始まり、或いは終わりへの一方通行【Ⅷ】
風が強い。夜の仮想空間にレイアの姿があった。一仕事終えて、イチゴとの待ち合わせ場所へと急いでいる。ムーヴが使えればいいのだが、あいにく指定した場所はムーヴでの出入りが出来ないリミッターオフエリア。廃ビルに入って、ワイヤーが切れて電力供給もない、動かないで当たり前のエレベーターに触れる。
『不正処理を――』
ハックして、警報が一瞬響くがすぐに消す。壊れていて、電力供給もされていないそれのロジックに介入して、電力は供給されている、構成するプログラムは正しい、と誤認識させて動作させる。それでも、曲がったレールや巻上機の不調で乗り心地は最悪だった。最上階手前でエレベーターが止まって、そこからは走って屋上を目指す。ドアノブを回して、開かない。書き換えるよりも壊した方が早いと、ストレージからウォーハンマーを取り出して、華奢な腕から出るとは思えない力で、しかも片手で振るって打ち壊す。
「よっ、なかなか来ないからここでいいのか疑ったぞ」
「ごめん、長引いたから」
レイアはイチゴを脇を通り抜け、屋上の端で準備を始める。対物ライフルを設置して弾の込められたマガジンを幾つも並べ、空間投影型のウィンドウも次々と展開する。
「で、こんな寒いのにその格好で何してたんだ」
そう言われたレイアの格好は、半袖にホットパンツ、ランニングシューズは妙な膨らみ……鉄心入りか、それに長い付け毛を二房つけて。仮想空間といえど気温は現実を参考にして設定されている。ここの気温は三度、そこそこ着込んでいるイチゴでも寒いと思える。なのに、レイアは平気な様子だ。
「戦争。放熱を考えたら液冷スーツがいいけど、動きづらいからこの格好」
「どんだけ激しい動きすんだよ」
防御性能を捨ててまで放熱性を優先するなら、常に走りながら撃ち続けるのだろうか。当たらないことを前提とした運用はバカの考えそうなことだが、本当に当たらないならやってもいいかもしれない。
「動かないよ、超長距離支援と空間干渉だから頭使う方。髪の毛で放熱するより全身で放熱した方がいい」
バイポッド、ではなくソリのようなものに固定した対物ライフルを、屋上の端から出さないように配置して、寝そべる。身長と同じかそれ以上もある、少女には不釣り合いな代物。何度か調整と寝そべって構え手を繰り返し、ちょうどいいところになったのか座ったままイチゴに向き直る。
「終わったのか」
「調整は」
ウィンドウを弄って数枚を投げてくる。
「一応の安全な戦域予想。それ超えてライン踏んだらウイルスとか余所のPMCが出てくるかも」
「出てきた場合は」
「取引はなかったことに。私は撤収、あなたは自力でなんとかして」
「見殺しにするきか」
「何言ってるのかな。あなたはキリエと出来レースして、事故で死ぬんだよ?」
「…………。」
確かにそうだが、この子、そういうこと平気で言うあたり、怖い。
「これは作戦行動でもなんでもない、ただの遊び。あなたのことは支援するけど、助けることまではしない」
「分かったよ……」
ゲームサーバーで出来レースかと思っていれば、仮想空間でのそこそこ本気の戦闘行為になるとは……。
「それとこっちがアキトの進路予想」
また投げられたウィンドウ、それにはかなり前からアキトがこのエリアを散歩コースにしていることが表示され、歩く場所もほとんど同じだ。なんでこんな危ないところで散歩しているのか、自ら危険に飛び込んでいるようじゃないか、そう思うが、むしろ安全なような気がする。こんなところ、誰も寄り付きゃしねえ。
「一瞬だけムーヴ可能にするから、あとはあなた次第」
寝そべって、対物ライフルのストックに頬を乗せ、トリガーガードに指を添わせ、肘をついて、足を広げ、衝撃を吸収しつつ楽に狙える姿勢をとる。シートくらい敷けばいいのに、なんて思いながら、青と白の縞々の布地がチラ見えして、すぐに視線をそらした。
「どうやってアキトを戦闘不能にするかは、俺次第と」
「キリエが何か仕掛けてると思うよ、とりあえずシフトできるようにして、フレアとか合図できるのも用意しといて」
シフト、と言われてもイチゴはそのコマンドを実行できない。そのためのプログラムを持っていないし、買うためのお金と莫大な処理能力を使用するお金もない。
「シフトはできない」
「はぁ、持ってないの」
「ねえよ」
「へー、死なないように頑張ってねー」
そんなこと言いながらスコープの倍率を変えて、ぐっと体で対物ライフルを回していく。わざとやっているのか、それとも無自覚の内か、チラ見えからかなり見えるくらいにまで。
「……まあ、支援頼むな」
瓦礫の山へとムーヴした。本来このエリアはムーヴ禁止のはずだが、そういうところをどうにかするのがサポートの役目だ。振り返って、廃ビルを順に眺め、レイアがいるはずのビルを見つけると手を振る。
『見えてる。その場で待機、アキトがもうすぐ来る』
「了解」
サウンドオンリーのウィンドウが閉じて、別のところからコールが来る。キリエだ。
『そこ、危ない』
「何か仕掛けてるのか」
『違う、私のウイルスはまだ先。だけど、そこは廃棄されたウイルスが埋まってる』
「…………小型?」
『偵察タイプ、武装はないけど厄介』
不意に足元が揺れて、埋もれているウイルスと目が合った。そっと、瓦礫の山を下りてキリエの仕掛けがあるポイント付近まで移動する。待ち伏せして別のものに奇襲されたんじゃ、何をしに来たのかわからない。
「レイア、何が待機だ真下にウイルスがいるぞ」
『ハック済み、もう私の制御下』
「……先に言え」
『めんどくさ。もうアキトが始めてるから、死にたいなら挟み撃ち。生きたいならアキトがピンチになったところで助けに入ればいい』
「挟み撃ちでなんで死ぬんだ」
『賞金首第一位を甘く見ないほうがいいよ』
隠れて数秒で、金属を破砕……叩き切るような音が聞こえてきた。そしてアキトの姿が見える、両手には大きな剣を持ち、走りながら追いついてきた球体を叩き潰す。瓦礫の仲間入りをしたそれは、劣化した赤茶色のオイルを血のように流し、パチパチと火花を散らして動作を終える。見たところあの剣、個人用の対重装甲兵器だが、あんなもの見たことがない。接近して装甲を破壊するくらいなら、AP弾で穴開けて砲弾を撃ち込めばいい。危険を冒してまで……いや、遠距離武器がないからやるのか。
『プチジャミングちゅー、アキト慌ててる』
「ムロイ……意外にサディストだったりする?」
『さぁねー。もうちょっとしたら私のウイルス起動するー、あとは好きにして』
と、その瞬間に感覚が消失した。ぐるりと世界が回る、吹き飛ばされたのだと気づいた。
「レイア、なんで警告しない!」
かなりの距離を飛ばされて、アキトのすぐ近くに叩きつけられる。
「ごっ――」
『ごめん、間に合わなかったから私が撃った。リミッターマックスだから痛くないはず』
「撃ったって、なん……」
さっきまでイチゴが居た場所は、真っ赤に溶けてマグマ溜まりみたいになっていた。吹き飛ばされなかったら、確実に死んでいた。
『レイア、エンゲージ。以降の支援は不可、自力で乗り切れ、アウト』
一方的に通話を切られ、遠くで廃ビル群が一斉に崩壊する。崩れ落ちる瓦礫と煙の中目掛け光が撃ち込まれる、曳光弾混じりの銃撃だろうが、反撃に青い光が煌めいている。対空砲なのだろう、空中で炸裂して発射元を攻撃している。
「おいおいおい想定外だぞ……」
ムロイのプチジャミングのせいか、マップが使用できず外部への緊急コールも通じない。もちろんムーヴ出来ずログアウトも不可能。
「何が想定外なんですか」
追っ手を片付け、近づいて来たアキトが言う。あれだけやっておいて息が上がっていないのはなぜだろう。
「いやーお前を助けつつ、こっから俺が五体満足で生きて帰るってことが出来そうにねえなーってのが」
「俺は俺だけでなんとかするんで」
空で何かが光った。その瞬間、アキトが剣を振るいながら角度を変え、切断された砲弾が二人を避けるように飛んでクレータを穿った。
「おい待て! そっちはウイルスが潜んでる!」
「この道は掃除済みです」
「違う、そうじゃなくて――」
地震、そう勘違いしてしまうほどの揺れを起こしながら、瓦礫の山を崩し、そいつが姿を見せた。まるで小さな要塞のような、三対の脚に、腕の代わりにフレキシブルアームに重火器、もろに仮想空間で使われる兵器。生身で戦うなら、死ぬ可能性以外はなくなる。仮想空間で人が有用なのは、有効な携行武装がありムーヴが封じられていないことが前提だ。
「あんたが仕掛けた?」
「ちげーよ! それがあるからさっさと教えて引き返そうってことで来たんだ!」
こうなりゃ嘘でも演技してやる、と言うか自分でも状況がよく分かっていなくて、演技どころじゃなくて素の状態。凄まじい音を立てながら、重量が何十トンあるのだろうか、そこらの残骸を踏みつぶし、脚を広げて攻撃態勢を取り始める。
「敵の概要は、こんな所に捨てられる兵器ならスペックシートが出回ってるはずです」
「あいにく持ってねえしなにが居るのかは聞いてもねえ」
ゴォォォォ、と、出力が上がっていく音が体を震わせる。まだ本格的に始動していない、暖気が終わって対人センサー群や動力供給が安定し始める前に逃げてしまうのが得策だ。
「逃げるぞ、今ならまだ狙われない」
「破壊します。動き出す前に動力系にダメージ入れれば……」
飛びかかろうとして、異変に気付いてやめた。地面から妙なものがあふれ出ている、幽霊のような、訳の分からない何かが。
「な、なんですかこれは」
「俺が知るかよ。最近噂の幽霊じゃないのか」
そいつらは起動途中の大型兵器や、アキトに破壊されたウイルスに纏わり付くと、内部に入り込んでいく。破壊されたはずのウイルスが息を吹き返す、動力供給がないのにセンサー群が光を放ち、オイルをこぼしながら起き上がって、或いは浮かび上がり再起動する。
「みたいですね」
「あっさり認めるな」
「あれ、あそこ見てください」
示された方向からは、明らかに死んでいて当たり前の、致命傷を負った、腐り始めた肌の色をした人間がゆらゆらと向かってきている。
「俺がこの前殺した連中です。ゾンビはあり得ない、AIがそんなものを認めない。でも、幽霊ならあり得るかも知れない。存在しないはずのものなのに、それを恐れている人たちがいるから、再現した可能性はあります」
「オカルトだな、ま、実際目の前にあると困るが」
大型兵器が唸る。動力の回転音が一気に跳ね上がり、オイルが噴き出して装甲が錆びる。映画で良くあるような、ゾンビに噛まれた人間がゾンビになるように、幽霊に取り憑かれた機械が唐突に変異して不気味な動きを始める。しかしその兵装はしっかりと二人を狙っていて。
「どうする、アキト。俺は逃げた方がいいと思う」
「そう、ですね」
意見が一致した。二人とも、同時にストレージからハンドグレネードを取り出す。イチゴのはスモーク、アキトのはチャフだ。この際もったいないとかお金のことは言っていられない、手持ちをすべてばらまいて、煙と金属片の舞う中を駆け抜ける。事前に貰っていたアキトの散歩コースを見ながら、だいたいの位置を把握する。
「このまま言ったらログアウト出来るのか」
「廃墟エリアを抜けたら廃棄された工場のストラクチャがあります、その中にゲートがあるんで、そっから抜けた先でなら」
その希望は、背後から飛んで来た光に焼き払われた。エリアの境目が昇華して、有り余る熱で溶けた様々な残骸が黄金に輝く川を作る。踏み込めば、脚が溶けてなくなる。
「おうおう……」
「どうするんですか、俺はこんなところで死ぬ気は無いんで生き残りますけど」
振り返って、迫ってくる軍勢に剣を向ける。多勢に無勢だが、アキトならやりそうだ。逃げてるのは、怖がってるから。理解できないものを怖がるのは間違いじゃない。だけど、正しく怖がって、それがそういうものであると受け入れろ、怖がるだけではただ死を待つだけだと、レイジには言われたことがある。そんなことを言いながら、銃はただ人が引き金を引いたら、弾丸が精々秒速三百メートルから一キロ程度でほぼ直線的に撃ち出されるだけとか、当たり前のことを言って、バカみたいに突っ込んで殺しに行くのだから。だったら、アキトも正しく誤解させてやれば、やるんじゃないだろうか。
「お前、あれが怖いか」
「訳の分からないものを怖がる、普通のことです。だから、俺は理解できないから人が怖い、だけどあれは、理解する必要のない敵です。怖いのは、どういう法則を持っているのか分からないことです」
案外、怖がってはいるが、一般的な恐がり方と違った。自分でよく分かって恐れ、そして必要のない恐怖は排除している。こいつ、そういう考え方が出来るのに、なんで人を怖がったまま出てこない。完全に無視できるじゃないか。
「分からないなら、分かるようにしないとな」
ストレージからアサルトライフルを取り出し、浮遊銃座も一機配置する。イチゴでは、正直化け物相手にこんなもの用意したところで、取り巻きの雑魚に傷をつける程度しか出来ない。しかし隣に立つアキトならば、敵を全滅させてこの場を制圧できるだろう。指揮をするなら、戦うなら指揮官から動かなくては、下はついてこない、引っ張りたいなら、流れを支配しろ、力なんて必要ない、立ち回りで引き寄せて、ぶつけて、潰してしまえばいい。
「やる気ですか、死にますよ」
「一応でも兵長だからな、戦わずに逃げたところで、ここじゃ何も言われないだろうが俺は戦う」
「どうせ逃げられませんからね」
「やるぞアキト!」
「命令しないでください、俺は俺のやりたいようにやりますから」
トリガーに指を掛け、コールする。
「イチゴ、コンバットオープン」
「霧崎アキト、エンゲージ」
絶望的な戦闘ではないが、微妙なバランスで成り立つ状況ではある。何かが崩れたら、一気に押し込まれる。それでも――