近くて遠い【Ⅰ】
「嫌な感じだ……」
意識が途切れていた。ほんの数秒程度だろうが、誘導魔法弾の直撃を受けて落ちているのは分かる。耳元で騒ぐ空気の音、晴れた空の下にはブルグント南大陸の北部森林地帯……と、つい最近陥没した地形。それを除いて、高いところから見ると、やはり地形は変わったと思う。スコールの頭の中にある地図は世界暦と呼ばれる遙か前、西暦の頃のもので。長いこと経つが忘れていない。ただ、気候も地形も植生も都市も変わった現在で役に立つことはほとんどない。水没した島国の位置が分かったところで、艦船の航行に支障が出るほど浅くはないし宝探しに潜ろうにもセントラとブルグントがほとんど押さえてしまっている。
と、着地できそうな場所を探して気付いた。トゲトゲした木ばかりだ。下手に飛び込めばよくて擦り傷だらけ、悪ければ木の枝が突き刺さるなりして致命傷になる。
「嫌だなほんとに」
高所からの落下には慣れているが、どうもこのパターンは大怪我しそうだ。術札を手に取り障壁を落下コース上に多重展開。激突し砕きながら速度を殺し、木々の合間を突き抜けて地面を転がる。現行魔法の定率減衰と通常障壁では、減衰しきれず、そして障壁の処理能力を超えて効果を現すことなく地面に墜落だ。
「シワス」
『派手に落ちたみたいだが大丈夫か』
起き上がるとすぐに体をチェック。肩に突き刺さった枝を抜いて、腹に滲む血を見て治癒魔法を使う。
「気にするな、そっちは」
『なんとか。怪我はない』
「で、どれだけ逸れた」
『二キロ南だ。もう神無月隊が始めてる、遅れるなよ』
「そっちもな」
二キロ南、そう言われてもまっすぐに歩く自信はない。遠くの目標物がない森の中ではすぐに感覚が狂ってしまう。少しずつ目標物を設定しながら進むが、振り返ればズレている。
「アトリ」
呼びかけても反応がなく、無私や他も答えない。レイジが使用中と言うのではなく、召喚の呼び声が届いていない様子だ。ジャミングを受けていると言うわけではないが、それにしては嫌な感じだ。
「シワス、状況はどうなってる」
返事がない。そして嫌な感じ、嫌な感じ。
何が嫌なのか、その違和感が捕捉できずにいたから、認識を変えた。自分の思考を別の思考として別方向から分析。じわじわと、環境雑音として認識から外れるほど微細なノイズを感じていながら、それを不必要なデータとして捨てているのが原因だ。意識的に感じ取れば、それが〝事象改変〟だと分かる。
「あぁ、捉えられたか」
気付けば行動はすぐに。処理妨害のために神力を撒き散らして、ただ走る。ブルグントの魔法監視網に穴を開けたから数分でブルグントの部隊が飛んでくるだろうし、こちらを狙う連中も仕掛けてくるはずだ。
『スコール、何をした』
「今更遅い。ウォルラス、手が空いているならダイブ妨害。それからステイシスと――」
キーンと頭の中に音が響いて、強制的に思考が停止。その場に崩れ落ちる。考えることは出来る、意識はとりあえず正常。目は動く、光は認識できている。耳も聞こえる、振動を感じられる。体が動かない、動かそうとする処理を封じられているのか。
妨害方法の解析を始めると、辺りを囲むように処理フィールドが展開され、仮想空間でしか見ることのないダイブエフェクトが次々と展開する。姿を見せるのは武装した兵士のようだが、その兵装はこの世界のものではない。
「ダイバー隊か。なんのようだ」
リアルワールド側の人間は原則〝敵〟として認めている。例外はイチゴなど何人かはいるが、見かけたら基本殺し合いというのは、敵勢力味方勢力問わずの共通項だ。
「ID確認、離脱者だ。間違いない」
「…………。」
簡単に手詰まり状態にされてしまい、打開策を探して目を動かす。ツユリかクルスあたりがいればどうにか出来そうでもないが、ざっと見ればダイブエフェクトがまた展開され、ツユリが姿を見せた。
「登録情報確認。皆川零次に間違いありません。失踪者名簿の登記も確認しました」
「連れて帰るわよ。準備しなさい」
ツユリが指示を飛ばして人払いをする。スコールの目の前に腰を下ろした彼女は、数枚の資料を出してきた。
「いまさらなんだ」
「キノシロソウマ、センザキキリヤ、ミナガワレイジ。突然行方不明になり足取りは追えず、捜索しても何一つ手がかりなく……。その数日後に付近の学生たちが集団失踪、また数日たって集団失踪。いずれも手がかりがない。そしてこのディーヴァで生存が確認された。どうして引き込まれたのか、どうやって世界を超えたのか調べさせてもらうわ」
「それは出来ない相談だな。いつも通り全滅判定でいいな?」
なんということはない。演算速度がある無意識側に解析を丸投げして、今までのパターンからありえそうな妨害処理を探りつつ並行して現在の妨害プロセスの解析と対策を探り出して、自身の処理方式を変更。指が動く。
「もう破ったの!?」
起き上がるなんて無駄な動作はせず、詠唱という無駄な動きもせず。風を思うままに操って空に自分を打ち上げて、空気を圧縮しつつ障壁を多重展開。頭痛を我慢して着地と同時に圧力二メガパスカル、一キロリットルを全方向へ解放。凄まじい衝撃波で吹き飛ばし、同時に枝や小石の散弾で負傷させ聴覚と平衡感覚を破壊する。
普段は使わない攻撃方法だ。使いようによっては戦車や戦闘機だろうがエンジンに直接、耐えきれないほどの圧縮空気を叩き込んで破壊できる。しかしその分魔力消費は増え干渉エリアも広いため、敵の警戒に引っかかりやすい。そしてこの時勢、魔法による妨害や動力の破壊は当たり前すぎて対策がされているため現行兵器にはあまり効果がない。
次が来る前に逃げようと方角を確認して走る。妨害元を探すために術札に魔力を通すが、案の定どれも魔法の起動シグナルを受け付けず使えない。これもレイジには散々言われていた。水対策のラミネート加工はもちろんだが、自分自身の処理方式を変更する関係上補助具が使えないなら、多少でも効果を落として汎用性を持たせた魔法を刻めと。
しつこくうるさく言われても、やる間がなくて忘れていざその状況になって思い出すのでは意味がない。
「無駄な抵抗をやめて直ちに停止しなさい!」
「うるっせえ!」
転移反応は一切感じられなかった。気付けばパワードスーツを装備した〝敵〟に囲まれている。マークは桜都国の軍事企業の一つである葛原鋼機。主にセントラとの取引が有り、いくつかの兵器は知っているが厄介な代物ばかりだ。最近の代表例で言えばギア搭載型の四脚戦車あたりか。機械だけで魔法を使いつつ、AI制御で精密攻撃を仕掛けてくる。
正面を塞がれ左右も銃口をこちらに向けているのが数人、振り返れば音もなく四脚戦車が接近していた。動きを見れば音がないのに納得する。セントラに納品されたもの違って、一切のデチューンが成されていない機体。ほんの数ミリだが浮いている。武装も内部格納式で、型式はFRT-JASONと書かれている。ジェイソンかと思ったが、葛原の命名規則では採用されないはずだし、隣のものにはAESONと書かれていて、イアソンだと考え直す。ともなればこいつは三両編成か。それにFRTはなんの略だろうか、それとも単なる開発コードか。
まだ余計なことを考える余裕があるのは、今の状態なら捕まったとしても不味くないからだ。
「君は完全に包囲されている。抵抗をやめ我が方に帰順せよ」
「…………。」
空を見ればホバリングする戦闘機が数機見えた。音がないのは障壁魔法で遮断しているからだろうが、その形状は設計思想が何周かしてかなり前に廃れたはずの胴体と両翼にプロペラを備えたものだ。一時期電子兵装の高度化でステルス性やフレア、チャフなどの欺瞞兵装を捨てた時期があったか、またステルス化されているのと同じで再登場か。
「包囲、ね」
何がどうなって桜都のPMCでもない軍事企業が出張ってくるのか知りたいところだが、今はシワスたちに合流することを優先したい。さすがにこれ以上の行方不明となると、スズナに何されるか分かったもんじゃない。
戦闘機の数を把握し、視線を戻そうかと思えば空高く、青い光が見えた。
「観測ねぇ……ったく。コールサイン・スコール。エンゲージ」
宣言と同時に自身を空へ打ち上げ。
「風よ、我に集え」
高圧縮して指向性を持たせて解放。ギアによって展開される障壁を貫いて機体のバランスを崩し墜落させる。落ちながら、同じ手段は続けて使わない。
「沈め、漣」
地に足がつき、そこから波が広がる。固いはずの地面が揺れ、木々が倒れ人や浮いているはずの四脚戦車までもが沈み始める。
「そこか」
拳ほどの石を投げつけると、何もない場所で跳ね返って一人若い兵が姿を見せた。
「なんでバレる」
「クルス、いますぐに通信妨害を解除すれば楽に死なせてやる。嫌なら」
と、上を指差す。明滅する青い光はレイアクローンが見ているぞと威嚇でわざと発している光だ。
「わ、悪いが俺も進級掛かってんだよ。今日のノルマ達成できないと明日中間テストなのに強制ダイブなんだからな」
「知るか」
左手、人差し指と中指でクルスの右肩を示す。一秒ちょうどで空から魔法弾が落ちた。地面に叩き付けられた腕が、血を散らしながら宙を舞う。
「次はどこがいい。それとも取りあえず手足落としてから話すか?」
戦闘機が放つミサイルや機銃弾はレイアクローンの魔法で消し去られ、四脚戦車は地中から這い出ようともがくがずぶずぶと沈み込んでいく。他の兵士たちはすでに地面の下で死を待つだけ。あっという間に形勢逆転で、仕掛けた側が不利になっている。
「お、お前な」
左肩が吹き飛んだ。
「苦情は受け付けん」
「気付けよ、見てるものが――」
クルスを消し飛ばすと、途端に景色が歪む。モザイクをかけたようになって、だんだんと黒い背景の中にワイヤーフレームだけが浮かぶ世界がはっきりと見えだした。
『掛かったわね。抵抗は無駄よ、あなたをこれからリアルワールドに引き摺り出してあげる』
「認識阻害か? たいしたことはないな」
捻くれた認識、見たものすべてを信じるな。その考えで、いま認識している現実は目というセンサーを通して捕捉した光の波長を電気信号に変え、頭の中で再構築した自分だけの現実であると判断。妨害は信号の伝送経路か取込口にあるのだろうと仮定して、処理を変更する。
これもまた、レイジには口うるさく言われている。外部干渉に対応して自分を書き換えすぎると、本当の自分が定義できなくなって溶けるぞ、と。だが、本当の自分なんてものが存在しないのは分かっている。今ここに〝在る〟意識は、ありえたかも知れない可能性の再現であって、今ここに在る世界もありえたかも知れない世界が混ざり合っただけで。
言ってしまえば存在するのは可能性だけで、それを観測する誰かによって引き出される可能性が変わる。