春風見鬼譚(しゅんぷうけんきたん)
廊下に出た瞬間、目の前に誰かが飛び出してきて、咲は身をすくませた。
しかし人間、急には止まれない。
「ふぎゃんっ」
勢いよくぶつかって、二人は磁石の同極同士のように弾かれ、めいめい廊下に転がった。
リノリウムの床は冷たく、いつにもまして固く感じられた。
強かに打った腰をさすりながら、咲は顔を上げる。
視線の先に居たのは、同じようにへたりこんで腰を擦っている見慣れない男子生徒だ。
制服のシャツの上に、だぶだぶのニットを着込んで手の先まで隠していて、やはり幅の余ったチェックのパンツを履いている。長身白皙だ。
くせの強い髪の毛は目深に伸ばされて、おまけにレンズの分厚い黒ぶちメガネをかけているために、顔はほとんど見えなかった。
咲はふと、床に落ちているノートに目をやった。
ぶつかったはずみに落としたのだろう。表紙には『英語 2A28 桃山 晃』とあった。
二年A組、出席番号二十八番。
同学年のようだが、私立大学受験コースのE組に所属する咲とは教室のある階も違う。顔を知らなくても、不思議ではなかった。
「ごめん、大丈夫? 怪我してない?」
言いながら咲がノートを拾おうと伸ばした手と、桃山が同時に伸ばした手がぶつかった。
「あっ!」
声を上げて手を引いたのは桃山だった。
静電気でも走ったのか、それともまさか手が触れ合ったことでときめくほど純情なのか。
咲がいぶかしんだのは、束の間だった。
『…………タ、……スケ……テ……』
咲は思わず耳を押さえて、後ろを振り返った。
背後には、自分が出てきた部室があるだけで、人はいなかった。
廊下を見回しても、人影はない。
そもそも今は、春休み。
咲のように用事がなければ、だれがこのクラブハウスにやって来るというのか。
小さな声だったのに、やけにはっきりと聞こえた。
かすれてかぼそく、血を吐くような女の声だった。
頭のてっぺんから冷水を浴びせられた気分で、咲は眼前の男子を見た。
桃山少年は「しまった」という顔を、メガネを直して隠すと、ノートを手荒く拾い上げて勢いよく立ち上がった。
「ごめん。もし打ち身とか、切り傷とか、その他不都合があったら、ごめん!」
「あ、ちょっと!」
呼び止める間もなく、彼は長い脚をばたつかせて、廊下の向こうへ駆けていた。
そのとき、彼の長さの余ったニットの袖から、隠れていた手が見えた。
それはほんの一瞬だったけれど、咲はたしかにそれを見た。
ひどい火傷のあと。
手の甲を覆うようにしてケロイドが広がっている。
驚いているうちに、ひょろ長い桃山のシルエットは消えていた。
残された咲は、やがて思い出したように立ち上がり、腕を抱くと、部室のドアに鍵をかけ、足早にその場を後にした。
一刻でも早くその場を離れたかったのだ。
真っ暗だ。
完璧に光を遮断した、真の闇が凝っている。
その中で、ふと咲は気がついた。
寒い。
裸で雪の中に放り出されたような気分だ。
自分の姿を確認すると、こともあろうか、愛用の青いフリースの上下だった。
なぜパジャマのまま、こんな寒いところに居るのだろう。
それよりも、ここはどこだろう。
震えながら、周りを見回すと白いものが目に入った。
とにかく、ここを脱したい一心で駆け寄る。
途中で足が止まった。
寒さではない震えが襲ってくる。
人の手だった。細くてしなやかな女の手。
力なく、地面に指を投げ出している。
肘から上は埋もれたように見当たらない。
動く気配はない。
『……タス……ケ、テ』
耳元で、声がした。
咲は耳を覆う。
『ココハオモイワ。ココハクライワ。ココハセマイワ。ココハサムイワ』
耳を塞いだのに、声は重みを増してのしかかってきた。
『ココカラダシテダシテダシテダシテダシテダシテダシテダシテダシテダシテ』
悲鳴が口から漏れた。心臓が早鐘のように鳴っている。
『ドウシテ、トジコメルノ』
蜘蛛がぴたりと床に降りるような動きで、白い手が真っ暗な地面に爪を立てた。
電気ショックを受けたように上体をのけぞらせ、咲は目覚めた。
使い慣れた自室のベッドに寝ていることに気づいて、ゆるゆると息を吐き出す。
心臓が痛い。肋骨を突き破らんばかりに暴れている。
まだ三月なのに、背中にぐっしょり汗をかいていた。
しばらく、横になって呼吸を整えた。
時刻は午前二時十三分。
起床まではまだまだ余裕があるが、目が冴えていた。不気味なあの夢のせいだ。
汗を吸った下着を替えるため、床に降り立って、カーテンをめくってみた。ただ、ふと気になったのだ。
「え、……雪?」
彼女は自分の目を疑った。
街灯に照らし出され、白々と輝いているのは、宙を舞う粉雪だった。
よく見れば、うっすら積もっている。長い時間降っているのだ。
壁のカレンダーは既に三月、ひな祭りの絵が描かれている。
くしゃみが出るまで、彼女はぽかんと窓の外を見つめていた。
『今年は例にない異常気象と言えますね。ご覧ください、各地で四月になっても降雪が確認されております』
テレビのお天気お姉さんが掲げて見せたパネルには、雪が観測された場所とその日付が書き込まれている。
ネクタイを締めつつ、それを視界の端に捕らえながら、咲はブレザーを羽織った。
コートを着込み、手袋も装着する。
「行ってきます!」
キッチンにいるはずの母親に声をかけると、
「夕方からまた雪だから、傘忘れないようにねー」
のんびりした声が返ってきた。
玄関に常備してあるロイヤルブルーの折り畳み傘を掴んで、玄関を出た。
風は冷たい。空は灰色。道の端には溶けきらない茶色の雪。
まだ冬の真ん中にあるような景色だけれど、これでもう四月なのだ。
学校までは歩いて二十分。自転車なら十分でつく。
いつもは自転車で登下校しているが、スリップが怖いので、今日は歩く。
民家の垣根越しに見える梅の枝には、まだほころびる気配のない蕾が一杯残っている。
その向こうに見えるのは、佐保山だ。
部活で走りこみに使うこともあるその山にもまだ雪が一杯残っているのは、遠目にも明らかだった。
この時期にはすっかり桜が咲いているものなのだけれど――咲はうんざりした。
今日から、咲は三年生になる。
高校生活最後の年が、序盤からこれでは先が思いやられる。
来年の春には桜が咲いてくれないと困る。
しかし、咲の口から漏れたのはため息ではなく、生あくびだった。
今日もあまり寝ていない。立て続けに襲ってくるあの悪夢のせいだ。
それに関して、咲はひとつ確かめたいことがあった。
クラス替えはないので、教室を移動すれば新学期は普通に始まっていた。
今日は始業式なのでほとんどやることはない。
あとは担任の長い話が終われば自由の身だった。
だが、話はまだまだ続きそうだ。
時計を睨み、咲はやきもきしていた。他のクラスが終わってしまう。
「でさあ、用務員だか神主だか知らないんだけど、ちょー酷いの! ただ休憩がてら周りを見たいって思って歩いてただけなのに、出てけとか言って。なんのために山登ったと思ってんの、あいつ。日の出見たいじゃん、ふつーはさあ」
隣に座った神代真紀子が、小さな声でずっと話している。
咲と同じ陸上部で彼女は副部長を務めている。
話し好きで、一緒に居ると疲れることもあるが、基本的には気のいい友人だ。
彼女と付き合うコツは、十のうち一の割合で相槌を打つことだと、咲はだいぶ前に気づいていた。
「仕方ないから、休んでたら『御神木に寄りかかるな』とか言って。ちょーむかつく。たかが木じゃん」
ぶう、と神代が頬を膨らませたとき、担任が話を終えた。
「それでは、気をつけて帰るように」
「あ、ちょっと咲?」
荷物をひっつかむと、咲はばっと立ち上がっていた。
「ごめん、今日用事あるから、部活休むわ」
返事も待たずに咲は駆け出した。
「おい、温海、走ると危ないぞ」
追い越した担任ののんびりした声が、追いかけてきた。
C組とB組は既にドアが開放されていた。A組も同じだった。
「桃山君、いる?」
ドアのところで話していた女子に尋ねると、彼女たちは驚いたようにこくりとうなずき、室内を指差した。
窓際、前から二番目の席に、見覚えのあるシルエットを見つけ、咲は大股で教室に踏み込んだ。
尋ねた女子たちが、ひそひそ言葉を交わしているのも耳に入らなかった。
「ちょっといいかな、桃山君。話があるんだけど」
机の前に仁王立ちして、落ち着き払った声で言う。
本を読んでいた少年は、恐る恐るといった緩慢さで視線を上げ、顔色を無くした。
絶句している彼を連れ出すのは簡単だった。眇めた目で廊下を示せばいい。
そうして、二人は人気のないクラブハウスの裏側へやってきた。
売られる子牛のようにしょんぼり肩を落として着いてくる桃山に、咲の良心はちょっと痛んだが、そもそもなんでそんなにおびえられなきゃいけないのだと憤慨しなおした。
建物の裏には例によって雪が積もり、人気はないがとても寒い。
せめてコートを着てくるんだったという後悔を飲み込んで、咲は口を開いた。
「桃山君、聞きたいことがあるんだけれど。春休みのこと、覚えてるよね」
静かだが、頷かざるを得ない力を込めて問う。
桃山少年は視線を外したまま首を縦に振った。
さて、これからどうしたものか。
咲はいったん口を閉じた。
自分の中では既に確信していることだが、それをどう説明すればいいのか少し悩む。
「……もしかして、あの日からおかしなものでも見る?」
「え?」
おずおずと問われ、咲は耳を疑った。
まさにそのことを確認したかったのだ。
咲の反応を肯定ととってか、桃山少年は頭を抱えてしゃがみこんだ。
深い深いため息が聞こえてくる。
「ごめん、ほんとごめん。悪気はなかったんだけれど……」
「やっぱり、これってあなたのせいなの? 何なの、霊能力者なの、桃山君って」
「そんな大層なもんじゃないよ。見えたり話したりできるけれど、それだけ」
彼は長いニットの袖を引っ張ると、痛々しい火傷の跡を見せた。
咲は少しだけ後ろに下がる。その手がとても恐ろしげに見えたのだ。
「俺は未熟だから、力とか制御できなくて。生身に触ると、感受性の強い人は影響されることがあるみたいなんだ」
だから極力、人に触れないように気をつけているんだと、桃山は深刻な顔で告げた。
「信じられないだろうけど」
「私は信じるけど」
言っておいて、咲は口を押さえた。
あまりに寂しげな顔をするから、思わず口をついて言葉が出てしまったのだ。
桃山がきょとんとして、咲はあわてて胸の前でこぶしを握った。
「だって、そのせいで変な夢を見るんだもの。信じるしかないわよ。……何よ、その顔」
「いや、……。ううん、ありがとう。ええと……?」
「E組の温海 咲。学年も一緒よ」
「俺、桃山 晃。それで、夢ってどんな?」
咲は夢のことを教えた。
真っ暗な中に、女の人の手があること。どうやら埋められているようなこと。
聞いているうちに、桃山の眉間にしわが増えていった。
「……そんな感じなんだけれど、なんなのかな、これって。予知夢とか?」
「実は俺も最近夢を見るんだ」
「おんなじ光景?」
「ううん、もっとうるさいよ。かまびすしいっていうのかな。女の人三人に『彼女を見つけろ』って延々とささやかれる夢」
「ハーレムじゃない。ずるいよ、そっちだけいい思いして」
「本当にそうだったらいいんだけれど」
桃山は肩を落とした。目の下に、隈がくっきり浮いている。
「こういうのは、相手の望みをかなえるまで止まらないんだ」
「ええっ! だって私のきっと死体出るよ? 埋まってるんだよ、相手。嫌だよ、そんなの!」
「そう言われても……。俺にはどうしようもないよ」
たしかにそうである。咲は恨めしげに桃山を睨んだ。
桃山はやはり困ったように肩を落として、ごめんと言うだけだった。
眠る前に、咲は思った。
この悪夢をさっさと終わらせるためなら、怖い思いも耐えなければならないだろう。
大学受験を控えている今、睡眠時間が削られるのはなんとしても避けたい。
しかし、夢の相手を助けるためには、情報が少なすぎた。
対話を試みるしかない。
そう意気込んで布団に入ったせいだろうか。
夢を見ぬうちに、意識が覚醒したのだった。
部屋の中はまだ暗く、目だけで足を向けて寝ている方の壁掛け時計を見ると、午前二時だった。
ため息を一つ、今一度眠りにつこうとまぶたを下ろしかけて、全身の毛が逆立った。
足があった。
枕の左右と頭上に、ほっそりとした足が三対。
膝より上は闇に溶け込んでいる。
そこで咲は自分が指一本動かせないことに気がついた。かろうじて、目だけが自由だ。
激しく胸が上下しているのを感じながら、なんとか三対の足を見やる。
右にあるのは真っ白でほっそりした足、左にあるのは浅黒く多少筋肉質な足、頭上にあるのはふっくらとした足。
わかることは、全部が女性の足だということだった。
『サホを知っているな』
『サホをどこに隠した』
『サホを出せ』
声音も三者三様だった。
(サホ……?)
咲は必死に問いかけようとしたが、声が出なかった。
『サホを返せ』
『オシラはもう待てぬ』
『早く返せ、さもなくば』
(オシラ? なんなの、一体何を言っているの)
『――身も凍るような報いを受けるぞ』
恐ろしい言葉を最後に、気配が消えた。
咲を縛り付けていた見えない力も消失していた。
敏捷に起き上がっても、既にあの足はない。
脱力感に抗えず、咲はベッドにどさりと倒れこんだ。
まぶたの上に腕を乗せて、心臓が落ち着くのを待つ。
頭の中では、三つの声が何度も反芻されていた。
どのくらいそうしていただろう。
布団から出していた手がすっかり冷えたころ、咲はふと思いついた。
クラブハウスの裏はやめて、相談場所は学食へ移った。
何人か顔見知りの生徒が、桃山と対面で座っている咲を見て驚いたような顔をしたが、咲は自分の発見に夢中でそれどころではない。
お弁当のタコ形ソーセージをフォークに刺し、咲は言った。
「その声が『サホを知ってるな』って言ったんだけど、それって例の埋まってる彼女なんじゃないかな」
パンの袋を開けながら、桃山が頷く。
彼は思ったより大食漢のようで、パンが五つ机上に載っている。
「偶然だね。俺も昨日、温海さんが言っていた夢を見たんだ」
「本当? どんな感じだった?」
「いや、聞いていたとおりだよ。女の人の手があって『出して』って」
「なんだろう、関連してるのかな、二つの夢は」
「どうだろうね。こういう方面っていうのは、俺たちの考える筋道とかじゃあ通用しないんだ。関係が有りそうでまったく無関係だったり、無関係を装って核心を衝いていたり」
二人はしばらく無言で、食事をしながら考えていた。
お弁当が半分ほど減ったとき、咲は言い忘れていたことを思い出した。
「そう言えば、足の人が言ってたわ。『オシラはもう待てぬ』って。サホさんを待っているってことだよね、きっと」
「オシラ? ……ずいぶん変わった名前だな。苗字かなあ」
「電話帳で調べてみようか」
根気がいる作業だなあ、と遠い目をしてつぶやいて、桃山は肩を落とした。
どうやらしょんぼりしているのが彼のデフォルトのようだ。
「ああでも、探すなら新聞の事件欄とかの方がいいかもしれないよ」
桃山は四つ目の袋を開けた。焼きそばパンだ。
「それも、この街のもの。オシラ、サホっていう名前なら見つかるんじゃないかな」
埋まっているということは、行方不明とか殺人の可能性が高いから、という付け足しに咲は食欲が失せていくのを感じた。
「でも、この街って限定しちゃうの?」
「経験上、俺たちが到達できる場所になにかしら手がかりがあるんだ。それに近い位置に居るから、俺たちが影響されているんだよ、多分」
「ふうん……、そういうもの」
咲は小首をかしげた。
「桃山君はさあ、今までこういうこと一人で解決してきたの?」
「うん、まあ、うちは家族が――」
「あーっ、いた、咲! ねえお願いちょっと来て。次の時間の宿題なんだけど!」
耳に響く声がした。咲は振り返らずとも相手がわかった。
ばたばた駆け寄ってきた神代は、強引に咲の腕を取ると、
「ごめん、咲のこと借りるね!」
「あ、ちょっと、ねえ」
桃山の返事も待たず、咲の抗議も無視して、咲の腕をぐいぐい引っ張った。
腕を振り払ってしまえばいいのだが、自分たちがあまりに注視されていることに気づいた咲は、渋々立ち上がり、桃山に目礼して学食を後にした。
咲は廊下まで出ると、神代の腕を引き剥がして、幾分きつい口調で問いただした。
「さすがにあれは失礼だよ、なんなのいきなり。宿題なんて、自分でやりなよ」
「あれはごまかすための方便よ」
むっとした表情で、神代は手を腰に当てた。
「あんた、なんで桃山なんかと関わってるの? 変なうわさ流されたいわけ?」
「何、いきなり」
「やっぱり、知らないんだ」
神代が大げさにため息をついた。
「あいつ、有名なのよ。なんか、変なの。小学校が一緒だった子が言うには、霊感があるんだって。そんなのあるわけないじゃん。なのに見えるふりしてさあ。頭おかしいんだよ。だからみんなあいつのこと相手にしてないのよ」
「そんな、……だからどうだっていうの?」
なぜかいらだって、咲は挑むように言っていた。
「どうって、わからないの? あんたも変な目で見られちゃうよ」
「別にいいよ。馬鹿馬鹿しい」
「はあ? 何よその態度。せっかく助けてあげたのに」
「頼んでない。私は桃山君に用事があったのよ」
「なにそれ。まさか付き合ってるの?」
神代の言葉には、隠微とはいえない意地悪さがあった。
「そう見えるなら、眼科へ行くのを勧めるわ」
きりきりと神代が眉を吊り上げる。
何故、ムキになっているのだろう。いつもなら、二つ返事で流せた言葉だろうに。
自分でも理解できない感情のまま、神代の横を通り抜け、咲は大またで歩き出した。
部活のあと顧問と話こんでいたら、すっかり遅くなってしまった。
人気の無い廊下を通り抜けて部室に向かうと、まだ照明がついていた。
引き戸を開けて、咲は自分の眉間にしわが寄っていくのを感じた。
意識して、それを直してロッカーに向かう。
中からジャージを取り出して着替えている最中も、背中がむずむずしていた。
背後から断続的に、本のページを繰る音が聞こえてくる。
その相手――神代真紀子がこれほど沈黙を守っているのは珍しいことだった。
だから、余計に存在感があるのかもしれない。
うるさい沈黙だった。
着替え終えて、まとめた荷物を持ち、部室の鍵を中央の机の上に置く。
神代が振り返る気配はない。
咲はそのまま声をかけず、ドアを開けた。
「咲、……さっきはごめん」
背中にぶつけられたのは、弱々しい声だった。
咲の口から、大きなため息が漏れる。
いつも真紀子はこうなのだ。
きっと、あちらを向けば泣きそうな顔をしてこっちを見ているに違いない。
……果たして、そのとおりだった。
「あたし、おせっかいだったよね。やだったの。咲が変なのにとられちゃうって思ったら、耐えられなくて……。ほんとにごめんね、ごめん」
「……いいよ。もう気にしないで」
涙目で見つめられたら、そう答えるしかない。
咲が、肩をすくめてもう一度ため息をつくと、
「それで、桃山とは付き合ってるの?」
「真紀子」
「ごめんごめん」
本当に反省しているのかどうか、神代は明るく笑って立ち上がった。
並んで外に出ると、日没後の底冷えする風が襲ってきた。
「この調子じゃあ、春一番にはまだ遠いねー」
コートのポケットに手を突っ込んだ神代が、震えながら嘆いた。
咲は既になじみとなった暗い夢の世界に落ちていた。
しばらく歩けば、白い手に遭遇する。
『ダシテ、ダシテ、ダシテ』
力なく横たわっているそれは、いつもどおり無念を訴えてくるが、咲はいつものようにただ耳を塞ごうとはしなかった。
恐怖心を押し殺して、手の側にかがみこむと、
「あなたは、誰?」
『……サホ』
誰何の声に答えが返ってきた。
「どこに居るの? どうしてそんなところにいるの」
今度の答えには、少し間があった。
『――メガサメタラ、ココニ……。ココハ、ドコ』
「何か目印はない?」
『ツメタイ、サムイ、オシラノ、ニオイ』
要領を得ない。
困惑する咲をあざ笑うかのように、手は同じことを繰り返し繰り返し告げていた。
「ちょっとー、咲、あんた顔色悪いよ。大丈夫なの」
「……寝不足なの。大丈夫」
目をこすって、咲は教科書を開いた。
神代の心配そうな視線を感じていたが、それに律儀に対応できるほどの余裕も無かった。
板書を半ば機械的にノートに写していく。
国語の教師の話し方は、非常に穏やかで眠気を誘う。
ため息が途中からあくびに変わる。
が、口を閉じる前に咲は硬直した。
教師とばっちり目があってしまったのだ。
「それじゃあ、温海、このタイトルになっている季語はどの季節を示す」
神代が肩をすくめるのが、視界の隅に写った。
沈黙のなか、咲にクラスメイトたちの視線が集まる。
咲は無言で黒板を見つめていた。
驚きの表情で。
「……温海、どうした。読むくらいはできるんじゃないか。なじみのある名前だろう」
「佐保姫……?」
歌人・与謝野晶子の作品集一覧。
その一文の下に、咲の目は釘付けになっていた。
ぽかんとしている咲に焦れたように、先生は解説を始めた。
「佐保というのは、あそこに見える佐保山からとった季語だ。平城京の時代、佐保山から春が始まると言われていて、それを女神に喩えたと聞く。ちなみに、夏の女神は『筒姫』、秋は『竜田姫』、冬は『白姫』という」
言葉が終わると同時に、終業のチャイムが鳴った。
咲はばっと立ち上がって、財布と携帯電話だけを鞄に放り込み駆け出そうとしたが、腕を神代に掴まれてしまった。
「ちょっとどこ行くの?」
「帰るわ。適当にごまかしておいて!」
「あ、こら、咲―!」
A組に駆け込むと、次の授業の準備をしている桃山がいた。
咲の顔を見ると、ぎょっとした表情になる。
「桃山君、時間あるっ?」
「ど、どうしたの温海さん、怖い顔して」
「今すぐ佐保山に行かなくちゃ」
好奇心たっぷりの視線を受けて、桃山はおどおどしながらも、言われるままに荷物を持って立ち上がった。
「サホっていうのは、おそらく佐保山に関係するものだと思うの。桃山君言っていたでしょう。私たちに到達できる場所に原因があるって。それに、あのオシラっていう名前もそう。冬の女神の白姫のことじゃない? 春の女神佐保姫の関連するものなのかも」
「……うーん、そうなのかな」
「やっぱり、ちがうかな……」
咲は、急に自信がしぼんで声音が沈んだ。
それを見て、あわてたように桃山が手を振る。
「あ、違うよ。そういう意味じゃない。ただもしそうだとしたら、やっかいだなって」
「やっかい?」
「つまりさ、俺たちが相手してるのは神様ってこと。その辺の幽霊とか魍魎なんかじゃなくて、もっと難しい相手なんだよ。強い力を持った」
「でも、どうにかしないと」
昇降口を出ると、冷たく乾いた風が咲のむき出しの膝を撫でていった。
正面に、灰色の空を背負った佐保山が見える。
靴を履き替えた桃山が、咲の隣に並んで、山を見るなり顔をしかめた。
「温海さん、悪いんだけど一度うちに寄ってもいいかな。それなりの準備が必要そうなんだ」
「いいけど、準備って?」
「なんだか、山のほうの空気がね……。停滞しているっていうか、嫌なのがいそう」
目を細めて山を見やるその表情は強張っていた。
「うちは山に行く途中なんだ。こっち」
先導されて、自分の家とは別の方向へ歩き出す。
この時間に制服で男子と二人でふらふらしているのはまずいかなと心のどこかで思ったものの、知り合いに出くわさなければそれでいいと考えることにした。
桃山はひょろ長い足で、結構速く歩く。
それに追いつくために咲は少し歩調を速めた。
部活で鍛えているから、辛くは無い。
何を考えているのかわからないけれど、見上げた桃山の表情は暗い。
もしかすると、考えているよりもずっとこの件は深刻なのかもしれなかった。
――春の女神、佐保姫。
なんだかぴんと来ない。
向こうに見える佐保山は、曇っているからあまり見目良いとはいえない。
桃山は、あまりよくない空気があると言ったが、咲にはそこまではわからなかった。
きっと桃山のほうがずっとよくいろんなものが見えるのだろう。
彼の見ている世界は、どんな色をしているのだろうか。
良くも悪くも、賑やかな世界なのだろう。
それを少しだけ共有している。
そのことが、ちょっとだけうれしかった。
「大きいおうちだね」
「もう築百年を越してるんだよ。大きいだけでぼろぼろなんだ」
立派な門扉の向こうには、よく手入れされた庭が広がっていた。
大きな平屋の家は、壁などの一部をリフォームされながらも、長い歴史を感じさせる部分を十分に残していた。
咲の家にも庭はあるが、ここの十分の一くらいの広さしかない。
「ごめん、ちょっと待っててもらえる?」
桃山は駆け足で玄関に消えていった。
残された咲は、近くにあった池を覗き込んだ。
大きな鯉が、えさをもらえると勘違いして顔を出す。
ふと、その水面に影が差した。
「晃にお客さんかな? こんにちは」
「こ、こんにちは」
男の人だった。
オフホワイトのニット一枚に、青のデニムパンツを履いて、手には竹箒を持っている。
年は二十代半ばごろ。面差しが桃山に良く似ていた。
やはり背が高いが、めがねはかけていない。
「お茶を出すから、中へどうぞ。ここは寒いでしょう」
「いえ、あのすぐにお暇しますから」
「兄ちゃん! 何してるの」
あわてた様子で、桃山が家から飛び出してきた。
コートを羽織って、紺色のトレーナーに黒のデニムパンツ姿だ。
スコップを持って、コートのポケットからは軍手がのぞいている。
「晃、お前だめだろう。女の子をこんなところで待たせるなんて。風邪を引いちゃうだろ」
「そ、そうだけど……。とにかく、俺たちもう行くから」
「待ちなさい。そんなものを持ってどこへ行くんだ」
「佐保山」
桃山の兄は、眉をきりりと吊り上げると弟の額を小突いた。
「そんな軽装で? 今の状態のあの山へ? とんでもない。お前だけならまだしも、女の子に怪我をさせたらどうするんだ。ちょっと待っていなさい」
竹箒を押し付けると、彼は走り去った。
「ごめん、温海さん。寒い中待たせちゃって。家の中入る?」
「ううん。大丈夫。それより、お兄さんよく似てるね」
「えっ! ……似てるかな」
「かなり」
嫌なのだろうか。
桃山は渋い顔をして、めがねを指で押し上げた。
「お兄さんも、その……見えるの?」
「うん。俺なんかよりよっぽどそういう力が強いみたいだよ。うちの家系はそういうのが多いんだ」
待つこと五分。
袱紗に包まれた何かを持って、桃山の兄が戻ってきた。
それをそのまま弟に渡すのかと思いきや、彼は咲のほうへ差し出したのだった。
「晃一人じゃ心もとないから、何かあったらこれを使うといいよ」
硬い手ごたえを感じて布を開くと、中から出てきたのは一振りの懐剣だった。
白木に彫り物がされた鞘はかなり古い。
「これって……本物ですか?」
「もちろん。ああ、人を刺したりしたらだめだからね」
「兄ちゃん、いいのこれ」
「返してもらえればいいよ。お前の久しぶりの友達なんだから、大事にしなさい」
桃山はさっと顔を赤くして、兄ちゃん、と怒鳴った。
「こんな気の利かないやつだけど、よければまた遊びに来てね。今度はお茶も出すよ」
人気の無い上り坂を半歩先に行く桃山は、先ほどからずっと黙っている。
どこか気まずそうで、咲の顔を見ないようにしているようだった。
「ねえ、桃山君。この小刀は何? お守り?」
思い切って問いかけると、ようやく桃山が口を開いた。
「そんなものかな。うちの家宝の破魔の小刀だよ。鎌倉のころに、えらいお坊さんからもらったとか聞くけど」
「え。そんな大事なものお借りしていいの?」
「いいよ。だって、それないとかなり危ない気がするよ」
「危ないって……?」
桃山の視線を追うと、まだ頂上の見えない上り坂が続いている。
険しい顔をしているので、その先によくない何かがあるのはわかった。
軽い寒気を感じて、咲は両腕を抱いた。
「桃山君はいつもこんなことしているの?」
「まさか。さすがに神様がらみは初めてだよ」
力なく笑う顔は、少し疲れて見えた。
あちらの世界の者たちと触れ合えることは、決してうれしいことじゃないのだ。
少なくても、学生生活で得することはないに違いない。
――桃山とかかわると変なうわさを流される。
耳の奥に、神代の声がよみがえる。
見たくないものを見て、周りの人たちに後ろ指をさされるのはどんな気分だろう。
考えると落ち込みそうだったので、咲は目の前を歩いている桃山の背中を思い切り叩いた。
「痛っ!」
「行こう! このままじゃあ日が暮れちゃう!」
「え、だって目的地は? まさか山を全部見て回るわけにはいかないよ」
たしかにそうだった。
咲は出鼻をくじかれた格好になるところだったが、
「そういえば、この先に神社があるよ。大きな御神木のあるところなんだけど。陸上部で時々走ってそこまで行くの」
ふいにそのことを思い出した。
指をさすと、桃山もその方向を見て納得したように頷いた。
「たしかに、あっちの方角に何かありそうだね」
「そうと決まれば、駆け足!」
「ええっ? 俺、運動だめなんだよ!」
情けない声を出す桃山を尻目に、咲は坂道を駆け上っていた。
境内には人気がなく、寒々しい空気がどんよりと漂っていた。
肩で息をする桃山を残して、咲は注連縄の張られた御神木の方へ向かう。
あちこちに凍った雪が積み上げられていて、そのせいか敷地内はすべて色あせて見えた。
御神木は、どっしりと根を下ろした杉の木だ。
見上げると、灰色の空を貫くように高く高く枝を伸ばしている。
その周りには、どういうわけか雪が積み上げられ、バリケードが出来上がっていた。
きょろきょろ周りを見回して、咲は理解した。
『立ち入り禁止』と書かれた立て札があった。人を締め出す目的で、雪を積み上げたのだろう。
そういえば、神代が新しい神主か誰かを、心が狭いとぼやいていたっけ。
「桃山君、この辺で何かないかな。……桃山君?」
「温海さん、伏せて!」
背を押されて、咲は転倒した。
横で、御神木の周りに作られた雪の壁に深い穴が開いた。銃撃を受けたように。
「な、何っ?」
「雑鬼だ! 俺たちの邪魔をするつもりなんだ」
「それじゃあ、ここでビンゴなのねっ」
桃山がぽかんとした顔をした後、苦笑した。
「たくましいね、温海さん」
「見て、あそこ。何か光ってる」
雪の下で、淡く何かが発光しているように見えた。
身を起こした咲のすぐ隣で、また雪がえぐれた。
「掘り起こしたいけど、無理じゃないこれ!」
頭を抱えて小さくなるしかない。
そんな咲に、桃山がスコップを差し出した。
「温海さん、こっちを頼んでいい? 雑鬼は俺がなんとかする。刀を貸して」
小刀を受け取った桃山は、すっくと立ち上がると、長い指を絡めたりあわせたりして印を組み、勢いをつけて刃を地面に突き刺した。
風がうなる音が聞こえて、雑鬼が再び襲ってきた。
思わず逃げ腰になった咲の眼前で、小さな火花が起きる。
見えない壁に何かが衝突したように見えた。
「結界を張ったんだ。長くはもたない!」
「う、うん!」
スコップを持ち直すと、咲は雪の壁にそれをつき立てた。
思ったより硬く重い。
腰の高さまで積み上げられた雪は、完全に溶けて氷と化していた。
すぐに手が痛くなった。
腕も痺れてくる。
息が上がって、一呼吸動きを止めたとき、
「うっ」
背後からくぐもった声が聞こえた。
桃山がうずくまっていた。
腕を押さえた指の間から、血が滴っている。
「桃山君、血が……!」
「いいから、早く佐保姫を!」
追い立てられるように、咲はスコップを握りなおした。
肉刺がつぶれて、痛みに歯を食いしばる。
光る氷の塊が見えた。
あと一掬い。
「くそ! 破れる!」
桃山の切羽詰った声がして、硝子が割れるようなはかない音が聞こえた。
咲の耳元に、うなりをあげて何かが飛来した。
――あとちょっとなのに!
目をつぶった咲に、重たい何かがぶつかった。
頬をしたたかに打ち付けて、くらくらしながら目を開けると、間近に桃山の顔があった。
メガネが外れ、こめかみから血が流れている。
「桃山君!」
返事は無い。
また、あの風を切る音が聞こえてきた。
――もう、だめだ。
諦念が首をもたげたとき。
『ココカラ、ダシテ』
体が動いていた。
声は、氷の燐光から聞こえた。
咲は手で氷塊を掴みあげていた。
封じられていた地面が顔を出す。
そこに、小さな小さな新芽があった。
『わらわは、自由じゃ!』
歓喜の声が響いた。
その声は、突風を伴ってあたりの木の枝や土を巻き上げては、すべてを洗い流すように山へと流れていく。
目も開けられない風が全身を襲い、咲は小さな悲鳴をあげて、地面に伏せた。
雑鬼の恨めしげな声が聞こえた気がした。
風が止み、そっと目を開くと、世界は一変していた。
空が青い。
陽光に照らされた雪の塊がきらきらして、まぶしい。
どこにいたのかわからない小鳥が、さえずりながら飛び去っていく。
「ずいぶん荒っぽい春一番だね……」
のっそり身を起こした桃山が、はたと動きを止めた。
自分の下にいる咲に気付いたらしい。
「うわあっ、ごめん!」
すさまじい速さで後退した桃山は、真っ赤な顔をしている。
なんだか面白いなあと、内心で微笑して、咲は落ちていたメガネを拾った。
「レンズ割れちゃったね」
「無事に終わったことだけでももうけだよ。ああ、肩の荷が下りた」
「血が出てるよ」
「温海さんこそ、指から血が出てる。爪が割れてるよ」
「あ、本当だ。気がつかなかった。絆創膏持ってるから大丈夫だよ」
ハンカチでこめかみの血をぬぐってやると、桃山はそわそわして、ぎこちない動きで地面に刺さった小刀を懐に仕舞った。
「温海さん」
「何?」
「その、今回はごめん。怖い思いも、危険なこともさせちゃって。どう謝ればいいか」
「いいわよ、そんなの」
放り出されていたスコップを取り上げて、咲は笑った。
「なかなかできる体験じゃないもの。それに、この先何かあっても、桃山君を頼りにできるってわかったし」
「……やっぱりたくましいね、温海さんは」
桃山の言葉には、ほっとした響きがあった。
「こらぁっ! お前たち、何をしとるか!」
怒声が、和やかな空気をぶち破った。
社殿のほうから、誰かがやってくる。
「まずいわ。雪を掘り崩しちゃったもの。しかも私、制服のまんまだわ」
「ど、ど、どうしよう?」
「逃げるしかないじゃない!」
「こらあっ!」
スコップを担いで、咲は走り出した。桃山の手を引いて、全力疾走だ。
桃山は一瞬、火傷のある手をひっこめようとしたが、逆に力強く握り締めると咲を追い抜き、手を引いた。
青い空から、清爽とした太陽の光が落ちてきて、先を行く少年の髪を明るく照らしている。
咲は、自分の口元が自然に上がるのを感じた。
『ありがとう』
声を聞いた気がして、振り返った。
杉の木の上に、人影が見えた。
きらきら輝いて詳細は見えなかったけれど、桜色の単を纏った女の人だった。
周りに、色の違う衣を着た女性が三人居る。
その人たちは、一陣の風にかき消されるように、消えた。
『例年より一月半遅れた桜前線が、ようやく本州にも訪れようとしています。開花予想はこのとおりで――』
お天気お姉さんの解説を聞く間もなく、咲は荷物を持って玄関を飛び出した。
「行ってきます!」
本日は、快晴。雲ひとつない青空を切り取って、佐保山が悠然と聳え立っている。
春風にかすかに緑の匂いを感じて、咲は力強く自転車のペダルを踏み込んだ。
睡眠もばっちり。宿題も、予習も終わっている。
ようやく、理想の学生生活に戻れるのだ。
「おはよう、咲。宿題やった?」
「真紀子、おはよう。今日はちゃんとやってきたよ」
途中から合流した神代が、眠たそうだった顔を輝かせた。
「ねえ、お願い、ノート見せて! 終わらなかったのよ、宿題」
「ええー……」
「なによ、この前のさぼり、ごまかしてあげたじゃない」
そういわれてしまうと、断れない。
咲は渋面で頷いた。
そして、ふと、自転車を止めた。
登校する生徒でごった返す校門。その前に、子供が座っていた。
おかっぱの小さな女の子で、今時めずらしい赤い着物姿だった。
ぽろぽろ涙をこぼしていたのが、咲と目が合うと号泣しだした。
周りの生徒で気付いた人はいないようだ。
「どうしたの、咲」
「真紀子、はいこれ、ノート。それから、悪いんだけど、ホームルーム欠席するわ」
「ええっ? 何、どうしたの?」
とまどう神代を残して、咲は女の子の前にしゃがみこむ。
『おうちに帰して。おうちに帰して』
わんわん泣く女の子を前に、彼女は鞄から携帯電話を取り出すと、一つの番号を呼び出した。
呼び出し音が鳴ること五回。
電話がつながった。
「もしもし、桃山君? まだ寝てるの? ……じゃあ急いで正門まで来て。大至急。なんなら迎えに行くよ?」
〈了〉
色々反省点がある作品です。
文少量と内容のウェイトなど、もっと精進しないといけませんね。
モチーフが好きなので公開しましたが、いつか別の作品で生かしたいところです。