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第4話 変わらない日常と、変わっていく何か

 人生に関わるような決断をしたと思っていても、直ぐに日常は変化しない。

 当たり前だ。現実はノベルゲームでは無い。人生は選択一つで変化する可能性はあるが、あくまでも可能性だ。

 選択した想いを持ち続けなければ、人生など早々変わりはしないのだ。

 それは、俺、芦葉昭樹にとっても同じである。


「だが、お前にしては頑張った方だと思うぞ、芦葉」

「そーっすかねぇ?」


 東雲さんとの対話から、俺が挑むと決めた日から三日経過した。

 その間、特に何か変わったことは無かった。そう、まるで無かったのである。でもまぁ、考えてみれば、当たり前だ。


 例えば、これが何かスポーツをやっている二人の対決だとしたら、翌日から同じ部活で鎬を削るような日々が始まるだろう。だが、俺と東雲さんの対決はあくまでも作り上げた『作品』同士の対決だ。しかも、勝負は俺が短編を書き上げない事には始まらない。

 …………なんというか、その、体中の勇気を振り絞った決断をした割には、全然日常のルーチンが変わらなくて戸惑っている俺が居ます。


「日常のルーチンが変わらない? 当たり前だろうが、んな物は。お前と言う人間が十数年かけて培ってきたルーチンだぞ? たかが十分ちょっとの行動で変わるものかよ」

「ですよねー」

「正確に言えば、無理に変える必要は無い、だな。お前はまだ学生であり、プロを目指しているわけでもない物書きだ。学業を疎かにして、己の夢に向かって全てを燃やす……なーんて、馬鹿げたことをやる人間じゃないだろう?」

「ご明察。俺が出来ることと言えば精々、頼りになる先輩に出来上がった短編を添削してもらうことぐらいですね」


 日常は特に変わらない。

 けれど、小説を書くためのバイタリティーが段違いの上がったのは確かだった。三日の内で同人誌に乗せる短編を書き上げて、隼人先輩に見せることが出来た程度には。


「…………ふん、同人誌に乗せる奴はタダでやってやる。それ以外は対価を寄越せ。一つの短編につき、缶ジュース一本で良い」

「さすが隼人先輩! 謙虚で頼れる三年生ぃ!」

「ただし、長編を読ませようとした場合は五千円ぐらい払えよ、お前」

「遠回しに長編は読ませるなと言っていますね、先輩」


 当たり前だ、と隼人先輩は苦虫を噛み潰したような顔で答える。

 そんなに俺の長編はダメダメだろうか? いや、確かに書き上げて一週間ぐらいした後に読むと、書き直す気力すら失せるレベルの駄作だったことが多々あるけれど……うん、そうだね。駄作と認めている時点でダメダメだね。


「ま、あちらさんが望んでいるのは短編ですし、当分長編は書く予定ありませんよ」

「ほほう、尽す男か?」

「出来るならば、打ち倒す男に成りたいですね」

「なるほど、ライバル関係ってわけか。その割には役者が釣り合ってないぞ」

「それは、うん、重々承知ということで」


 承知の上で、俺は東雲さんに勝負を挑んでいる。

 もちろん、今書き上げているたった一つの作品で勝利を掴めるとは思わない。思わないので、東雲さんと俺が同じ学校に居る間、その間は絶え間なく勝負を挑もうと思う。

 ありもしない才能が塵になるほど、燃えてやろう。


「…………ふん、それも一つの選択か」

「何ですか、隼人先輩。そのよくわからない表情。憐れんでいるんだか、呆れているんだかどっちかにしてくださいよ」

「どちらにしたとしても、お前にとって良い評価にならんぞ?」

「憐れまれるよりは、呆れられる方が数段マシですね、俺は」

「そうか。奇遇だな、実は俺もそうだ……だから、呆れていたことにしておいてやる」

「はは、どうも」


 片目を瞑って、頬杖を着く隼人先輩の姿は妙にニヒルで格好良かった。

 声はともかく、顔は自他ともに認めるカエル顔だというのに、先輩はいちいち所作が格好いいのだ。そう、常に格好つけている。それも、周囲から嘲笑の対象として弄られるのではなく、感心の対象として認められるほどに。


 だから隼人先輩は意外と結構モテモテだったりするのだが、恋人は居ない。強いて言うのなら、恋人は二次元と前に言っていたような気がする。さすが過ぎるぜ、隼人先輩。


「それで、本題だが」

「本題?」

「貴様の短編の話だろうが、この野郎」

「ああ、そうでした」


 短編の事はついつい忘れてしまうから困る。

 別に俺にやる気が無いわけでは無いのだが、短編はこう、きっちりと書き終わると俺の中では既に完成してしまっているのだ。下手に駄作な長編よりも、完成した短編は俺の中では終わっている事なので、ついつい思考の流れから取りこぼし易くなっているのである、と俺は考えている。

 そうでもなければ、ライバル宣言をかました三日後に完成させた作品だというのに、短編とはいえ、己の作品に執着が無さすぎるだろう、俺。


「まったく、そんな態度の癖に書き上げてくる短編の出来は相変わらずだ」

「ということは成長なしですか?」

「そんな簡単に成長してたまるか、つーかな、芦葉」


 隼人先輩はため息を一つ吐くと、渋々といったように言葉を紡ぐ。


「あー、あれだ、『相変わらず』ってのは、『相変わらず良い作品だ』ってことだよ、ったく。言わせるな、面倒だ」

「隼人先輩って、褒める時は渋々褒めますよね、大抵」


 もしくは真正面から恥ずかしげも無く、堂々と褒めるのだ、この人は。例え教室の人が残っていようが、居まいが、隼人先輩は言葉を惜しまず、周囲によって態度を変えてない。飾らない。飾らず、己の心に従って動く……だからこそ、尊敬に値する人なのだ。


「当たり前だ、阿呆。俺が毎回同人誌に乗せるレベルの短編をぽんぽん書く癖に、それに満足せずに傑作を書きたいとか……しかもあの『ウエスト』が書いたコミカライズすら及ばないような短編とか……傲慢にも程があるぞ、お前」


 なので、基本的に隼人先輩の言葉は大体が正しい。

 『ウエスト』とは東雲彩花が自らのサークルで使っているペンネームだ。プロをも超える美麗なイラストと、読者に生きも吐かせぬ展開を描く漫画。しかも、二次創作はほとんどやらず、大体の作品がオリジナル。それも、あまりにも人気過ぎて最新作が出る時に過去の作品の再販をしても、常に品薄。初回盤にはかなりのプレミアが付いているという噂だ。


 こんな、新人賞の一次選考すら通らないような俺が軽々しく『挑む』などと言っていい相手では無い。

 ――だから、軽々しくではなくて、きっちりと全霊を込めて宣言したのだ。


「でしょうね、我ながら傲慢極まりない。正直、馬鹿じゃないかと思いますよ? だってあれでしょう、これ。メジャーリーガーに、草野球やっている奴が挑むようなもんでしょう?」

「いや、さすがにもうちょっとマシだぞ?」

「いやいや、少なくともこれくらいの差はありますって。これくらいの差があると思って、俺は挑んでいます。それくらいは覚悟で挑んでいるんです」


 だって、と俺は言葉を繋げた後、ぎこちない笑みを浮かべて言う。


「悔しいって、勝ちたいって思ってしまったから、仕方ないじゃないですか。男ですもん、俺」

「…………そうか」


 嵐の中で船を出すような愚か者を見るように、隼人先輩は呆れている。呆れて、ため息を吐いて、けれど、どこかおかしそうに笑った。


「なら、しかたねぇな」

「でしょう?」

「ああ、男ならしかたねぇよ、まったく」


 笑って、理解を示してくれた。

 この俺のどうしようもないほど、身の程知らずの意地を。風車に挑む騎士の如き、愚かな願望を認めて貰えた。

 それだけでも、俺が東雲さんに挑んだ甲斐があったと思う。


「芦葉昭樹、お前は本当に馬鹿だな」

「どうやら生まれつき、こうみたいでして」

「救いようがないぞ」

「救われたいと思うほど困ってはいませんぜ」


 俺と隼人先輩は楽しげに会話を交わす。

 こういう格好つけた会話は隼人先輩としか出来ないから、地味に嬉しい。なにせ、他の奴らにやったらきょとんとした顔をされてこっちが恥ずかしくなるだけだから。


「でも、お前は多分、それでいいんだろうな」


 隼人先輩は納得したように頷いた後、笑みを消して俺へと告げる。


「だから、芦葉。俺からお前に送れる忠告があるとすれば、一つだけだ」

「忠告、ですか?」


 今までの会話が忠告だった気がするが、違うのか、そうなのか。


「いいか、一度しか言わないからよく聞けよ?」


 周囲に視線を巡らせた後、隼人先輩は声を潜めて言う。


「東雲彩花。奴は天使様なんて呼ばれることもあるが、見た限りでは本質は真逆だ。いいか、これは悪口でも悪意からくる中傷でも、嫉妬から来る戯言でもない。だから、できればこの言葉を『どうしようも無くなったとき』に思い出せ。いいか? 奴の本質、それは――――」



●●●



「やぁ、芦葉君。短編が出来たんだってね、さっそく見せておくれよ」


 隼人先輩と別れて部室へ行くと、そこには美少女が居た。東雲さんが居た。優雅に椅子に腰かけて、のんびりと麦茶を紙コップで飲んでいる。

 不思議な物だ、彼女が口にすればパックの麦茶ですら品格が漂ってくるのだから。

 まぁ、それはともかくとして。


「東雲さん、何故文芸部の部室に? 入部しないで下さいってお願いして、了承してもらえたと思ったんだけどな、俺」

「安心して欲しい、約束と契約は守る主義なんだ、私は。ここに来たのは別に気が変わったわけじゃなくて、君の短編をいち早く読むために来たんだよ」

「俺の短編が完成したことは、今のところ前部長にしか言ってないわけなんだが?」

「ふふふふ、細かいことは気にしない方が生きやすいよ」


 微笑みと共に、遠回しに『詮索するなよ?』と釘を刺してくる東雲さん。

 何この人、めちゃ怖いんだけど。

 そりゃ、さっきから後輩二人が俺の両腕にしがみ付いて震えているわけだよ、うん。つか、高校生にもなってその怯えようは、さすがにどうかと思う訳なんだが。


「先輩、芦葉先輩ぃいいっ、はやく、その恐ろしい人をどうにかしてください」

「むーりぃ! 猛獣の目の前で部活動なんてむーりぃ!」

「ええい、柔道有段者の癖にお前等、なんだよその怯えようは、まったく」

「先輩はクソ雑魚過ぎて、力の差を理解できていないというかー」

「ぶっちゃけ、猫の腹で眠るハムスターみたいな状態」


 高橋と姫路が露骨に俺をクソ雑魚扱いする件について。

 つーか、何? 俺ってそんな野生を失ったペットみたいな雑魚なの? 確かにインドア人間だけど、もうちょっとマシな例えをしてくれると思ったよ。


「そのハムスターにしがみ付いているお前らは何だよ」

「どうも、ノミ虫一号です」

「二号でーす!」

「「寄生させて下さい、お願いします」」

「防除するぞ、てめーら」


 ここまで高橋がへこむのは初めて見る。姫路に関しては、常に頭が軽い感じなのだが、今は生命の危機を優先しているのだろうか? 本能が訴えかけてくるレベルで東雲さんが苦手なのだろうか、二人とも。

 仕方がない、口が悪い後輩共でも大切な部員に変わりはないからな。


「あー、悪いな、東雲さん。後輩共が怯えるので、場所を変えよう」

「君の短編が読めるのなら、どこでもいいとも。図書館なんか、どうだい?」

「別にいいけど、東雲さんが行って騒ぎにならない?」


 俺のイメージとしては、東雲さんの周囲には常に人が集まっているのだが。廊下を歩いている時に、色々声をかけられたり、図書室に居る姿を見るために人が集まってくるとか、ありそうな物だけれど。


「くふふふ、なんだい、それ」


 けれど、俺の心配を東雲さんは苦笑して否定する。


「私は一体、どんなラノベヒロインなんだい? 現実的に考えて、そんなことあるわけないじゃないか。転校初日ならともかく、美人は三日で飽きると言うしね」

「そんなものかねー?」

「うん、そんな物だとも…………それに」


 笑みを深めて、ぼそりと俺に聞こえないような声量で東雲さんは呟く。

 うん、こちらに聞こえないように呟いたんだろうけど、聴覚は良い方なんだよね、俺。でも、気の所為とか、聞き間違いとか信じたいと思う。


 『よく躾けてあるから』なんて、きっと東雲さんは言わない。クラスメイトをナチュラルに見下している東雲さんなど居るわけが無いのだ、きっと。


「ん、そんな微妙な顔をしてどうしたんだい、芦葉君。ただでさえ冴えない顔が、余計に変になっているよ?」

「はははは、東雲さんは意外と容赦ないね、毒舌キャラ?」

「私が舌禍を扱う時は、既に君の心は折れていると思うから、安心して欲しい」

「安心できる要素が一つもねぇよ、ちくしょう」


 愉快な掛け合いをしながら、俺と東雲さんは部室を後にした。

 ここ数日で分かったことだが、東雲さんは割と言葉に遠慮が無い。容赦がないと言い換えても良い。クラスの中に居る時はもう少し猫を被っているらしいのだが、それよりも一歩親しくなった奴らの間では、割と知られていることなのだとか。


 そうなってくると俺も東雲さんと親しいと言うことになるのだろうか? いや、なんか嫌だから、知人同士みたいなニュアンスに留めておこうと思う。


「原稿はもう印刷しているのかい?」

「ああ、前部長にチェックしてもらってきたからな。読みやすいようにプリントアウトは済ませてある。ほら、これ…………おい、読むのは図書館に着いてからだろ?」

「むぅ」


 唇を尖らせながら、東雲さんは廊下を歩く足を速める。

 そんなに早く俺の短編を読みたいのだろうか? うん、読みたいんだろうな。俺としても、作者冥利で嬉しい限りだ。


「はい、着いた! 図書館に着いた! 原稿、原稿!」


 嬉しい限りだが、図書館に着いた途端に手元から原稿をひったくらないで欲しい。気のせいかもしれないが、俺の短編が絡むと東雲さんの行動が単純というか、幼くなるような気がする。


「はいはい、静かに読んでくれよ、図書館だからな」

「ふふん、当たり前だよ、芦葉君。私を誰だと思っているんだい?」

「さっきまでの行動を思い出してみろよ、お前」


 三日前までは東雲さんがこんなに愉快な人だとは思わなかったぜ、まったく。

 いや、これは俺を安心させるために意図的に振舞っているのかもしれないが。かもしれないが、もしも俺の短編が何かしら東雲さんに影響を及ぼした結果であるのならば、少しだけ誇らしいと思う。うん、ほんの少しだけ。


「さて、と」


 東雲さんが俺の原稿を読み終えるまで、何か適当な本でも漁って暇を潰そう。

 どうせ短編だし、さっさと読み終えるだろうけど、何もしないで居るのは空気的に辛い。放課後の図書館に人はほとんど居ないが、司書の人が目を丸くして俺の事を見ているもん。うん、気持ちは分かる。俺だって、俺みたいな奴が東雲さんと一緒に行動していたらびっくりさ。

 はい、そんなわけで適当に詩集でも読んで待っていようかと思ったのだけれど、


「すぐに読み終えるから、隣にいるように」

「えっ?」

「え、じゃないよ。なんでわざわざ離れた席に座るんだい? 返って恥ずかしいよ、そういうのは。ちゃんと隣に居なさい」

「…………はい」


 学生服の襟を掴まれて、そのまま東雲さんの隣の席へ腰を落ち着かせることになってしまった。いや、全然落ち着かないけどね? 無駄に緊張するというか、近くに居るとどんな香水とも違う美少女の良い匂いというか、脳みそを溶かすような匂いが鼻腔を擽るのだ。異性ならもちろん、同性であったとしてもこの匂いに抱かれれば、理性を溶かされて抵抗できないだろう。

 や、そんな機会なんて一生来ないだろうけどさ。


「…………」

「…………ふふふっ」


 俺の短編に目を通しつつ、柔らかく微笑む東雲さん。だけど、きっちりと俺の方にも意識を裂いているので、さりげなく席を離したら次は結構な真顔で怒られそうな気がする。

 うーん、まだ詩集を取りに行ってないんだけどなぁ。

 仕方が無いので、椅子に腰を落ち着かせて、隣の東雲さんを観察することに。


「…………っ、ぐ」


 観察することにした、のだけれど、至近距離で東雲さんの美貌を目にしたら息が止まった。誇張無く、呼吸困難に陥る所だった。何度も思うかが、なんなの、この人の美貌。これだけ至近距離で観察しているってのに、汚い部分や醜い部分がまる見当たらない。


 白い肌はどこまでも透き通っていて、手を添えれば極上のシルクにも勝る手触りを得られるだろう。柔らかく微笑む顔の造形は、神様が一つの世界を創るのと同じぐらい時間をかけて、じっくりと突き詰めたかのように美しい。

 完全なる、人間の美だ。


 そこに存在するだけで、現実感が薄れていく。

 二次元でも、三次元でもない、何かよくわからない次元の領域に達しているような究極に近しい姿だ。人間と呼ぶのも疑わしく、天使と呼ばれた方が納得するほどに。


 だが、東雲彩花は人間である。

 人間を超越したような美貌を持っているが、辛うじて肉体の性能は人間の範疇だ。中身も、何度か会話を交わしていくうちに人間らしい面を見つけられた。

 だから俺は、東雲彩花は天使では無く、人間だと思う。

 ――――あくまでも、現時点ではという注意事項が付いているが。


「はーふぅ、うん、読んだ読んだ。やっぱり、君の短編は私の好みど真ん中だよ、白滝レンコン丸先生」


 などと俺が東雲さんを観察やら推察している内に、東雲さんは俺の短編を読み終えたようだ。


「そりゃどうも。参考までに聞きたいんだけど、どういう所が好きなの? 俺の短編」

「んー、雰囲気と言うか、空気と言うか、文章のリズムと言うか」


 珍しく、東雲さんが饒舌になっている。図書館に居ることを忘れ、声を潜めるのも忘れてしまうほどに。しかも、何時も浮かべているような完全な笑みでは無く、嬉しさが零れて自然と浮かんだ笑みを浮かべている。

 うん、この笑みはやばいな。最初に出会った時、こんな笑い方をされたら、その瞬間にクラスメイトの大多数のように心を奪われて崇拝していたかもしれない。今は色々と内情を知っているので、ときめき程度で抑えられているが。


「ふふふふ、それで、やはり君の作品で一番気に入っているのは、登場人物の愚かしさだよね。人間の愚かしさがよく描かれているというか、でも、その愚かしさを上手く綺麗に見せているというか。そういう汚い物を逆に美しく見せるころとか、私のツボだね」

「お、おう……そこまで語ってくれるとは思わなかったぜ」

「大ファンだからね、私は。君の作品を目当てに転校してくるぐらいには!」

「はははは、そっかぁ……え?」

「…………あー」


 あれ、何か東雲さんがおかしなことを言ったような気がするぞ? 露骨に目を逸らしているし、冷や汗掻いているし。というか、冷や汗とか存在してたんだな、東雲さんに。また新しく東雲さんの人間味が発見できて、良かったと思う。

 それはさておき、だ。


「あれ? 東雲さんって、両親の仕事の都合でこっちに来たんじゃなかったっけ?」

「白滝レンコン丸先生の作品は私的に最高だけど、恋愛描写にリアリティがないと思うよ」

「話題を逸らすために俺の作品を的確に批評するのはやめてください、泣きたくなる」

「恋愛経験の有無が作品の出来に直接関連するわけじゃないけどね、恋愛を絡めた作品を書くならそれなりの取材は必要だと思うよ。フィクションの中でも、ほんの少しのリアリティが作品の出来をぐっと良くすることもあるから」

「わかった、止めよう、この話は俺が悪かった、悪かったからやめてください、お願いします。辛辣な先輩に唯一褒められていた短編まで粗探しされると、俺の心がやばいです」


 的確な批評が必ずしも作者を成長させるとは限らないのだ。だって、基本的に否定されるよりは、肯定されて褒められたい生き物だもの、物書きって。

 ただ、褒められてばかりだと心配になるから適度に的外れでは無い批評を受けて、『俺もまだまだだな、頑張ろう』という気分の入れ替えが必要なのも事実なのである。ようはバランスだ。褒められ過ぎても、指摘されすぎてもバイタリティーが著しく低下してしまう。


「ふふふ、勝ったね」

「もう俺の負けで良いよ……さっさと図書室から出ようぜ、なんかもう注目集めちゃってるもん、俺たち」


 気づけば図書室の周りに人が集まり始めていた。恐らく、超絶美少女な東雲さんがよくわからないクラスカースト番外と絡んで、楽しげにしていたからだろう。しかも、周囲の人達から浴びせられる視線は嫉妬や怒りでは無く、『なにこれ面白い』という純粋な興味という。

 違うよ? 漫才では無いよ? 何か面白い事をやらかしに来たわけじゃないよ。


「ならば良し、敗者である君は私の背中を追ってくるがいいさ」

「はいはい」


 とても機嫌が良くなった東雲さんは、鼻歌交じりに図書室を出ていく。もちろん、集まった人たちは東雲さんの邪魔にならないように素早く解散していた。

 なんか、訓練されているっぽい動きなんですが、あの人達。


「あ、そうそう芦葉君」

「なんだよ、東雲さん」


 東雲さんの背を追いつつ、それは身構える。

 これ以上の追い打ちがあったならば、俺は負け犬の如き遠吠えを叫びながら、廊下を駆けだしてしまいそうだったから。


「短編のお礼がまだだったね」

「お礼? いや、別にそんなのはいいけど。元々、先輩の同人誌に乗せる予定の短編だったし」

「んー、そうだとしても、これから短編をたくさん書いてもらう予定だし。その度に何の対価も無しはちょっとねー」


 たくさん書かされる予定だったのか、そうなのか。


「だからさ、ちょっと良いことを思いついたのだよ」

「良いこと?」


 東雲さんはくるりと、スカートを翻しながら華麗に振り返る。

 その時の表情は、まるで悪戯を思いついた子供の様で。瞬間、俺は否応が無しに嫌な予感を得てしまった。ああ、ろくでもないことになるぞ、と。

 そして、その予感は的中してしまうのであった。


「今度の週末、私とデートしようよ、芦葉君」


 三十秒ぐらいかかって、ようやく東雲さんが言った言葉の意味を理解する。


「…………は?」


 理解して、けれど言葉の意図はさっぱり分からなかった。

 デート、何故に? どうして、東雲さんと俺がデートを? 意味が分からない。俺たちはそういう関係では無かったはずだし、これからもそういう関係にならないと思うのだが。


「そこはもうちょっと喜ぶが、焦るか、顔を赤くしたりして欲しかった所なのだけれど?」

「いや、意味不明なんだけど、東雲さん」

「意味、ふふふ、意味ね、そうだねぇ」


 にんまりと笑顔を作ったまま、東雲さんは思案する仕草をして見せる。

 けれど、まぁ、あれだ。東雲さんが何を言おうが、俺はデートなんてやるつもりはない。俺はそんなとち狂った真似ができるほど頭のネジが緩んでいない。だって、東雲さんだ。美少女だ。将来は万民を統べてそうな東雲さんだ。そんな人と一緒にデート? は、せめて転生してもうちょっとまともな人間に成ってからやれ、という話だよ、俺。

 このネガティブな決意は、例え東雲さんのカリスマを以てしても挫かれない――


「恋愛描写が甘かったから、その取材を私とやらないかい? 白滝レンコン丸先生?」

「はい、是非お願いします」


 挫かれました。

 小説を引き合いに出されると、断れるわけがないじゃん、さっきの流れで。

 えー、そんなわけで、週末にデートの予約が入りました、うん。

 …………おっかしいなぁ、人生初デートなのに、ワクワク感よりも先に胃痛がやってくるんだけど?


「ふふふふ、それじゃあ、デートの際はエスコートよろしく頼むよ、芦葉君」


 そんな俺の胃痛を察してか、どうなのかは知らないが、東雲さんは実に楽しそうでした。

 ああ、やっぱり東雲さんって容赦ないぁ、ちくしょう。

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