桜都国【Ⅱ】
「やっほー」
間の抜けた女の子の声に、リデルは反射的にフリーズプロセスを走らせた。私有空間の更に奥、誰にも侵入を許さない設定のはずのその場所に、アラートすら鳴らさずに入って来られたのだからそれはもう無条件に敵だと判断してよかった。
「きかない」
その姿をアリツィアと認識して、その電子体が本物なのか、どこからアクセスしてきているのかを探る。しかしどこからか処理に割込まれ、妨害がかかる。
「用件は。言葉というデータを使ってやりとりするのは非効率だ」
「ひこーりつだからとうちょーされないこともある」
肩掛け鞄から取り出して投げ渡されたデータセットをセキュリティスキャンに掛け、安全であることを確認した上で隔離領域を創り出してその中で展開する。
「……いいのこれ」
「もんだいなっしんぐー。いつもつかってるのくみかえてみた」
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RCシリーズの兵器はほとんどがユニット交換を前提とした設計だった。故にコアシステムが破壊されるなど、よほどの故障でないかぎり機体は整備工場ですぐに回復出来る。だが今回のリデル機はそうはいかなかった。コアシステム以外のすべてにスクラップ判定が下ってもおかしくないほどの損傷を受け、ユニット交換よりもまっさらな機体にコアシステムを載せ換えた方がいいだろうということで、白き乙女の航空基地の地下にある重整備エリアに入れられていた。アカモートから技術員も呼んで、数十人体制で新しい機体を組み上げ、コアシステムの移植が進められている。
「あーあバラバラじゃん」
カメラ越しに現実の状況を見ていたリデルは、アリスのそんな言葉に苛立ちを覚えた。なんでそんな感情が発生するのか、不明、それでもこれは人ならばありえる感情だと知っている。ぶつけることも発散することも出来ない、理解できない不安、不満を処理出来ずに感情が高ぶっている。
解体されていく機体は、そのコックピットにはリジルの血がこびり付いたままで、今でも着陸してすぐに医療班に運ばれていったリジルのことが思い出される。
あれから、未だに植物状態。生きているとも死んでいるとも言えない眠りの中に沈み込んだまま、体中にチューブや機械を繋がれベッドの上で寝たきりだ。電脳化処置者だったなら、身体がダメでも意識だけで仮想を経由して会えたかもしれない。
「次は誰にすんの。体力のある若いやつ選ばないと一発目で殺すよ」
元から無人機として設計された機体に制限を掛けて有人機仕様にしている物ならともかく、AIユーザーとHユーザーの二人で操る前提の設計であっても人間の耐久限界を軽く超えてしまう。リジルはよく死なずにその機動力について来られたものだ。
「……ない」
「は?」
「次なんかいらない!」
叫んで、ムーヴしていくリデルを追いかけようとアドレスを辿ると、ヒドゥンモードに入ったのか途中から辿れなくなってしまった。
「まったく、ダメな妹め」
たった一つだけ投影された小さなウィンドウに映し出される寝たきりのリジル。
「さっさと目ぇ覚ませリジル。早くしないと、あんたも、リデルもダメになる」
このままだとリジルの身体はファイターパイロットとして最低限必要な体力を維持できなくなる。もしも目を覚まさないままなら、それまでのこと。目を覚ましたとしても、遅ければ復帰できなくなる。ファイターパイロットとしての訓練はもちろんのことだが、AIユーザーとの相性や性格、センスなどどうにも出来ない、個人に依存する部分がある。優秀なパイロットを、ではなく、〝仲間〟を失いたくない。
失えば、リジルに依存しているリデルもダメになる。クオリアの再現にリソースを割きすぎたが為の弊害だが、これは仕方が無いとも言えた。
ムーヴプロセスを起動して、修理中の自機を確認しに行こうかとアドレスを入力し、ウィンドウに目をやると、リデルがリジルの身体を揺さぶっていた。
「…………あんのバカ!」
一瞬理解が及ばなかったが、トーリの所のアリツィアはナノマシンを操って現実で活動している。だったらその制御プログラムさえ用意出切れば不可能ではない。だが、それは不味い。非常によろしくない。今はまだ、人にそこまで干渉していい時期ではない。
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「もし、生き残れたら――」
レイジの顔面にドロップキックを直撃させ、仮想空間から現実に顕現したアリスはレイジを押し倒して胸ぐらを掴む。
「どこ! リジルはどこに入院してる!」
「知るかそんなこと!」
怒鳴り返せば血が飛び散る。どうにも鼻の血管が切れて血の大洪水になっているようで、呼吸の度に血が溢れる。
「だいたいお前はどこにでも入れるだろ、調べろよ」
「カメラは分かってるけどアクセス経路隠されたから分かんねえんだよコンチクショー!!」
「ちょ揺らすな痛い首折れる、折れる!」
やめそうにないと判断するまでコンマ一秒、人間の構造を前提とした破壊が通用するのか分からないが手首を掴んで腱に爪を立て、もう片方の腕で首を掴んで動脈を押さえつける。どうせナノマシンで構成したボディなら外見だけで中身の構造なんて無いような物だろうと思っていれば、痛がって振りほどき、飛び退いた。
「ったく」
起き上がったレイジは畳に飛び散った血を見て掃除が面倒だなぁと、現状の解決よりもさっさと掃除道具を持ってこようという方向に思考が動いていた。
「レイジ君、この子、誰よ」
「アリス。スコールのサポートだ」
「こんなちびっ子が?」
「あぁ」
改めて見ると、必要な量のナノマシンを集められなかったのか、かなり削リに削ってフランよりも背が低い。どうりで軽いわけだ。
「アリス、どこでそれ手に入れた」
「アリツィアのプログラム複写した」
「…………。」
スマホを取り出すとすぐさまコール。
「トーリ、どこで何してる」
『場所は言えないけどアリツィア締め上げてる、リデルに漏らしやがった』
「だったらいい」
リデルの方はアリツィアが漏らしたのだから責めていい。だがアリスの方はかすめ取ったのだから警戒すべきだ。仲間内のサポートAIの中では最も好戦的で、ヴァルゴには劣るが処理能力は高いのだから。
「何があった」
「リデルが寝たきりのリジルのとこに行った。アイツ何するか分からないから不味いってば!」
「はぁ……」
また厄介ごとを起こしやがる、と。
「ヴァルゴ、情報」
「リジル君なら第三基地よ?」
「ちょっと出てくる、スズナ、話は後でな」
「その〝ちょっと〟がまた長引くんでしょ。一緒に行くわ」
「…………。」
「何よその嫌そうな顔は」
「別に」
座布団を引っ張って、二枚重ねて置いてその上に手を翳す。一瞬の間を置いて何もない空間から白い筒がドスンと落ちて、下の階にも響く音を立てる。座布団二枚程度では畳に跡が付くかも知れないが、そんなことは気にしない。血の汚れが残るのだからどうせ張り替えだ。
「レイジ君、それは何かしら。そういうこと今までしなかったわよね」
「中継界のアクセス方法変えてな、ちょっとスコールが作った倉庫直通の転送魔法仕掛けてみたら、イチゴと同じ事がまた出来るようになった」
「……また? 前は出来てたの」
筒に触れると勝手に展開してナイフや手榴弾、術札の束などが出てくる。それらをさっさとベルトに引っかけて戦闘用の装備を調える。
「イチゴが言ってたろ、ウェポンターミナルの召喚。前は好きかってやってたが、最近までは武装の召喚だけでこれは出来なかったんだよ。誰かさんが中継界で派手に暴れたせいで」
「いつの話よそれは」
「えーと…………」
宙を見つめて十秒ほど考え。
「北極の観測隊に同行したのよりは前だな」
「最近の事じゃないの」
「まあな。行くぞ」
寮の裏手に回って、木の洞に仕込んである魔法で飛ぼうかと思っていた。だが、あるはずの洞がなかった。
「スズナ、これは?」
「私も今気付いたわ。穴がなくなってるわね」
「…………、」
おかしいと思うならすべて疑え、と。認識方法を一度崩して再構築、現在の行動決定ロジックを阻害する感情要因をシャットアウト、目標を明確化、再設定、行動決定のロジックを細分化、論理式構築。
「ブレイク」
詠唱と同時に至る所に亀裂が走り、ガラスが割れるような音を立てて透明な何かが砕け散っていく。空から降ってくるその破片は触れてもなんの感触もなく霧散し、クリアな世界が認識できた。さっきまでと何ら変わらないようで、どこかが違う。何が違うのかを識別出来ないがそれは識別不能な要因として放置。
「レイジ君、今のはな――」
「風よ」
詠唱し、アリスとスズナを掴み空に飛び上がる。一秒もしないうちに上空二百メートルまで上昇しつつ、瞬間的な圧縮と解放で姿勢を変えて着地目標地点まで〝落下〟する。
「気持ち悪いこの浮遊感」
「ちょっと着地は」
激突するかと思いスズナが魔法を発動した瞬間に空気が爆発し、勢いを殺す。第三基地の正面ゲート前で派手な砂埃を巻き上げ、警備員が駆け寄ってくる。
「動くな!」
銃や魔法、敵意というものを向けられたらどうなるかを知っているスズナは、すぐさまパーソナルデータを表示して警備員たちを下がらせる。こんな下らないことで基地一つとその所属人員を失うことはしたくない。
入る為の手続きをしようとすれば、基地内から一人見知った顔が転移してきた。
「お前のところはよく問題を起こすなぁ、クレスティア。問題児を一人くらい引き受けてやってもいいぞ」
「そういうカンナのところは離反者が出たそうじゃないの。押さえられないのならうちの優秀な人員を貸してあげてもいいのよ」
「だったら是非とも無期限出向で貸してもらおう。スコール・ペルソナか皆川零次、どちらでもいいぞ」
「あら、聞いてないのかしら。スコール君は死んだの。そしてレイジ君は私の旦那よ、貸すなんて出来ないから」
「旦那? どういうことか、クレスティア。お前はレイズ様と」
出きていたはずじゃ? などと言う前に氷の槍にカンナは囲まれていた。
「やめとけスズナ。こんなところでカンナを殺しても損しかない」
ブレイク、と。詠唱することもなく手を振るだけで魔法を砕き、手続きをせずに基地に入ろうとして警備員に止められる。
「如月隊所属の臨時オペレーターだ。リジルの様子を見に来た、通せ」
所属証を提示して、その照会結果に要注意人物の意味がある記号が表示され警備員に疑いの目を向けられる。
「下がりなさい、レイジ君。如月隊隊長、クレスティアの権限に於いて基地内への通行、及び我が隊の隊員の様子見を申請します。同伴二名は私の管轄下にありその行動によって起きた責任は私が負います」
今度は、言い終わる前に警備員が敬礼し許可を出した。
「行くわよレイジ君、アリスちゃん」
「了解」
チラッと、監視塔からこちらを狙っていた狙撃手を見て、こちらからも見えているぞ、照準出来ると威嚇して入っていく。
視線を向けられることもなく、進んでいく。現状の第三基地は関係者用の医療施設と物資の保管をしているだけの基地で、兵器類は最低限しか置かれていない。これはローテーションが組まれていて、一定の期間か消耗の激しい仕事が入った際には別基地と機能が統合されたり置き換えられたりする。
「探すにして、受付で言えば素直に教えて貰えるのか」
「私なら問題ないわ」
だが、案内の所へ行って顔を見られるなり怒鳴られた。あんたのとこの入院患者を揺さぶったバカがいるが、あんたのとこの隊員じゃないのかと。やったのは少女で、少女ともなれば一番所属人数が多いのは如月隊だ。
すぐさまその部屋まで連れて行かれ、中に入るとリデルが看護師に説教されていた。
「後は私が引き受けます」
看護師は何も言うことなく出て行く。途端にアリスがリデルの頬を叩いて胸ぐらを掴んで持ち上げる。言葉を交すことなど無い、この二人なら近距離通信で高速の口喧嘩が出来る。
「……まったく、どうして私の所には問題ばっかり来るのよ」
「引きつける体質なんだろ。じゃなきゃこんなに変なのが集まるかよ」
「それを言うんだったらレイジ君の方でしょ。まったくもう、リジル君も早く目を覚ましなさいよ、如月隊で唯一の戦闘機乗りなんだから」
如月隊は人員の入れ代わりが激しいとは言え、今年に入ってからは上から順番に消えていっている。先代の護りの蒼月、仮想戦力上位の霧崎アキトのクローン、最強と言って差し支えのないスコールやレイア、何より卒業後はそのまま白き乙女に入る予定だった学生たちも。他の部隊の補充や引き抜きで減ったこともあるにしろ、新入もある。スズナが管理しているからレイジは知らないが、そこそこの人数が入ってくる予定だ。
「聞こえてねえだろ、言うだけ無駄だ」
「気持ちの問題よ。それに、聞こえてたりするのよ。感じてる、でもそれを誰にも伝えられなくてもどかしいことだってあるの。だから私たちが待ってるぞって教えて、少しでも刺激してあげればもしかしたらって、ね」
「はぁ……。ま、だからって勢い任せに揺さぶるのはないな」
AIが泣くという、まず見ることのない光景を見ながらレイジはリデルとアリスに拳を落とした。
「さてお前らそこまでだ。帰ったらその制御プログラムは剥奪する、実行権限と類似品の使用も禁止だ」