
「エルム姫と同じくらいでしょうな」
歓声の中心が遠ざかっていく。
「せめて無事を祈りましょう。
危険な旅への同行を志願してくれた━━
━━“薬師”の少年に、勇者の加護があらんことを……」
~第一章:自称癒士の旅支度~ 完




