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第6話 幸福に惑わされず、先を目指せ

「結局のところ、俺たちみたいな人間には恋愛は重いんだろうなぁ」


 高校の入学祝いに、親戚の兄ちゃんが鰻屋に連れて行ってくれたことがある。

 その鰻屋は家から自動車で一時間ぐらいかかるほど遠くにある店だったのだが、態々遠出するのに相応しい味だった。

 けれど、今思い出すのは、鰻の味ではない。

 親戚の兄ちゃん――誠吾兄ちゃんと一緒にだらだらと語った互いの恋愛論の話だ。


「俺たちみたいに恋愛しない人間ってのは多分、恋愛に関わる欲が『面倒臭さ』や『自己保身』よりも勝らないだけなんだと思う。きっと、ベタベタの恋愛漫画みたいな出来事が起きれば、あっさりと可愛らしい女の子に惚れるだろうさ」


 誠吾兄ちゃんは皮肉げな笑みを浮かべて、己の恋愛観について語っていた。

 それはきっと誰しも思いつくような当たり前のことで、けれど、誰しも自然と目を背けているようなことだった。


「ほら、よく言うだろう? クラスカーストが高そうな奴らが、俺たちみたいな人間に対してさ、『どうして彼女を作ろうとしないんだ?』って。それに対して、大抵俺らは『いやぁ、俺らって彼女作れませんからぁ』みたいに答えるわけだ。すると、そいつらは『努力が足りていない』って言うんだよ。笑えるよな、最初からやる気のない人間に対して、努力しろ、だってよ?」

「けど、誠吾兄ちゃん。努力は大切じゃねーか?」

「そうだな、大切だ…………けど、昭樹。ぶっちゃけ、彼女って要らないよな?」

「…………うーん」


 その時の誠吾兄ちゃんは、何か嫌な事でもあったのか、何時もより口が軽かった。恐らく、彼の両親から『彼女の一つでも作って来い』などと説教されたのだろう。

 当時、誠吾兄ちゃんは二十三歳の会社員。全うな人間であれば、女性の一人とでもお付き合いしているような年齢かもしれないが、誠吾兄ちゃんはそうではなかった。

 誠吾兄ちゃんは童貞だったし――生まれて一度も、女子と付き合ったことも無い。

 そう、俺と同じく、だ。


「や、彼女が要らないは語弊があるかもな。そうだな、ラノベのテンプレ幼馴染ヒロインみたいな、勝手に俺の事を好きになって、あっちから告白してくれて、なんやかんやでこっちに合わせてくれるような女子が降ってきたら、喜んで付き合うだろうさ」

「なにそれ、ひどい妄想」

「ははは、だよなー」


 自分でも荒唐無稽な言葉を言っている自覚があるのか、誠吾兄ちゃんはけらけらと笑う。

 誠吾兄ちゃんは自分の事を冴えない不細工眼鏡と言っているが、こうして笑っている姿はそれなりに好青年だと思う。いや、確かにイケメンとは言えないが、初対面で引かれるような不細工とかではないはずだ。

 けれど、やはり、誠吾兄ちゃんは自分に自信が持てないのだろうなぁ。とても気持ちはわかる。共感してしまう。俺だって似たような物だから。


「でもさ、世の中の男は……いや、女だって似たようなもんだな。誰しも『恋愛ってなんかめんどくせぇ!』なんて思う気持ちがあるんだ。だから、労せず美形がこちらを好きになってくれる展開が好まれる。まさしく、王道だ」

「そうかな? 俺はチョロインよりも少し面倒な方がいいな」

「チョロインでも読者が納得できる説得力があればいいんじゃないか? まー、二次元に限れば面倒なヒロインもそれはそれで萌え要素だ」

「現実に変換すると、ただのメンヘラになるかもだけどね」

「ははは、現実世界で二次元みたいなキャラが居たらドン引きだわ……ドン引きだわ」


 何かトラウマを思い出したのか、誠吾兄ちゃんは露骨にへこみ出した。勝手にトラウマを踏んで、勝手に落ち込むとは面倒な従兄だ…………俺も人の事は言えないな、そういえば。


「ふふふふ、やめろ、冬花ぁ……酔っぱらって人のパンツを奪いに来るんじゃない。やめろ、会うたびにいちいち、『ねぇ、誠吾兄ちゃんって童貞!? 童貞なの!? まだ童貞! へぇ! 童貞!』って言うんじゃねぇよ」

「うちの姉がすみません」

「冬花の奴にはいい加減、常識と手加減を覚えろと伝えておいてくれ」

「伝えておきますよ。聞き入れるかは知らんけど」

「基本、あいつへは自分の都合の悪いことは馬耳東風だからな……っと、ええと、何の話をしてたんだっけ?」

「恋愛って面倒だけど、テンプレラノベヒロインが居たら思わず釣られる俺たちって、ちょろいよね、って話」

「そうだったな」


 はぁー、と大きくため息を吐くと、天井を仰いだまま、誠吾兄ちゃんは呟く。


「誰かに愛されたいと思う時もあるけどさ、誰かを愛したいと思わないのは不誠実か?」

「いいんじゃない? 好きな人が出来てからでも、遅くはないぜ?」

「好きな人か。そうだな、出来ればいいなぁ、それ」


 誠吾兄ちゃん、割と当たり前のことを『宝くじが当たればいいなぁ』みたいに言わないで欲しい。どれだけ恋愛に関わる感情が死滅しているのだ、貴方は。


「ま、色々ぐだぐだ言ったけどさ」

「うん」

「俺みたいになりたくなかったら、高校生活で一人にならないようにしろよ? 一人は寂しくて、結構しんどいからな。出来るなら好きな人とか作って、適当に深く考えず恋愛しとけ。成就しても、破れても大人になってから、心を支える糧になるから」


 いつだって、誠吾兄ちゃんの愚痴のような話は、『俺のようになるな』で終わる。

 ああ、やはり貴方と俺は類似していると思うのだ。このまま変わろうとせずに生きれば、貴方そっくりになる予感がある。

 誠吾兄ちゃんもそれを感じているから、何度も、繰り返すように言うのだろう。

 俺のようになるな、と。

 自戒のように、己の過去を省みるように、俺に言うのだろう。


 ただ、多分、誠吾兄ちゃんは自己嫌悪に塗れたような面倒臭い人だから、きっと気づいていないと思うけれど。

 親戚の中でただ一人、同類を憐れんでいるだけだったとしても――――俺のような人間に気をかけてくれる貴方を、俺は嫌いではなかった。

 例え、類似して、近似している将来像のような人だったとしても。嫌いでないと気づかせてくれた人だったから。

 だから今、俺は辛うじて、孤独にならないで済んでいるのだと思う。



●●●



「おーい、芦葉君?」

「…………はっ!!? い、意識が飛んで、懐かしい記憶が脳裏に! 一体、俺に何があったと言うのだ!?」

「大げさなー。なんとなく、ちょっと胸を当ててみただけなのに」

「うおおおううおおおおおおううっ!?」


 白昼夢から目覚めると、俺は天国――いや、地獄のような状況にあった。

 さながらラノベヒロインの如き、超絶美少女が、何の因果か俺と腕を組んで往来の街道を歩いているのである。しかも、先ほどは胸を押しあてられたらしい。なるほど、そりゃ、童貞どころか、生まれて一度も女友達すら出来たことがない俺は意識が飛ぶ。むしろ、気絶してそのまま倒れなかった俺の精神力を称えたいところだ。


「ふふふふ、芦葉君ったら、変な声を出すんだねぇ」

「笑い事じゃない、笑い事じゃないよ、東雲さん」


 こちとら危うく、休日の昼間から気絶しそうになったのだ。これ以上、ボディタッチが続くのであれば、デートのエスコートは難しいと覚悟して欲しい。


「うーん、折角のデート取材だからね。君自身が色々と体験したことがないことを、たくさんさせてあげようかな、という私の心意気だよ?」

「ありがとう東雲さん――――程度を抑えてくれ」

「ラブラブカップルから、レベルを落とすかい?」

「ああ、付き合いたての初々しい恋人同士な感じで頼む。今気づいたけど、すれ違う独り身の人達に舌打ちされまくっているから、俺たち」


 他人に無関心な現代人が、すれ違いざまに舌打ちするレベルのいちゃつきとか、かなりやばいことに気付く。具体的に言えば、俺の精神がやばい。早急に対処する必要があるのだ。

 その旨をしっかりと東雲さんに説明すると、東雲さんは「やれやれ」と肩をすくめて俺の腕から離れてくれた。良かった、これで何とか理性を保つことができる。

 いやぁ、本当によかった、よかった……うん。


「…………」

「ちょっと、残念だと思っているでしょ?」

「んなっ!?」


 密かに東雲さんの感触を名残惜しんでいるのがばれたらしい。

 東雲さんはこちらの顔を覗くようにして、にまにまと笑顔を作って見せる。その笑顔は何処か満足げで、悪戯を成功させた子供の様だった。


「う、ぐ……も、もうすぐ二海市の資料館があるから!」

「はいはい」


 誤魔化すように俺は東雲さんの笑顔にそっぽを向いて、歩みを速めてしまう。本来なら、デートで男側が勝手に早足になってしまうのはマナー違反なのだが、平然と東雲さんは俺に付いてくる。うん、当然ですね、インドア男子の俺如きに置いていかれる東雲さんではないね。


「えー、ここが二海市の歴史や郷土資料が置いてある資料館だよ、東雲さん」


 そんなこんなで、十分ぐらい歩き続けると目的の場所まで着いた。

 この二海市立郷土資料館は、割と歴史が長く、第二次世界大戦以前より存在している建物らしい。だが、幾度も謎の火災や、爆発によって建物が破壊されているので、ここ四十年ぐらいで三回ほど改築されているという施設である。


「ほほう?」


 そのような説明をすると、案の定東雲さんが食いついた。


「なるほど、なるほど。興味深いね。その謎の火災……とやらはともかく、謎の爆発は明らかに人為的な物だろうし。よっぽど、誰かにとって消し去りたい資料でもここにあるのかな?」

「さぁ? でも、災害対策として、貴重な資料は全部複製を取ってあるらしいし」

「というか、よくもまぁそんなに被害を受けて潰れないんだい?」

「さぁ? 一説によると、ここら辺一帯の有力者が意地でも改築しているという感じらしいけど?」

「ふふふ、なるほどねぇ」


 さながら名探偵の如き知的な微笑を浮かべ、東雲さんは頷く。

 何を分かったのか、それとも何も分かっていないのかはさておき、お気に召してくれそうでよかったと思う。ドン引きされない程度に、厄っぽい名所を選んで正解だったな。


「元々、ここら一帯は土蜘蛛とか鬼だとか、そういう『まつろわぬ民』が支配していたらしくてね。度々、出兵してきた朝廷の軍とドンパチしていたらしいよ」

「ほうほう、確かに、この絵巻にもそんなことが…………翻訳してみたけど、『超強い、俺たち超強い! たかが人間如きが、俺たちに敵うものかよぉ!』みたいなノリだね、これ」

「基本的に、征夷大将軍率いる軍に討伐されるまで、悪の組織みたいなノリだったらしいぜ」


 資料館を回りながら、俺は出来るだけわかりやすく東雲さんへ二海市の歴史を説明していく。

 元々、二海市に住んでいる者であれば、学校でこの手の歴史について色々学ぶ機会があるので、大体誰でも知っていることだ。俺のように創作活動のために、過去に色々調べた経験があるのなら、この通り、外来の人へ大まかな概要を説明することぐらい簡単である。


「んでもって、流石に数の不利には勝てずに、段々と敗色濃厚になって、泥戦になるわけ。ここまでくると勝っても負けても、双方の被害が尋常じゃなくてね。こちらの大将が投降して、首を捧げることによって朝廷に下ったのだとか」

「いつか絶対ぶち殺す、みたいな言葉が資料として現代にまで残っているなぁ、これ」


 朝廷からの検閲に対して、ゲリラで対抗してきた当時の民の努力の賜物らしい。

 基本的に思考が蛮族というか、恐ろしいなぁ、ご先祖様は。


「まー、実際、朝廷から派遣されてきたお偉いさんが六人ぐらい続けて呪殺されたみたいだし。犯人を見つけて晒し首にした後でも、過去に戦乱で殺された人々の怨霊が鬼神合体して、散々暴れたとか」

「へぇ、だからここには鎮魂の舞や歌、その手の伝統文化がやたら多いんだね」

「二海市全ての小学校では、この手の伝統文芸を教える授業があるぐらいだからな。俺も舞の一つぐらいは覚えているぜ」


 基本的に体を動かすのが苦手だから、放課後に残って先生方の特訓を受けた苦い思い出だ。というか、小学校から中学校までは苦い思い出しかない。楽しい思い出とか皆無だ。きっちり落とし前は付けて高校まで進学したが、それでも振り返りたくない過去でしかない。


「ほうほう、今度舞ってよ、芦葉君」

「絶対に嫌だ」

「なんでさ?」

「体力的にしんどい。結構ハードなんだよ、あれ。本番だと、しこたま衣装を着こむから、終わった後は汗だくだし」

「その後、私が背中を流してあげると言ったら?」

「いや、『言ったら?』じゃねーよ。なんだよ、そのフリ。そこで流されたら、どれだけ俺は性欲に忠実なんだよ、馬鹿かよ」

「ふふふ、ざーんねん」


 過去の俺に、『将来、美少女と腕を組んでデートをするようになるんだぜ』と言ったら、どんな反応をするだろうか? 恐らく、真顔でブチ切れて、そんな戯言を言う奴を殴るかもしれない。あの頃の俺にとって、将来なんて物はただの絶望に過ぎなかったのだから。

 …………今の俺にとっても、将来が希望だとは言い切れないけれど。


「戯言はさておき、東雲さん。次のコーナーがこの資料館で一番面白いよ」

「次のコーナー…………んん? 私の目がおかしいのかな? 『二海市陰謀論コーナー』と、やけにポップな書体で書かれている一角があるのだけれど?」

「コーナーの内容のうさん臭さが限界突破しているから、せめて周囲を明るくして雰囲気を和らげようという館長の愚策だよ」

「愚策だったのかい?」

「可愛らしい熊や兎のキャラクターが笑顔で、『二海市の地下には聖櫃が眠っている!』とか、『二海市に存在する吸血鬼!? 数十年越しに完遂される儀式殺人の謎!』みたいな資料を紹介している切り抜き絵が張ってあったら、嫌だろ?」

「女子小学生が間違って入ったら、トラウマになりそうだね」


 実際にはトラウマどころか、『うちの子がオカルトに嵌って怪しげな書籍をねだってくる!』という斜め上の苦情が来ていたりするのだが、それは置いといて。


「でも、東雲さんはあれだよね。こういう、いかにも胡散臭そうな企画好きでしょ? 世界終末論とか、それを信じたり、振り回されたりする人々を眺めて悦に入るような」

「やれやれ、ひどい言いぐさだね。芦葉君は私を何だと思っているんだい?」

「……笑顔隠せてないけど?」

「おっと」


 東雲さんは口元の笑みを隠して、含み笑う。

 そうなのだ。散々可愛らしい美少女に擬態している今日この頃であるが、東雲さんが少しでも中身らしき部分を出すとこうなるらしい。

 ボロ出すというほど東雲さんは俺にそういう部分を隠すつもりはないらしく、俺もまた、それでいいと思っている。

 これくらい癖がある方が、取材としては有意義だろう?


「やー、女子とのデートにこんな場所を選ぶなんて、芦葉君はひどい奴だなぁ」

「言葉から嬉しさを隠しきれてない……」

「ははは、何のことだい?」

「ちなみに俺も、去年の文芸部の活動としてここの資料館に、幾つか二海市の歴史を踏まえた短編を寄贈して――」

「どこにあるか今すぐ言いなさい、直ぐに読むから」

「急に真顔になるなよ、怖い」


 東雲さんが俺の短編にかけるガチ具合が怖くなる今日この頃だった。

 ともあれ、資料館は楽しんでくれていそうで何よりである。受けを狙って、二海市の怪奇スポット周りも考えたが、我に返って正解だったな、うん。

 …………でも、デートの初手で資料館とか、ちょっと。


「実際にこれで喜ぶヒロインとか、微妙に嫌だなぁ」

「ふふふふ、流通されていない作品が二つも、ふふふふふ!」

「そして、笑顔が怖い」


 不敵な笑みで喜ぶ、美少女ヒロインみたいな人から目を逸らしつつ、俺は前言撤回する。

 貴方は癖が強すぎですよ、東雲さん。



●●●



「やぁ、満足満足!」

「東雲さんは短編を読ませれば、それでいい気がしてきた……」

「おっと、馬鹿なことを言わないでくれよ、芦葉君。まさか、丸一日、図書館や君の家で、君が書き溜めた短編をずっと読ませてくれるインドアデートなんて…………最高じゃないか」

「やめてくれ、丸一日分の短編を書き溜めるとか、精神が死ぬ」

「ふむ……芦葉君の頑張り具合に応じて、私がエッチなサービスをすると言っても?」

「心は揺らぐけど、俺はそこまでエロスに傾倒した人間じゃねーよ」

「残念無念だなぁ」


 資料館の怪しげな陰謀論コーナーで……というか、俺の短編ですっかり東雲さんは上機嫌だ。俺の隣を歩いている時に、妙にクオリティーの高い鼻歌を口ずさむし、さりげなく俺の手を握ってきたりなど、やたらと可愛らしい行動を取っている。

 これは俺の短編に対するお礼のつもりなのか、はたまた別の何かなのはさておき、手を繋がれた状態で長距離移動は俺の精神が死ぬので、そろそろ昼食を取ることにしよう。


「東雲さん、ここだぜー」

「おっと、いつの間にか目的地に着いていたみたいだね。やー、気分がいいと、時間の進みを忘れてしまう…………うー?」


 可愛らしく小首を傾げた後、東雲さんは疑問の視線を俺へ向けてくる。

 その所作が思いのほか子供っぽくて、ついつい俺は噴き出して笑ってしまい――東雲さんから逆襲として腕を抱き寄せられてしまった。


「芦葉君、説明」

「う、うっす」

「納得できなかったら、君の耳に噛みつくから」


 妙な脅しに戦々恐々しつつ、俺は東雲さんへ説明を始めた。

 そう、資料館を後にした俺たちが、昼食を取るために、何故――――この和菓子屋にやって来たのかを。

 この和菓子屋『楼明堂』は資料館が出来たのと同じぐらい昔から存在している、結構な老舗の和菓子屋だ。その和菓子のクオリティーはこの現代において、地元の住民たちはもちろん、県外からもわざわざ足を運ぶほどの美味しさである。


「お昼は此処の和菓子とか言ったら、流石に私も噛み千切るよ」

「やめて、店内で流血沙汰はやめて」


 俺は馬鹿の部類ではあるが、そこまで馬鹿ではないので安心して欲しい。つか、にこやかに白い歯を見せないでいただきたい。冗談に聞こえなくなってしまう。


「単純に、ここは店内に座敷があってさ。そこで和菓子とかを座って試食できたりするんだけど。お昼時間限定で、ちょっとした料理を出してくれたりするんだ」

「ほう。いわゆる蕎麦屋が作ったかつ丼は美味いとか、そういう類の『知る人ぞ知る美味しい物』ってわけだね。なるほど、見直したよ」

「驚かせるつもりだったけど、一体、俺を何だと思っていたのさ?」

「芦葉昭樹君だと思っていたよ」

「名前イコール罵倒みたいな感じはやめようか」


 相変わらず、所々で容赦がない東雲さんである。

 そんなこんなでようやく東雲さんの腕ロックから解除された俺は、命の危機から開放された自由を喜びつつ、座敷へと案内した。

 店内の座敷は障子によって仕切られていて、ちょこんと漆塗りのテーブルが畳の上に置かれているのみ。テーブルの上には白い紙に黒いペンでメニューが書かれているだけの、素朴なメニュー表が一枚。


「それで、おすすめのメニューとかはあるかい?」

「おすすめメニューか。あるよ、ほら」


 メニュー表に書かれている料理名はそんなに多くない。

 というか、主にうどん類だ。小麦が余りそうな時、程度にうどんを作っておいてお昼時用にストックしているらしい。基本的に、予め作られているストックがなくなれば、このプチ食堂は店じまいなのだ。まぁ、テーブルの上にメニュー表が置いてあるときは大抵大丈夫である。


「ふんふん、今日のおすすめメニューは醤油ラーメンみたいだね。うん、当たりだぜ」

「…………醤油ラーメン? 和菓子屋で?」

「あ、煮干出汁のあっさりラーメンで、にんにくとか使ってないから安心だぞ?」

「違う、そういう疑問じゃない」


 東雲さんの言いたいことも大よそわかる。

 なぜ、和菓子屋でラーメンなのかと。せめて、うどん類だろうと。そう言いたいのは分かる。だがこの醤油ラーメンは現在の店主の青春から生まれた、聞くも涙、語るも涙のバックストーリーがあったりするのだ。


「今の店長は昔、ラーメン屋になりたかったんだけど、反対されて渋々和菓子屋を継いだんだって。控えめに言ってもラーメンよりも和菓子を作る天才だったみたいで。それでも時々、ラーメンを作りたいからこうやってメニューに載せることもあるんだって」


 だが、食事前に長々と話を語るのは言うのも聞くのも面倒なので割愛させていただく。大丈夫、店長の挫折と栄光のロードは忘れないから。


「ふぅん、適材適所だけれど、やりたいことと与えられた才能は違うこともざらにあるね」

「その点、東雲さんはオールマイティだよな」

「ふふふふ、器用貧乏って奴さ」


 どちらかと言えば万能と呼んだ方がしっくりくるのだけれど。少なくとも、その器用貧乏な才能の一つに、俺はコテンパンに負けたばかりなのだけれど。

 そんな釈然としない気持ちを隠しつつ、俺は店員さんが運んできてくれた醤油ラーメンを啜る。スープを一口啜ってみれば、妙に懐かしい温かな気持ちにさせてくるあっさり魚介風味。加えて、麺も細麺でするりと喉に入ってくるからうれしい。メンマやネギ、チャーシューまでも店長の手作りなので、体に優しく、ついでにお値段も優しい優れたラーメンである。


「ん、おいしいね、これ」

「だろう? ちなみに、二十円プラスするとモチを入れてくれるサービスがあるんだよ」

「ラーメンとモチって合うの?」

「それなりに。ま、ぶっちゃけモチ君はお腹を膨らませる要員」

「ふーん」


 素朴で懐かしい醤油ラーメンに舌鼓を打ち、俺たちは楼明堂を後にした。

 さて、次の行き先なわけだが…………ぶっちゃけ未定だ。何も決めていない。その旨を東雲さんに説明しようとしたところ、会話の途中で抱き付かれかけた。流石に三回目なので、何とか回避することはできたが、なんて恐ろしいことをしやがるんだ、東雲さんは。


「ひどいなぁ、芦葉君。美少女からのハグを避けるなんて」

「ハグした後に、絶対、俺の耳を食い千切るつもりだったろ!? そうなんだろ!?」

「デートの後半がノープランな君が悪いと思うけど?」

「ごめんって! 俺の言い方が悪かった、これから説明します!」


 行先自体はノープランで、何も決めていないのは事実である。

 事実であるが、姉さんからここらへん一帯の、遊びスポットみたいなものを詳しく教えて貰っている。なので、デート後半は東雲さんと相談しつつ、デートの定番というか、取材として有意義に使えそうな場所を選んでいこうと思っていたのだ。


「ノープランじゃないじゃん。色々考えているじゃん」

「一度、ノープランって言ってみたくて――ごめん、ごめんって!」

「君の血の味を知りたい」


 吸血鬼化した東雲さんを何とか宥めて、俺たちは午後のデートプランを一緒に考えることになった。ちなみに、諸々の資金のために貯金を下ろして来たので大丈夫だと胸を張ったら、笑顔で『普通はワリカンでオッケーだよ?』と答えられた。そうだったのか……姉さんからはそういうデート費用は全部男が出すんだぜ! と言っていたが、うーん?


「ともあれ、後半はまともな定番デートスポットに行きますか」

「ああ、君にもまともじゃないって自覚はあったわけだね?」

「そりゃあ、初手資料館で、ご飯が和菓子屋とか、控えめに言っても馬鹿としか――」

「ぎゅー! がぶぅ!」

「ぎゃぁああああああああっ!!」


 美少女に抱き付かれた後、耳じゃなくて首を噛みつかれました。

 とても痛かったです、はい。



●●●



 結局、東雲さんと話し合った結果、とりあえずラノベや漫画、アニメなどで定番のデートスポットとか、遊ぶ場所を巡ろうぜ、という結論に落ち着いた。

 近場のゲームセンターで東雲さんが、レースゲームやシューティングゲームのハイスコアを総て塗り替えたり、二人で入ったカラオケでは思わず俺が落涙するほどの美声で熱唱してくれた。俺はなんというか、ほとんど東雲さんに振り回されてばかりだったけれど、振り回されながらも、終始、笑っていたような気がする……その倍以上、ツッコミ役になっていたような気がするけれども。


 ともあれ、午後は東雲さんの頭のおかしい超人っぷりをたっぷりと確認するようなデートだった。やはり、とことん思うのだが、東雲さんと俺では釣り合わない。精々が、たまにツッコミキャラとして出てくる脇役程度の役どころが限界ではないだろうか?

 いや、そうだとしても、もう東雲さんに挑むことを決めてしまった俺にとっては、ある意味今更で、心折れるようなことでは無かったけれど。

 そんな、暴れ馬に振り回されるどころか、市中引きずり回しにされるようなデート後半も何とか耐え抜き、時刻は午後六時過ぎ。段々と陽が沈んでいく時間帯である。


「…………耐えた、耐えたぞ、俺は……東雲さんの無茶振りから……周囲の視線から!」

「大げさだなぁ、芦葉君は」

「前半は腕組で往来の視線が胃のダメージを! その上さ! 途中、カラオケで85点以上取らないと往来の街道でキスするとか、訳のわからない罰ゲームを言い出すから、俺がどれだけ喉を枯らしたことか!」

「後半、かっすかっすだったからね、声」


 くふふ、と東雲さんが含み笑うが、俺としては笑い事ではない。

 デートの締めはキスに限るでしょ? とか訳の分からないことを言いだして、俺の心臓をダイレクトアタックしただけでなく、一曲歌い終わるごとにボディタッチもしてくるから厄介だった。緊張が緊張を呼び、声が震えて、まったく実力を出せず……しまいには国家を歌いながら、カラオケの個室内を逃げ回る始末。

 くそう、カラオケ前半は東雲さんの美声に酔いしれるほど感動して、このデートが出来て良かったと思ったのに。


「でも、楽しかったでしょ?」


 そんな俺の苦労など知らないのか、あるいは知った上でそうしているのか。東雲さんはにまにまと悪戯っ子のような笑みを俺へ向ける。

 まったく、美少女はずるい。かなりの苦労を掛けさせられたはずなのに、こういうことをされると、それだけで許してしまいそうになる。


「…………ま、あ。積極的には否定はしないよ」

「くふふふふ。それじゃあ、頑張った子にはご褒美を上げないとね。はい、これでも舐めて、機嫌を直したまえよ」

「ん? 何だこりゃ?」


 東雲さんはジーンズのポケットから、透明なビニールに包まれた赤色の飴玉のようなものを取り出す。いや、ような物というか、そのまんま飴玉っぽいけど。


「のど飴みたいなもんだよ。甘酸っぱくておいしいよ?」

「ふーん、それじゃあ、遠慮なく」


 カラオケを終えてから三十分経ってもまだ声が擦れることがあるので、俺はありがたくその飴玉を頂戴する。

 ふむ、甘酸っぱいリンゴ味で実に美味しい。舐めれば舐めるほど、体の奥から活力が湧いてくるような気分になれるな。


「うみゃい」

「それは何より」


 飴玉を舐める俺を、微笑と共にじぃっと眺める東雲さん。

 あまりにもずっと見つめてくるので、俺は戸惑いながら東雲さんへと尋ねかける。


「えっと、何かな?」

「や、この後はデートどうするのかなって?」

「デート? ああ、普通に解散の予定だぜ。さすがに夕食まで一緒に居ると、あたりが暗くなって補導される可能性も出てくるだろ?」

「ふんふん、なるほどね。ここで解散とは残念だよ、芦葉君。君が望むのなら、このまま明日の朝まで一緒に居てもいいのに」

「あははは、名残惜しむぐらい楽しんでくれたかよ?」

「ええ、とても」


 気づくと、微笑を浮かべる東雲さんの顔が、すぐ近くまであった。いつの間に、と思う暇もなく、俺は息を止めてしまう。前回と同じく、己の鼓動だけがやけにうるさく感じて、周囲の音すらも全く聞こえなくなってしまった。


 ――いや、今この瞬間、本当に人は周囲に居ないのかもしれない。


 往来の街路だというのに、そう錯覚してしまうほどの静寂の中、東雲さんはゆっくりと形の良い唇を動かす。


「本気になっちゃいそうなぐらい、楽しかったよ?」


 紡がれた囁きは、舌先から感じる飴玉よりも甘い。

 甘く、脳髄を溶かしそうなほど甘い囁きが、俺の耳朶を震わせる。


「だから、ここから先は取材じゃなくて――――ねぇ、本当のデートをしよう? 恋人らしく、明日の朝まで一緒に居よう?」


 それは万人を堕落させる甘い蜜だ。

 それは男にも、女にも抗えない誘いだ。

 ああ、こんなに美しく、甘い言葉で囁かれれば、誰しも理性を失って彼女の下に傅くだろう。


「笑わせるな、東雲彩花」


 だからこそ、そう、だからこそ、俺には通じない。

 万人を下す魅了だからこそ、俺はそれに反抗する。叛逆する。抗いて、笑う。

 口内の飴玉を噛み砕いて飲み下し、犬歯を剥き出しにして、笑って見せる。


「こんな茶番で、誰かに恋するような乙女かよ、お前は」

「…………くく、くふふふ」


 青い目を細めて、東雲彩花は楽しげに笑う。

 心底、愉快そうに俺を見る。慈しむように、愛おしく思うように、嘲るように。


「ははははは! はははははははっ! いやぁ、実に愉快だ!」


 ついには、涙に目を溜めて、哄笑が周囲に響き笑うほどにまで、東雲彩花は笑う。

 そして、周囲の人間はいつの間にかいなくなっていた。

 街を歩く人も、道路を走る自動車も、何も居なくなって。まるで、この黄昏の中には俺と東雲彩花しか居なくなってしまったような、そんな恐れを抱くほどに、何もいない。

 けれど、異常な世界へ恐れを抱き震えるよりも、俺には先にやるべきことがある。

 さぁ、口を開いて舌を動かせよ、俺! 目の前の超人へ、挑戦しろ。


「そもそも、だ。お前は本当に『人間』に恋するように出来ているのか? 俺には、とてもそう見てないんだが」

「く、くくふふふっ! ひどいなぁ、芦葉君は! 私はこんなに君のことが好きなのに!」


 大仰に手を広げて、笑いながら嘆く東雲彩花へ、俺は冷たく告げる。


「だから、笑わせるんじゃねーよ。仮にお前の好意が本物だったとして、それは慕情じゃねーだろ? どちらかといえば――――『捕食者側が捕食対象に向ける好意』だろうが」


 そう、例えるのなら、子供がハンバーグを大好きと言うように。東雲彩花も、俺の事を大好きと言うのだろう。デート中、感じていた好意……いや、それ以前から感じていた好意にも、似たようなニュアンスだった気がする。


「くふふふ、おかしいなぁ。君の作品はともかく、君自身は楽に籠絡できるような、碌に恋愛経験もない可愛らしい童貞さんだったと思ったのに?」

「もちろん、俺は童貞だぜ? ああ、女子と付き合うどころか、女友達も居ないような、情けない男子高校生さ。けどな?」


 事前に姉さんから東雲彩花に対する忠告を受けたこと。

 そして何より、デートの最初……意識を失った時に視た白昼夢。そこで、懐かしき類似した将来像を思い出せたことが、絶対たる誘惑を退けられた要因である。

 なぜならば、


「だからこそ、どれだけ俺の心が籠絡されたとしても、俺の肉体が、俺の記憶が、直ぐに覚めさせてくれるんだよ。冷めさせて、目覚めさせてくれるんだ。都合の良い夢を見てんじゃねーよ! ってな」


 俺が誰かに好意を持たれるということ自体、何かのご都合主義でしかありえない。

 さながら、都合よく主人公に惚れてくれるライトノベルのヒロインのように。

 空から美少女が降ってくるように。

 そんなご都合主義でもなければ、俺が誰かに好かれて、誰かを好きになるなんてありえない。

 そして、そんなご都合主義は現実に存在しないのだ――――絶対に。

 俺に都合のいい運命など、存在しない。


「つーか、誰かに好かれるような行動もしていないのに、都合良く誰かが俺を好きになってくれるなんて、有り得ないってーの」

「そうかな? 現に、私は君の作品の熱狂的なファンだと思うけど?」

「作品を好きになっても、作者を好きになるとは限らねーだろ。まして、アンタだぞ? 他ならぬ東雲彩花だぞ? ろくな恋愛経験も無いような男子と少し絡んだ程度で、恋に落ちるようなタマかよ、アンタ?」


 俺がそこまで言うと、東雲彩花はやっと下手に取り繕うのを辞めたのか、肩をすくめてみせた。肩をすくめてみせて、ようやく俺から一歩離れる。


「あーあ、ばれたか」


 東雲彩花は残念そうに、けれど愉快そうに呟く。


「楽に落とせると思ったんだけどね、君は」

「そりゃ残念だったな。俺がひねくれて、拗らせた童貞だったことを後悔すればいい」

「後悔? なんでだい?」


 次の瞬間、俺は自分にまともな視覚があったことを後悔した。


「これからが、面白くなるところだろう?」


 美しかったはずの東雲彩花の微笑が崩れて、歪んで、口元が三日月に歪められて。その瞳が、碧眼が、黄昏に当てられて奇妙に、『赤く』見えてしまったのだから。

 天使の如き東雲彩花の美貌が、その時だけはとても悍ましく、魂が凍える何かに見えてしまったのだから。


「な、なんだよ、お前は。まさか、『演者』だとか言い出さないよな?」

「ふぅん。演者……ね。随分としゃれた言い回しだけど、誰に教えて貰ったのだろうね、芦葉君は? くふふ、まぁいいよ。多少のネタバレがあっても、面白ければ、それでいい」

「…………本当に、何なんだよ、お前は」


 誘惑を打ち破ってみたものの、俺如きには東雲彩花の思惑を察することなど出来ない。限られた材料で、真実を掴むことができるのは名探偵か主人公だけだ。

 俺は、どちらでもない、ただの男子高校生に過ぎない。

 だから、俺は本人に、東雲彩花に訊ねるのだ。


「いや、何者であるかとか、そういうのはどうでもいい。問題は――お前は一体、何をしたかったんだよ? 俺に、何をさせたいんだよ?」


 東雲彩花が、俺のような冴えない男子高校生に近づいた理由を。


「何をしたいか? 何をさせたいか? ふふ、くふふふ」


 東雲彩花は歪ませて笑う、邪悪に笑う、笑って、嗤って。


「忘れたのかい、芦葉君? 私はちゃんと君に言っていたはずだよ?」

「……なに、を?」


 世界全てを足蹴にするような笑みで、東雲彩花は俺へ告げたのである。


「私は君の物語を読み来た、ってね」


 それは確かに、東雲彩花が言っていた言葉であり、そして、どこまでも東雲彩花という存在は俺の作品のファンであることを証明していた。


 ―――狂気すら、感じてしまうほどに。

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