第八話:名付け親は笑わない
窓から流れ込んだ朝の風が、僕の頬を撫でる。それに乗って焼きたてのパンのいい匂いもする。
昨日、窓を閉め忘れて寝てしまったのだろうか。いけないいけないと上体を起こすと、ベッド脇で仕事をしていたメイドさんと目が合う……。
「おはようございます、勇者様」
「……」
刹那、昨日の思い出がフラッシュバックする。
「あ、おはようございます!」
そうだ。昨日は自分の部屋へ戻る前に、目覚ましをお願いしていたんだった。
ちなみに美形の部屋を出たところに、ランプを持ったメイドさんが待機していて、驚いた僕と赤髪が絶叫したのは別のお話。
外は雲が多かった。
「午後は天気が崩れるかもしれません。お出かけになられる場合は━━」
「あ、それよりも女王様にまた謁見させていただきたいのだけど」
「伺っております。現在、準備を進めているところです」
メイドさんが紅茶?を淹れながら説明してくれた。
朝からバタバタさせてしまって申し訳ないけど、こちらも当世界の人生が懸かっている。
やっぱりパンは美味しくて、おかわりしてしまった。
━━日も高く昇ったころ、僕たちはまた玉座の間に立っていた。
「勇者達よ。こちらの都合にも関わらず、大役を引き受けていただき、誠に感謝申し上げる」
赤髪は本当に女王が気に入らないらしく、そっぽを向いている。
糸目はどっしりと構えているが、今は理由を知ってるだけに全く違った印象見える。
「勇者達に名を授ける。エレノア、こちらへお連れしなさい」
はい、と透き通るような声が響き、エレノア姫が僕の前まで移動する。
「では、こちらへ」
僕は手を引かれ、女王の前へ導かれた。
傍まで来ると、さらに威圧感が増したようだった。
僕の身長が低くて、見下ろされているのもあるだろうけど。
その美しい顔は無表情に見えながら、複雑な感情を隠しているようにも見えた。
いつの間にか、エルム姫が女王の後ろに控えていた。手には小さなクッションと布一枚を挟んで、女王のマントと同じ深緑の宝石が置かれていた。雫型にカットされており、角度によって様々な色を表してみせた。
女王はその宝石を手に取ると、そのまま僕の前へ差し出してきた。
「この上に手を置きなさい」
言われるままに手を重ねる。
すると夜の帳が降りたように、周囲が一段と暗くなった。
当然、今はそんな時間ではなく、魔術的な現象であることは疑いようもなかった。
重ねた手の間が熱を帯び始める。手の隙間から緑光が溢れだし、うねりとなって僕を包んだ。
一瞬の出来事だった。気づけば玉座の間は元の明るさを取り戻していた。
「名は授けられた。貴殿の名は……“ヒロ”」
“ヒロ”
その名前は、すっと自分の中に入ってきた。
やっとこの世界に存在することを認められたような、地に足がついたような、そんな感じだ。
「では、次」
ハッと我に帰り、定位置に戻る。その後は他の三人が名付けられるのを、ぼんやり見つめていた。
さっきのは幻だったのだろうか。
勇者“美形” 改め、勇者“ルーイ”
勇者“糸目” 改め、勇者“チェリャ”
勇者“赤髪” 改め、勇者“ロロ”
そして僕、勇者“ヒロ”
それが今代勇者のパーティだった。
「今後の流れについては、また夕食の後にエレノアから説明がある。
勇者達よ。この世界のこと、よろしく頼む」
王女達が頭を下げる。
王配は微笑みながら、うんうんと頷いていた。
僕たちは一度部屋に戻ることになった。
外は生憎の雨模様で、出掛けるには億劫だった。
「いやぁ、眼福でござったなぁ!」
「チェリャはそうだろうね」
「ヒロ殿も、そうであったろう?」
チェリャは女王成分をたっぷり吸収し、艶々としていた。スキンヘッドも一段と輝いてみえる。
「そういえば、ロロは思いついたかい? 改名する名前を」
とルーイが言うのも、ロロは部屋に向かう前に、
“あのク◯女王にク◯みたいな名前つけられるくらいなら、即、改名してやる!”
と息巻いていたのだ。
「……他にいいのが思い付かなかったから、しばらくはこのままでいてやる」
ロロで行くことになったらしい。
夕食までの時間は書庫で過ごした。メイドさんに案内してもらい、例の伝説が書かれた本を教えてもらった。
本は当然この世界の言語で認められており、読むことは困難と思われたが……。
「読める!」
目で見た情報が、頭の中で勝手に変換される感じだ。ご都合展開だが非常にありがたい。たまにある、よく分からない表現はメイドさんに説明してもらった。
ちなみに、メイドさんは聖王国宰相の四女で、リンさんと言うらしい。
やっぱり偉い人のご息女だったよ。失礼が無くてよかった……。
彼女自身は凄く聡明で、説明もとても分かりやすかった。しかし、エレノア姫の説明以上の収穫を得られなかった。書き文字を理解できると分かっただけでも朗報だった。
逆に僕の書いた文字はメイドさんに読めるのか、と試そうと思ったが、書こうとしても手が動かなかった。
ちゃんと、ここの文字を覚えた方がいいかもしれない。
窓を叩く雨粒をBGMに、時間の許す限り本を読み進めた。