血色の狂犬【Ⅲ】
土砂降りの雨の日。市街地では珍しく洪水警報、一部地域と離島には避難勧告まで発令されるほどに酷い雨だった。台風のルート上ではないが、強風で窓ガラスが揺さぶられるその音は嵐のそれだ。前もって飛ばされそうなものはすべて倉庫に押し込むか、ロープで固定済み。やることもなく、こんな天気でも引き籠もりども以外は出かけているしで、大広間に一人。兵長ながら戦隊の指揮官、でもやることは何もない。形だけの指揮官だ。
「たっだいまー誰か居るー?」
久しぶりに聞く寮長の声だが、明るそうなその裏には凄まじい苛立ちが感じられる。廊下に出ると妙な緊張感の中、笑顔でずぶ濡れのスズナが立っている。毛先の雫が凍てついて髪から白い冷気が降りているのは、気のせいでも見間違いでも特殊効果でもなく、魔法の制御が出来ていないから。
「す、スズナ……寮長?」
「ちゃんと寮の管理してくれてるのねえ、綺麗になってるし、よしよし」
靴を脱いで、雫を落としながら引き籠もりの部屋の前に。
「キリエーたまには外に出なさいよー」
返事はないが、言うだけ言って次。
「アキト君、今月の最後の日曜日は仮想にダイブしちゃダメよー」
そしてイチゴの正面に。廊下のじめっとした蒸す空気が凍りついて、スズナの衣服も瞬間で凍結、水分が粉になって落ちる。片手を取られて握らされるのはハンドガン。
「な、なんですか」
「今からアカモートに行ってちょうだい」
「用件は」
こんな物騒なもの渡してきてなんだろう、考えられるけどそんなことしたくない。
「アカモートの代表、殺してきなさい」
「嫌ですよ!? つか俺一人じゃ無理ですが!」
白き乙女とぶつかればいい勝負にもならない。数の上では白き乙女が人員も兵器もすべて勝るが、質が違いすぎる。アカモートの通常部隊は古くさい……中世の騎士、そんな格好だ。無論馬には乗っていない歩兵、しかし武装は魔装と呼ばれる魔法を使えなくても関係なく、魔法弾を撃ち出す代物であり、形は現代兵器そのものを扱う。その上、オーダーズと騎士団長は剣と盾、弓矢ながら強力な魔法を併用してくる。そしてアカモートは浮遊都市、大抵は流れに乗ってあちらこちらをふらふらしているが、仕掛けようものなら、戦略級の魔法士の犠牲前提、使い捨てる覚悟で作戦を立てる必要がある。でなければ負ける。
「いいからやってきなさい、私のレイズを奪ったあの女狐を始末してちょうだい」
「……あれって、確か世界で数人しかいない災害級の魔法士ですよね」
「そうよ、だから特別よ」
何が? と疑問を抱いて、マガジンを取り出す。弾が、虹色に反射する。
「ミスリルの特殊弾頭……ですか」
「えぇ。魔法を打ち砕くための弾よ、そこそこの魔法障壁くらいなら一発で貫通できるわ」
「俺は死にたくないんで、やりません」
男同士の喧嘩なら殴り合い撃ち合いで単純に処理出来るが、どうもここの女性陣の代理戦争は単純そうに見えて、巻き込まれてしまえば抜け出せない泥沼になりそうな予感がする。
「あらそう、だったらいいわ」
ハンドガンを取り上げ、二階へと向かう。その途中で足を止める。
「そうだわ、ゲイルクロニクルっていうゲームやってるわよね」
「やってますが」
「そこでフェンリルの部隊が戦闘訓練するっていうから、ちょっと参加してきなさい」
「白き乙女の俺が行っていいもんなんですかね」
「構わないわ、もう話はしてあるし」
「……了解」
どっちがマシか、というよりはより酷い条件を出される前に飛びついた方が怪我しなくて済む。それに仮想空間での戦闘訓練、しかもゲームサーバー内部ともなれば死ぬことはまずあり得ない。終わった後で幻痛に悩まされるかも知れないが、後遺症が残るレベルには達しないし、余所様の顔を覚えるにはいい機会だ。
「開始時刻は」
「十分後よ。内部の鍵付きエリアで準備して、専用の砂漠エリアで戦闘開始って聞いてるわ」
「エリアナンバとパスコードは……」
スマホを取り出して、数秒。イチゴのスマホにデータが送られてきた。
「長っ」
「百二十八桁あるそうよ」
「セキュリティ厳重すぎやしません?」
「総当たりで入られたら困るからそうしてるのよ、行ってらっしゃい」
部屋に戻って仮想にダイブ、アドレスを指定してデータの受け渡しと認証を同時に済ませ、直接ゲームサーバー内部のエリアに飛ばされる。
「……なんだここ」
学校の体育館。そんな印象、というかそのもの。窓の外はフィールドが定義されていないらしく、風景の壁があるだけ。手を出そうにも見えない壁に阻まれてしまう。ダイブした地点は二階の通路部分で、下を見ると学生……ほどの年頃の女子たちが物騒なものを広げて構えたり、調整したりしている。
「フェンリルだよなぁ……?」
噂には聞くが、やり方が非常に汚い連中であると知っている。一人一人見ていくと、ぽつりとセントラ軍の格好をしているのがいた。集団から少し離れた場所で装備を点検しているようだが、なんだか見たことがあるような気がする。そんなことを思えば真横にダイブ処理、空間が占有されて人の形が構築される。
「お前も呼ばれたのか、レイジ」
「そんなところだ」
手すりを飛び越えて、一階に飛び降りる。軽い音を立てて着地すると、セントラ軍の格好したやつと挨拶を交わして、そいつが全員を呼び集める。
「イチゴ、アグレッサーだ」
「りょーかい」
返事をした途端に強制ムーヴ。肌を焼く日差しと砂混じりの風、砂漠エリアだ。目を細めると、すぐ前に二人続けてムーヴしてくる。レイジと、セントラ軍の格好したやつ。
「で、訓練って何するわけ」
その返事はセントラ軍の格好をしたやつから。
「フェンリル十人相手に実戦形式、こっちは三人で武装制限あり。あっちは携行兵器のみでロケット砲とミサイル類はなしだ」
眼前に表示された武装リストはハンドガンやサブマシンガン、ライフル類は五・五六ミリ弾を使用するものだけ。
「おい、相手は十人だぞ、これでどうしろって?」
「イチゴよく考えろ。こっちはプロ、あっちは素人だ」
「……お前の実力は分かるけど、このセントラ野郎は」
「セントラ野郎か」
笑ってそいつは、バイザーとヘルメットを外す。
「セントラ軍キャンサー隊所属、工作兵のゲイルだ。もしくは、白き乙女如月隊のスコール」
「敵か味方かどっちだよ」
ウィンドウに表示されるのはどちらも証明書付きの正規のプロフィール。確かにこの前見たが、まさかそいつが何度か名前を聞いたスコールだとは思ってもいなかった。
「どっちかって言うと敵だな」
「敵かよ!?」
言った瞬間、二人に両肩を引っ張られて砂に倒れ込む。頭上を銃弾が走り抜ける。開始までのカウントはまだ終わってないが。
「ま、向こうにはカウント終了まで待てとは言ってないし」
「おいおいおい訓練だろ」
「実戦の、な」
「なにが起こるか分からないのが実戦です、ってな」
レイジとゲイルが二手に分かれて走るが、足を撃たれて倒れたところに集中砲火を受け二人ともダウン、残ったイチゴは十秒ほど全力疾走して、後頭部を撃ち抜かれた。訓練にすらなっていないような気がする、的当てだ。動く的を狙うちょっと難しいだけの射撃練習。これを初めとして、何度かやって、全戦全敗だった。女子だからと甘く見ていたわけじゃない、実力が違う。学生程度ならどうせ軟弱な……とか少しは思っていたが、彼女らは違った。現場の兵士だって人を狙って撃つことを躊躇ってわざと外すことがあるのに、あいつらは正確に狙って当ててくる。
そして、最後の一戦。
「ナギサが来る」
「正面から殴り合うか」
PDW二丁から放たれる銃弾にサブマシンガン二丁持ちで張り合って、弾切れになると双方マガジンを手に持って格闘戦に移行する。マガジンを使った殴り合いだ。
「スコール、退避!」
遅かった。
「ホノカと、ミコトか」
ナギサを正面に捉えて、四十五度右にホノカ、左にミコト。レイジが威嚇射撃をするが、伏せたナギサの向こうからクロスファイア。ダウンしたのを見届ける前に、数キロ離れた所から弾が飛んでくる。一発目、二発目と外れて三発目がレイジを吹き飛ばす。首が折れたように見えたのは、決して気のせいではない。
「ま、マジかよ」
逃げようと反転すれば、人影が見える。撃ちながら近づいて、低い姿勢で駆けてきた少女、ユキに接近され、サブマシンガンの銃撃を至近距離で受けてダウン。
夕方には桜都の仮想空間で、公園の芝生の上、幻痛に悩まされながら寝転がっていた。隣では女子たちがお菓子と飲み物を広げてわいわいやっているが、徹底的に叩きのめされたこちらは何もする気が起きない。なんで学生くらいの年頃で容赦なく人を撃てるのか、ゲームだからという理由だけではないように思う。
「レイジーあいつらなんだよ」
「一応フェンリル所属のフリーなやつら」
「実力的にはどれくらい」
「セントラの正規軍相手にすれば、一対一じゃ負ける。本当の戦場を知らないし、その戦い方も動き方も知らない。だけど、普通じゃない戦場を知っていて、普通なら何も出来ずにやられる状況で押し返す力はある」
「そういう状況ってのは?」
「もうすぐ、早ければ今年中には体験することになるさ」
「……どういうことだ」
「あいつに聞け」
示された方向では、ゲイルが女子に囲まれてハーレム状態だった。お菓子を食べながら奪い合いに参加して、何も取れずに、しかし取った女子にあーんと食べさせられて。
「アイツはなんなんだ!」
「あれこれやってるし付き合いも長いからな」
お菓子の奪い合いがだんだんとゲイルの奪い合いになって、両側から引っ張られてビリビリと嫌な音が聞こえた。
「全員と関係があったりするのか」
「まあ……未遂か、殺しかけた事はあってもその先はない」
「……エロい方向は」
「無いな」
「で、殺しかけたってのは」
「例えば隣のちっこい方、ユキの場合は毒塗りのナイフで腹を刺した、それも貫通」
「聞かない方がいいタイプの話か、それ」
「そうだな」
と、そのタイミングで二人の眼前にウィンドウが開いて、アラートが届く。
「俺の方はアキトがまたやらかしたと」
「こっちは……ルージュマッドドガーと一騎討ちだ。スコール!」
呼びかけると、あっちもさっきまでとは様変わりしていた。
「届いてる、アリスの訓練相手にはちと強すぎるが、まあやってみようか」
空間座標が転送されてくる。その値は刻々と変化して、アキトが仮想空間自体の深層域へと動いていることを知らせている。このペースは、のんびり歩くとかいう速度じゃない、戦闘機並の速度で突き抜けている。ムーヴプロセスに値をパスして、飛ぶ。すとんと足が鋼鉄の床に着いた。ぐるっと周囲を見れば、焼け焦げた壁に挟まれた通路が遥か遠くまで続いている。何故アキトのアドレスをセットしてムーヴしたのにアキトが居ないのか、答えは単純なもので、ムーヴしたときにはもう遥か彼方まで進んでいるからだ。
「今度はなにやらかしたー? あのやろー」
『急いで、アキトのバイタルがおかしい』
「はいはい、急ぎます」
ムロイから周囲のマップと進路予測が送られて来て、通路を抜けた先の広い場所を指定してムーヴ。鋼鉄の床は、その場所で砂に覆われて途切れていた。暗い通路の先は、真っ赤な空と血のような海がどこまでも続く不可思議な場所だった。こんな場所は知らない、資料でも見たことがない。
「ここは」
「Es領域」
答えがすぐ近くから帰って来た。青い髪の女の子、ID照会をすればレイアだと結果が返る。
「こんな所にいたら、溶けるよ」
「溶ける?」
「ここはEs、人の無意識を観測してそのデータが全部集まる場所……っていう建前。かなりの処理能力が投入されてるから、下手に巻き込まれたら一瞬で死ぬよ、頭が弾けるかもね」
「怖いことさらっと言うなよ。で、なんでお前がここにいるんだ」
「戦闘支援、かな」
ザザザっとノイズが走る。空間自体が不安定になっているようで、通話用のツール類もいつの間にかエラーを吐いて機能を停止させている。
「始めようか。シフト」
レイアの足元を中心に青い円が広がり、そこから円筒形に壁が出現。曲面に沿うようにヘックス状のウィンドウが展開され、処理が高速で表示される。隔離されたエリア、その中で膨大なリソースが金属質のフレームを生成し。
『警告・処理能力キャパシティオーバー――』
『管理権限を剥奪・当エリアにおいてレイア・キサラギ、霧崎アキト、イチゴへ対する処理能力無制限投入を開始』
管轄のAIが警告を発して、処理に介入しようとしたところで別の所から妨害が行われる。
「ありがとヴァルゴ」
壁が消える。見えた姿は、機械の天使とでも言うか。その身に纏う蒼鎧は、死をイメージさせるほどの純白を基調に鮮やかな青色で飾られている。翼のように背後に広がる自立稼働式の砲、自動追尾式の斬機刀の数々、女王蜂を護るように飛び回る各種ビットの群れ。片翼が、戦艦の砲と同じほどのそれが動く。空に飛び上がり、通路に砲口を向ける。
武装的に考えれば超大型機だか、エンブレイスに生身で乗って何ができる? そう思いたい状況だ、操作席が剥き出しなのだから、一発撃ち込めば終わりそう。だけどそんな手が通用しないことは分かり切っている。
『敵機確認、デストロイングエンジェル』
イチゴの目の前に複数のウィンドウが投影される。破壊の天使の進路予測データ、周囲のマップとアキトの位置、そしてRC-fenrirの武装一覧と大まかな戦闘の流れの予測。
「レイア、勝率は」
『私なら砲撃で終わらせられる。だけど今回は、スコールからしばらく手出しするなって言われてるから分からない』
「当てにならねえな……」
通路を注視。壁が白いものに覆われながら、こちらに迫ってくる。カビ? ほわほわした白いそれ、それを引き連れながら、四足歩行型の白い小型機が恐ろしい勢いで走ってくる。人をベースに、ではなく虫をベースにしたタイプだろうか、動きを見ていてゴキブリの大群を発見してしまったときのようなぞわぞわ感が溢れる。
「あの機体か?」
マップ上では、アキトとデストロイングエンジェルの座標が重なっている。
『違う』
白い機体が通路から飛び出て、空中でシフトプロセスを起動。着地までの僅かな間に人に戻り、砂の上を転がる。
「クソッ、んの野郎!」
そいつは、アキトだった。起き上がるとすぐに、ガソリンの携行缶をストレージから取り出して投げ飛ばし、爆弾を投げてガソリンを撒き散らすとライフルを顕現、曳光弾の詰まったマガジンを差してフルオート射撃。黒煙の立ち上る爆炎が散った。通路の向こうから出てこようとしていたデストロイングエンジェルが止まる。姿は見えない、ただ通路にはカビのような白いものがあるだけだが、座標上ではそれがすべてデストロイングエンジェル。アキトは躊躇いなく、続けて焼夷弾とランチャーを出して通路にぶち込む。カビが燃えて、デストロイングエンジェルが退いていく。
「はぁっ、あっ……」
気が抜けたか、アキトが膝をつく。額を汗が伝って、足元を湿らせる。
「お前、なんであんなのに狙われた」
「し、知りません……俺だって、あんな、あれ、おかしい、実体がないやつなんか」
『あれは胞子だから。本体はどっかに隠れてるはず』
「おめーはあれとやり合ったことがあるのか」
『あるから砲撃でやれるって言った。誰が作ったのか知らないけど、あんなのは存在していいものじゃない』
「だったら教えてくださいよ、倒し方。あの子と同じ姿でも、あなたは違う人ですよね」
『へぇー見る目はあるんだ、あんた。やるなら一気にやればいい、あいつは増えるまでに時間がかかるけど、増えたらもう手がつけられない。空間自体のキャパを食い尽くして、強制的に能力を無効化されるまで増えるから、短期決戦。怖がって逃げるなら、それはあいつの時間稼ぎの罠に嵌まっているだけのこと。自分から負ける道に入るのと同じ』
「襲われるようにして、仕掛けてきたら狩ればいい。そういうことですか」
『狩りに行けばいいじゃん。今はまだ胞子の段階、あれが茸になってしまうと地獄の始まりだから』
「……なるほど」
納得したアキトは、いつの間にか呼吸を整え終わり、汗がひいていた。
気配が変わる。
「シフト」
赤い光が溢れ出し、尾を引きながら蛍のように飛び回る。その光に包まれながら、しかしプロセスが起動すると一秒もしないうちに姿が変わる。赤い装甲に包まれた鋼鉄の巨人。見上げるその姿は、五メートルほどの小型機だが、どこか見覚えがある。
『それは私が作った機体。RC-fenrir、アキト専用に最適化されたアキトの為だけの機体』
赤いワイヤーフレームが展開され、その身長の半分ほどの長さがある巨大な剣が顕現する。斬機刀、装甲に包まれた鋼鉄のボディを切断するための剣。その色はルビーのように透き通りながら、血を固めたような不気味さもみせる。
『エンゲージ』
炎を突き抜け、通路に飛び込む。向こう側から押し寄せる胞子の壁を恐れずに、突っ込んで、光が溢れた。灼熱の赤を吹き飛ばして、すべてを溶かす白が通路を崩壊させ空間の修復を妨害、クラックが走る。
「ルージュマッドドガーって、なんかいま見ただけじゃどうにも賞金首第一位には思えないんだが」
『そう、でも知ってるでしょ、アキトの恐ろしさ』
「ああ、知ってる。あれをみたらやっぱ第一位だなって思うな」




