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コミュニケーション障害の話です。

 金原(きんばら)は、わたしの初めての後輩だった。

 

 先輩は卒業、同輩は自主退部、そして、わたし一人だけが文藝部に残った。

 置いて行かれた、とは思わなかった。

 道を違えた、というわけでもなかった。


 ただ、一瞬目をつぶって次に開けたら、もうそこには何にも残ってなかっただけだった。

 見放された、とは思ったけれど。


 そんな廃部寸前の暗い存在になった文藝部を思いがけなく救ったのが、当時高1だった金原だった。

 へらりと気の抜けた笑い方をする、線の細いその男子生徒だけがわたしを「先輩」と呼んだ。

 老犬のようにひどく優しい目をした青年だった。



 思えば、わたしは金原以外に「先輩」と呼ばれたことがない。



「ねぇ金原」

「なんですか先輩」


 わたしは部室のパソコンで小説を書きながら、金原は床に寝転がってアンデルセンの古い詩集を読みながら、会話をするのが常だった。


 金原はけして言わないけど、それは他人と目を合わせて言葉を紡ぐのが苦手なわたしに合わせての行動だった。おそらく。


「なんで、あんた、文藝部に入ったの」 

「レスリング部に入部しようとしたら、あんまりにも熱血だったんで、こりゃだめだと思って逃げて飛び込んだ先が、不幸なことにこの文藝部だったんです」


 わたしは閉口する。

 パラリ。古くて黄ばんだページがめくれる音がした。


 この学校にはレスリング部なんて存在しないし、針金みたいな体型の金原とそれには花と銃ほどの距離がある。


 金原はよくこういう罪の無い嘘とも呼べないような嘘を吐いた。

 だから、わたしは金原の考えることの一割も知らないし、理解もできない。


 それでも金原といる時間はなかなか悪くないものだった。


 それは主に金原の人間性に所以するもので、言ってしまえば金原は他人に対して底抜けにやさしく、その癖びっくりするほど他人に干渉してこないのだった。


 何も共有しないからこその、円滑で非常に楽な人間関係だった。校庭の端と端で二つのボールを転がすように。


 それを寂しいといえば、それまでだけども。



 ところで、金原はよくモテた。

 絶世の美少年ではないにせよ、それなりに整った容姿をしていたし、何より相手の望む言葉を相手が望むシチュエーションで送ることが出来た。そんな芸当、並みの男子高校生には出来ない。それが金原の希少価値だった。


 女の子と居るところを目撃することは珍しくなかったし、部室でラブレターの返事を書いているところも度々見かけたから、わたしがそれを添削することもあった。


 もし知られたら、嫌がられるよ、と言ったのだけれど、下手な手紙を返す方が、嫌がられるでしょ、と金原は言った。


「そういうものかしら」

「そういうものですよ」 


 何だか丸め込まれているなぁ、と思ったが、結局手伝ったのだから、これがもし罪なら、わたしも同罪だ。

 

 金原の返事は、いつもNOだった。


「なんで、彼女、作らないの」

「まだ、その時期じゃないので」

「はあ?」

「一回、作って、懲りたんです。俺、そういうの、苦手なんだって、気付いたんで」

「恋愛が、苦手なの?」

「恋愛……だけじゃなくて」

「女の子が、苦手なの? 嘘でしょ」

「恋愛も、女の子も、俺が苦手なものの一部です。上手く言えないけど」


 金原はそれ以上説明しようとしなかったし、実際できないようだった。

 というわけで、金原とわたしは、せっせと断りの返事を文学的に生産しまくった。


 当時のわたしは認めたくなかったけれど、手紙の向こうの女の子たちに、わたしは、浅ましい優越感を持っていた。

 だからこそ、真昼間の渡り廊下から、淡く彩色された美しい手が、金原の腕に絡んでいるのを見たとき、ばかみたいなショックを受けたのだ。 


(誰とも、付き合わないって、言った、くせに……)


 いや、金原は、そんなことは言っていない。

 時期が来てしまっただけなのだ。ばかなわたしは、永遠にその時期が来ないと、思い込んでいたらしい。


 ばかだし、浅ましい。

 


 或る夏の夜。


 執筆に没頭しチャイムを聞き逃したわたしと、詩集片手にこりこりと原稿用紙に鉛筆で書いていた金原は、午後七時を超えてようやく部室の鍵を閉めたところだった。


 当時、田舎の学校であれば大概は木造校舎で、わたしと金原は水を打ったように静かな木造の廊下を渡っていた。


 歩くたび、ギシ、という音が足元で響く。


 わたしは守衛さんになんと言い訳しようとそれだけに頭を巡らせていて、金原は後輩の遠慮か半歩後ろを歩いて、珍しく黙っていた。


 少しばかり肌寒い、恐ろしく静かな夏の夜だった。


 おもむろに金原が後方から「先輩」と呼んだ。


「なに」


 わたしは振り向かずに言った。


「夏は、夜が青いんですね」


 窓の向こうはなるほど、山が、木々が、錆びたフェンスが、鉄塔が、電柱が、つまりは世界全体が暗い青に染め上げられていた。


 それは美しいというよりもむしろ、深海に沈んだような息苦しい青だった。

 しかし、それでも、確かに多感なわたしの心がその光景に震えたのも確かだった。


「俺は、昼の青より夜の青のほうがすきだなぁ」


 それは金原の独り言だった。

 金原は何があっても絶対に先輩であるわたしに敬語を忘れなかったからだ。


 わたしの脳裏を過ったのは、真昼の校庭で、わたしの知らない女の子と腕を組む金原の姿だった。


 やはり何処までも浅ましいわたしは、金原に選ばれた気がして、嬉しかった。


「わたし、も」


 かぁっと頬が紅潮する。

 その頃のわたしは事あるごとに赤面する癖があった。


 金原がわらう。

 はずかしい。


 金原から顔を背けて歩き出そうとしたわたしを「先輩」と呼び止めて、金原は半分に折りたたんだ原稿用紙を一枚差し出した。


「……なによ」

「原稿です」

「〆切、まだまだだよ。推敲はしたの? 校正は?」

「はずかしいんで、さっさと仕舞ってくださいよ」


 わたしは渋々原稿を受け取ると、鞄に仕舞った。金原は畳みかけるように


「一人で、読んでくださいね」


 と念押しした。

 毛頭そのつもりだったのだが、そうね、と言った。


 帰り道、わたしは早速その原稿を読んだ。

 よく分からない、短い詩だった。


 深い暗喩のようでもあるし、適当に言葉を並べただけのようにも思える。

 つるりとして取っ掛かりがないのに、その奥に確かに何かが居るのを感じる。


(まるで彼そのものみたい)


 たぶん、金原は、わたしに、何かについて気づいてほしいのだろう。彼の持つ何かに。

 恐らく、彼なりに、ヒントは散らばめているのだろうけれど。


(それが、わたしには分からないのよ、金原)


 それとも、あの美しい爪をした女の子には、分かるとでも言うの?



「ねぇ金原」

「なんですか先輩」

「わたしが引退したら、卒業したら、この部はどうなっちゃうのかな」


 今は、たった二人でいつ転覆するか分からない小舟に乗って夜の海をゆらゆらと漂っているようなもので、ひとつ突風が吹いただけで沈んでしまうかもしれない不安をわたしは常に抱えていた。


 おそらく、あの暗い部室で一瞬だけでも一人ぼっちになった瞬間から。


「さぁ、俺は知りません」


 だからこそ、わたしはこのやさしい金原に「大丈夫ですよ、先輩」と言ってくれることを期待していたのだ。


 けれども、金原はけっしてそういう類の嘘は吐かない性格だった。


「でも俺は文藝部すきですよ」


 うっと喉に何かが詰まったような気がした。

 後方の金原には気づかれまいと、鞄の紐をつよく握りなおした。


「……先輩冥利に尽きるわ」

「よかったです」


 金原は、こういう奴だった。本当の意味で、優しかった。



 高3の夏、つまり一年後、金原から電話が掛かってきた。


 わたしは塾の廊下で電話に出た。


「もしもし金原」

『もしもし先輩』

「なんかあったの?」


 あんたから電話なんて珍しいね、と続けようとしたところで、金原が吐き出すように言った。


『文藝部、廃部になりました』


 薄々感づいていたので大きな衝撃ではなかった。


 体が薄っぺらくなって、どこかに飛んでいきそうになる。

 夜の、むこうへ。

 意識が、裏側へ。


 目をつぶる。

 あける。


 わたしの口から出てきたのは「そっか」という掠れた呟きだけだった。


 『すみません先輩』


 そのとき、わたしは初めて金原の隠された本当の心に触れられたような気がした。


 ふっと触れた指先から、金原の申し訳なさ、哀しさがとろとろとわたしの中に流れ来るようだった。


「いいのよ金原」

『すみません先輩』

「ねぇ金原」

『なんですか先輩』

「仕方ないことなの。だから、もう、いいのよ」


 電話越しの金原の涙が、青い夜に溶けていくのを、わたしはじっと見ていた。無性に哀しい夏の夜だった。


 けれども、わたしの胸を満たすのは金原の哀しみでしかなくて、わたし自身の気持ちは、廊下で金原にそっと漏らしたあの不安な心は、一年という月日のうちにずいぶんと薄れてしまっていたようだった。


 少しばかり肌寒い。わたしは、すん、と鼻を鳴らした。


「ねぇ金原」

『なんですか先輩』

「夏の夜は青いのよ。知ってた?」


 数秒置いて金原が微笑む気配がしたとき初めて、わたしは、やさしさからではない、心からの金原の笑顔をこの目で見たことがないかもしれないと気づいた。


 逆に、わたしは金原の何を知っているんだろう。

 こんなに遠くで、やっと見えるだけの距離で、微笑み合うだけなのに。


 そんなわたしに、金原は、何を望んでいるのだろう?










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