冬【Ⅶ】
「えっと……レイジ、だよね?」
そう疑問を持った途端に、レイジの姿がぼやけて見えるようになった。カスミが持っているレイジの記憶が揺らぐ。目の前にいるのはどういう人物なのか、どういう関係なのか、普段から見ていたはずの顔が思い出せない。分からなくなる。
だろうだろうかこの人は、なんで目の前にいるんだろう、と。離れようとして、突然手を握られ反射的に振り払おうとする。人混みを歩いているといきなり知らない人に手を掴まれたような、妙な恐怖感を覚え、しかしそれがすぐに消える。揺らいだ記憶が元通りになる。
「なんで、今……」
「手当たり次第に仕掛けたから、何かしらの縁がないとすぐに記憶から抜け落ちる」
「何仕掛けたの」
「系統的には精神干渉。白き乙女の魔法通信に乗せて撒いたからほとんど全員だ」
「バカじゃないの、そんなことしたら」
「言ったよな、敵側に潜り込むなら味方まで騙せ。邪魔するようなら排除しろ」
「だからって――」
ザクッと。
「へっ?」
胸に鎖が突き刺さっていた。
「命令だ、――」
心臓が締め付けられるような感覚に襲われ、呼吸が乱れる。目が回る、何か言われているが、意識がそれを認識していない。頭が痛い、何が起きているのか理解できなくなって、暗闇に呑み込まれた。
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「――ん、カスミちゃん」
揺さぶられて、呼び声が頭の中に響く。ヒュウと風が吹いて、寒さに震えて目を開くとスズナがいた。どこだろうかここは、薄暗い……土と朽ちた木の匂いで、如月寮の裏手にある木の洞の中だと分かった。
「あ、れ」
「レイジ君は? なんで転移魔法使ったの」
「そんな、私は使ってな」
ズキッと頭が痛んだ。強制詠唱を受けたときの痛みだ。頭の中の魔法の演算回路に過負荷が掛かったのか、思い描いた魔法が形にならず、補助具へ魔力信号を送るのも思うように行かない。
「っ、う」
「……カスミちゃん、何したの」
背中に回されていたスズナの手が前に出され、血がべっとりと。認識と同時に肩に激痛が走る。
「あ、くっ……ぅ」
「怪我の手当てして身体洗ってから話してもらうわよ」
支えられて立ち上がると、あちこちが痛む。
「はいっ、ぐぅ」
足首の痛みに耐えきれず倒れ、それをきっかけに体中が悲鳴を上げる。鈍り始めた意識で、無理矢理に魔法を詠唱して身体をスキャンすると打撲はあちこちに、数箇所の骨折と内出血、弾丸が貫通してできた穴が四箇所。止血してあるが動けば開く。
「カスミちゃ……一体どこで何してきたらそんな怪我するの」
「わから、な――」
怪我をしているとことを認識するほどに意識が混濁して、数秒としないうちに気を失ってしまう。
「カスミちゃん、カスミちゃん!」
スズナが呼び掛けるが反応がなく、寮の中へと引きずって行こうとすれば木の洞の中に転移魔法が発動する。姿を見せたのはあちこち焼け焦げたレイジだ。
「あっ、レイジ君」
「あーめんどくせえ」
かなり苛立っているようで、術札の束を取り出すと帯を引き千切ってばらまいた。励起された札は一度に魔法を発動し、空間自体に過負荷を掛けて世界を部分的に歪ませながら傷と破れた衣服を修復していく。カスミもその処理に巻き込んで傷を治すが、目を覚ましそうではない。
「何があったの」
「話は後だ、カスミを運ぶ」
乱暴に肩に担いで、振り返ってまた転移魔法が発動した木の洞の中へ向け神力を叩き込む。魔法が砕け散って、歪んでいた空間が修復される。
「しつこいな」
寮の正面に空間の歪みが現れ、レイジが手を振るとガラスが砕ける音が響いて透明な何かが砕け散る。
「特級管理権限に於いて制御変更、桜都を中心に半径二千キロ範囲内に対する〝ダイブ処理〟を禁止する。これは世界256基準で現時刻より百四十四時間維持する」
「レイジ君……」
「ツユリの部隊相手にはやっぱり厳しいな」
ふらついて壁により掛かって、倒れそうになる。魔法で傷は癒やせても疲労は消えない。
「後で聞かせてもらうわよ、何があったのか」
「全部は言わないからな」
「いいわよ。聞けるとは思ってないから」
哨戒任務で出て行く紅月たちを見送って寮に入ると、一階では学生がクリスマスパーティーの準備をしていた。今ではもう宗教なんて関係がなく、単なる季節のイベントとして楽しむだけ。
「……なんか知らない顔が混じってるんだが」
「ちょっと訳ありで、桜都学園じゃない子も受け入れたのよ」
「シオンだろ。それ以外だ」
ちょっとばかしその子のことは知っている。狼谷少佐のつながりで余所のPMCの大佐とあったときに、その娘さんだと情報は得ている。親子仲は最悪で、家出してきたパターンだろう。自分の子が三大勢力の影響下に居る、言い換えれば下手なことすればどうなっても知らないぞという人質とも取れる。
「あの子たちは……ちょっとカミタニ君のトラブルでね」
「へぇ」
忙しそうだしと、声を掛けることはせずに二階へと上がっていく。転移してからほんの十数分、しかし向こうでは数週間の激戦から連続して、黄昏の領域では追加で丸二日ぶっ続けの戦闘だった。戦車や戦闘機に旧世代装備の歩兵が主だったから大した事はなかったが、ツユリだけは最新装備に加えウェポンターミナルを投げつけてくると言う攻撃に苦労した。レイジもやろうと思えば出来るが、ターミナルを投げて空中でオープンして爆弾をばらまけば、それだけでクラスター爆弾だ。
「ヒサメ、カスミを洗ってやれ」
呼べばすぐに台所から出来た。
「ボロボロじゃないですか」
「ちょっとばかし戦争してきたからな。頼むぞ」
「はい、お任せ下さい」
脱衣所に意識のないカスミを置いて、レイジは大広間へと向かう。いよいよまとな尋問だろうか。いままで放置してきた危ない案件のことも聞かれるかも知れない。ある程度の情報は整理しているが、聞かれてもないこと、言わなくてもいいことまで口にしないように気を付けようと意識して引戸を開ける。
「レイジ君、聞かせてもらう前に一つ大事なお話があります」
空気が痛かった。氷点下数十度に達しているのではないだろうか、やけに乾燥しているし後ろに立っているノインなんて極寒地帯用の装備だ。さすがにこれは耐えられない、いつもの装備では精々マイナス五度が限界だ。これでは下手なことしたら逃げられない、ステルス状態になってもノインがいるのでは逃げようがない。
「部屋温めないか」
「大事なお話があります。そこに座りなさい」
仕方なく入るが、畳が凄まじく冷たい。座ったら張り付くんじゃないかと思うほど。
「ようやく裏切りとかの――」
バシッと畳に叩き付ける形で出された封筒。
「これは?」
また隠し撮りされた誤解を招く写真だろうか。だが開けて見るとそれは健康診断の結果で、ノインのものだった。やけに検査項目数が多いのが気になるが流し見ても、その年にしては体型が小さいのと血圧低めくらいしか気にならない。
「レイジ君」
「なんだ」
これを見せられて何だというのか。
「hCGの数値見なさい」
何だったか、医学の基礎で習ったような覚えがある。確か5以下が正常値でそれより多い場合は……どこだっただろう、確か生殖系の細胞でガンの疑いありだったような気がする。そしてノインのそれは高い数値だ。
「それでねえ、精密検査までしてもらったのよ」
「で?」
「で、じゃないの。妊娠してたのよ! しかもあれこれ検査してもらったら……!」
握り締めた拳が震えている。これ、爆発するかも知れない。
「それで」
言った瞬間、顔面狙って氷塊が飛んで来て回避不可能と判断して両腕を顔の前に出して受け止め、壁に叩き付けられた。
「レイジ君、あなた一体いつノインちゃんとエッチしたの! ねぇ!! 私がいるって言うのになんで!」
「…………。」
まったく身に覚えがない。
もしスコールとレイアでこんなことになれば確実にレイアが悪いですむが、ノインがレイアのようなことをするとは思えない。だが……思えなくても疑わないと言うことにはならない。
「十分でいい、時間くれ。んで一緒に来い」
「何よ、逃げようって言うのかしら」
「逃げないから来い」
二人を連れて自分の部屋に入ると、天井の換気口の蓋を外して小さなカメラを取り出す。それだけに終わらず、ドアノブを外してその裏側に仕込んだカメラ、テーブルの脚の陰、クローゼットの引き出しの取っ手、あちこちに仕掛けたカメラを集めてくる。
「……あなた、どれだけ警戒してるのよ」
「スコールの部屋よりはマシだろ?」
あの部屋は許可なく入れば入り口に仕掛けられた指向性爆弾で足を吹き飛ばされる構造だったはずだ。今はもう別の学生が使っていて解除してあるが。
「さてチェックしようか」
メモリーカードを抜いて端末につないで中身を取り込む。一応カメラ自体は無線通信が可能で中身はアカモートのスコールが使っているサーバーに送られている。今ここで壊されても問題はない。
記録映像を再生すると最初の方は怪我の治療で入ってくるだけの問題ないものばかり。しばらく早送りするとヒサメが入ってきた。掃除当番……ではないはずだ。クローゼットの引き出しを開けて、そのまま引き抜いて奥に手を入れて何か持ち出していった。
「…………。」
一旦映像を止めて確認する。結構ヤバいものを隠していたのだが、爆薬の関係がなくなっている。
「変な爆発事故とかなかったか?」
「な、ないわよそんなこと」
だったらいいと、再び再生する。数日のうちは何も……とか思えば怪我が治ってきた頃、夜にスズナが入ってきておもむろにジーパンを脱いで――
「……スズナ?」
「し、仕方ないじゃない。レイアちゃんのオモチャじゃ我慢できなかったの」
「…………。」
お腹には双子がいて、すでに少しばかり膨らみが分かると言うのに。
流し見ていると別の日はシャルティが入ってきて布団を取っ払って、ズボンを脱がして自分も裸になって――
「レイジ君、ちょっと止めてちょうだい」
言うなり転移魔法を詠唱してどこかに消えて、一分もしないうちに帰ってきた。体中雪まみれだ。
「……何してきた」
「シャルちゃん埋めてきたわ、豪雪地帯に」
「…………。」
さすが十二使徒の中で二番手なだけあって閏月の隊長程度なら瞬殺か……。
続けて見ているととくに不穏な……動きがあった。シャルティに引っ張られてなんか微酔い状態っぽいカスミが入ってきて、先ほどと同じようにシャルティが布団取っ払ってなんかヤり始めてカスミまで脱がして流れで――
「スズナ、座標教えろ」
「いいわよ」
二人一緒に猛吹雪の中に飛び出して、ちょうど雪の中から這い出て来たシャルティの頭を踏みつける。
「言い残すことはあるか、睡魔族」
「えと、なんでこんなことされなきゃ――」
術札の束を一気に励起して小規模呪氷結界で氷漬けにして埋め直した。来年の雪解けまでそこでじっとしていてくれ。いくら他種族の女王様でも容赦しない。
一分もしないうちに帰ってくると再び再生する。
あとヤバいものが出てくるとしてもシャルティくらいだろうと、高をくくっていると想定外があった。カスミがこそこそしながら入ってくると、鍵を閉めて遮音障壁を展開して布団の中に潜り込んでごそごそして、一時間ほどして布団から出ると換気して廊下に誰も居ないのを確認して出て行く……と言うのが数回。
そしてシャルティとカスミに連れられてノインが入ってきて――
「ノインちゃん、どう言うことかしら」
スズナが怖い笑顔で詰め寄ると、すっとレイジの後ろに隠れる。
「ノインちゃん、答えなさい」
「スズナ、さっきのことはノインの自己責任としてだ」
「あ……その、ごめんなさい」
「ちょっと大広間行こうか」
そぉっと逃げようとしたノインことは見逃さず、隷属の鎖を投げつけて足に巻き付け引っ張る。
「逃がすかと思うか?」
「……いいえ」
部屋から出るとちょうどヒサメとカスミがこちらに来ていた。まだふらついているようだが、歩けるようなら問題ない。
「二人とも、ちょっと大広間に」
さて、残りの記録映像も見てナニされたかハッキリさせた上でこいつらまとめて説教だ。