桜都国【Ⅲ】
翌日、レイジはアリスと共に台所に立っていた。
ナノマシンの制御プログラムを剥奪しようとして殴り合いになり、AIの反応速度に対抗して受け止め殴り返し、レイジは体力が、アリスは放熱が追い付かなくなり引き分けに終わった。その結果が今ここにある。
「他人の体験データより生のデータの方がいい、うん、いいよ」
「……戦闘機の在庫管理AIがなんで」
大本を言えば在庫管理用にアイデアとしてセントラの上層部に提出し、無人機部隊で試験運用するついでに部品の消耗を学習させるために戦闘機に組み込めば、今は現実世界に出てきて台所で料理をしている。なんでだろうか、理解できない自分がここにいる。
「後のは全部砂糖足せ」
「なんで?」
「あいつら好みがあるからな。そっち牛乳多め、その向こうは卵液多めで」
今日の朝食はフレンチトーストをメインにサラダやスクランブルエッグ、好みに合わせて厚切りのベーコンや薄切りでカリカリに焼いたベーコン、スープはオニオンスープとコーンスープの二種類を大鍋で。
大量のパンを効率的に消費するにはどうするのがいいのか、それを考えると無理矢理にでも食べさせてやるという以外の考えは浮かばなかった。
「卵が切れた」
「リデルはまだか。あいつだけでも買い出しは十分に間に合うはずだ」
「んーと……」
踏み台に上って、アリスが窓から眺めると両手に買い物袋を下げて帰ってくるリデルが見えた。付き添いは如月隊の中では月姫の作戦行動にたまについて行くほどの実力がある華耶だ。そちらもパンパンに膨らんだ買い物袋を持っている。
「見えた、帰ってきてる」
「行ってこい。これで終わりだから急ぐことはない」
「おっけい」
スコールがいれば、とも思うがいないものは仕方ない。あんな〝事故〟は想定外だ。
「あのー……」
「なんだアズサ」
フレンチトーストを焼きながら、久しぶりに聞いた声に振り返る。一階の学生だ。寮の敷地にある小さな畑の管理を任せている、頼りになる女子だ。
「卵ありませんか。ニラ玉しようと思ったらちょうどなくて」
「そこ、三個分の溶き卵がある。まだいるならカヤたちが買い出しに行ってる、もうすぐ帰ってくるからもらえ」
「ありがとうございます、下でもらいます」
火が通っていい感じに焼けたフレンチトーストを皿に盛り付け、大広間へと運んでいく。そちらでは非番と夜勤明け、そして帰ってきたばかりで完全にダウンしている連中が手伝う気なんてさらさらない状態で寝転がっていた。
「……ほんっと、もう一人欲しい」
スズナはいいと言っていたし、今日中にでも引っ張りに行くか。
配膳まで終えて、残った卵に牛乳と蜂蜜を混ぜ、大鍋に湯を沸かして大きなプリンを作っているとアリスたちが帰って来た。
「おまちどーさん」
「昼の仕込みしたら出るぞ」
「まだやんのーだりーよ」
「嫌なら洗濯物干してこい」
「雑用じゃん」
「やれ」
「……はぁー。あ、ちょっと仕事入った」
同時にレイジのスマホにも通知が届く。新型機のテストとのことで、リデルは白き乙女の航空基地から単独飛行、アリスはアカモートでゴーストと共に実機での飛行試験。
嫌なタイミングで逃げられたが、もろもろ済ませ十時前。
「どこに行くのかしら」
寮から出ようとしたところでスズナに見つかった。
「ちょっと人捜しに」
「ついて行くわ。一人だと帰ってこなくなりそうだから」
どんだけ信用無いんだ、と返せない実績が山積みだ。だが一つ言うのなら原因は向こうからやってくる。不可抗力だ。
「そうか」
寮を出て、海沿いの桜が咲き誇る道へと向かって行く。
「いつ見ても綺麗よねぇ」
「桜より目当ては栗の木だがな」
「栗拾いするの?」
「いいや、食料目当てのホームレスだよ」
大きな道を外れ、人気の無い方向へと踏み込んでいくと廃材で組まれた小屋が並ぶ。桜都にだってスラムはある。治安はよろしくないが、魔法の監視があるため何かあれば魔法以外の力が頼りだ。
「レイジ君、戻りましょ」
「嫌なら一人で帰ってろ。氷結の魔女を襲えるやつはここには居ないさ」
「もう」
治安の悪い汚れた場所、そんな思いでついてきたスズナだったが歩いているうちに少し認識が変わった。浮浪者だと思っていた人たちには共通点があった。
怪我だ。
酷い傷痕や手足がなかったり、変に曲がっていたり。ここにいるのは、戦闘で怪我をして、そして行き場を無くした元傭兵たちだ。大規模企業なら何かしらの手当があるが、小規模だったり管理の酷いところでは使えなくなれば一方的に解雇、まだ戦場に置き去りにされないだけマシだが、これもまたどうしようもない。ただ……傭兵斡旋協会や互助会の支援すらも受けられずにここにいるということは、なにかしらの問題を起こしたということでもありそうだが。
「ここから引き抜くつもりなの」
「あぁそうだな。面白そうなのが居たから、〝次〟で試すつもりだ」
「……〝次〟」
「見つけた」
突然レイジが走り出す。その先には人だかりがあった。近づけば集団暴行の現場がよく見える。
「さて」
毬栗を蹴り飛ばし命中させ、こちらに注意が向いたところで懐に飛び込み蹴り上げる。鉄心入りの運動靴なら骨を折るのは容易いことで。初撃で二人の足を折り、殴りかかって来た相手を横にずれて躱し、肩を掴んで引き寄せ膝で顔面を潰す。
「鈍りすぎじゃねえか、それでも元傭兵か? 戦いの技能が商品だろうが、その程度かお前らは」
煽って乗ってくる輩は数人だけだった。他は逃げていく。まだ、こうやって煽って突っかかってくるやつらは諦めてないし今の状況を認めていない。だが、弱いなら意味がない。通常戦力相手に一対多数なら逃げるレイジだが、一般人より少し強い程度なら問題ないと判断して殺さない程度に攻撃して追い払う。
「珍しいわね、あなたがそれくらいしかやらないなんて」
「実力に差があるからこのくらいでいい」
多少血が飛び散る程度なら、この場所ならどうということはない。街中でやれば都市警備隊の連中がすぐに駆けつけてくるだろうが、ここなら通報してもよほどのことでないと来ない。
「それで……生きてるのかしら」
集団暴行を受けていたボロボロの女の子は、倒れたまま動かない。呼吸をしている動きすらもない。しゃがみ込んで無造作に髪を掴み、起こす。鼻と口から血が垂れた。
「…………、」
「大丈夫……なのかしら」
「……今日は何でも奢ってやるぞ」
一言、場違いとも思えるその言葉にピクッと反応して目を開けた。
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「見て下さいこの栗! 綺麗ですよねー形も艶もいいし美味しそーで」
「…………、」
「…………。」
少し離れたところにある屋台が並ぶエリアに三人はいた。
「レイジ君」
「なんも言うな。こういうやつなんだよ、こいつは」
奢ってやると言ったが、まさか屋台街で一月の収入の三分の一が消し飛ぶとは思っていなかった。しかもデザートにモンブランを食べつつ、他人から強奪した栗を自慢するというのは……、人の食料奪って、挙げ句リンチなら同情の余地はまったくない。
「お待たせしましたー、こちら味噌ラーメン針金大盛り、エビピラフ大盛り、ブリトー、モーレポブラーノ、チーズバーガーパテ十倍になります」
「あ、すみません後メガホイップマウンテンとタピオカミルクティーラージで追加お願いします」
「…………、」
食べ終わった皿を回収してさっていくサービスを見送って、レイジはスマホを取り出して今月使える残高を見るともうパン屋でバカをやったことと、この大食いバカのおかげですでに赤字だ。貯金は十分にあるが、ちょっと考えて使わないと切り崩すのはしたくない。
「どんだけ食うんだお前は」
「え、だって何でもって言ったじゃないですか。揚げ足取って嵌めるのは常識じゃないですかー」
「お待ちどーさん、お好み焼き豚玉と牡蠣盛りとそば玉」
「まだ頼んでたのかよ……」
「ねぇ? これ一人で食べちゃうのかしら」
一週目を終えてさらに量の多い二週目に入っているのだが。
「食べますよ? これくらいなら二週間は食べなくても大丈夫ですし」
「極悪燃費だな」
ざっと見てもカロリー換算なら……過剰だろう?
「これから寒くなりますし、食べて溜めとかないと飢え死にしちゃいますよ」
「……樹液吸ったり雑草食ってるやつがそれ言うか」
「まだいーですよ植物があるだけ。去年の冬なんか廃材置き場でシンナーの缶拾って生ゴミの処理場から腐った野菜とかお肉とか拾って雨水でスープにしたんですから」
「あー……うん、そうだな」
さすがにそこまではやらんと、レイジは素直にそう感想を抱いた。
しかしだ。去年の冬に死にかけていたところを気紛れで助けたときに比べると、警戒しなくなってよく喋るようにはなった。
「あっ、レイジさんちょっとお願いがあるんですけど」
「なんだよ」
「今年の冬ちょっと厳しそうなんで、暖かい排気がある所とか入れる隙間のある自販機とか教えてもらえるとぉ……」
「残念ながら教えられないな」
今日は別の用事で来たのだから。
「そ、ですか。さようならレイジさん、私はこの冬であの世に旅立ちますぅ」
「そうか。白き乙女に来て貰おうかと思っていたが、なしだな」
「ホントですかそれ! 行きます! すぐにでもサインします!」
「条件見なくていいのか。アウトサイドガーディアンのときみたいな事もあるぞ」
「やー……それは」
「どう言うことがあったのかは知らないけど、白き乙女に入るのなら私の権限でレイジ君の下につけるから。それだけは確定よ」
「分かりましたサインします」
ラーメンを口いっぱいに入れながら、スズナが出した空中投影のディスプレイに表示された契約書にサインした。内容など一切読まずに。
「レイジ君この子ホントに大丈夫なのよね?」
「問題は無い。アウトサイドガーディアン所属のときにぶつかったが、生きてるってことはそう言うことだ。分かるよな」
「あなたに狙われて生き残ってるのは大抵厄介な人よねぇ……まあいいわ、この子の管理はあなたに全部任せるから」
そう言って契約書の名前を見ると〝ヒサメ〟とだけ書かれていた。情報照会をかけると第七養成所から外縁の守護者へと〝出荷〟され、去年の十一月に任務中に負傷、〝廃棄処分〟と。
「この子って」
「サロゲートで生産された人的資源だ。珍しくはないだろう? 今時これが当たり前だし。今度の新入りもそれだろ」
「そう、ね……」
目の前でがつがつと食事を平らげている少女は、存在してはいけないのだと言うことを認識して、本当に厄介なものばかり寄ってくるとため息を漏らした。苗字無しは大抵が養成所の〝商品〟だ、そしてそのほとんどは〝教育〟され〝出荷〟され消費されていく。だというのに〝廃棄〟のログが残っているのに生きているのは、不味い。
「一応言っとく、ヒサメに大怪我させて罪着せたのはこいつの所属していた部隊だ。気にくわない、それだけの理由でスコールが襲いかかって、遊びがてら参加して使えそうだから治癒して」
「なんで報告しなかったのかは聞かないでおくけど、〝罪〟ってなに」
「内部での横領、偽装、命令違反各種。一時期性処理人形みたいにもなってたし、精神的に強いのか、それとも今見えてるのは別の人格なのか……」
「ちなみに大怪我は?」
「前髪長くて片目隠してるだろ」
「もしかして」
「目が潰れたと言うか、骨格ごと抉られてる」
「治癒できなかったの」
「……目よりも他を優先したからな。骨が砕けて内出血でぶよぶよになった手足と破裂した内臓は、な」
「ごちそうさまでした!」
「早くないか」
暗い話題をしていると綺麗に完食していた。
「だって美味しいんですもん」
「…………。」
だからってあの量を食べるには早すぎると思う。そして間を置かずに大きなパンケーキ五枚重ねにホイップクリームが山になったものとタピオカ入りミルクティーがジョッキで運ばれてきた。
「ホントによく食べるわね、ヒサメちゃん」
「食べられるときに食べられるだけ食べますから!」
「ねえレイジ君食費なんだけど」
「レイよりは食べないだろ」
「レイちゃんと比べちゃダメでしょ。あの子は……」
言いかけて、離れた所にケバブを棒に刺さったままの巨大な塊で運んでいく赤い髪の女の子が見えた。
「……そうよね、バカ食いするものね」
「おーい! レーイ!」
「なんで呼ぶのよ!」
「別にいいだろ」
片手で四十キロくらいありそうな大きなケバブ棒を天に突き上げて、人混みの中を歩いて来た。
「欲しいって言っても上げないから」
「要らねえよ。いくらしたそれ」
「んー四万くらい? 思ったより安かった」
「で一人で食うのか」
「当たり前じゃん」
「レイちゃんカロリー取り過ぎよそれは。女の子が食べる量ってものを考えなさい、後お肉ばかりじゃなくて野菜も食べること」
「いーじゃん何食べたってさー。レイアもしばらく封印と再生処理で静かになるんだから少しくらい好きにさせてよ」
「いままで散々好きかってしてきてそんなこと言うんじゃありません」
「むぅー」
「レイジ君、ついでだからレイちゃんもあなたの指揮下につけるわ。好きに使いなさい」
「命令できない最強の戦力を持たされてもどうにもならないが」
「好きにやるから、こんなやつの下につかないから」
と、ケバブ棒を持ったまま人混み中に消えていった。
「そう言う訳だからよろしくね、レイジ君」
「どーゆー訳だよまったく……」
タピオカミルクティーを飲み干すヒサメを見つつ、なーんかいやーな方向に流れそうだなと思うレイジだった。