セントラ南部戦線【Ⅰ】
十二月二十一日。
レイジは嫌な顔をして固まっていた。
と言うのも、
「こ、こういうの……やってみたいんだけど」
唐突にスズナから渡されたのはレイアの部屋から持ち出したアダルト雑誌で、SM系の……。
「……そういうのはー、まずタオルとかでソフトにやった方が」
やらないという選択肢は用意されていない。断れば今夜の交わりが長くなる。なんでこう、毎日毎日したがるのか……。
「あ、後ねこっちのも」
パラパラとページを捲ってかなり過激な行為を見せてきた。
「頭でも打ったか?」
昨日あの後はおかしなことはなかったし、夜もいつも通り……いや、ちょっと回数が多かったか。
「そんなことないわよ。その、ね? たまには違うのも」
「いやだからって……」
「私がしたいって言ってるの。ツインテールもしてみたいし、その、ハンドル? みたいにして無理矢理お口でっていうのも」
「……一つ言っとく。レイアみたいになるようならホントに洗脳するぞ」
思えばレイアだってどこでどう間違ったか、いつの間にか頭の中が淫乱ピンクやましいことで一杯ぶっ壊れ思考になっていたことだし、スズナにはそんなことになって欲しくないしなんでいきなりそういうこと言い出すのかすら理解が及ばない。とりあえずの解決策として思いつくのは洗脳の応用で思考回路と記憶の改竄くらいだ。
「もうっ。私はレイアちゃんみたいにはならないわよ」
「どーだか」
信じられないなと。
「あっ、後ね夜のお散歩」
もう相手をしていられるかと遮る。
「今日は遊びに行ってくる。仕事が入れば連絡くれ、なければ夜中には帰る」
「遊びにって言いながらなんで刀に手を伸ばすのかしら」
「歩けば不幸がぶつかりに来るから斬り伏せるためだ」
「そんなこと考えるからホントになるのよ。たまには置いて行きなさい」
手を伸ばされて振り払うと、コツンとピンク色の丸いものが転がった。もういい、もう相手していられない。
「却下だ」
遊びに、その割には軽い武装を持って寮から出て行った。今日の出撃割り当ては全員だ。下の学生たちもクリスマスパーティーの準備だとかでみんな出払ってしまっていて、残っているのはスズナと準備中の紅月だけだ。
予定時間まではまだ時間があるし、久々のまともな出撃と言っても戦闘服を着ることはないしで暇になっていた。大広間に行けばいつもの重武装をした紅月が作業をしていた。補助具の点検と魔法のインストールをしているようだ。
「紅ちゃん、少しいいかしら」
「ブリーフィングですか」
「それもあるのだけど、私はあまり激しい動きは出来ないから前衛は任せてもいいかしら」
「承知しました。お任せ下さい」
「いつも悪いわね、私の仕事押しつけちゃって」
「構いません。これが仕事ですから。予定の再確認をしてもよろしいでしょうか、いくつか気になる点がありますので」
「え、えぇ分かったわ」
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昼前、早めの食事を終えセントラの防空識別圏のすぐ傍に白き乙女の部隊が姿を見せた。
『こちらはセントラ広域即応旅団です。識別符号を確認しました、指定ポイントで合流してください』
こちらから通信を入れる前にセントラから通信が入る。事前に割り当てられた味方であることを示すコードを読み取られ、データリンクで周辺のマップが転送されてくる。
「こちら白き乙女クレスティア、了解しました。紅ちゃん?」
「…………、」
「紅月」
「すみません。すこし考え事をしていたので」
「ここからは戦場よ。いくら牽制だからって仕掛けてこないとは限らないわ」
「分かっています。来るとすればリベラルかフリーダム、最悪はアカモートですが後れを取るつもりはありません」
「だったらいいわ。前は任せるわ、私は後ろに着くから」
「分かりました」
減速して紅月の横に並んで、そのまま後ろに。
桜都の三大勢力、それも戦姫を含む部隊が護衛につけば襲撃を受ける可能性は著しく低下する。今回もただただ退屈な護衛任務で終わるだろうと予定している。
「クレスティア、胸元が濡れていますが」
「え、うそ……」
「雲の中を飛んだときに水滴がつきましたか」
ステルス状態で雲の中を飛びはしたが、スズナは少し湿っているだけで紅月は鎧に多少ながら水が付着している。胸元だけが濡れるなんていうのはおかしい。
「そんなことは……まさかおっぱい? こんなに早く出始めるものなの?」
「個人差があると聞いたことはありますけど、そうなのかもしれませんね」
指で触れて匂いを嗅ぐと明らかに水ではない。
「……母乳パッド買おうかしら」
「買うべきでしょう。ビジュアルコンタクト、セントラの空母艦隊」
「私たち要るのかしら。あれだけの艦隊なら大丈夫でしょうに」
遠くに見えた艦隊は大型航空母艦と中型航空母艦二艦を中心に三十を超える護衛艦と補給艦、潜水艦も海の中にいるだろう。主力艦隊の一つだ。
「シールド艦と工廠艦が不在……?」
「その穴埋めかしら。合流しましょう、ラバナディア海域から離脱するまでの契約よ。早ければ明日の朝には終わるわ」
艦隊に近づくと大型航空母艦の甲板後部へと誘導された。艦内へ通され指揮官と契約内容の確認をするとすぐさま班分け、周囲を固める護衛艦へと散っていく。全周警戒、スズナと紅月は大型航空母艦で待機だ。
「あんまりこれは使いたくないんだけど」
そう言いながら偵察用の召喚魔法と長距離攻撃用のレールガンもどきを展開する。動作確認だけして、召喚兵を全方位にはなってレールガンもどきは解除。
「空母の防空砲もありますし、あまり警戒する必要はないかと思われます」
「紅ちゃんなら突破できるかしら」
「可能です」
「だったら警戒しなさい。この時期だもの、そろそろ〝敵〟が仕掛けて来てもおかしくないわ」
「そうですね」
「いたっ、やけに強力なジャマーね」
「どうしました」
「リコンが消えたわ。周りの護衛艦、ジャマー積んでるわね」
「ともなると魔法は貫通出来ませんね」
「魔法防御はハイレベル、それにこれだけの護衛と空には警戒機が入れ替わり。迎撃機もローテーションしてるし、でも警戒はすること」
「了解」
潮風に当たりながら、何事もなく終わるといいなと思いながら退屈な時間を過ごしていると警報が響いた。こんな常識外れの大艦隊に仕掛けてくるらしい。
後ろに随行する中型空母二艦から続々と戦闘機が空に飛び立ち、大型空母の甲板も騒がしくなる。四基のエレベーターが動いて次々に戦闘機が甲板に上がってきて、カタパルトに進んでいく。同時に三機を打ち出せるのか、レーンが三つある。
「そろそろ出番かしら」
戦闘機が編隊を組んで飛んでいくのは艦隊後方。四機編隊がいくつも飛んでいくが、それだけ出すということは敵も大規模だということだ。
「あ、白き乙女のおねーさんじゃん」
不意に声を掛けられ振り向くと、場違いというかなんでここにいるのかと思う格好。
「あら、リコちゃんじゃない。あなたどうしてここにいるの」
「いやー短期で二百万貰えるっていうから参加したんだよねー……三日前からいるけど何回か夜中に襲われてさー、契約違反だって言ったら追加出すから慰安もしろって言われて嫌になってる今日この頃でーす」
腰回りにはハンドガンが二つ。補助具は見当たらない。
「あなた魔法は」
「ありぃ? 言ってなかった、使えないよ」
警報が響いてミサイルが発射される。護衛艦も砲撃を始め、遠くの空に爆炎が弾ける。
「うっわーあんだけ撃つってどんな敵だろ」
一人、兵士が駆け寄ってくる。
「傭兵出番だ、準備しろ」
「了解よ。こちらの受け持ちは」
「指示は追って出す、すぐに動けるようにしておいてくれ」
兵士が去って行き、戦闘に向けて魔法を展開して待機するが五分ほど経っても呼ばれることはなく、静かになったかと思えば戦闘機が飛んできた。ここから飛び立ったものとは違う機体で、見たことがない。
「下から見るとまるで妖精ね」
「ライブラリに登録がありますが、情報がほとんどありませんね」
「新型機ってとこかしら」
一度通り過ぎて大きく旋回しギアダウン、ランディングアプローチを始める。通常よりもかなり早く高度も高い。オーバーランして海に落ちるのではないかと心配するが、甲板の上で急にピッチアップ、後ろの動翼を傾け急減速しドシンと落ちた。
「……戦闘機ってああいう着陸しないよね?」
「……しないと思うわ」
「……普通は足が折れますし」
非常識な着陸をした機体は翼を折りたたみながら甲板脇に退避して冷気運転に移る。コックピットが開いて小柄なパイロットが飛びる。
「あんな小さな子まで戦争に……」
「私たちが言えたことじゃないでしょうけれど」
そんなことを言っていれば、ヘルメットを脱いでコックピットに投げ込んでこちらに走ってくる。
「あら?」
「なぜこちらに来るのでしょうか」
近くに来るとその姿がよく分かった。身体を締め付けるパイロットスーツに身を包んだその子は人ではなかった。
「アリスちゃんじゃない」
「あんたらどっち」
「どっちって?」
いきなりそんなことを言われ、何を聞かれているのか理解できなかった。
「無関係ならさっさと離れた方がいい。ここはすぐに戦場になる」
「私たちはそのための戦力として雇われているの」
「そちらの事とこちらの事では意味が噛み合っていないと判断する。私の言う戦場とは〝敵〟との衝突だ」
「だったらなおさら退けないわ」
「警告はした。それとMMCの傭兵、次は殺す。では」
立ち去っていくアリスに、紅月は怪訝な表情をする。
「なんですか、彼女は」
「スコール君のサポートって聞いてるけど詳細は知らないわ」
「要警戒、ですか」
戦闘機に戻ると、近づいて来た整備要員を追い返してロボットだけを操作して給油や補給をしていく。エンジンはアイドル状態のまま、すぐに発艦するのだろう。
『接近中のBFFが進路を変更、警戒を維持。繰り返す――』
「出番なしかしら」
「嫌ですね。基本料金の支払いがあるとはいえ、排除した脅威の数で追加が支払われる予定ですし」
「それでも何もない方がいいわ。怪我する必要はないの」
「そうですね」
眼前に魔法で投影した情報を読んでいく。護衛艦に待機していたメンバーからは異常なしの報告だけだ。
「あのー」
「なあにリコちゃん」
「おねーさんもしかして天使?」
「あらあらよく分かったわね。正確には堕天使よ」
「やっぱり、ちょっと確認したかっただけ」
「天使と何かあったの」
「この前ねーいきなり襲われたから締め上げただけ」
「……リコちゃんあなた強いのね」
「そりゃぁこの身体一つで稼いでますからねー」
と、不意に爆音が響く。目を向けても何もない……ように認識した瞬間、水柱が上がってアリス機が空に飛び上がった。
「え、何あれ」
「紅ちゃん見てた」
「えぇ……突然、後進して落ちたかと思ったら今の状況です」
「怖いことするわねぇ」
目で追っていると、エンジンから吹き出される青い炎を輝かせながら天高くに消え、数秒で降りてきた。凄まじい速度で空母の上を横切る。威嚇するかのような行動に空母のタワーから罵声が飛ぶが、明らかにこちらに対してだ。
さっさとここを離れろと。
そう言うことだろう。