惣闇の魔犬【Ⅰ】
夕焼けの空を飛んでいた。
少年は、両手にクラスター爆弾を抱え、更に四つを曳航していた。受けた命令はとても簡単なものだった、海岸線に展開するセントラの艦を沈めて帰ってこいと。口では簡単に言ってくれるが、陸上からの対空砲火と艦が備える近接防空砲をかいくぐって上空で投下、再び砲火の嵐をかいくぐって離脱など、どれほど難しいか分かった上で言ってくれる。そう、分かった上で。しかも航続距離で言えば長距離攻撃部隊の担当になるはずの距離なのに。
眼下には五人、爆弾を抱えた魔法士の部隊が見える。彼らも目的は同じだ。その先、エスコートとして二十人ほどが展開する。更に先では先行した戦闘機部隊が、セントラの空軍と交戦に入っている。AWACSとミサイリアーで先制攻撃したらしいが、戦闘機部隊が格闘戦に入ってからだいぶ経つ。長距離ミサイルで先制というのは、過去の話になりつつあるようで、効果が期待できない。
『スヴァートゥ、位置を確認した。お前の標的を指示する、やれ』
「スヴァートゥ了解」
ヒドゥンモードを解除して、巡航から戦闘出力へ。突然現れた少年を探知した爆撃隊は散開、エスコートが反転して仕掛けてくる。
「エンゲージ、スヴァートゥエンゲージ」
ヘッドオン、撃たれる前に、急降下。真下には射撃体勢に入るブルグントの重巡が見える。速度差で追いつけないと悟ったか、エスコートが離れる。重巡が光った、発砲炎に違いない。回避行動、砲弾が追い掛けてくる。黒い煙、榴弾が飛んで来て、視界に表示される予測エリアを避けて右へ左へふらふら飛ぶ。回避機動を取りつつ、セントラの艦隊へと距離を詰める。
セントラ独自のシールド艦が全面に展開する、主砲クラスを受けても数発程度なら弾く、沈めるなら今は存在しない戦艦クラスを沈めるよりも苦労する、呆れるほどに頑丈で、攻撃能力はほとんど持たない艦艇だ。その後ろに重巡、そして空母。空母も重装甲タイプで、左右に盾のような障壁を装備している。
ターゲットマーカが標的となる艦に重ねられる。狙うのは重巡だ。高度を上げつつ抱える爆弾を二つ投下。予定ではこれを命中させてしまえば終わりだ。残りは予備、このまま曳航して帰るには重いし着陸しづらいから、落として帰りたいところだ。上空に退避、セントラの戦闘機部隊が襲いかかってくるが、墜とせとは言われていない。
「命中確認……艦砲破壊、対空システム破壊、ブリッジ他主要部に命中、破壊。出火確認」
『十分だ、残りはブルグントの船に落としてこい』
「で、帰投コースは」
『別途指示する、ちょいと遠回りになるがまだ飛べるな』
「余裕」
加速して戦闘機部隊をブルグントのエスコートの真正面に誘導、交戦に入らせて上昇。高高度から爆撃照準、中心に捉え二発、別の艦を狙って残りの二発も投下。弾着確認は必要が無い、後は全力で離脱するだけだ。
『注意、高速接近する反応、二つ、ヘッドオン、二十秒で交差』
視野にターゲットマーカ。アンノウンが二つ、ミサイル並の速度で突っ込んでくる。
「回避する」
右へほぼ九十度の旋回、速度を稼ぐために降下。アンノウンの一つが旋回、追ってくる。背後にくらいつくそのアンノウンを視認した。距離はあっという間に詰められ、五百メートルもない。仕掛けてくるなら、受けて立とうじゃ無いかと飛行姿勢を反転。姿を捉えて、拡大。夕焼け空に黄昏色を反射するのは、美少女だった。さっきまでストーキングしていた三、四十代のおっさん共とは違う。戦場に不釣り合いな存在だ。
『そいつはなんだ』
「あー……知り合いですね、交戦します」
『離脱しろ、交戦は許可しない』
「振り切れる自身がありません、戦姫相手に背中見せたら殺される」
言ったそばから青い魔法の弾丸が飛んでくる。魔装銃とアーマー、その兵装はアカモートの物だが、装備している本人は白き乙女の所属だ。通信の周波数と暗号パターンを切り替える。
「聞こえるか、エンジェル」
『聞こえてる。今のコールサインは蒼月』
撃たれて、回避して、避けて、逃げて。あいにく今回は爆弾投下しか考えて無くて、他にはナイフ一本しか持ってきてない。逃げるしか無いのだ。
「いい加減周波数とパターン変えろよ、暗号の意味がねえぞ」
『そういうクロードこそ、わざわざ私の通信周波数探って何がしたいの』
もう一つのアンノウンがセントラ空軍とブルグント魔法士部隊が混戦状態になっているところへ、アプローチ。通り抜けるまでの数秒でセントラ機すべてを撃墜した。そのままブルグントのエスコートを連れて艦隊へとエアストライクを仕掛けに行く。
「別に? ただ俺と戦って生き延びるやつが珍しいから、だけだな」
狙われていながら、射線が分かる。トリガーに掛かる指の動きが見えなくても、回避のタイミングが見える。バースト射撃を躱し、放たれた誘導魔法を急旋回で回避。再ロックされて、急降下。海面に叩き付ける。やはりブルグントのちゃちな誘導魔法と違って、一度回避したくらいじゃ意味が無い。
『じゃあそれも今日で終わりにしよ』
「俺としては、お前が欲しいけどな。戦ってると楽しい……遊んでるような気分だ、本気じゃ無いだろ、蒼月」
『そっちこそ、こっちに来たら良いのに』
「悪い、売られた以上は所有物扱いだ」
『残念』
海面に干渉して、海水を持ち上げ水球を作る。いくら水でも、高速で飛んでいる状態で正面からぶつけたら十分に殺せる。追い掛けてくる蒼月に向けて投射、躱されるどころか制御を奪われ、氷の塊に変えて投げ返される。それに水球をぶつけ、ヒビを入れて飛んで来たのを蹴って砕く。尖った破片を支配下に置いて、弾丸として発射。蒼月が回避行動を取るが、しつこく追いかけ回す。
「これなら」
『真下! 気を付けて!』
気を逸らすために言っているのだろうと、気にしないでいると弾幕をかいくぐって急接近され、腕を掴まれ急上昇。一瞬意識が落ちた。
「なにを」
「下、下!」
かなり慌てているようで、何事かと視線を下に向ければ、さっきまで飛んでいた場所に大きく開いた怪物の口があった。つまりあのままだと丸呑みだったわけだ、UMAに喰われて行方不明。未確認でよく分からない何かに呑み込まれて行方不明、そうなった場合はどう処理されるんだ?
「何アレ、ねえアレ何!?」
「俺が知るかよ!?」
グパァッと開いた捕食体勢のデビルフィッシュ……クラーケンかとも思ったが、海上にせり上がる姿を見ると、超巨大なイソギンチャクのようで。
「こちらスヴァートゥ、化け物と遭遇!」
返事が無くて、周波数を戻し忘れていた事に気付いて戻す。
「こちらスヴァートゥ」
『命令違反だ、すぐに指示したコースに戻れ』
「いや化け物が」
『お前と表示が重なっている戦姫か、捕まえたのなら持って帰れ。サルベージに掛けたら後は好きにして良い』
「そうじゃなくて海に化け物が!」
『あぁ、その海域はよく〝出る〟らしいからな。だから帰投コースは高高度を設定している! このバカが!』
「よく出るってなに!?」
「ちょと、クロード、あそこ、あそこ!」
「…………、」
海面に黒く長い影。アレが噂のシーサーペントか。海岸側に目を向ければ毛むくじゃらの大男? 出るとは言え出過ぎだ。魔のトライアングルゾーンかここは。終いには空から未確認な航空機が降りてきてアブダクションされてしまうんじゃないか。
「上空に不明機確認」
思ったそばから、空に見えた。
『こちらのスクリーンには映っていない、確かか』
「なんかこっちに来るんですが」
返事はノイズまみれで、明らかジャミングを受けていた。
「クソッ、データリンクが……蒼月、いい加減放せ」
「あっ、ごめん」
「ほら迎えが来たぞ」
高速で接近する魔法士。背中に青い魔法陣、そこから伸びる三対の翼。アカモートの広域警戒管制隊だ。
「敵と馴れ合うな」
「……ごめんなさい」
「じゃな、蒼月」
広域警戒管制に睨まれた。
曳航用のラインに繋がれ、数秒の内に視界から消えて、探知範囲から抜け出す。上に見えていた不明機は、透明になりながらその後を追う。マーク等所属を示す物はなにも見えなかったが、妖精のような印象を受けた。ジャミングしてくるだけでも敵対行為で、アカモートの広域警戒管制について行くのなら、あちらの機体なのだろう。
『スヴァートゥ、スヴァートゥグリムリーパー応答しろ』
「はいはい生きてますよー」
『正規軍様が嫌な仕事を回しやがった、帰って来たら覚悟しろ』
「内容は何ですか」
『ヴァーチャルシティの制圧。すでに戦闘が始まっているが、抵抗が激しく泥沼だ。爆弾抱えて突っ込めとのことだ』
「……了解」
加速して、所属基地まで最速で飛ぶ。
作戦の経過状況にアクセスする。当初の予定からかなり外れた結末になっていた。予定ではブルグントの攻撃に合わせて、目標のセントラ重巡洋艦を破壊。正確にはその指揮官を殺害しろと。その後セントラの援軍の到着、ブルグントを追い払って終了の予定だった。
実際は爆撃して離脱した後に、予定外のブルグントの援軍が艦隊と港湾設備を破壊して離脱、遅れて到着した援軍がブルグントを追い払う形で終結している。防衛網に穴が空いたが、数日で再編して埋めるだろう。
どうなろうが関係ないと、経過状況を閉じて新たに送られて来た作戦概要を開く。ダイブ予定の座標と、内容が簡潔に記されていた。三十時間以内にヴァーチャルシティのセキュリティコアを奪取、その後住民をすべて殺害せよと。なんでそうしなければならないのか、気にすることは無い。命令だから、ただそれだけでいい。
太陽が沈み、遠くに明かりが見える。空軍基地だ。格納庫はどれも開いていて、テント型の格納庫にはスクランブルに備えた機体と、整備中の機体が詰まっていた。帰投して重傷なら格納庫に押し込んで修理、そうでなければテントの方で補給と整備だ。
当たり前ではあるが、ここはセントラの空軍基地。人が離着陸するためのレーンは存在しない。セントラの飛行兵団はエンブレイスの機能で垂直離着陸を行う。場所など要らないのだ、だから着陸許可を求める通信もしない。ただ基地の管制コンピューターが送ってくる質問波に正しい応答をするだけでいい。しなければ対空砲に吹き飛ばされるだけ。適当な場所に狙いを付けて着地、そのまま建物の中に入る。
『ダイブルームに来い、すぐに出撃だ』
「少しは休憩させてください。長距離飛行なんてのは俺の得意分野じゃない」
『三分以内だ』
「へーい」
たばこ臭い休憩所によって、自販機のボタンを押す。酒以外の冷えた物なら何でもよかった、ゴトンと落ちた缶を拾い上げ、プシュッと。冷たいコーラか、悪くない。口を付けようとして、ぶつかられた、零れる。
「おぉっとわりぃな」
五十代くらい、胸元見れば中佐だ。わざとらしく言われて、キレた。煙草に火を付けて、口にくわえる。その不細工な鼻っ面目掛けて投げつけた。
「貴様!」
「おっと悪い、手が滑った」
掴みかかられて、股ぐらを蹴り上げる。男相手には十分すぎる攻撃だ、その場に倒れ込んでヒーヒー言う中佐を放って、もう一本コーラを買う。一気に飲み干して、空き缶をゴミ箱に。
「お前がやったのか!」
運悪く、いや、タイミング悪く休憩に来た兵士に見つかった。
「だったら何だよ」
「実験体のくせに、人間に手を出すのか!」
テーザーガンを向けられた。その程度で怯みはしないし、そもそも効かない。
「平等に、とは言わないが、少しは俺の扱い方を考えろよ」
手を向ける。兵士がふわりと浮かんで、怯えて、錯乱して、撃った。射出された電極は少年に、クロードに当たる前に見えない壁に弾かれる。これ以上相手するのも面倒だと、壁に叩き付けてダイブルームに向かった。監視カメラにはばっちり映ってしまっているし、後で何か言われるだろうが、どうでもいい。




