嵐の前の静けさ【Ⅸ】
日が少し傾き始めた頃、クロードは一人で路地裏を歩き回っていた。
視界には重ねて表示される捜索対象。十五時頃、露天のたい焼きを一つ咥えて逃げていった猫だ。特徴は目が黄色、毛の色は黒、背中にコウモリのような翼が浮かんでいると。性別はメスで、もうそれ猫の姿した魔物の子供だろう? そんな仕事こっちに回すなと苦情を出すが暇だろうから頼むと押しつけられ、遅めの昼食を取る間も与えられずにずっと働き続けていた。
「リィン、なんかカメラとかないのか」
『ありませんね。監視エリアはすべてリアルタイムスキャンしてますので、後は監視が行き届いてない場所を人海戦術と言うことで』
「他は誰がいる」
『こちらからはシルフィ、他はフェンリルです』
「……めんどくせえ」
『そう言わずにお願いしますよクロードさん』
「へーい」
そもそも、その猫のことは知っている。白き乙女の十三番目の部隊絡みだ。ライブラリにも登録済みで見つけ次第捕獲して白き乙女に引き渡せと手配書まで出ている。化けているのは隊長のシャルティで、超優秀な部下のおかげで遊び回っているのが現状。恐らくその部下がいなければ部隊は解体されているはずだ。
『追加の仕事です。コンテナに混じって魔法士が侵入しました、見つけ次第捕らえて下さい』
「特徴は」
要求すればすぐにデータが届く。
「所属不明ね」
『恐らくFCリベラル所属と思われます。使用が確認されているのは人払いの刻印魔法のみです。あちこちに刻んであります』
「旧いな」
いまどき刻印魔法。知っているので使うのはスコールとイリーガルくらいだ。それでもコピー機で専用インクを使って量産する簡易的なものだ。彫るようなタイプは知らない。
「そいつの狙いとか分か……あ」
ふと、壁にある傷が目に入った。よく見れば、領土と文字が。
『何かありましたか』
「刻印見つけた」
黒いナイフでガリッと削れば、光って青い破片がこぼれ落ちる。魔法が砕けた。
「まだ新しい」
『増援を送ります』
「早めに頼む」
一つに気付くと他にも気付く。人払いの魔法は主に〝一般人〟にしか効果が無いし、気付いてしまえばもう意味がない。文字を刻んで囲んだ領域になんとなく入りたくないと思わせるだけの魔法。簡単で弱いが、逆にそれで気付かれにくい厄介な魔法だ。だが刻んだ場所に目的があって入り込んでくるものに対しては、強力なものを使わなければ全く効果が無い。
足音を意識して消して、手と足を同時に動かして服の擦れる音も出さないように捜索を始める。妙な感覚が波のように身体に当たる。なんとなくそっちに行きたくない、そんな感覚が一定の間隔で感じられる。
「……なるほど、気付いてしまえば感じ取れるってことか」
人払いの刻印魔法。それが発する意識への干渉を感じ取って、発信源を見つけては次を感じ取って追いかけていくと犯人を見つけた。ナイフでガリガリと壁に文字を彫っている。取りあえずは器物破損と住居侵入の現行犯で取り押さえるか。
「あー……めんどくせえ!」
背後からふわりと。側頭部を狙い鉄片入りのブーツで蹴りを入れた。頭蓋骨陥没か頸椎損傷で即死もありえる攻撃だが、倒れて頭を地面に打ち付けても動こうとしたためにもう一発。
「いっで!? なっ、なんだ!」
「アカモート警備隊だ。抵抗するならこの場で殺す、動くなよ」
「お、俺がどこの所属か分かってるのか! リベラルだぞ、浮遊都市リベラ――」
壁を殴り、亀裂を入れる。
「だから? 浮遊都市の一つくらいなら俺でも相手できるわそんな戦力で脅すんじゃねーよ」
引力カットして宇宙まで飛ばすか増幅して墜落させるか。どちらでもいい、戦闘に持ち込まずに潰す自信はある。
さぁてどうしてやろうか、そんなことを思えば目の前に水が召喚され爆発。当たりを霧が満たし視界が白に包まれる。
「んのやろ」
『捕捉しました、指定ルートで追跡して下さい』
「追い込み漁か」
『そうです』
路地から飛び出せば人通りが多い。
おかしかった。裏通りだからってこの時間帯にまったく人がいないなんてことはありえない。子供たちの遊び場にもなっているというのに今日はその気配すらなかった。猫探しの段階で気づけなかったのは失敗だ。
追跡者のアサイン一覧を見ればフェンリルのナギサ分隊。臨時編成だが教官クラスがいるなら問題ない。追い込みだけやって後は任せてしまおう。
「目標ロスト」
人混みを掻き分け、ぶつかって避けて、追跡なんてできやしない。
『コース更新します。壁は登れますよね』
「最近壁走りは出来るようになったからな。ほぼ使わねえけど」
わざわざ走るくらいなら飛んだ方が早いし処理が楽でいい。再指定されたコースで屋根の上に飛び上がり、建物をいくつか飛び越え待ち伏せ指示のある地点に飛び降りてナイフを手に待機する。
「リィン、予測は」
『あと十三秒』
しかし二十秒待機しても男は路地から出てこなかった。途中で引き返した、それともまだ路地の中か。
「反対側は」
『ゼファー隊到着、封鎖済みです。そちら側もナギサ分隊到着まで三十秒です』
「了解、突っ込む」
と、踏み込んだ瞬間に後悔した。意識への干渉、魅了の系統だ。知っているしクロードには効かないが、そんなものを街中で使うバカは一人しか知らない。甘ったるい匂い……ここに女性がいたなら悪臭として認識するだろう。これはいい匂いではなく臭いと認識すべきだ。
警戒を最大に、一歩踏み出すごとにトラップを警戒して進んでいると色々とおかしいと感じる。視界に表示される時計は確かにきちんと時間を計っているのに、経過時間の割にはリィンからの通信がないし、封鎖完了で突入してきていいはずなのにそれもない。
おかしい、おかしいと思うなら状況を再認識しろ、と。捻くれた認識で世界を見れば、そうすれば見え方が変わるぞ、と。教えられたことを思い出し、識別方法を変える。
「空間干渉の認識阻害……あぁ、結構強めか」
魔法で刻まれた境界線を踏み越えると、きわどい服装の少女がいた。ウェーブのかかった紫の髪と角。背中にはコウモリのような大きな翼。サキュバスだ。
「おい」
近づけばその光景がよく見えた。侵入者の男が組み伏せられていて、サキュバスがその男の顔に触れると枯れるように顔が皺だらけになり、干からびて砕け散った。
「いたぞ!」
背後からナイフで突き刺してやろうとしたのと同時、反対側からゼファー隊が走ってくる。魔法を併用した高速移動だ。
驚いたのか、ビクッと震えたサキュバスが魔法弾を投げつけ、そして振り返ってクロードと目が合った。
「退いて……くれない、かな」
「出来ない相談だな。シャルティ」
以前襲われたことのあるサキュバス目掛けナイフを突き出し、喉に深く刺した。妨害用の魔法が一気に霧散し、通信と認識がクリアになる。
「リィン、侵入者は死んだ。でぇ……」
反対側を見れば魔法弾が直撃したのか、ゼファー隊の連中が蹲っていた。
「ゼファーのバカはシャルティの攻撃でダウンしてる。回収班は多めに頼む」
『了解しました。すぐに手配しますのでしばらくその場で待機して下さい』
「了解」
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日が完全に沈み、二つの月が空に浮かぶ時間。諸々の〝雑用〟を終えたクロードはメティサーナの部屋を訪れていた。仕事をきちんとやったのだろうか、どうせやってないだろうなと思いながら机の上を見れば書類の山。今朝方見たときよりもその山は高さを増している。
「お前も少しは自分の仕事やれよ。全部俺らに押し付けんじゃねぇ」
「むぅー、レイズみたいなことを言うー」
「レイズと言えばあいつはどうしたんだ」
「ブルグントの森に魔法を封じて捨ててきたわ」
「……なぜに」
「面白いからに決まってるでしょ」
「…………。」
我儘で自分勝手な駄天使の態度に、クロードのストレスはすでに満タンに近い状態にある。いくら文句を言おうが怠け、怠け、怠け。
「ねぇアイス買ってきて」
机の上に足を上げて回転椅子で右へ左へ揺れている姿を見て、もうこいつ殺してやろうかと思う程の苛立ちを押さえつける。
「自分で行ってこい」
「えーめんどくさーい」
「飛べよ」
「この時間って冷えるしー」
断熱フィールド常時展開で快適空間創り出してるニート天使が何を言うか。
「自分で行け」
「夜って不審者とか出るしー」
そいつらを排除しろと仕事を回してくるならもっと警備の方に予算を回せ。そして魔法のランクで災害級認定されているメティサーナに勝てる不審者なんてまず存在しない。
「俺はもう帰る」
「今日って久しぶりに飛んだから疲れちゃってぇー」
「…………。」
このクソ天使は毎日人に重労働させておきながら、自分はたまの出撃で疲れただと?
「嫌ならいいのよ。明日のお仕事はレイアちゃんの実験区画で起きた爆発の後片付けだから」
「このっ…………!!」
アカモートの中で、と言うか知り得る限りスコールの実験エリアを除けば最悪の場所だろう。使いパシリか地獄に飛び込むか、どっちも嫌だが未来が暗闇に沈む選択はしたくない。
そんなこんなで静かな真夜中、パシリにされたクロードはこの時間帯でも使える転送陣へ向かっていた。夜はセキュリティの関係上使用できる転送陣が減る。そして浮島にも個別の障壁が追加で展開されるため飛び降りることが出来なくなる。
「開いてるコンビニは……」
地図データを表示すればあちこち事故というか、戦闘というか、あれやこれやの余波で修理中で営業していない。結局見つけられたのは十六番島の一番品揃えがいいコンビニだった。一番人気が無いコンビニでもある。
「これどーやって行けば……」
乗り換え案内のようなものは無いのかと思えば、すぐにルート案内が起動して視界に重ねて道順を示す。最短コースでメインタワーから出て外縁部からメインランドの中層部へ、そこから一度一番外側に浮かぶ監視島に飛んで、十六番島の外縁部へ。そして浮島の反対側まで歩けばコンビニだ。
「……近くてすげー遠い」
窓から見上げれば、密集陣形で航行しているから三十メートル上空に目的地の明かりが見えるというのに。
嫌々歩いて中層部まで降りる。警備隊以外には誰ともすれ違うことなく転送陣を目指しているとぞわっと背筋に嫌な感じ。
「いただきます」
そんな声に真上を見上げれば、むき出しの配管から飛び降りてくる白月の姿。下半身はドロリと溶けている。今度はナイフとフォークではなくショートソードとロングソードの二振。しかもショートソードはスコール製の魔装でブレスレットタイプの補助具もスコール製。戦闘用の装備で襲ってきたのだ。
「しつけえなこの白スライム!」
ハイキックで蹴り飛ばし、落下防止用の障壁に叩き付ける。夜間、しかも警戒時は障壁のおかげで蹴り落とすという攻撃が使えないのが痛い。
「どこだったら食べていいの」
「どこもダメだ」
「…………。」
舐めるような視線……というか、どこが美味しそうかを品定めするような視線に寒気がする。
「ダメなもんはダメだ」
「じゃあ一緒にお風呂はいろ」
「……はぁっ?」
「クロードが入った後の残り湯……いい出汁がでてそう」
「何がどうなったらそういう考えが出てくんだよ」
その程度ならと許したら、次へ繋がるきっかけを与えてしまうことになるかも知れない。妥協はなしだ。
「とにかく」
飛びかかって来る白月を殴り飛ばし押さえつける。
「ダメだつってんだ、分かるか」
首を絞める手に力を入れる。気道を潰すか血管を圧迫するか、悩んだがなんだか感触がおかしい。どろりと溶けるような――
「にひっ」
「なるほど」
飛び退いてナイフを抜く。立ち上がった白月はドロドロと溶けて、人の形をした白い液体状になっている。ミミックの名前はそう言う意味か。
「シェイプシフター……か」
もっとも、野生種相手に戦ったことはあるが完璧に人に化けるタイプは初めてだ。どうしても、どこかに不自然さが残る。超えられない不気味の谷があるのだ。だけど目の前にいるのは、違う。
「偶然生まれた有機物のヴァルゴと同じなのに、なんでこんなにも違うのかな」
「自我の強さだろうな」
自発的に行動しているようで、実際の所は所有者がついているAIたちと違って白月は自ら選んでいる。ただそういう風に見えているだけかも知れないが。
飛びかかってくるのか、それとも別の何かに化けるのか。反応を伺っていれば固まった。
「苦情は白き乙女如月隊までお願いします。申し訳ありません」
音もなく現れた紅月が白月を抱え去って行く。
「おい、そいつもう封印しろよ」
「苦情は白き乙女如月隊までお願いします」
「…………。」
殺せないにしても圧力容器に入れて封印すればいいだろうに。
無駄に時間を消費したクロードは保冷バッグを肩に、無駄に長い距離を歩いた。嫌がらせがてらドリアン味、ナポリタン味、シチュー味、コーンポタージュ味、ワサビ味、トウガラシ味などを色々と目につく端から買って店を出た。普通の味は敢えて見ないようにして。
ついでで買ったジャンクフードを食べながら帰り道を歩いていると、匂いに惹かれたのかベンチで汚れたぼろ切れを被っていた誰かが近づいて来た。
「お兄さんちょっとちょーだい」
夕方に仕留めたはずの、閏月の隊長、シャルティだった。思い返せばあの程度で殺せるような存在が隊長クラスになれるわけもない。
「あーはいはい、ホームレスは役所に行って手続きしろ」
無視して歩き続けるとちょこまかと周りをぐるぐるして纏わり付いてくる。
「鬱陶しいわ!」
振り払えば、煙が掻き乱されるように姿が崩れポテトフライの入ったカップがいつの間にか盗られていた。
「…………。」
バクバクと頬張りながらもぐぅーっとお腹が鳴る音が聞こえる。夕方一人ほど絞って殺したくせにどんだけ喰うんだろうか。
「お前なぁ」
『警告』
伏せた瞬間、さっきまで頭があった場所を銃弾が突き抜ける。
「なんだあんたら」
ナイフを手に取り、昼の残りの手榴弾のピンを抜く。
返事は銃声で。
レバーを飛ばして、
「自殺志願者か」
手榴弾を真上に放り投げて障壁を展開。もちろん自分を守る障壁と相手の逃走を防ぐ障壁の二枚だ。見たところ魔法士ではないしただの銃撃をしてくるあたり魔装銃や補助具は持っていないのだろう。
空中で炸裂した手榴弾が鉄片を撒き散らす。
即死、とまではいかないが痛みでその場に崩れ落ち動けなる程度にはダメージがある。
「ヴァルゴ、こいつらは」
『不明』
「へぇ」
スキャンすればID登録があるが、レイズ相手に嫌がらせをしていた連中のようで。
「ま、俺には助ける理由も義務もないし」
トドメを刺して楽しにしてやるという手間も掛ける気は無いし、医療チームに連絡する気も無い。とりあえずこのままにしておくと汚れる、その後始末はさせられそうだったから回収班に連絡だけしてその場から立ち去った。