第十話:導師の塔は大樹が如く、静かに佇む
「ヒロ様、ヒロ様……!」
体を揺すられて目が覚めた。
ガバッと飛び起きる。覗きこむリンさんと目が合った。
「お、おはようございます」
リンさんは、安堵した表情を浮かべる。
「驚きました。うつ伏せで微動だにされないものですから。しかもカップをひっくり返したままで。
てっきり、息を引き取られたのかと……」
「本当にご心配をお掛けしまして」
リンさんは人を呼ばなくて良かった、と胸を撫で下ろしていた。
昨日は飛び込んだままの格好で寝ていたらしい。抱きつかれた時に落としたカップもそのままだった。本当に人を呼ばれなくてよかった。あわや毒殺騒ぎになるところだ。
今日の朝食は、どう見てもオムレツだった。味付けは少し甘かったけれど、予想通りの味だった。
僕は初めて城外に出た。昨日の雨が嘘のように、青空が広がっていた。花壇の植物は朝日を受けてキラキラと輝いており、雨天が事実であったと教えてくれた。大きく伸びをすると、水に濡れた土の匂いもする。
ルーイは身を屈めて花を観察している。美形は何をしても絵になるから卑怯だ。
ロロは大あくびをしていた。
チェリャは姿が見えないけど━━
「やぁやぁ、皆の衆!」
なんか良い汗をかいて現れた。
「天気が良いので、城の周りを五周ほど走ってきたでござるよ」
本当に修行する気満々だった。
「しかし、王城の兵士殿は優秀でござるなぁ。
某が裏の窓から侵入を試みましたところ、すぐに飛んできて職務質問されましたぞ!」
「何で試みようとしたのさ!?」
「ちょっと、知り合いのフリして話しかけてくるのやめてくんない?」
ロロはうんざりした顔で、チェリャと距離をとる。
衛兵の人、可哀想……。
「本当に、お姉様のご迷惑になることはやめてもらえるかしら」
ここに召喚された時に見た、ダブルお団子の髪型をしたエルム姫がぴょこぴょこと現れた。深緑の武術服のような出で立ちで、動きやすそうな格好だった。
これから導師の塔に修行へ向かうのだが、現在修行中のエルム姫が案内してくれるらしい。
とは言っても馬車移動なんだけど。
「さぁ、さっさと乗り込みなさい。貴方は汗を拭いてからね」
「これはしたり!」
馬車に乗ってからは、エルム姫のご高説が長く続いた。
「いい。導師様は幼少のお姉様達やお母様も指導された立派な方よ。粗相のないようにね」
ロロは完全に窓の外を見ていて、初めから聞く気がなさそうだった。まぁそれは何となく分かっていたけど。
チェリャはどっしり構えて、じっと聞いていた。……ように見せて、恐らく途中から完全に寝ていた。糸目だから分かりづらかったけれど、時々首があり得ない角度を向いていた。
「分からないことがあったら、何でも聞いて。私の方が三ヶ月先輩なんだから」
淡々と抑揚がない喋り方だったけれど、こんなに喋る子だと初めて気づかされた。いつもは姉姫達に遠慮して、前に出てこないのかもしれない。気怠そうな目つきをしているが、姉の代わりに背伸びして頑張ろうとしている、と思うと非常に微笑ましかった。
「見えてきたわ」
ロロが肘で小突くと、チェリャがハッと飛び起きた。
「あれが、導師の塔」
導師の塔は、僕らの想像する塔とはかけ離れた外観をしていた。無数の植物が絡みつき、頂点付近には枝や葉が傘のように開いている。
まるで一つの大樹のように草原の中にそびえ立っていた。
「聖王国建国の際に、召喚魔術を初めとした研究や修練の為に建てられたそうよ。その性質から、王都に影響を与えないように距離を置かれたの」
「イカしたフォルムをしているんだね、随分と」
流石のルーイも驚きを隠せないでいた。
「当初は簡素な石造りだったらしいわ。地脈の上に建てられたことや魔術を多く扱う影響で、魔素が濃くなりやすいことが植物の成長を異常に促進させたらしいの」
「へぇ、流石詳しいね」
エルムは、まぁね、と鼻をふんすと鳴らした。
先輩頑張ってるなぁ。頭を撫で回してあげたい。
「なるほど、王都には建てられないな、確かに」
「先人達の先見性の賜物ね」
馬車から降りて塔を見上げる。遠くからは大きさが想像できなかったけど、近くで見るとそのサイズに圧倒される。
「これは壮観だね」
四人ともしばらくその場を動かなかった。建物に遮られない、草原特有の風がとても心地よかった。
遥か上空には、何条かのすじ雲が流れていた。
「さぁ、入るわよ」
入り口には衛兵もおらず無人だった。エルム姫が前に立ち、何かを呟くと、扉が自然と開けた。
内部は、外観からは想像できないほど整然としていた。間違いなく人工物であった。
「導師様は最上階にいるわ」
「まさか、階段じゃないよな?」
「きっとそれも修行でござるよ!」
「日が暮れるわ!」
ロロとチェリャの応酬を余所に、エルム姫は歩き始める。
「違うわよ、昇降機があるの。はぐれないように付いてきて」
奥には魔力で動く丸い筒状の昇降機があり、あっという間に最上階まで連れていってくれた。
たどり着いた場所は下層の印象とは全く異なっていた。
花畑、というよりは、よく手入れされた庭園の様だ。壁は蔓がうねって走り、天井は侵食した緑で覆われていた。
少し先に目を向けると、丸っこい男性が楽しそうに水やりをしていた。