桜都国【Ⅸ】
「まったくもー無茶するアトリはー」
「うっさい」
桜都本島の端、戦闘があった場所から離れた場所にアトリたちは避難していた。
「ほい、何飲む」
と、出された保冷バッグには黒酢サイダー、おしるこ、コーンポタージュ、炭酸入りコーヒー、経口補水液……。
「あいっかわらず……まともなのないの」
「ない」
「味覚崩壊してるよあんた」
「トウジョウと同じ事言うよアトリまでー」
敵と馴れ合うな、そうは言われたが、それでも同じ世界の出身で一時期は一緒に戦った〝仲間〟だ。アトリには、スコールやレイジのようなことは出来ない。
「ミヤケ、そのゲテモノ捨ててこい」
取りあえずの手当てをしたトウジョウが、ミヤケの保冷バッグを押し退けてコンビニで買ってきたまともな飲み物と軽食を広げる。
「ゲテモノじゃないし、飲み物だし」
「おしることコンポタはあったかい方が」
「冷たくても美味いから。つか飲んでみろ」
蓋を開けて無理矢理に口に入れようとする。
「いらねえよつかまだ傷が痛いからやめ」
ズキッと太股が痛んでバランスを崩してもろとも倒れ顔面に冷たいおしるこがかかる。
「ミヤケお前なぁ」
「素直に飲まないからそーなんだよ、べぇーだ」
「ガキかテメエ」
「アトリと同じJKでーす、ぴちぴちのこどもでー――へぶっ!?」
ふざけていると横合いからアンジョウに平手打ちをくらう。
「はーいどいたどいた。トウジョウ、このバカ連れてって、ちょっとデリケートな話」
「了解だ」
立ち上がったトウジョウは太股に冷たさを感じ、触れてみると手に血がついた。傷が開いたらしい。
「アンジョウ、悪いが後でまた」
「分かった」
二人が離れていくと、アンジョウは錠剤とペットボトルの水を渡してきた。
「これは?」
「避妊薬、アフターピルってやつだよ」
「いらない」
「いらないって、あのクソ馬鹿にヤられたんでしょ。万が一があるから飲んで。もし出来ちゃったらどうすんの」
「アタシ、出来ないから」
「どーゆーことかなそれは」
「死霊と人間がセックスして赤ちゃんが出来る? んなことないっしょ」
「だったらいいけどさー、アマギだよ。何があるか分からないから、何もなくても飲んどけ」
「……まあ、うん。レイジと散々ヤっても出来なかったからないと思うけど」
錠剤を口に入れ、水で流し込む。
「もしさ、将来こども産みたいってなったときに泣くよ、アトリ」
「たぶんね。今はそんなこと思えないけど、昔のこと思うと絶対アタシの考えは変わるって分かってるし」
「だったらよろしい、今から覚悟しとけい」
「なにそれ覚悟って」
「もしトウジョウが勝てば、だよ。私たちはなにもなかったあたり前の日常に帰れる。そうなったら今みたいな戦争だとか言うのがない平和ボケした日本の高校生に戻れる」
「ありかもね、それ」
「でしょでしょ。アトリもこっちに来ようよ、知らない人ばっかりって訳じゃないしそっちよりは絶対のんびりやれるし」
「ごめんそれ無理」
不意に立ち上がると、鎖を意識する。途端にアトリの首に首輪が現れ、そこから伸びる鎖はレイジがいる方角へと延びて途中で消えている。
「アタシはレイジがいるから存在していられるし、レイジのやりたいことは応援したいから」
「……いいの、それで。アトリだって望んでそうなった訳じゃないでしょ」
「別に、どうでも?」
「ツグミを人質に取られてるから? その鎖があるから? どうして自分を殺した人のこと」
「アタシがしたいからするだけ。アンジョウたちには分からないよ」
ふわりと浮かび上がって海の向こうを目指して飛び始めると、空から落ちてきた何かに撃ち落とされた。
「アトリ!?」
しかし、すぐに海の中が赤く光ったかと思えば湯気が出始め泡立つ。沸騰している。
「ちょ、トウジョウ!」
「なにがあっ……た?」
「アトリが、なんか撃ち落とされて、海が」
「これ潜るったって煮えるぞ」
魚がぷかーっと浮かび上がって来るが、思った通りに茹で上がっている。
「あれ、なんか」
「爆発するか? 熱湯浴びるのはごめんだぞ」
離れようとすれば一際強く赤く光って案の定、水蒸気爆発が起こる。
「アンジョウ、ミヤケ、寄れ!」
障壁を傘のように広げ降ってくる熱湯の雨を凌ぐ。すぐに湯気に包まれ辺り一帯むわっとした空気に満たされる。視界が悪くなって、街灯の明かり程度では数メートル先も識別出来なくなった中で、どしゃっと何かが落ちた。
「はぁーあ。キレた、頭きた、ここで殺すから」
アトリの声がしたかと思えば、肌がひりつくほどに熱い風が湯気を吹き飛ばしゆでだこのようになったアマギが転がっていた。
「くっ、ははっ、おもしれえな。ハチジョウアトリ、お前俺の女になれ」
「殺すって言ってるの、分からないかな。あ、そっか、こんな簡単なこと理解できる頭がなかったっけ。ごめんバカに通用する言い方分からないからさ、黙って死んで」
トウジョウは障壁を最大限に広げ、防御態勢に移る。何度かしか見たことがないが、アトリの本気だ。髪が緋色に染まり、瞳は燃える炎の赤色に変化している。薄らとしか見えないが、全身に炎を纏っていることも分かる。呪炎結界だ。
「一人じゃ使えねえはずだ。なんだ? そこの男にでも鞍替えか?」
「一人じゃ使わないだけ。アタシじゃ制御しきれないからさ、浄火」
ボッと音がすれば、アトリが火焔をまき散らしそれを受けたアマギの障壁にだけ燃え移る。
「あっつ! なんだこれ消えねえ!」
叩こうが魔法で水を掛けようが冷却しようが、障壁を脱ぎ捨てようが消えない。
「焼け死ね、変態が」
片腕が燃え上がって転げ回るアマギへ、さらに火焔を投げつけ火達磨にする。焼け死ぬ苦しみは知っている、自分だって浄火に焼かれて死んだことがあるのだから。
「消せっ! 消せよこれ!」
手を翳し、加熱。アマギを中心に地面が溶け、赤くドロドロとし始めたかと思えば白き輝きながらさらさらになってアマギが沈み込んでいく。
「敵、撃破」
ボコボコと音を立てて噴出ガスも数秒でなくなり、加熱をやめるとだんだんと赤くなって、温度が下がって黒くなっていく。
「こっわぁ……アトリそんなの出来たんだ」
「見られたら生かしておくな、だったっけ」
「ちょっとアトリ?」
「アマギの障壁がダメってことは俺のでもダメだな」
「トウジョウ諦めないでよ!」
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警戒を緩め、コンビニで辛口のジンジャーエールとダークチョコレートを買ったレイジはのんびりと帰路についていた。
「よくそんなのが飲めるわねー」
「前にも言われた気がする」
振り向けばボロボロになった武装を浮かばせて持ち帰る紅月が遅れて着いてくる。どうにもレイジに正面からぶつかってストレート負けしたのがショックだったようだ。街中での接近戦という、レイジにとっては悪い条件での戦闘だったのにもかかわらず、有効打になる一撃を入れることすら出来ず撃墜され道路に埋まったのは屈辱以外のなにものでもない。
「紅月、そのスクラップ後で部屋に持ってこい」
「スクラップではなく私の魔装です」
「スコールの魔装だ。月姫小隊に配備されてるスコールの作った魔装は、基本スコールの召喚術式に優先権がある。もし敵対したらお前たちに勝ち目はない」
「そんなことは……いえ、ありえますね」
「だいたいさっきの一撃で強化術式砕いたから使えない。修理するから持ってこい」
「砕いた? これは武装一体型のはずです」
「見えないところに刻印魔法がある。焼き切ったから格段に弱くなってる」
刻印魔法を焼き切るなんてことは、そう思って普段見ない場所を見ると焦げ後と微かに残る魔力回路の痕があった。
「レイジ君、どうやって焼いたのかしら」
「秘密だ。自分が使う、スコールも使う。だったら対策はしとくもんだ」
「教えなさい、私もいざというときに必要かも知れないから」
「自分でなんとかしろ。こういうのは秘匿技術だ」
「もう、ケチ」
誰がそう簡単に自分の弱点を他人に教えるか。
「それよかカスミとは決着したのか」
なんだかんだで忘れていたが、そもそもの原因はそれだ。
「私に隠れてイチャイチャするからいけないのよ。するならするって言いなさい、だったらカスミちゃんといくらデートしてもエッチしても怒らないから」
「…………、」
選べと言うならアトリを取ると言ったのに、そこはどうなのだろうか。と、意識して感じた。アトリのリミッターがいくつか解放されている。自分では制御しきれないからと、隷属の鎖を使った洗脳の
応用で軽く封印していたはずなのに。
「悪い、先帰ってろ」
「どうしたのよ」
「ちょっと戦争してくる」
「待ちなさい。相手は誰」
「不明、だけどアトリが本気を出した。〝敵〟に間違いは無い」
遠くで、ビルに反射する炎の赤色が見えた。
「あれなのかしら」
「恐らくは」
「紅ちゃん、レイジ君の支援をしなさい。魔装がなくてもやれるわよね」
「お任せ下さい」
「私はさっきの始末書があるから先に帰るわ。なるべく、なるべくよ、街は壊さないでちょうだい」
「まあ、気を付ける」
ラミネート加工された術札を取り出し、魔力を通す。
「空中に転移する。着地までに地形と敵性を把握し、即時判断して戦闘を開始しろ」
「了解しました」
ビュウッと風に巻かれたかと思えば燃え盛る桜並木の真上に飛び出た。吹き上がる熱風は火の粉混じりで肌を刺激する。
「アトリ!」
『レイジ、アタシを使ってこの変態斬って!』
真下には溶けて溶岩のようになった路面、そしてその上に平気で立っているアマギがいる。
「さっさと喚ぶかスワップすればいいのものを」
喚ばれ、それに応えてレイジがアトリに引き寄せられる。
「最大火力でいいから」
「終わったらしばらく休めよ」
「言われなくたって引っ込む」
手を取り、意識して名を呼ぶ。
「アトリ」
踊り狂う真っ赤な炎が蒼炎に包み込まれ、揺らめく暗い炎となって刀を象る。
「汚物を切り払う、少し我慢しろ。そしてどこまで斬るかの線引きは任せる」
「誰が汚物だコラ。カッコつけて負けるのはテメーだぞってな」
挑発には何も返さず、身につけたすべての武装を起動してその制御はアトリに押しつける。変わりに火力の制御は受け持つ。焼かれて死んだが故の恐怖ではなく、自分では消せない炎を散らしたくないが故に恐れて使えないからだ。
踏み込んで、天城之視線が揺れるのを確認する。欺瞞は効いている、他の武装による支援魔法はすべてアトリに任せる。魔力と演算リソースの制御権限はすべてを共有し、術札と貼り付けた刻印魔法の使用も任せてしまう。その方が戦闘に集中できる。
「アマギ、ここで終わりしよう」
「終わるのはテメーだ」