桜都国【Ⅶ】
カッとなって勢いで飛び出したはいいが、帰りづらくなってしまったアトリは夜中になってもぶらついていた。女の子が歩くには危ない時間帯ではあるが、そこらの傭兵崩れの犯罪者程度では返り討ちに出来ると分かっているから怖くはなかった。
「やあアトリちゃん、ちょっとホテル寄ってかない」
だから、油断していたというのもあるだろう。こんなところで〝敵〟と遭遇するなんて思ってもいなかった。
「アマギ……なんでここに」
「どうだっていい。だって今日はアトリちゃんをヤりに来たんだから」
男は、天城采斗は武器も何も持たず、かといって魔法を詠唱するでもなく飛びかかってきた。
「死ね!」
イラついていたアトリにはちょうどいい発散相手だったかも知れない。
刀を召喚し最大火力を設定、赤熱しなおも温度が上がり白く輝く刃で斬り上げる。首から上、頭を一撃で焼き切る思いで振り上げ、しかしアマギはそれを素手で掴み引っ張る。
信じられない行動に驚いて、刀を放して十メートルほど後ろへ転移。
「へえー千四百度くらい。一人じゃ全然ダメじゃん、やっぱご主人様がいないと使えねーんだ」
「うるさい黙れ!」
「いいのかなー、折るぞこれ」
「あっ」
不味いと、そう思った時にはもう遅い。ポキッと刀が折られて、その反動で激痛に襲われる。内臓を掻き回されるような痛みに、その場に倒れて蹲る。脂汗が吹き出る。
「なーんか、最初から致命的なミスってなに、デコイか」
「んな訳っ」
火炎弾を顔面に撃ち込むが、平然として近づいてくる。
「全然じゃんほんと弱いなー。殺されて人質取られて奴隷にされて、今逃げてんの? バカですか、ザコですか、アホですかぁ?」
「あんたほんっと嫌い!」
股ぐら狙って蹴り上げ、拳を落とされた。脛に直撃し、嫌な音と激痛。砕けた。
「おめーは今から俺の所有物だ、八條鴉烏」
---
三十分ほどして。
「あいつか、うちの女子共をやったのは」
「トウジョウさんたのんます」
「取りあえず殺さない程度に痛めつけてから話をするとしようか」
東條と呼ばれた青年は、暗がりでアトリを強姦していた天城へと足音もなく近づいて髪を鷲づかみにする。
「いだっ」
「ちょっと面貸せや、強姦魔」
頭皮を引き千切る思いで天城を放り投げ、街灯に照らし出された桜並木の中へと引き摺り出す。
「三宅、ハチジョウを安全な場所に」
「分かってる」
ヒュウと風が吹き抜けて花びらが踊る。
「んだよトウジョウ、いきなり」
「アマギ。お前は死ね、邪魔だ」
「仲間だろ」
「何を言っている? お前は〝敵〟だ」
最速で懐に飛び込んで、拳を打ち込む。強化魔法を掛けられたそれは、衝突事故のような轟音を散らしアマギを吹き飛ばす。靴底のゴムが焼ける臭いがする。
「テメェ殺る気か」
「当たり前だろ。うちの女を襲った野郎はきっちり始末する。危険要素は徹底排除だ、分かるな人間の屑」
「はぁぁお楽しみの最中に邪魔とか、うぜえんですけど」
連続した交通事故でも起こっているかのような轟音が立て続けに響き、すぐに都市警備隊がサイレンを鳴らしながらやってくる。到着前に決着をつけたい、最悪はアトリを回収して撤退でも可。
「あーぁどこのエロゲーから飛び出してきた無敵主人公だよこのゴミは」
殴る蹴るの物理攻撃だけで分かる。攻撃が通らない、当たっているようですべてピンポイントの障壁に防がれている。
「トウジョウさん準備できた、逃げるよ」
「ミヤケ、その槍で障壁の貫通は」
「無理無理、アンジョウのハンマーでもダメだったし逃げた方がいい」
「仕方ないか」
掴みかかってきたアマギを蹴り飛ばし、転移魔法に飛び込んで逃走する。対処方法は知っているが、まだ決着付けるには早い。やるなら、灼熱の聖誕祭と呼ばれる十二月二十五日を待った方が良い。その日なら、あらゆる兵器や魔法が動く。確実に消滅させることが出来るし、今から取り押さえてその日まで待つよりは楽でいい。
「不本意だがミナガワに頭下げてくる」
「行くんですかい」
「殺し合いになったら不味いですって」
「ならないように気を付ける。なったら逃げる。ハチジョウは」
「あっちで泣いてる」
「帰してくる、あいつのことは任せてくれ」
初期プランではアトリを強奪する予定ではあったが、この状況では協力を申し出た方が生存率が上がる。皆川零次を相手取った場合は全滅は確実だというのに、すでに〝敵〟と交戦して主戦力である女性陣が動けないとなると、少しでも明るい未来に賭けてみたくなる。
「ハチジョウ、足はどうだ」
自前の治癒魔法を使っているだが、折れたのではなく砕けたのでは治癒しきれないようだ。
「来るな!」
アトリが指を地面に向け振るうと、脆い障壁が顕現する。初歩的な障壁魔法だが、実戦では役に立たないレベルの脆い壁だ。
「意味ねーぞそんなもん」
トウジョウが軽く叩くと割れて消失する。本当に、ただ近づくなと言う意思表示程度のものでしかない。
「……トウジョウ先輩、今更出てきてなんのよう」
「ハチジョウアトリ、頼みがある」
アトリの正面で正座して、向かい合う。
「聞く気は無いから」
無視して再び微弱な治癒魔法を詠唱するアトリだが、トウジョウは構わず口を開く。
「内容は二つ。一つはアマギサイト、及びアマギカイトの殺害についての協力。二つ目は禁術指定の〝浄火〟を使って欲しい、これは」
ボッとトウジョウの顔面に火炎弾が撃ち込まれた。
「あれはレイジの指示が無い限り絶対に使わない」
「だったら直接交渉しに行こうか」
アトリに手を伸ばし、振り払われるがお構い無しに背中と足に手を回して抱える。
「やめて、降ろして」
「却下だ」
「喧嘩したから帰りたくない」
「俺には関係ない」
「今すぐ降ろしてどっかいって」
「断る。今のハチジョウじゃ襲われたら何も出来ないだろ」
そもそもレイジかスコール同伴でないと力を発揮できない上に、アトリを狙う連中だっているのだ。〝敵〟とはいえ放っておけない。
「それが〝敵〟に言うこと?」
「〝敵〟じゃなくて後輩に、だ。一時期一緒にいたんだ、人ってのはどうにも情が移るとやりづらくなる」
「だからって守る理由にならない」
「誰かを守るのに理由がいるか」
「いる、アタシはあんたに抱えられる理由も無理矢理送られる理由もない。だから降ろして」
「だったら言い方を変えようか。ハチジョウは人質だ、ミナガワとの交渉材料として必要だ」
「アタシじゃ価値が無いよ。〝仲間〟じゃなくて使い勝手のいい〝駒〟だから、アタシ」
「どーだろうな」
「とにかく降ろして、ほっといて」
「嫌だね」
---
皿洗いを終え、一段落したレイジはヒサメに一週間分のメニュー表を渡して仕込みを頼み戦闘の準備をしていた。
「どこに行くのかしら」
「野暮用だ、ついてくるなよ」
「本気の装備じゃないの。言いなさい、内容次第じゃ誰か連れて行くこと」
腰回り、ユーティリティベルトにはハンドガンが二丁、フラググレネードとスタングレネードが二つずつ、ラミネート加工したカードの束が六つ、コンバットナイフが四本。ズボンのポケットにも加工したカードが詰め込まれ、足首や手首には小さなナイフを仕込んでそもそも着ている服も魔法を編み込んだ戦闘用で、下には強化魔法を編み込んだ防刃繊維で作られた下着。肌にはシールタトゥータイプの刻印魔法を貼り付けている。
「邪魔になる」
靴は硬質樹脂入りのブーツ、いつも着ているパーカーも今日は漆黒のロングパーカーだ。確かに目で捉えているのに、意識から抜け落ちてしまう錯覚を覚えるほど強力な欺瞞魔法が編み込まれている。
「何をするのか言いなさい」
「一人殺してくる」
タンスから白鞘に収めた太刀を引っ張り出し、鞘から抜いて柄を持ったまま叩いて外す。保管用の鞘から戦闘用に〝着替え〟だ。
「誰を」
「さあ」
「さあって、分からないのにそんな装備するの」
「分からないからこんな装備なんだよ」
打ち直して初めての実戦配備になる。使えば痛むが、使わなくても錆びる。
「どう言うことかしら」
「帰って来てから気付いたが、桜都周辺に散布してた神力結界に穴があった。少なくとも数十人」
「そう言うことは逐一報告しなさい。全員出すわ、桜都側にはなんとでも言い訳するから全域で戦闘を許可するわ」
「だから、それが邪魔になる」
〝着替え〟を終え軽く油を塗って鞘にしまうと数本紐を通して背中に背負う。普通は腰に下げるし、そもそも太刀ならば一人で抜刀するのは難しい。それでもレイジは背負い、戦闘時には紐を引いて抜刀しやすいようにする。誰かは背負っていると抜刀できないと言うが、少し工夫すれば出来ないことはない。
「絶対に勝てるのかしら」
「相手が不明な以上、それも不明」
「紅ちゃん連れて行きなさい。一人じゃ許可しないわ」
「却下だ」
窓を開けて飛び降りる。今夜の気温は八度。まだ涼しいくらいだ、このくらいなら少しくらい激しい動きをしても放熱は追い付く。
「レイジ君待ちなさい!」
氷の壁に阻まれるが、破壊して寮の敷地から飛び出す。ここからの行動はすべて自己責任だ、魔法を使えば桜都の法に引っかかり都市警備隊が飛んで来るし、戦闘に発展して長引けば緊急発行の仕事で傭兵共が群がってくる。
「シルファ、二時間ほど制限解除だ。周囲三キロ重警戒モード、十キロで通常警戒」
『了解しました。必要であれば戦闘支援を行いますが、どうしますか』
「不要だ」
『了解しました。進行方向四キロ地点、敵性とアトリ、六キロ地点敵性』
「少し早いが開戦といくか」
「待ちなさいレイジ君!」
「しつこいな」
「しつこいじゃないの」
追いかけてきたのはスズナだけではなく紅月も一緒だった。
「武装してるってことは、戦闘許可が出たのか」
「出たわよ二件。一件は桜都に登録のない男が女の子を襲ってレイプ、逃走の際に止めに入った警備隊を殺してるから殺害許可が出てるわ、条件は顔が分かる状態での生死不問で引き渡し。もう一件はついさっき沿岸部で魔法を使った近接戦闘が発生、その人たちの捕縛が任務でうち一名はレイプ犯だから殺していいわ」
「なるほどアマギか、なおさら邪魔だ帰れ」
「そのアマギっていうのは誰なのかしら」
「覚えてないならさっさと帰れ。紅月、手出ししたらどうなっても知らんぞ」
「私では敵いません、そちらについてはすべてお任せします」
「そう言うことだスズナ。紅月の攻撃力でダメージが入らない、やれるか」
「無理よ。でもそんな人が相手なら人数が多い方が良いでしょ。囲んで休ませないように戦った方が有利よ」
「シルファ、サーチ範囲を桜都全域へ拡大。敵勢力の位置情報を詳細把握」
『了解。警告、敵一、高速接近』
索敵魔法を励起、反射した魔力波を捉え頭の中で情報を組み立てる。すぐ近く、上空にアトリと誰かの反応がありすぐさまロックオン、誘導魔法弾を五発待機。
「ちょっとレイジ君!」
「そこで止まれ! それ以上接近するようなら消し飛ばすぞ!」
何事かと周辺の家から住民が顔を出して、好ましくないが目撃者が増え始める。
「戦闘の意思はない」
十メートルほど離れた場所に降り立った男は、アトリを抱えていた。
「アトリ」
名を呼べばアトリの身体が光の粒子になって、レイジの身体へと吸い込まれていく。
「怪我だけだな、しばらく休んでろ」