ブルグント北部戦線【Ⅱ】
饐えた臭いと殺気だった雰囲気。
ブルグントとセントラの、泥沼の戦争が続く最前線の空気。
ブルグント軍の前線基地に派遣されてきた白き乙女の傭兵部隊が、軍と余所のPMCとを交えた作戦会議に参加している中でその下っ端たちは空いた場所に火を焚いて休憩していた。
「ほれ、配給」
「まーたこれかよ」
高カロリーな粘土と合成甘味料が効きすぎた感じの蛍光色の粉ジュース。汚い水だろうが混ぜてしまえばその色で誤魔化せるから、理由は知っているがそれで飲みたくなるかと聞かれたらまだ泥水もらった方が良いと答える。極度の緊張状態で味覚が弱るから凄まじい味付けだとも知っているが、食欲が失せるだけだ。
「カレー粉、ねえか」
「もうねえよ。一時解放はいつだ」
「確か俺らは……」
端末を取り出してローテーションの一覧を出す。サイト18に割り当てられた時間は十八時から二十時まで。その二時間だけなら基地から一定距離まで外出できる許可が出る。
「調味料と香辛料だけでも買ってくるか」
「ついでにガム買ってきてくれ」
「補給物資になかったか」
「いやぁさっき賭けで取られちまって」
そう言えば水がない。いつもボトル飲料があるのに。
「……水は?」
「あっ、いやーそれもなぁ……悪い」
胸ぐら掴んで引き寄せ、至近距離で魔法をぶつけ幻痛を喰らわせる。
「悪かったって、今度なんか奢るから」
「増加食でカップ麺あったよな。あれと水一本で」
「ぐっ……仕方ねえ」
粘土みたいなレーションを包んでいるアルミホイルを剥いで、直火で温める。温めても食べ物に似た何かというレベルでしかないが、凄まじく不味いというレベルがかなり不味いにまで変わる。
「おっ、何あの美少女」
「……白き乙女だな」
紙切れ片手に何か探しているようだが、饐えた臭いの男共ばかりのこんな場所に私服の美少女一人。あまりよろしくない連中が早くもたかり始めている。
「ちょっと助けてくるか」
「マジで行くのか」
「喧嘩になったら連帯な」
「ちょ待て、行くな! 俺はそんなことで懲罰部隊行きは嫌だぞ」
「悪いが行ってくる」
と、そんな事言って飛び込んで行って取り囲んでいたバカ共が吹き飛んだ。
「……あーぁやりやがった」
美少女の手を引いて戻って来る相棒は、こういう無茶でも平気でやるから困ったものだ。
「えっと、ありがとうございます?」
「……おめー、あれどうすんだ」
「憲兵隊呼ぶか? 状況証拠であいつら全員さようならとか出来るぞ」
事実を嘘ではないが言い方が悪い、そんな感じに脚色して勢いで呑み込んでしまえば簡単なことだ。
「辞めて差し上げろ……不憫だろ、女っ気がないとこに美少女来て近づいたらMPとか」
「ストレス発散にちょうどいいかと思ったが、賭けで巻き上げるか」
「常勝無敗のおめーが行ったらみんな逃げるぞ」
連れて来たはいいが放っていると、おずおずと声を出した。
「あのーサイト18隊ってぇ……」
「あっ俺らですけど。伝言すかね」
「新人研修って言われて、そのぉ……」
「……えっ? はいぃ? 俺らそんなにダメにな組か? だっておい、ミナ」
「残念だったな、今月入っての任務でスコアは一桁だ」
「んなはずは」
「私が――」
「リオン隊のおこぼれもらったクセに手柄を欲しがるな、だと」
「ガッデム!」
「死語だぞ、それ。ま、つー訳でだ、経験長いクセに数字を上げられない人を教育しましょうって事で、こういうことだ」
「マジですか……あれだろ? 白き乙女って女ばっかの最強傭兵部隊だろ」
「あの――」
「まあ末端でも男性魔法士の部隊相手に余裕って話だが」
「そんなのが指導教官って、俺ら死ぬぞ」
「どうだろうな」
「どうだろうなって、魔力的にも体力的にもついて行けねえって」
「無視しないで!」
「おわっ」
「ファラスメーネのミナって人は?」
「こいつだ」
ポンッと肩を叩かれて、ヘルメットを脱ぐ。顔を見せるとようやく引っ張って来た美少女の、蒼月の顔に安堵が見える。
「えっとぉ、予定聞いてる?」
「一通りは。二十四日の昼まではぶっ続けの戦闘訓練、しかも最前線で」
温まってちょっと焦げのついたレーションを口に運びながら、なぜかこちらに向かってくるファラスメーネの指揮官に目を向ける。
「おーいミナ、嫌な予感しかしねえんだけど」
「いやもう最前線は決定事項だし」
最前線=生還率無し。それが決定事項なら、これよりも悪いことはない。
「サイト18ミナ二等兵」
「なんでしょうか」
レーション囓りながら、座ったままで答える。別にこれで咎められることはない、ファラスメーネは白き乙女の如月隊並みにかなり緩い。
「ブルグント軍、神姫隊のリオン様からお呼びが掛かっている」
「…………。」
固まった。
何したっけ? 呼び出し喰らうようなことをした覚えはない。レイジからはとくに問題なかったと聞いているし。
「至急ブルグント軍のテントまで行け」
「……了解」
指揮官が立ち去ると、レーションを火にかざして少し考える。
「お前何やった」
「思い当たるところがねえ」
「もしかして撃墜されたときに掠ったとか」
「よし、無視しとこう」
と、再びレーションに手を伸ばせばいい匂いが流れて来た。
「いいよなー」
「白き乙女は一定規模なら調理隊がついてるから、いつでも温かい美味しい食事だ」
「俺らもステーキとか欲しいよな、な」
「んなもん出る訳ねえ。金払えば出してくれるし、欲しいなら行ってこい」
「え、マジで?」
不味いレーション置いて走って行ったバカを見送って、ようやく二人きり。
「それ、美味しい?」
「少なくともセントラのレーションよりは不味い」
少し千切って渡す。戦姫クラスならこんなもの食べることはまずない。作戦時でも転移魔法が使える関係上、よほどの潜入任務でもない限り持ち込まないし、持ち込むならきちんとパッケージングされたものだ。
「うえぇぇ……」
「まあ栄養分だけ混ぜ合わせた粘土だ。味と口当たり以外は満点だな」
「みんなこんなの食べてるの」
「主に男がこれ、女は新兵でもない限りはこんなもん支給されない」
「嫌じゃないの、こんなの食べるなんて」
「食えりゃ何でもいいし。それより寝るのが屋外ってのが嫌だな」
「……えっ?」
「お前は作戦中の夜はどこで寝る」
「ベッドの上だけど、スコールは違うの? こんなにテントあるのに」
「男連中は基本屋外、雨降ろうが嵐だろうが豪雪だろうがなんだろうが関係ない」
「そんなのおかしいよ」
「おかしい、か。知ってるか、軍や傭兵で女と男の扱われ方の違い」
「一緒じゃないの?」
「……また今度暇があるときに話すとしようか」
手ぶらで戻ってきた相棒はドサッと座ると不味いレーションを口に運んだ。
「高かっただろ」
「相場の五倍って、吹っ掛けすぎじゃね」
「食糧配給とかじゃない限りはあれがデフォルトだ」
「マジかー。それはそうとしてだよ、俺らどうなんだ? 配置換えか」
立場的には蒼月がトップになるが。
「その辺どうなんですか、お姫様」
ふざけて聞いてやると、おろおろしてしまう。
「蒼月、イリーガルからの指示は」
「ブルグント北部派遣部隊について行って、現地でファラスメーネのサイト18に合流しろって」
「……はぁ」
つまり丸投げか。
「食い終わったらリオンのとこ行くぞ」
「無視すんじゃなかったのかよ」
「気が変わった」
そうして、割り当てられた休憩時間の終了十分前になって火を消して動き出したところにリオンがやってきた。
「先ほど呼び出しをしたはずですが、なぜ来なかったのですか」
「面倒くさかった。以上」
「おいバカ、殺されるぞ」
口の利き方に気を付けろと相棒にせっつかれるが、この場でそう言うことになるとこの基地ごと人員と物資のすべてを消失させることになる。
「まさか分かっていて無視したのですか」
「まーた中尉が逃げたか」
「逃げました。上空に展開していた偵察隊が塹壕に逃げ込んだのを確認していますが、そこからの足取りが掴めていません。そう言う訳ですので、先ほどあなたの上官に話は通しました。特例です、一時的にファラスメーネのサイト18は私の指揮下に入ってもらいます」
「了解。ただ、白き乙女がいるんだが」
「そちらはどのような関係ですか」
「あっ、私はファラスメーネのサイト18に合流しろと指示を受けてまして」
「ファラスメーネ、そちらは」
「命令書はもらってないが……」
端末を取り出して、白き乙女如月隊の隊長と臨時オペレーターが発行した依頼書を提示する。
「向こうからこういうのはもらってる。ファラスメーネは関与してないし言ってない。ま、こいつの扱いは完全に任されてるからそのまま組み込みでいいだろ」
「そうですか分かりました。すでに話は通してあります、二十分後に野戦装備にてブルグント軍の四番テントに集合してください」
リオンが立ち去っていくと、どうにも相棒は状況が理解できていない様子で顔を向けてくる。
「そういうことだ、よかったな人生で一回あったらラッキーな戦姫の……じゃない、神姫の直属だ」
「ミナ……おめーどこで知り合ったよ」
「北極で海水ぶっかけてセントラで喧嘩したくらいか」
「死刑執行かなこれは。巻き添えか俺は!」
「なに、ただの散歩だ」
「散歩? 野戦装備で塹壕ってもろに生還率無しの前線だろ」
「聞いてなかったのか人捜しだ」
「いやそれでも」
「行くぞ」
「えぇぇぇぇぇ……」
「蒼月も、ついてこい」
「は、はい」
野戦装備とは言われたが、男性にそんな装備の区別はない。陸戦隊と魔法士隊には補助具以外は同じ装備が配られる。航空魔法士隊には追加で装備があるが、基本は同じ。ただし邪魔にならない範囲で個人武装の持ち込みと支給装備の改造は認められる。
「なんか、入りづらくねえか」
「気にすんなよ許可は出てる」
簡易的ではあるがロープと杭で境界線が引かれている。その向こうでは疲れ果てた男たちがバックパックをベッド代わりにぐったりとして休んでいた。戦闘支援の傭兵と違って軍の方がまだ酷いらしい。ところどころでは緊急出撃か、起こされて走って行く姿も見える。
軍のエリアに違う戦闘服を着た男二人と私服の戦姫。呼び止められるのにそう時間は掛からなかった。
「四番テントに来いと言われた」
事情を話せばあのテントだと指差され、歩いて行く。ファラスメーネのエリアとは違って臭いが酷い。少し裏側を覗けば死体が無造作に積まれている。装備を剥ぎ取って裸体で山積みで放置されるのは男、女は黒い袋に。
白き乙女では見ることがない光景だろう。
「入るぞ」
返事を待たずに中に入ると、空調が効いているのか外とは大違いだ。
「ま、待って下さい着替え中です!」
もう遅かった。バッチリと、桶に水を溜めて身体を拭いている姿見えた。カァーッと顔が赤くなっていくリオンに対して冷静に。
「悪い、外で待ってる」
そう言って何事もなく出て行く。
「待ってろってさ」
「そりゃそうだろな。二十分って言われたのに」
「まあしばらくは休憩延長ってことで」
荷物を降ろして土の上に座る。
「立ちっぱは疲れるだろ」
「えっとー……イスってないの? 泥の上は汚れるし」
「椅子か」
と、相棒を引き摺り倒してバシバシ叩く。
「俺は椅子じゃ」
「人生に一回あるかないかの戦姫に椅子にされるという状況、経験はしたくないか」
「あー……あの柔らかそうなお尻が俺の背中に……有りだな!」
椅子が出来た。
「蒼月これ椅子代わりにしていいぞ」
「いや、それは」
「どーぞお姫様、さあっさあっ俺の背中に。やらしい思いはありませんからさあどーぞ!」
「なんか気持ち悪い」
「な、ぁっ……」
「残念だったな椅子になれなくて」
そんな感じでふざけていると肩に手を置かれた。
「よお」
「…………。」
「喧嘩しようぜ」
最悪な相手に目を付けられたが、暇つぶしにはちょうどいいか。