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第3話 検討の後、決断

 いきなり現実離れした美少女に接近されて、冷静な判断を下せる人間は多くない。少なくとも、俺は冷静な判断など出来なかった。

 なので、とりあえず返答は保留させて頂き、東雲さんには後日連絡すると言うことで何とか話を通した。もっとも、「じゃあ、今日は部活動を見学したいな」の言葉によって、俺たち文芸部三人の緊迫した数時間が始まってしまったのだが。


 ともあれ、様々な決断を下すためにはしっかりと検討を重ねることが大切だ。そして、検討するために必要なのは、自分だけの考えでは無くて、他者の意見も取り入れること。そうすることによって、自分だけでは得られない新しい発想を得られたりするのである。

 ただ、手ごろに呼び出しに応じてくれて、相談にも乗ってくれる相手となると、俺は一人しか知らない。


「やはー、芦葉君。お待たせー」

「おお、来てくれたか、健治」


 場所は駅前のファミリーレストラン。

 待ち合わせの人物は、俺の唯一の友達である吉川健治だ。部活動終了後、連絡してみた所、二つ返事で快く相談を受けてくれたのである。

 うむ、やはり持つべきものは友達だ。たった一人でも、友達である、おういえ。


「急な話で悪かったな。ただ、どうしてもお前に相談したくて」

「おー、芦葉君が俺を頼るなんて新鮮だぜ。ま、これでも色々経験している身の上だかんな。芦葉君の役に立てるように頑張んよ」

「ありがとう、助かる」


 健治はへらへらと笑っているが、人が真剣な時には真剣な言葉で返してくれる奴である。こいつならば、俺の悩みもしっかり聞いてくれるだろう。


「それで、相談したいことって何さ?」

「…………まぁ、まずは注文してからにしようぜ。今回は俺が奢るからよ……あ、季節限定和風きのこパスタでお願いします」

「俺は照り焼きチキン定食で」

「ついでにポテト大盛も一つ」


 注文も終えて、俺はお冷で喉を潤す。

 東雲さんとの邂逅から一時間も経っていないというのに、あの時の出来事が全て夢なのではないかと錯覚しそうだ。それが愚かしい現実逃避だと知っていても、そもそも現実の方が夢想よりも滑稽で、非現実的なのだから仕方がない。


「…………転校生の事、なんだけどさ」

「おお、前に話していた転校生な! なんか超絶美少女だって話は聞いているぜ! 直接見たことはねーけど。なんか、皆写メとか全然取ってないんだよなー」


 健治のところまで東雲さんの画像が回っていないのは、恐らく、恐れ多いからだろう。東雲さんほどのカリスマ美少女となると、パパラッチですらシャッターを切るのを躊躇う。躊躇った末に、撮った写真でさえ、罪悪感に押しつぶされて自ら燃やしてしまうだろうさ。

 それほどまでに、東雲さんの美は常軌を逸している。


「一応、写メ撮らせて貰ったけど、見るか?」

「見る見るー。つーか、珍しいな、芦葉君が女子の写メを持っているなんて」

「相談事に必要不可欠だからなぁ」


 ちなみに撮影には本人の許可を取っております。友達に見せる予定だと言ってあるので、問題ありません。


「はい、これ。あ、見る前に言っておくけど、心の準備はしておけよ?」

「はははは、芦葉君がそこまで言うなんて、一体、どんな美少女で――――は?」


 東雲さんの美しさは二次元になったとしても、健在のようだった。健治のにやついた笑顔が凍り付いて、目を限界まで見開いている。わなわなと口元が震えて、何かを言おうとしているようだったが、結局言葉にならない呟きのみ。


 あれだ、見せた画像の東雲さんが満面の笑みだったのが悪かったのかもしれない。東雲さんから許可を貰う時、「東雲さんみたいな美人と話せたことを友達に自慢したいので、写メを撮らせて欲しい」と言ったのが悪かったのかもしれない。

 部活動終了間際で、俺と部員たちの精神が限界に達していた所為か、ろくな言い訳を考えられなかった末の言葉だったのだが、東雲さんはめちゃめちゃ良い笑顔で協力してくれたのである。心が痛い。


「…………え、人間?」


 しばらく放心していた健治が、やっと出した言葉がそれだった。大丈夫、俺も同じような感想だったからな。


「一応、本人曰く人間らしいぞ。たまに周りが天使様とか呼ぶが」

「天使様か、確かに、うん……こりゃー、天使とでも名乗られた方が納得するわ」

「だよなぁ」


 現実は小説よりも奇なり、などという言葉もあるが、現実に非現実みたいな美しい存在が出て来たら、そりゃ戸惑う。人間でないと言われた方が、納得してしまうほどに。

 そして、そんな美少女とどういう奇縁か、妙な関係性で繋がってしまったのだ。


「んでもって、ここから本題なんだけどさ」

「芦葉君、ひょっととして一目惚れしちゃったとか?」

「いいや、違う」


 現実味のある美少女とかだったら、俺はあっさりと恋に落ちていたかもしれないが、東雲さんほどの美しさとなると逆に恐れ多い。心の怯えが先行して、恋などに落ちる心理状況ではないのだ。


「あちらが、東雲彩花が文芸部に入部したいと申し出て来た」

「ほう」

「しかも、俺が書いた短編小説のファンだという」

「ほほほう! あー、そういえば、文芸部の先輩が作っている同人誌に短編を乗せて貰ったんだっけか、芦葉君」

「そうだ。しかも、気に入った短編は自ら漫画化したいというほどの気に入り具合で……その、漫画化された奴もまた傑作で……ぶっちゃけ、俺の原作を遥に超える出来でさぁ」

「あぁ……なんとなく、芦葉君の言わんとしていることが分かって来たぜ」


 健治はにやついた笑みを顔に戻して、何時もの調子で俺をからかう。


「芦葉君は東雲っていう美少女からのラブコールに、どう応えていいのか、悩んでいるってわけか!」

「ラブコールって、お前」


 確かに恋愛小説染みた展開だけど。これがラノベなら間違いなく東雲はメインヒロインで、俺は主人公という配役になるだろう。

 けれど、それはあくまで俺が主観での物語だ。主観であれば、ちょっとした巡り合わせに運命を感じて理由を付けてしまうかもしれない。誰かの主観から見れば、俺などただの端役に過ぎないというのに。

 ま、要するに、この程度で自分を主人公だと思えるほど俺はのぼせ上っていない。


「確かに好意みたいなものは感じるが、それはあくまで一ファンとして、みたいな物だったぜ? まともに女子と関わったことのない俺の推察だが、いきなり誰かにアイラブユーなんて展開、フィクションだけだろ? というか、そんなんあったら怖いわ」

「それは普通にストーカー案件だかんなー。や、俺が言いたいのはそうじゃなくてな、芦葉君。男と女の関係ってのは、恋人関係だけじゃないんだぜ? ラブコールってのは、クリエイターとしての芦葉君に対して、って意味」

「…………つまり?」

「これはチャンスって奴じゃねーの?」


 チャンス。

 健治の言葉に、妙な引っ掛かりを覚える。チャンスとは、何だろうか? 何のためのチャンスなのだろうか? 


「芦葉君がクリエイターとして、物書きとして、一皮むけるチャンスだよ」

「…………そう、なのか?」

「超絶美少女が、貴方の作品のファンなんです! なーんて展開、現実で体験できる奴は稀だろ? 加えて、自分が書いた作品を物凄いクオリティーでカバーしてくれてんだ。否応が無く、クリエイターとしての感性って奴が刺激されるんじゃねーの?」


 俺は創る方はさっぱりだから、適当に言っているけどさ、と健治は冗談めかして笑う。

 だが、言われてみれば確かにそうかもしれない。こんな機会は一生に一度……いいや、例え七度生まれ変わっても体験できるか分からない奇跡だ。


 圧倒的な才能に潰されそうになって、心が折れてしまいそうだったが、心の底から『意地』のような物が這い上がっているのも事実。

 あんなに圧倒的な相手だというのに、俺は愚かしくも――『負けたくない』なんて、思ってしまっている。既に敗北して、屍を晒しているような物だと言うのに。まだ、死にきれないと俺の意地が幽鬼のように立ち上がろうとしているのだ。

 例え、立ち向かった結果が火を見るよりも明らかだとしても。


「それにさ、芦葉君。芦葉君は結局さ…………作家になりたいの?」

「…………」


 ふと、健治が笑みを止めて真剣な眼差しを俺に向ける。俺の心の最奥に届かせるために、言葉を選んで、表情を正しているのだ。


「中学校の頃はよくさ、作家になりたいって言ってたけど。高校に上がってからは全然言わなくなったよな?」

「そう、だな」


 懐かしい中学時代。

 俺が最も愚かしく、最も勇気に満ちていた時代だ。

 今はもう、あの時よりも幾分か賢しくなって、臆病になってしまった。

 かつての夢を、有り得ないと断じてしまうほどに。


「何度か新人賞に応募してみて、一次選考すら通らなくて。それでも書き続けて、書き続けていく内に、己の不足に気付いて。ああ、結局のところ――俺は俺の気性ゆえに、楽をしたいだけだったのかもしれない。人と関わり合うのが嫌だったあの頃、人と最低限関わってさえいれば生きられると信じていた職業に……作家に憧れたんだろうさ」

「偏屈な人嫌いで居られる作家は、それこそ一握りの砂の中のたった数粒だろ?」

「知っている。いや、知っていたけど、中学時代は逃げていたんだろうな。こんな気性のまま、大人になったらどうやって生きればいいのかわからなかったから」


 中学時代はとにかく、何もかもが嫌だった。生きるのも、死ぬのも、誰かと関わるのも、青春を望むのも、孤独になるのさえも。

 ただ、誰かが賑やかに暮らす場所から、少し離れたところに住まう隠者でありたかった。

 そういう者として、変わらないまま大人として生きたかったのだろう。


 でも、今は違う。賢しくなって、臆病になったおかげで、少しだけ社会性という奴も身についてきた。後は、どれだけ大人になるまでに自分を殺し続けて、『それなりの人間』に成れるか、それが成長だと思うようになってしまっていた。


「俺はもう、作家に成りたいと思えるほど愚かじゃないし、勇気も熱意も持っていない」

「芦葉君――」

「けど、な」


 俺は既に現実を知ってしまって、夢を追えるほどの熱意などありはしないけれど。

 ああ、それでも。物語を書いている人間なら、誰しも思っているような想いぐらい、胸に抱えているんだ。


「面白い物語を書いてみたい、そういう気持ちは嘘じゃない」


 プロとして生きていこうなどとは思えないけれど、少しでも面白い物語が書きたい。今日よりも明日の自分の方が、面白い物語を書いている、そんな風に生きたいのだ。

 この思いだけは、中学時代からずっと変わらない。


「そっか。ならさ、芦葉君。俺に言えることなんて、後は一言ぐらいしかねーな…………頑張れよ」

「ああ、頑張ってみる」


 夢に破れても。

 圧倒的な才能に跪いたとしても。

 きっと、少しでも面白い物語を書こうとすることだけは、止めないだろうから。



●●●



 翌日の朝。

 俺は決意を胸に秘めて、家から出発した。

 こんな時に限って空は曇っていて、それでいて雨すら降らないという天気予報だ。なんとも煮え切らない天気で、体にまとわりつく湿気が気持ち悪い。


「ま、男子高校生一人の決意なんて、お天道様からすればどうでもいいか」


 こんな天気の方が返って俺らしいかもしれない。

 ただ、学校に着いたらどうやって東雲さんに返事をすればいいだろう? 東雲さんは大抵、クラスカーストトップクラスの輩と教室内で固まっているようだし。クラスカースト底辺を通り越して、番外扱いされている俺がどうやって話しかけていいのやら。


「…………このまま何事も無かったかのように」


 一瞬、だらだらと返答を引き延ばして相手を呆れさせるという最悪の手を思いついたが、直ぐに却下。俺の怠け癖のような物は本当に恐ろしいな。なんでこうも、最悪の手をあっさりと思いついて俺を誘惑するのだか。


「さすがに、それはいくら何でも格好悪すぎる」


 格好つけて生きるつもりはないが、何時までも格好悪いのは御免だ。せめて、人並みになりたいと常々願っている。うん、願っているだけで行動に出さないからいつまでも冴えない男子なのだと、分かってはいるんだけどね。


「と、もう学校か」


 呆然と考え事をしたまま動いて居たら、いつの間にか教室の前までやってきてしまった。登校までの動きが既に半分オートマチックになっているので、考え事をしているとすぐに学校に着いてしまう。

 仕方ない。わざわざ俺が他のクラスまで出向いて、東雲さんを呼ぶなんて目立つ行為できるわけがないからな。下手をすると周囲から顰蹙を買う。俺はもう、中学時代のような荒れた学校生活を送るつもりはないのだ。穏やかに、波風立てずに生きていこう。

 とりあえず、放課後になってから東雲さんには――――


「芦葉昭樹君、おはよう」

「ああ、東雲彩花さん、おはよ…………う?」


 んんん?

 おっかしーなぁ、俺の席に金髪美少女が座っているぞーう? というか、東雲さんだぞぅ? え、なんで? なんで隣のクラスの人なのに、俺のクラスに? つか、何故、俺の席に座っているんですか? やめてください、中学時代の痛々しい思い出が蘇るじゃないですか。


「何故、ここに?」

「一晩経ったので、君の返事を聞きに来たよ」

「…………行動早いね」

「行動が遅いよりはいいと思わないかい?」


 微笑んで同意を求められても、俺には冷や汗を流して頷く以外の選択肢など無いのですが、東雲さん。

 なにせ、教室の空気が露骨に違う。既に東雲さんは学年の中心人物みたいな存在だから、みんなして横目で俺とのやり取りを見ながらそわそわしている。ちくしょう、悪目立ちしたくないと思った矢先にこれだよ。


「あー、それもそうだな。それで、返事だけど…………んー、流石にここではちょっと」

「なるほど、人気の少ない所をお望みと。ふふふ、いいよ、君相手ならね」

「やめよう? そういう誤解を生む言動」

「間違ってはないだろう?」

「間違ってないけど、間違ってないことが正しいとは限らない」


 さっきから背中に興味と驚愕の視線が突き刺さってくるんだよ。嫉妬の視線が少ないのは、多分、誰しも東雲さんのカリスマに圧倒されているからだな、うん。

 例え相手が誰であったとしても、『東雲さんだから間違っていない』と考えるんだろうな。ああ、怖いね、カリスマのある人物の人心掌握って。


「んー、ここなら誰にも私たちの話は聞かれないと思うよ」


 そんなカリスマを誇るほどの人気を持つ東雲さんだというのに、教室から少し離れた廊下の一角。偶然、誰も通りかからないような空白を見つけていた。そういえば、東雲さんは気づくとふらりといなくなってしまう、みたいな会話をクラス内で聞いたことがある。

 カリスマのある人気者の癖に、神出鬼没なのかもしれない、東雲さんは、


「さて、芦葉君。私も私自身の事情については色々理解しているし、私が入部することによって文芸部に与えるメリットとデメリットも把握しているつもりだよ。うん、だから遠慮なしにばっさりと答えてくれたまえ」

「なんか断られる前提で話してない?」

「君なら断ると思っていたけど、間違いだったかい?」


 ふふん、と不敵な笑みを浮かべて言う東雲さん。

 確かにその通りだ。俺は東雲さんの文芸部入部を断るつもりで、ここに居る。


「いや、間違いじゃない。本来なら、部長である俺が一生徒である東雲さんの入部を断るような権限は存在しない。けど、それを見込んだ上で頼むよ……文芸部には入部しないでくれ」

「ふぅん、小動物みたいに可愛らしいあの後輩たちのためかな?」


 柔道全国クラスを小動物呼ばわりとか、東雲さんは一体、何者なんだろうか? まぁ、それはさておき、だ。東雲さんの見解は間違っていない。


「それもある。折角真面目に部活動をしている後輩たちの精神を削るような真似はしたくない。理解してくれ、東雲さんはそれだけの影響力があるんだ」

「自画自賛で悪いけど、確かに私は居るだけでいろんな影響を及ぼすみたいだからね」

「…………後は、文芸部の半分は幽霊部員でね。東雲さんの入部によって、真面目に来るようになるかもしれないし、目立つのを嫌って退部するかもしれない。最悪、文芸部の廃部だってあり得るかも……いや、仮に東雲さんが入ったら部員には困らないかもしれないけど」

「ははは、ひどいじゃないか、人をハーメルンの笛吹きみたいに。ま、やってできないってことは無いと思うけど」


 東雲さんは苦笑しているが、その表情は何処か残念そうだった。

 蒼穹の双眼に憂いの色が混じって、少し悲しげな表情は俺の心を切り裂くに足る威力を持った美しさだったが、ここで前言撤回したらそれこそ台無しだ。格好悪い。

 元々大して格好良くない俺が、進んで格好悪くなるつもりはない。


「そんなわけで、二海市立第一高等学校文芸部の部長として、俺は東雲彩花さんの入部は認められない」

「…………ふむ、そうか」

「認められない――――だけど」

「ふむ?」


 だから、せめてこの場だけでも格好つけてみようか。


「俺が個人的に、東雲さんへ短編小説を送るのは構わない。俺が送った短編小説を、好きに描いてもらっても構わない」


 俺の言葉に、東雲さんは少しだけ目を丸くした後、にやりと不敵に微笑む。


「私と個人的なお付き合いを望むなんて、大胆じゃないか、白滝レンコン丸先生?」

「俺をペンネームで呼ぶんじゃない」


 台無しじゃないかもう。なんかもう、折角格好つけたのに、台無しじゃないか、白滝レンコン丸って。惣菜かよ、ちくしょう。


「ご、ごほん! 部長としての立場を使って、東雲さんに理不尽を強いたんだ。だから、その分ぐらいは俺が個人的に東雲さんの願いを叶えるのが妥当だと思う」

「ふむふむ、なるほど。確かに筋は通っている」


 とん、といつの間にか東雲さんが眼前に近づいている。慌てて後ろに下がろうとしたけれど、いつの間にか腕を掴まれて下がれない。

 そして、ゆっくりと東雲さんの美しい顔が、俺の眼前へ近づいて来て。


「でも、本当にそれだけかな?」

「――――っ、ぬ、う」


 そのまま俺の顔の横を通り過ぎて、耳元で囁く。美しい声で。凛と澄んだ、清涼なる声で、俺の耳朶を打つ。ついでに、ふわりと東雲さんの甘い匂いが俺の鼻腔をくすぐって、否応が無く顔面が紅潮する。

 ああ、くそ……格好つけたつもりだけど、敵わないなぁ、やっぱり。


「…………悔しかったからな」

「ほほう?」


 絞り出した俺の言葉を聞いて、にまにまと愉快そうに東雲さんは笑う。凄く至近距離で、俺の肩に手をかけて、やけにフレンドリーに。

 くそう、やっとわかったけど東雲さんって結構いい性格してやがるぜ。


「俺が書いた原作よりも、数段面白く漫画を描かれたからな」

「ほうほう」

「俺にはそれが悔しかった。目に物見せてやるって言い方はおかしいけど、それでも、なんつーか、逃げたくなかったんだよ。少なくとも、俺のファンだって言ってくれる奴からは」

「…………ふふふふ」


 含み笑う東雲さんへ、至近距離でも目を逸らさずに。

 美しい碧眼に魂を飲み込まれないように、気合いを入れて声を張る。


「だから、俺は物書きの端くれとして、東雲彩花。お前に挑戦したいんだ。例え、風車に挑む愚か者であったとしても」


 自分のどこからこんな声が出ているのだろう? 言い切った後に、そんな疑問が出るほど俺の言葉は淀みなく、凛とした物だった。まるで、絶望的な戦いに挑む戦士のような、日常生活では場違いな声だった。

 けれど、きっとこの場においては間違いじゃない。


「ふふふっ、面白いなぁ、うん。君の作品も面白けど、私は君自身にも興味が出て来たよ、芦葉昭樹君」


 俺の肩から手を放し、白魚のような指先で東雲さんは自分の唇をなぞる。艶やかに、朱色の唇をなぞってから、不敵に微笑む。


「いいよ。私が、東雲彩花が――――君の挑戦を受けてたとう。途中で泣いても、逃がさないから、覚悟するがいいさ」

「途中で泣くかもしれないけど、俺は逃げないさ。足が遅いからな」

「ふ、くふふふ、それはそれは、納得の理由だ」


 俺と東雲さんは顔を見合わせて、笑い合う。

 明らかに釣り合っておらず、相対するには俺の格がまったく足りない。ああ、けれど、それでも願わくば。

 この瞬間だけは、挑戦者を名乗ることを許して欲しい。

 恐るべき才能の化物に屠られる犠牲者じゃなくて、ちっぽけな意地と誇りを胸に、無謀な突撃をする戦士でありたいんだ。


 これでも俺は、物書きの端くれで――――一人の男だから。


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