血色の狂犬【Ⅰ】
呼び出しを受けたイチゴ兵長は、白き乙女の基地の一つにいた。基地、とは言っても街中のビルだ。ここは仮想空間上での戦闘を主とする部隊の、戦場であり宿舎。所属する人員は様々で、子供から老人まで多岐に亘る。ただ、ざっと見ても実働部隊で魔法士に女性が多いのに比べると、こちらでは男性が多い。魔法適性が高いほど仮想空間に対する適性は下がる。逆もまた然り、例外なのは霧崎アキトくらいだ。
「あなたが新しい隊長ですね。ようこそ、白き乙女の仮想化戦闘部隊へ。私は補佐を……聞いてます?」
「俺……仮想の戦闘はあまり得意じゃない、第一世代電脳化処置すらしてないし」
ここにいるのはほとんどが、頭の中を弄った第二世代電脳化処置経験者であり、すでに脳とブレインチップの融合、定着、安定化の工程を終えた者ばかり。ちらほら第一世代がいるが、ほとんどは仮想空間に適応している人種だ。
「関係ありませんね、我々は優秀な指揮官を望み、そしてあなたがここに来た。指揮官が前に出ては、戦も出来ませんよ」
「一応聞くけど、俺の履歴見てるよな? 下っ端から兵長に上がっただけで指揮官クラスじゃねえぞ?」
「分かっています。あなたはただ、いてくれるだけでいい、形だけの指揮官であればいい」
「……勝手にやって責任だけ押しつけるパターンか」
前任者は逃げたんだな、これで。あぁ嫌だ逃げたい、なんて思うと。
「違いますよ、ここにいるのは、尉官以上。すべてが指揮官の立場に立てるのに、立ちたくない者ばかりです」
「だったらなんで兵長の俺が」
「後ろで指揮をするよりも、前線で動きながら指揮をする。それがここにいる兵士の常です」
そんなこんなで、勝手に戦隊の指揮官に置かれ、しかし形だけでいいと弾かれる。戦隊とはいえ所属人員は二百人にも満たない。決まった編成もなく、戦闘状況に応じて臨時編成で出撃することがほとんどだ。仮想での戦闘は何をするにしても金がかかる、その反面死体の始末などは楽だ。現実で汚れるのは、ストラクチャに入られない限りはコンソール回りだけだ。
「必要なのは、あなたがここにいるという事実だけです。定期的にここに来てくれるだけで結構です」
この日は、たったそれだけで追い出されるようにビルから出た。寒い中を急ぎ足で寮まで歩く、平日の昼間だというのに、街の中には人が大勢いる。そんな中に、見知った顔ぶれがあった。如月寮の学生たちだ。学校はどうした、なんで昼間に街中に私服でいる。寮長代理として放っておく訳にはいかない。
「おい、お前ら何してる」
声をかけるとビクッとしたものの、逃げたりはしない。アキト以外の全員が揃っている。
「ムロイ、これはどういうことだ。サボり、なんてことじゃないんだろ」
「……スズナに許可は取ってる」
「何をしようとしている」
問い詰めると、男子生徒が割って入ってくる。
「あんたには関係が無い、これは俺たちの戦いだ。ほっといてくれ」
「学生が戦争なんてするもんじゃない。何をするのか言え、俺が対応する」
「今はまだ言えない。その時が来たら、言うから。だから今は見ないことにして」
「許可を取ってあるならいいが、死ぬようなことはするなよ」
「分かってる」
嘘だ。簡単に分かるほど、その返事は嘘だった。これ以上は踏み込む前に、スズナに聞いた方がいい。学生のする戦闘などと、侮ることは出来ない。今の時代、戦闘用のプログラムは学生の貯金では手が届かないが、作れないということではない。
「仮想空間は、私たちの第二の故郷。荒らさせはしない」
「大事になるようなら、ほんと言ってくれよ。ある程度は介入できるから」
「うん、そのときはお願い」
うかつな手出しが出来ない。これはこうだと決めつければ、痛い目を見るのは自分だ。小学生に見えて戦闘可能な魔法士だったりすることが普通にあるのだ、学生だから、では決めつける事が出来ない。少し心配ではありながら、寮に帰るとちょうど女の子が走って出て行く。
「なんだ」
「スクランブル、非番なのに呼び出しってやんなるよ」
髪から雫を振りまきながら、さらに数人。部屋着のままだったり変な中途半端な格好だったり。帰って来てくつろごうかと思った矢先なのだろう。
「忙しいのもあれだなぁ……あぁ」
廊下に色々散らばっていた。着替え途中だったのか、服が散らばって化粧水のボトルが散乱していたり、タオルが窓枠に引っかかっていたり。なるほど、こうして散らかって誰も片付けないからゴミ屋敷になるんだな。理由は分かったし、慣れた。片付けて洗濯機に放り込んでスイッチオン。もうなんだろうか、女の子の使用済み下着とかなにそれ、汚れた布きれだろという思考だ。下着泥棒とか思われそうとかいうやましい思いもない。
一通りを終えて、仮想空間にダイブする。仮想での寮内の点検だ。不正アクセスの監視はもちろん、構造への破壊行為やバグによるストラクチャの欠損も確認する。現実側からコンソール経由でチェックすることも出来るが、あれはシステムエンジニアに任せる。専門職がやらないと、イチゴでは手に負えないのだ。それに、仮想に潜って点検をした方が早い。AIの余剰処理能力で再現される仮想、そのすべてはプログラムなのだ。エラーがあればぱっと見で不自然だと感じられるところがある。そうでないところは点検で探すが、分かりやすいところからチェックして修正依頼を出した方が、不慣れな人にとってはやりやすいことだ。
一通り見て、寮の庭に出ると妙な音がした。探してみると、木の洞が転移門になっていた。誰だこんなところに設置したやつ。どこに繋がっているのか、興味本位……変なところに繋がっていないか、確認のために踏み込む。固い地面、いや、鋼鉄の通路。人のためではない、二十メートルほどの幅がある広大なトンネル内のような。
「……どこだここ」
マップを開くが、現在位置は不明。どこかの構造体の地下、管理エリアだろうか。しかしそれにしては意味の分からない通路だ。
『こちらアカモート電子対策部隊。イチゴ兵長、貴君の管理下にある者が交戦中だ』
サウンドオンリーのウィンドウに並んで、アキトの様子が中継される。両手に剣、戦っている相手はセントラ軍か。戦車部隊の合間から歩兵が撃ってくるが、アキトはふらふらした動き……に、見えて躱しながら接近。戦車を斬り上げ、ひっくり返す。慌てて逃げていくセントラ軍の様子が出る、いったい何してるんだろうかこいつは。なんでこっちにアラートが来てないんだろうか。
「あの、ここってもしかしなくてもアカモートの管轄?」
『そちらの位置は葛原鋼機の構造体とパブリックエリアの接続域、現在の戦闘域は上位中継界にて行われている。ヴァルゴの処理能力無制限投入により、空間が高速で破壊と再構築を連続的に繰り返し不安定、出来ることなら直ちに戦闘を停止させることが望ましい』
「了解、アドレスをください」
送られてくると同時にムーヴ、そこも通路だ。激しい銃声が鼓膜を叩く。状況を認識して、吐きそうになった。濃密な血の臭いと、切断された人の死体、爆発炎上する戦車に焼かれた肉の悪臭。戦意喪失どころか、ほぼパニック状態になりながら逃げる兵士を追いかけ、一方的に狩りを行うアキトには、表情なんてなかった。感情が感じられない。
「アキト、一旦退け! それ以上進んだらセントラの管轄域だ、不味い!」
『コーデック違反だ、ヴァルゴ、ラインを超えたら貴様は――』
セントラ側から怒声が届くが。
『警告・不正処理が検出されました。該当エリアの電子体は直ちにログアウトしてください。繰り返します――』
アキトが動きを変える。銃弾が見えない壁に阻まれ、戦車砲ですらも通路を焦がすだけ。回避の必要がなくなり、境界を超えるとサファイアカラーのエネルギーを散らして敵陣に突っ込む。音が消えた。サファイアカラーの色彩が弾ける。
吹き飛ばされたと認識して、何も出来ずに壁に叩き付けられて床に落ちる。アイツは今、何をした。爆発のあった場所を見ると、仮想空間で最も頑丈なはずの、そもそも破壊不能オブジェクトの構造体そのものが壊れていた。崩壊した通路の外側は、再生処理が阻害されているのかノイズに包まれ、爆発の範囲にあった空間もノイズが浮いた状態で、エリアそのものが危険な状態になっている。
「やれやれ」
と、気付けば目の前にセントラ兵が三人。二人は歩兵としての装備だが、一人は戦闘服だけで銃など武器は何もつけていない。いきなり現れた、ムーヴのエフェクトがない。
「ゲイル、やってこい」
「隊長そりゃ死んで来いってことですかね、生身で戦うようなもんじゃねえですよあの化け物」
「ならばシフトしろ。戦闘用電子体ならばやれるだろう」
「バカ言わんでください、第一世代でもないのに第三世代に挑め、死んで来いってのとかわりゃしませんて」
「つべこべ言わずに行ってこい。貴様かスコールだけだ、ランカー相手に戦えるのは」
「はぁ……そうですか。まあ、やりますかね。オープンコンバット」
ゲイルと呼ばれた兵士が、崩れた通路に向かって走る。飛び越えられるような距離じゃないのに、あれは飛び越えようという助走。
『警告・不正処理を検知し――』
聞き慣れた機械音声が中断される。そして、女性のアナウンスが流れる。
『改変処理を開始、空間フォーマットを再定義、疑似魔法領域を展開』
ゲイルが飛び越え、着地する。聞いたことが無い、改変処理? AIがそんなことを宣言することはない、人の認識の平均値を算出して、徐々に仮想のロジックを、プログラムを変化させていくのだから、こんな急激な変化はあってはいけない。
『改変処理を開始、空間フォーマットを再定義、不明な領域を削除、通常空間を再定義』
別の女性の声……いいや、これは、よく聞くと機械音声だ。別エリアの管理AIが出張って来たと言うことだろうか。処理能力が足りなければ支援はあり得るが、管轄域外への干渉は中立を謳うAIのやることではない。
『改変処理を開始、空間フォーマットを再定義、疑似魔法領域を展開、変更を固定』
『改変処理を開始、空間フォーマットを再定義、不明な定義を削除、通常空間を再定義、変更を固定』
『統括権限を発動、AIユーザーアリスの干渉を遮断、疑似魔法領域を再展開』
『ここは私の管轄だ、手出しするなヴァルゴ!』
「アリス、張り合うな。専用の領域は要らない、ヴァルゴの処理能力には敵わないしあっちと処理は同じだ。それよりこっち処理を回せ。アンカー展開、ムーヴさせるな」
『チィ、了解。ゲイルそこの野郎を始末しろ、そいつ経由でアクセスしてやがる』
「はいよ、こっちも新型いきなり壊されるとか嫌なんで、狩らせてもらう」
兵士たちが距離を取り、アキトとゲイルの一対一。無茶だ、斬り殺されるぞ。敵でありながらも、心配してしまう。
「少年、大丈夫か」
座り込んだままでいるイチゴに、セントラ兵が手を差し出した。それを取って、立ち上がると体中からポキポキ音がする。関節が外れてないにしても、無理な力で少しずれたか?
「大丈夫だ……あんたら、正規軍じゃないだろ」
「そうだ、よく分かったな。しっかりと偽の徽章までつけてきたのに」
「そのライフル、セントラじゃ正式採用されてない」
そう言われた兵士が、んっ? という表情をする。ライフルそのものは正式採用されている。
「マークだよ、横のとこの」
「軍事オタクか」
銃口を向けられる。
「それともどこかの傭兵か」
「傭兵だな、あの暴れ馬をどうにかしろって言われたけど、無理そうなんでそっちに任せる」
敵ではないとアピールして、銃口を下ろさせる。どうせアキトのことだ、正規軍ぶつけられて平気で押し返すのだ、たかが一人くらいどうってことないだろう。
「うちのゲイルは強いぞ、スコール中佐との訓練戦闘で三連勝した男だ」
「俺にはその強いってのが分からない。そいつらの事知らないし、なにより」
ゲイルが吹っ飛ばされて、イチゴたちの頭上を通り過ぎて天井に打ち付けられ、少し間を置いて落ちる。空中で体勢を立て直し、それでも人が落ちるには危ない高さから落ちて着地、すぐには動かなかった。
「ゲイル!」
駆け寄ろうとした兵士が、一瞬で通り過ぎた何かに切り裂かれた。頭の先から股まで、一直線に、真っ二つ。倒れ、床に中身をぶちまけるその様子から目を背けた。今のは、なんだ? アキトの方を見ると、投げた体勢で、片手の剣がなかった。あの距離から重量物を正確に投げる、だと。そんなことが人間に出来るのか、腕力が足りない、どんなに訓練したところで、投げる条件に左右される、ほぼ不可能だ。
「うちのアキトの強さは、あんたらよりは理解しているつもりだ」
アキトが空いた手にナイフを取りだし、こちらに向かって投げる。カツンッと天井で弾かれたそれ、青く輝いたかと思えば、ナイフを握ったアキトがいる。ムーヴは出来ないはずなのに、これは、魔法か。
「ネットで魔法だと? どういうことだ」
「仮想空間はあんたらセントラの領分だろ? そっちが分からないなら、こっちにも分からない」
さっと後ろに。避けた、アキトが片手で剣を構えて、落ちる勢いを利用してセントラ兵を両断。
「お前は……なんでそんなことが平気でやれる」
返事はなかったが、横から見えたアキトの目は激しく動いていた。息遣いが荒い、おかしい。ぶつぶつと何かを言っているが、聞き取れない。
「アキト? おい、アキト」
「ライブラリ展開、魔法式、蒼焔樹、蒼焔雨展開」
蒼い炎が溢れ出す。アキトの手に握られる燃え盛る種、鋼鉄の床に落とされたそれが芽吹き、燃え盛る根を張り巡らせる。同時に、天井に舞い上がった火の粉から蒼い雨が降る。雨を浴びた樹が成長、花を咲かせ無機質な通路を蒼の庭園に変貌させる。蒼に彩られた空間、鳥や蝶が舞い、幻想的……で、ありながら近くにいるだけで焼き殺されそうな熱波を放つ。
「おいーアキトー? 溶けてるぞ、構造体が溶けてぇ……」
の、瞬間。凄まじい音を立ててゲイルの真上が崩れ落ち、崩落に巻き込まれた。あれでは、潰れて即死だろう。瓦礫の山へと手を向け、炎を放つ。あっという間に赤く焼けた瓦礫は、白くなり溶ける。
「なかなか危ねえことするなールージュ」
「生きてる? どこだ」
探すが、姿はなく気配もない。声がどこから聞こえてくるのか、それすらも分からない。
「なんでお前はルージュなんだ、それじゃアジュールじゃないのか」
血色の狂犬よりは蒼焔の騎士とでも言った方がいいか。静かに、幻想的に燃える蒼の庭園。この空間の支配者はアキトだ。この場にいるのなら、すぐにでも焼かれるはずだがゲイルはここにいない。
「うるさい……消えろ、消えろ、全部なくなればいい」
炎が暴れだして、さすがに危ないと判断。すぐさまログアウトプロセスを起動したイチゴは、ログアウト不可能の結果を突き付けられ、焦り始める。前は炎、後ろは崩壊した構造体のノイズ。飛び込むか? このままだと焼き殺される、構造体が溶け始めている。意を決してダイブ、視線が合った。
「あっ」
マイク片手にノイズの中に隠れているゲイルだ。いきなりこっちに向かって飛んで来て、襟を掴まれて強制ムーヴ。セントラの処理だろうか、桜都の管内とはエフェクトが違う。通信線の中を飛んでいるかのような、長い長いデータのトンネルをくぐり抜け、放り出される。
「……どこだよここ」
「セントラの中継界だ。ここからならログアウトできる」
試しにプロセスを走らせると、ログアウト可能と返ってくる。インターフェース類がセントラ仕様に変わっているのは、イチゴがデフォルト設定を地域に合わせて自動的に変化させるようにしたままだからだ。
「じゃあな」
「ちょっ!」
止める間もなくログアウトしてしまう。いくら中継界とは言え、他国の領域に一人でいるのは気分が良くない、すぐにログアウトした。