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第24話 小悪魔のように君は

 俺の、芦葉昭樹の恋愛観について語ろう。


 従兄の兄ちゃんと愚痴交じりに語り合った時に、概ねの意見には同意していたのだが、最近になって少しだけ変化が出て来た。


 中学生時代の俺によって、同い年の異性とは常に敵対者だった。

 クラスカースト最上位の海木と喧嘩していた所為かもしれないし、俺の行動が女子共の癇に障ることがあったのかもしれない。


 今思い返せば、俺は孤立しても仕方がないような行動を取っていたのかもしれない、と反省できるのだが、そんな落ち着きを中学生時代の俺に持てというのは難しいだろう。


 ともあれ、俺は中学生時代で同級生の女子共を全員土下座させた時、はっきりと己の胸の内で確信を得たのだった。


 俺という人間は、今後もこんな感じなのだろうと。

 誰とも付き合うこともせず、誰とも肌を触れ合うことも、誰とも唇を交えることも無く、自分一人だけの体温で生きていくと思っていた。


「いや、馬鹿かお前は。狭い枠組みの中だけで、勝手に自分を見限るんじゃない」


 そんな風に拗らせていた頃に、俺は隼人先輩からごく普通の指摘を受けた。そう、世間一般的に考えると、本当に普通の。


 指摘を受けた時の俺は、まだ文芸部に入って一か月ほどしか経っていない新米で。恋愛小説を書くのに、馬鹿みたいに苦悩していた。

当然の如く、周囲の同級生の女子たちを勝手に敵視して、沈黙することで己の尊厳を守っているような奴だった。


 だから、指摘を受けた直後は、隼人先輩が何を言っているのかさっぱりだった。理解していなかった。隼人先輩のように、コミュ能力が高い人間の戯言だと思って、聞き流していた節すらある。

 その考え方が変わったのは、指摘されてからさらに一か月後。

 高校に入学してから、三ヶ月ほど経ったある日のことである。


「芦葉君、次は移動教室だって」

「ああ、どうも……ええと?」

「恩田だよ、もう。女子の名前もちゃんと覚えよう?」

「ごめん、男子の名前も一部しか」

「こ、心を閉ざしている系の男子だぁ……皆と相談して、救ってあげないと」

「やめてください、お願いします」


 俺はふと、同じクラスの女子と普通に会話している自分に気付いた。

 別にその恩田という女子が特別だったわけでもなく、クラスメイトの女子たちは特に俺を攻撃するでもなく、普通に接していた。俺も、攻撃を受けているわけでもなかったので、普通に言葉を返していた。


 ただ、それだけの普通に、俺はようやく気付けたのである。


 小学校、中学校と、同い年の女子相手にろくな目に遭っていない俺だったから勘違いしていたのだが…………別に女子全てが俺の敵ではない、と。

 たまたま、運が悪く、そして、海木と対立しているという要素もあって、俺がそいつらに目の敵にされていただけなのだと。

 その一般常識に、俺はようやく気付いたのだった。


 それからというものの、俺は多少ずれている己の部分を自覚しつつ、それで周りとの軋轢が生まれないように、うまく己を殺して生きて来た。

 敵対者でなくなったから、即座に友達や恋人を求めるほど俺は柔軟になれなかったけれど。

 少しずつ、俺の中にあった敵愾心や、自分自身に対する諦観が変わっていった。


 後輩の姫路を部活に入れて。

 相対者である東雲さんと出会い。

 東雲さんに惚れていた余語が、俺に突っかかって、決闘して、謝罪して、よくわからないエロ展開に持ち込まれて。

 何だかんだと交流していく内に、余語という後輩から好意を寄せられている自分が居た。


 最初はどうにも信じられなかったけれど、余語という可愛らしい後輩は、何故か俺のことが好きらしい。変わった男の趣味だと思う。

 しかし、余語の性癖も大分おかしかったり、少しサイコパスの素養があるのでお互い様だろう。大丈夫、多少狂っていても、余語の好意は嬉しい。


 我ながら現金な物で、可愛い後輩から好意を寄せられると、割とすぐに俺は落ちた。落ちたというか、攻略されたというか、男子高校生として可愛い後輩に好きだと言われたら好きになってしまうのも仕方ないと思う。その他、俺の心が不安定な時期にがっつりと好感度を稼がれたという要因もあるが、基本、男子高校生なんてこんなものだ。俺だけがちょろいとは思いたくない。いや、大丈夫、大丈夫、だって俺、東雲さんの誘惑にも負けなかったし。


 そんなわけで、薄々両想いかな? でも、命賭けた決闘をしているのに、勝手に告白とかしたりするのも不義理だよなぁと悩みつつ、最近では肉体的に人外になってしまった俺である。

 いくら余語とは言え、こんな荒唐無稽な力を手に入れた俺をどんな目で見るのかわからない。事実を隠したまま想いを押し付けるのは、とてつもなく卑怯だ。

 なので俺は一度、東雲さんとの決着の前に、きっちりと余語へ俺の身に起こった出来事について、きちんと説明しようと家に呼んだわけなのだが。


「うぇへへへ、しぇんぱーい♪」

「うぉおおおおおおおっ! よ、余語ぉ! 落ち着けェ!!」


 現在、俺は自室のベッドの上で余語に押し倒されていた。

 …………何故、こんなことになってしまったのだろうか?



●●●



 時間は少し前、お昼下がりほどまで遡る。

 東雲さんが意気揚々と帰った後、俺はモチベーションのまま、小説を書き進めていた。もう少し、後数ページ程度を仕上げたら、長編を書き終える。そんな時にふと、自宅のインターホンが鳴っていることに気付いたのだった。


「…………まー、こういうのも俺らしいか」


 最後のラストスパート。

 ゴールテープを切る寸前で、何かに躓いたような気分だが、これもまたいいスパイスだ。絶好調のまま進めるよりも、直前に転んで、肩を竦めて強がりながらゴールした方が俺らしい。

 さて、近所の回覧板か、あるいは姉関係の訪問者かな?


「芦葉先輩っ! 東雲先輩に聞いたら、今は自宅に居るって!」


 玄関の扉を開くと、そこには私服姿の可愛らしい後輩が居た。いつぞやのショートパンツにTシャツという露出多めの格好である。白い太ももが夏の日差しに照らされて、眩しい。


「ええと、余語後輩?」

「はいはいはい、お邪魔しますよぅ! さぁ、中に入れてください、そして色々と話し合うのです、本当にもう!」

「ちょ、ま」


 余語は笑顔だった。

 けれど、ご機嫌斜めだ。笑顔のまま、有無を言わさず俺の肩を掴み、そのままぐいぐいと敷地内へと侵入してくる。


「よ、余語! 分かったから、普通に招くから! そんなに力づくで入って来なくても」

「…………先輩がチンピラに連れていかれてから、私はとても心配していたんですが?」

「………………あー」


 がっつりと肩を組み、ぐりぐりと額を俺の頭部に押し付けてくる余語。

 これはかなり怒っている。そして、その怒りは正しい。何故なら、俺という奴はすっかり、小説を書くことに夢中で、後輩へのフォローを忘れていたからである。


「い、一応電話したから……」

「無事をこの目で確認しなければ、意味がないです。少なくとも、あんな事があったんですよ? いくら電話で無事と言われても、ねぇ? しかも、電話で凄く落ち込んでいたし、先輩」

「うぐぅ」

「あーあ、ひょっとして私、先輩にはあまり大事に想われていないんでしょうか? 先ほども、東雲先輩に勝ち誇った顔で『ふふふ、泥棒猫ちゃん。今なら芦葉君の家には、彼一人だけですからねらい目だよ? とりあえず、魂は私がもらうとして、童貞ぐらいは貴方にあげてもいいです、感謝しなさい』とかわけわからないことを言われましたしぃ」

「あのポンコツがぁ!」


 つい数時間前まで、涙目になっていたくせに、もうドヤ顔外交とは情緒不安定かよ。超越者だったら、もっと揺らぐこと無い精神性を発揮して見せろよ、ポンコツめ。そんなんだから、眷属一同から軽く馬鹿にされてんだよ、まったく。


「私が思うに、先輩って色々隠してますよね?」

「あ、うん、まぁ」

「先輩の事だから、多分、私や周りの人たちを思っての事だと思います。私たちが知らなくてもいいことなのかもしれません。でも、でもですね、先輩」


 余語は鼻先が触れ合うほどの近さで、強い眼差しで、俺を射抜く。


「大切なことを何も知らないまま、置いてけぼりは嫌です」

「余語……」

「具体的に言うのなら、今すぐ全裸になって警察に『お、犯されるぅ!』と通報するレベルで嫌ですね」

「事情を説明させてください、お願いします」


 いくらエキストラである国家権力を洗脳しようとも、その力を余語に向けることは絶対に出来ないので、その脅しは普通に有効だった。そんなことをされたら、俺は姉にリンチにされて、当分の間、まともに歩くこともできない体にされるだろう。

 というか、普通に俺が泣く、大分凹む。


「分かればよろしい」


 ふふん、と鬼の首でも取ったように余語は胸を張る。

 そのどや顔の頬をむにぃ、と指先で弄びたくなる衝動に駆られるが、ここは我慢、全面的に悪いのは俺なのだから。


「ええと、どこから話せばいいのやら。あ、麦茶飲む?」

「飲むー」


 茶の間で対応すると、家族が帰って来た時に大変厄介なことになるので、とりあえず自室へ連れ込むことに。連れ込む前に、無駄に能力を使い、部屋の中にゴミ一つなく綺麗に清掃しておく。空気も当然、総入れ替えだ! さすが東雲さんから略奪した能力、こと舞台を整えるのであれば一瞬で済むようだ。


「まずは、そうだな、俺が東雲さんと出会った時の事から話そう」


 俺は清掃した部屋に余語を招き入れ、麦茶片手に、色々と語り始めた。

 東雲さんと出会い、不可思議な現象に襲われて、自分自身も非日常の側の存在へと変わってしまった物語を。

 これまでの俺の、日常と非日常を。


 ――――ただし、一点だけ、最重要な所は後回しで。


「つまり、東雲先輩は神様っぽい凄い存在で。芦葉先輩の小説の狂信的なファン。ずっと自分のためだけに小説を書いて欲しいなぁとか言ってくる、ちょっとアレな人なんですね」

「大丈夫、お前も負けていないぞ」

「失礼なー。あ、あと、何か凄い力に覚醒して、芦葉先輩も色々できるようになったとか?」

「凄い力ってお前」


 できる限り詳細に説明した俺の労力が台無しだった。物凄くふんわりとした理解だった。


「ほうほう、大体の事は出来るのです?」

「あんまり悪いことはやりたくないけど、そうだな。さっき部屋を一瞬で綺麗に清掃したりとか、ムカつくチンピラを殴り飛ばしたりとか、変身とか」

「変身!?」


 変身と聞いて、明らかに余語の目が輝く。

 あの、そのですね? 俺としてはですね、こんな異常な力を持つ俺をですね、受け入れてくれるのかどうか戦々恐々していたのですが。


「じゃあ、試しにショタになってください! 先輩のショタ姿見たいです! 九歳ぐらいの頃の姿でオナシャス!」

「別にいいけどさぁ」


 こちらの心配など知るかと言わんばかりに、好奇心に憑りつかれている余語だった。

 俺は釈然としない思いを抱えつつも、素直にアルバムを探し、脳内にそのまま幼い日の自分自身を描く、鮮明に。そして、『そうであれ』と能力を行使。


「ほいっと」


 ぽむ、と可愛らしい変身エフェクトを使って変身した。傍から見れば、俺がアニメや漫画の如く、謎の白い煙に包まれた後、ショタに変身しているという光景だ。

 うむ、いきなり視点が低くなって、何か無性に心細くなってくるぞ、おい。ちなみに、服装は当時の物をそのまま再現しました。


「きゃわー♪ ショタ先輩だぁ! 年上なのにショタだぁ! 合法ショタだぁ! 目つきが悪くて生意気ぃ! でも、そこが萌えますぅ!」

「やめろ、抱き付くな後輩」

「はぁあああん! ショタボイスで嫌がる先輩最高ですよぅ!」

「離れろ」

「お姉ちゃんって! 『悠月お姉ちゃん、大好きぃ』と言ってください、そうしたら離れますとも!」

「…………悠月お姉ちゃん、大好きー」

「はうっ!」


 余語は胸を抑えると、そのまま俺のベッドへ倒れ込む。


「あーうー! あーうー!」

「おいこら」


 奇声を上げながら、人のベッドに潜り込むんじゃないよ、この馬鹿娘は。少しは恥じらいを持って欲しい。こちらの理性だって限りがあるというのに。


「とても、とても素晴らしいですよ、これは! 芦葉先輩という存在をしゃぶりつくすための最高のスパイスになります!」

「笑顔、笑顔が怖いよ、後輩」

「さぁ! お次は性転換です! ロリに! そのままTSしてロリになってください! それからだんだんと年齢を上げて行って、百合百合した後、最後はデフォルトでいちゃつくのですよぉ!」

「…………まー、お前が満足できるのならそれでいいさ」


 なんか普通に異常存在である俺を受け入れているどころか、むしろ歓迎している様子なので、俺は内心安堵していた。


「ぺろぺろ! ぺろぺろ!」

「なーめーるーなー」


 幼女状態で余語に舐められていても、されるがままだった。余語の気持ちに応えたいという気持ちもあったが、それ以上に余語に隠している事実が罪悪感となっていた。

 俺はまだ、余語に話していなかった。

 俺が東雲先輩との賭けに、己の命を乗せていることを。


 …………言えるわけがなかった。どの面を下げて、俺を好きでいてくれる人に、そんな言葉を告げればいいのだろうか? 君が好きな人は、これから自分勝手に命を賭けた決闘をやりますなんて、無責任に告げればいいのか?

 それは、それはあまりにも自分勝手が過ぎる。


「むふふふ、一杯の芦葉先輩を堪能しましたよぅ」

「そうか、それは良かった」


 シリアスな思考でされるがままにされること数十分、俺は度重なる変身によって割と満身創痍だった。まだ力の運用に成れていないのと、もう一つ、己自身の存在の改変というのは、結構な体力を使う物らしい。体が、無意識に糖分と水分を求めるほど、俺は疲労していた。


「さて、それでは本題に行きましょうか。もう一つ、隠していることをさっさと吐きやがれ、先輩♪」

「…………あの」


 だから、油断していたのだろう。万能に近しい能力を得て、不覚にも奢っていたのだった。東雲さんが、力の根源である彼女ですら、何度も過ちを重ねるというのに。

 俺は後輩が隠し事に勘付いていると、まったく気づいていなかったのである。


「言わなければ、このまま先輩を犯します、力づくで」

「えぇ……」


 そんなわけで、俺は余語によってベッドに押し倒されていた。思い切り両手を抑え込まれて、柔らかな肌を服越しに重ねて。がっちりと、身動きを取れないように、と。


「な、なんのことやら――」

「よしきた」


 惚けようとした瞬間に、いつの間にか余語のショートパンツが脱げていた。フリルの付いた可愛らしい水色のショーツが見える。

 両手で俺を抑え込んでいたくせに、何時の間に脱いだんだよ、手品かよ、ちくしょう。不覚にも素直に感心してしまったじゃないか。


「あ、あの、余語さん?」

「次は上着だと思います? 違うんだなぁ、これが」


 ヤられる。確実に俺の童貞を奪うという、確固たる意志を余語の瞳から感じる。なんて、性欲で歪んだ瞳なんだ。しかも、その瞳が潤んでいて、目の端から涙が零れているのが最悪だ。泣き落としなんて、最悪だ、勝てる道理が無い。つーか、泣きながら欲情するとか意味わからねぇぜ、さすが余語だ。


「話してくれないのなら、泣きながら犯します」

「やめてくれ、色んな意味でトラウマになる……わかった、話す。話すから、離せ」

「嫌です、このまま話してください」

「…………あー、もう」


 俺は降参の意味を込めて、脱力した。

 どうにも、余語後輩の泣き落としに俺は弱いようだ。なるほど、これが惚れた弱みという奴か。そして、これから俺はその惚れた女子に、最低な事を言うのだ。


「東雲さんとの勝負に、俺の命を賭け金にしている。俺が負けたら、文字通り命を奪われる。そのまま死ぬかどうかは、東雲さんの采配次第だけどな」


 余語から向けられる好意も。

 今までの思い出も。

 繫いだ温もりも、俺は全てを投げだしてしまう可能性がある、最低のダメ男だと、俺は余語へ告げた。


「もちろん、俺は勝つつもりだ。負けるつもりなんてさらさらない。だが、それでも、この勝負が終わる前に、お前の気持ちを受け取ることはできない」


 涙で濡れる余語の目と見つめ合って、俺は断言する。

 最低な男の、せめてもの責任を果たすために。


「…………わかりました、わかりましたよぅ」


 ゆっくりと余語は俺の上から避けた。拘束を解いて、目の端から零れる涙を拭い、弱弱しく微笑む。


「先輩は、本当に、本当にしょうがない人ですね」

「すまない、余語、俺は――――」

「いいんです。男の人を待つのも、女の子のだいご味ですからね、えへへ」


 余語の微笑みに、俺の胸がギリギリと引き裂かれるように痛む。

 大好きな人に、惚れている女に、こんな顔をさせている自分が許せない。だが、それでも、俺は意地を通さなければならないのだ。

 ここで余語愛しさに東雲さんから逃げれば、俺は一生自分を許せないから。


「でも、先輩、せめて……せめてこれだけは許してくださいね?」

「…………ああ」


 ゆっくりと涙で濡れた頬が、朱色の唇が俺のそれへと近づいてくる。


「目を、瞑ってください、芦葉先輩」


 耳元で囁かれた声に従い、俺はそのまま身を委ねて、そして、



「かかったな、阿呆がぁっ!!」

「ごがっつ!!?」



 全身に強烈な痺れが走った。というか、脇腹が物凄く痛い。まるでスタンガンでも押し付けられたかのような…………スタンガンじゃん、これ。


「にゃ、にゃんで?」


 何処に隠し持ってやがった、この後輩め。ナチュラルサイコパスめ。油断していたが、そうだ、こいつは実力行使を厭わない馬鹿だったのだ。ええい、電撃で呂律が回らねぇ。


「もちろん、芦葉先輩を抱くためです。ええ、私は今日、ここで童貞を奪い、処女を捧げるために来ました。約束? 決闘? 責任感? ならば、よろしい…………先輩が絶対勝たなければならないように、ここで私が貴方の子供を孕みますね!」

「ひょぉえええ」


 さすがの俺もドン引きだった。

 余語の愛情、重すぎぃ。


「こんな物も、もういらないですよぉ!」


 狂気の笑みを浮かべて、余語は懐から何かを投げ捨てた。視線を向けると、それは避妊具が入った箱だった。それを捨てるなんて、とんでもない!

 やっべー、ガチだよ、この後輩。


「や、やめ、やめ……」


 とっさに能力を使って痺れを解除しようとするが、効きが甘い。度重なる変身による疲労と、俺の雄の本能がエロスを求めている所為だ。くっそ、こんな万能を持っていたところで、肝心なところで役に立たねぇ! なんだろう、東雲さんの気持ちがやけに理解できる日だな、今日は!


「先輩、ねぇ、芦葉先輩……一緒に、どろどろになるまで気持ちよくなりましょう?」

「うぉおおおおお!? うぉおおおおおおおおおっ!!」


 こうして、貞操とプライドを守るための戦いが始まった。

 負けられない、負けるわけにはいかない。

 自分のためにも、余語のためにも。

 何より――――さすがに初体験が押し倒されてそのままとか、絶対に嫌すぎるので。



●●●



「ぜぇ、ぜぇ……勝った、勝ったぞ、俺は!」

「ふにゃあ」


 全身を鎖で縛りつけられているかの如き疲労を感じながらも、俺の胸の中は安堵で満ちていた。そう、俺は勝利したのである。自らの欲望に。そして、迫りくる余語の誘惑に、勝利したのだった。

 余語? 余語だったら、俺のベッドに横たわっているよ、半裸で。


「しぇ、しぇんぱいってば、テクニシャン……まさか本番行為をやる前に、性欲を発散させられるとは……んんっ、しょうがないにゃあ、私の負けですぅ」

「頑張った、本当に頑張った……一瞬、もう駄目かと思ったけど!」


 もはや状況は回避不可能。ならば、被弾するのを覚悟で本番行為だけは、最後の一線だけは何とか退けた俺である。

 ただし、その代償は安くなかった。少なくとも、俺はかつて余語の家で行ったエロス行為よりも数倍変態度が上がったエロスを行ったのだから。


 おかげで俺も余語も、色んな体液でべちょべちょだ。ついでに言えば、ベッドも結構汚れている。シーツはもちろん取り換えるが、こんな真似をしたベッドでこれからも寝るのかと思うと、思春期のもやもやが際限なく生まれそうだ。


「先輩ってば、本当にお固いですねぇ。こんな時ぐらい、エロゲのイベントだと思って童貞を捨てればいいのに」

「それをするのは、けじめを付けてからだ。少なくとも、俺は確実に東雲さんに勝つつもりだからな。負けを想定して行動するなんて出来ない」

「じゃあ、東雲先輩に勝ったら、芦葉先輩は私とセックスするということで」

「いや、お前、それは」

「泣きますよ?」

「避妊具は絶対に付けさせてくださいやがれ」


 笑顔で脅してくる余語が怖すぎる。笑顔とは本来、攻撃的な物だとは知っていたが、まさかここまで恐ろしい物だとは。好きな女の涙と組み合わせると、もう、男としては抗いようがないから困る。

 そもそも、この件について悪いとは圧倒的に俺な訳だし。


「芦葉先輩」

「なんだ?」

「セックスしたら、今度は温泉旅行ですね! 二人きりの旅行は楽しみです!」

「ナチュラルに部活の仲間二人を抜かすな」

「んー、でもあれですよ? その二人からは『怪我で無理』との連絡を受けているのですが? 二人で楽しんで来いと言われているのですが?」

「あいつら……」


 正論で固めているから性質が悪い。実際、さすがの俺も重傷を負った二人を無理に旅行に連れて行こう

とは思わないからな。

 おまけに、俺の能力で全快させようにも、この能力は主観に影響されるからなぁ。俺にとって大切な人間相手程、この能力は干渉しにくくなるのだ。少なくとも、人体に悪い影響が出ないように、隼人先輩から使い方を説明してもらわなければ話にもならない。


「はぁ……別にいいけど、旅行中はエロスもほどほどにな」

「えぇー」


 余語が露骨に不満そうであるが、学生の身の上なのだから節度を持たなければいけない。既に最後の一線以外は守れていない状況なので、ところかまわずエロエロするのはモラル的にも大変よろしくないのだ。


「そんな顔するな、余語。いいか? エロスとはただ漫然に性欲のままに行えばいいという物ではない。メリハリが大切なんだ。我慢があるからこその、エクスタシーが存在するんだ。我慢も無く、だらだらと行うエロスは堕落の素だぞ?」

「んー、それはそうですが、んんー、折角の温泉旅行……」

「旅行から帰ったら、好きなプレイをしてやるから」

「わかりましたぁ! 旅行中は青少年らしい健全な青春を楽しみましょう! いえい!」


 元気な笑顔でサムズアップをする余語であるが、その瞳は性欲で濁っている。その笑顔の裏では、どれだけの妄想が繰り広げられているのか、俺には想像できない。


「まぁ、東雲さんとの勝負は遅くとも明後日には決めるから。それが終わったら、今度は俺がお前の家に行くよ」

「え? 結婚のご挨拶です?」

「はえーよ、学生結婚は早すぎるよ、社会人になってきっちり養っていく甲斐性性を得てからご挨拶させてくれよ」


 そうじゃなくて、と言葉を足して、俺は言う。



「俺からお前に告白しにいくから、待ってろ」



 余語は俺の言葉に、呆れたようにくすりと微笑んで。


「今更ですか? 本当に、先輩はあれですよねー」

「あれってなんだ、ああん!? 結構勇気を出しているんだぞ、今!」

「どうせだったら、下半身からエロエロ出してくださいよぅ」

「最低だ! 最低の下ネタを言いやがったこいつ!」

「あはははは……でも、そうですねぇ」


 微笑んだまま、小悪魔のように余語は俺へ囁きかける。



「待ってますよ、芦葉先輩」



 惚れた女との約束なんて、この上ない死亡フラグだけれども。けれど、この約束は間違いなく、決戦へと赴く俺の背を押してくれることになるだろう。

 帰るべき場所と、守らなければいけない約束。

 どれだけ俺が人間離れしようが、その二つがある限り、きっと道を間違えることは無いのだから。


「それはそうと、汚れてしまいましたねぇ。これは一緒にお風呂に入るフラグなのでは?」

「やめ、おま、油断させた後に、いきなり組み付いてくるのを止めろ!」


 なお、この後第二ラウンドが開始されることになるのだけれど。

 これもまた、愛しい俺の日常ということで。


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