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第23話 決断は己の意思で

 東雲彩花との決着をつけるために、まずは己の状況を整理しようと思う。


 現在、俺は何かしらの原因によって超人化。ある程度、己の意思によって周囲や自分自身を変化させることが可能な能力を持つようになっている。

 この世界が、それぞれの人々が即興劇を行う舞台だとしたら、その舞台の上でエキストラや環境を自在に変更させる能力。少なくとも、俺は得た能力をそのように認識している。

 なぜなら、この能力は間違いなく、東雲彩花が持つ超越的な能力と酷似して、そして、東雲彩花と出会うことによって得た物であると確信しているのだから。


 つーか、大体東雲さんが原因だろ、これ。

 …………恨み言は置いておいて、問題は、一体、何時から俺はそのような能力を得ていたのか? だ。

 時間帯だけを見れば、霧の宿から帰って来た時からが一番顕著だ。そこから確か、自己治癒能力が異常に上がり、肉体的に目に見える変化が出ていたような気がする。

 けれど、内面、精神的に考えるのであれば、それはきっと。


 ――――東雲彩花と戦うことと決めた、あの契約の瞬間から。


 その時から明確に、俺の異常は始まっていたのだと思う。

 異なる世界の夢を、見始めたのだと思う。

 何故、俺がその世界の観測を始めたのか? それは、恐らく、ひどく外道なことになってしまうのだが、『取材』がしたかったのだ、俺は。

 俺自身が最高の作品を書くために、そのような行動を取ったのだろう。


 異なる世界。

 俺と東雲さんが明確に敵対して……いや、俺が東雲さんを勝手に敵対視して、何とかその澄ました顔をぶん殴ってやろうとする世界の物語を観測するために。


 人嫌いで、物書きを嗜む俺とは違い、社交性豊かになった俺はその世界で、東雲彩花と戦おうとしていた。神様の力を思うが儘に振るい、同級生を怪物に変えて、何かしらの目的のために人殺しすら厭わない残酷な敵対者。


 俺が干渉しなければ、別世界の俺はあっさりと怪物に食われて死んでいたかもしれない。

 あるいは、都合よく隼人先輩が現れて、助けてくれたかもしれない。

 だが、どちらにせよ、舞台の上で主役のように振舞うのは無理だっただろう。無謀な反逆者として、東雲彩花の畏怖を伝える添え物として、あっさり退場するような、端役だったのだ、俺は。


 別に、別世界の俺を悪く言っているつもりはないというか、むしろその社交性が羨ましいんだ、くそがという気持ちであるが、これは相手が悪い。


 この世界では、東雲彩花は俺の小説の大ファンであり、俺を対等な敵対者として見てくれている。だからこそ、勝負になっているのだ。例えそれが過剰評価だとしても、東雲彩花に期待されるという事実が、俺の奮起を呼び覚ます一因になっているのだから。


 けれど、あの世界の俺は違う。

 東雲さんの視界に入らない、路傍の石ころのような存在だ。東雲さんが片手を振るうだけで、何の意味も無く首を落とされるような端役としか、『俺』は認識されていない。


 東雲さんの能力は『認識』によって及ぼす効果が絶大に違う、そのように俺は考察している。敵対者として認識されているのなら、無意識でありながら俺へ何かしらのプラスな干渉を行って、自ら不利になっている可能性すらある。

 つまり、ゴミクズと認識されていたら、そのように処理される可能性が高いのだ。


 …………いや、『高かった』と過去形に直して置こう。


 幸か不幸か、力は得た。同量とは限らないけれど、少なくとも東雲彩花という怪物と同質の能力は。

 そして、己自身とはいえ、身勝手に『取材』しようと干渉した責任は取るべきである。

 さて、そんなわけで、長ったらしい前置きは終わりにして。


「まずはあっちの世界での決着をつけるとしようか」


 最後の観測を、開始しよう。



●●●



「これで終わりだ、芦葉昭樹――――私の名を知る価値も無かったな、お前は」


 観測の開始。

 同調の瞬間から、鮮烈な衝撃を受けた。

 ばつん、と乱暴に世界中の光が奪われたかのような感覚。何もかもが虚無に落ちて、一つの主観が閉じられていく恐ろしさ。

 紛れもなくそれは、死の体験だった。


 死の体験だったのだが…………どういうことなのか、俺はふわふわと、漫画やアニメによくあるような幽霊的表現で、空中に浮いていた。そして、頭の無い自分の死体を見下ろしている。

 周囲の状況を確認。どうやらこちらは早朝の街中。けれど、深い朝霧が街中を覆いこんでいて、人気が感じられない。加えて、ここは路地の行き止まり。うーん、絵にかいたような詰みの状況だな。

 どうやら、俺はかなり追い詰められた挙句、思い切り銃弾を撃ち込まれて頭がぱーん、となってしまったらしい。うわぁ、我ながらグロテスク。


「……結局お前は、ただの端役で終わったな」


 俺を殺した張本人――銀髪軍服ポニーテイルの眼帯さんは、どこか落胆したように息を吐いた。人を殺しおいて、その態度は失礼ではないだろうか?

 ともあれ、『脳みそが物理的に存在しない状態で思考する』という状況は新鮮だけれど、このままだと死体が処理されてしまうので、さっさと生き返ることに。さすがに死体が燃やされれば、復活が面倒なことになってしまう。


 うん、あっさりと死後から復活できると確信していることは今更なので、スルーして欲しい。我ながら反則過ぎて、ちょっと自分自身でもドン引きしているのだ。


「いやいや、一度死んでから復活するのは物語のお約束ってもんだよ、眼帯さん」

「――――っ!!? 馬鹿、な」


 眼帯さんの隻眼が驚いたように見開く。

 無理も無い。目の前で殺したと確信した人間が、蘇り、平然と立ち上がっていたのだから。ちなみに再生というよりも、復元なので飛び散った脳漿も、血液も俺の足元には存在しない。全てが無かったかのように、あっさりと俺は復活した。


「こ、の、化物がっ!」


 驚い、動揺しているにも関わらず、眼帯さんがこちらに向ける銃口はぶれない。

 さすがは東雲彩花がコレクションした人材だ、素晴らしい。こんな冒涜的な光景を目のあたりにしても、パフォーマンスが落ちないとは。

 けれど、悲しいかな、その行動はまるで無意味である。


「いえーい、化物でぇーす」


 ぱちんっ、と軽やかに指を鳴らすとあら不思議。眼帯さんが携えていた大型拳銃は、瞬く間に白い霧へと転じてしまったのでした。


「…………はぁ!?」


 有り得ない、と断じながらも眼帯さんの動きは止まらない。驚愕による肉体の硬直はありつつも、腰のホルスターからナイフを抜き放ち、素早く俺の首を狙う。

 俺は避けることなくそのままナイフを受け入れて、結果、俺の首の皮一つナイフは切り裂けない。なぜなら、俺が望んでいないのだから。


「っ!? その、力、権能は――――」

「はい、ご明察」


 強張った眼帯さんの肩を優しく叩き、俺は文字通り彼女の力を抜いた。強制的に、脱力させたのである。


「う、あ?」


 呆然自失と言った様子で、眼帯さんはふらりと倒れ込み、血に伏せた。その状態でも、歯を食いしばって、こちらを見上げる気合いがあるのだから心底恐ろしい。まさに、魔人と呼ぶにふさわしい存在だ。

 だが、気取らせてもらうが、今回は少しばかり相手が悪い。


「悪いね、眼帯さん。月並みの言葉だけど――アンタに構っている暇は無いんだ。名前は今度教えてくれ。そうだな、ついでにデートでもいかが?」

「お、ま、えっ!?」

「はははは、怖い怖い」

「私を殺せ!」

「嫌で御座る」


 へらへら笑って、俺は歩き出す。眷属の一人にいつまでも時間を取られている暇は無い。さっさと役目を果たさなければ…………この無敵状態も、何時までも続くわけではないのだから。


「芦葉、芦葉昭樹ぃ! 忘れるな! お前を必ず後悔させてやる!」

「それはそれは…………一応、身内に復讐できないように呪いを打ち込んで、うん、これでよし。俺限定でいつでも復讐しにおいでよ!」

「がぁああああああっ!!」


 獣の唸り声で吠える眼帯さんを背に、俺はこの場を後にした。


「…………この状況は、まずいか?」


 携帯で時刻を確認する――――早朝じゃない、午前十時は過ぎている。それなのに、霧の中から薄ら顔をのぞかせる太陽の位置は、早朝の時と同じだ。

 普通に考えれば、携帯の時間が狂っている。

 だが、相対すべき敵対者は普通ではない、神にも等しい相手だ。


「まずは、隼人先輩と合流か? いいや、そんな暇は無い、か。そもそも、『俺』がこの場で殺されかけていた時点で、既に状況は最悪だ」


 記憶を漁ってみるに、早朝、俺と隼人先輩以外の世界の『時間』が止まっているという異常事態が起こったらしい。隼人先輩が言うには、いよいよ東雲さんが本気を出して戦おうという準備をしているのだとか。


 もはや予断を許さないという状況で、隼人先輩が単身特攻。もしも、隼人先輩が駄目だった場合に備えて、俺は銀の弾丸を隼人先輩から受け取ったリヴォルバー式拳銃に込めて待機。その後、執念によって俺の居場所を感知した眼帯さんによって追い詰められて、その上、銀の弾丸の入った拳銃は奪われて、廃棄されたという有様である。

 うーん、詰んでるなぁ、これ。


「だがしかし、そんな状況でも諦めないのが、ヒーローの条件っと」


 頭の中でイメージを描き、ぐっと手の中に力を込める。すると、廃棄されたはずの拳銃が、銀の弾丸が込められた、神殺しの道具が戻って来た。

 海木から受け取った銀の弾丸。

 神様を殺すための道具。

 けれど、結局の所、これは単なるマクガフィンに過ぎない。東雲彩花を殺す資格を持つ者の前に現れる舞台装置というだけであり、別に伝説があったり、呪いが込められたりしているわけでもない。

 今ならば、分かる。


 ――――これは、『自殺』のための道具だ、と。


「ようこそ、ここまでおいでくださいました。芦葉昭樹様、貴方の健闘を眷属一同が賞賛いたします」


 歩き続けていると、眷属の一人が眼前に現れた。立ち込める霧のように、静かに、音も気配も無い出現だが、俺に驚きは無い。眷属ならば、その程度の事は出来て当然だ。

 問題は、その眷属の姿が…………和服趣味や、センス、顔立ちから考えて、どう見ても、大人版秋名さんというのが不味い。『俺』はともかく、俺は絶対に戦いたくない相手だ、主に心情的に。


「えーっと、出迎えてぼこぼこにしてやるぜ? って意味ですか?」

「いいえ、我々眷属一同、身の程を弁えておりますので。ええ、貴方様に対抗できるのはサイカ様でなければ不可能。そのことをサイカ様も存じ上げておりますので、足止めするよりもむしろ案内して来い、というご命令です」

「ああ、そっか。それはどうもありがとうございます。頑張って戦おうと思います」

「…………」


 無表情ででこちらを見つめてくる大人版秋名さん。

 何を考えているのか、その無表情から察することはできないし、望もうとも思わない。ただ、ここで秋名さんを害する必要が無かったのは幸運に思えた。

 ただ、それだけだ。


「それでは、こちらへ」


 俺は秋名さんへ導かれるまま、無人の道路を歩いていく。

 歩道を歩かずに、本来であれば早朝であれど車の往来がある道路、アスファルトの路面を歩く。前に進み、美しき眷属の後を追う。

 そして、数分ほど歩いた先に見えた交差点。


「お待たせしました、サイカ様。貴方様の死を、招いて参りました」

「うん、ご苦労だったね、アキ。下がっていいよ」

「…………はい」


 朝霧に包まれているだけの、何の変哲もないはずの交差点。

 けれど、その中央に怪物が――――真紅のドレスを身に纏った、美しき怪物が居れば、それだけでその場は神秘的だ。いっそのこと、幻想的ですらある。


「東雲、彩花」


 気づくと俺は、自然と彼女の名を呼んでいた。無意識にであるが、拳銃のグリップを掴む手に力が込められる。


「やぁ、『初めまして』だね、芦葉昭樹君」


 俺の呟きは拾われて、彼女――東雲彩花が微笑んで言葉を紡ぐ。初めまして、なんて、こちらを舐めきった……いや、ある意味認めているのか? 最初の出会いの塵芥同然だった頃よりも、認められているという証明?


「唐突で悪いけれど、さ」


 微笑みのまま、ゆらりと東雲彩花は美しき指先をこちらへ突きつける。

 その瞬間に、俺は己の愚かさを呪った。


「こちらはこちらでやるから、そっちはそっちでよろしくやってくれ」


 ばぁん、と可愛らしい東雲彩花の声とは裏腹に、凄まじい衝撃を俺の体――否、精神を襲う。強制的に同調が切られ、アンカーが抜かれ、そのまま弾き飛ばされるような凄まじい衝撃。

 ああ、くそ、やられた。

 そう思った時はもう遅い。


「ばいばい、別世界の麗しき人」


 こうして歪みは正され、異邦人はあるべき場所へ戻る。

 結末は観測できず、けれど、これが正しかったのかもしれない。

 東雲彩花との決着だけは、例え別世界の俺だとしても、同調して同期していたとしても、紛れも無い俺自身……『彼自身』が選ばなければいけないのだから。

 そして、それはきっと俺も同じだった。



●●●



 強制的な帰還は、思い切り額にデコピンを食らったような感覚である。

 本来ならば、精神的な衝撃であるので、肉体的な痛みは無いのだが、寝ぼけ半分でベッドの上で足を踏み外すような精神に付随する肉体の誤認による幻痛だろう。


「ん、あ? …………あーあ」


 微睡が幻痛によって一瞬で散った。

 俺は額を抑えながら、ベッドの上で半身を起こす。


「さすがは東雲さんってとこかね? 偶然拾った力でそのまま押し通れるほど、主役というのは甘くないらしい」


 別世界の観測は強制的に遮断され、恐らくはもう二度とその世界を観ることは叶わない。格上の存在である東雲さんがこちらをそう定義して、アクセス禁止にしてきたので、こればかりはどうしようも無いようだ。


「そうなると、あちらの俺の頑張りを期待するしかないな、うん。でもまぁ、そのまま殺される空気じゃないから大丈夫だろ、きっと、多分」


 できる限りの助力はしたのだし、何より、決着は彼が、別世界の俺が付けるべきである。ならば、これ以上どうこうしようというのはただの野暮だ。

 俺は、俺が為すべきことをやろう。


「さぁて、シャワーでも浴びてから、小説の推敲でも……っと、んん?」


 自室から廊下に出ると、奇妙な違和感を得た。なんというか、妙に静かだ。現在の起床時間は午前十時頃。うちの家では母親が元気に家事をしている時間帯なのだが。


「買い物にでも行ったかな?」


 基本的に飯時には勝手に集まって食いに来い。服を洗って欲しかったら洗濯籠にぶち込んで置け。必要な日用雑貨があったら直接言え、という方式なので、夏休み中は放置されている俺である。なので、別に家の中が静かなのは別に構わないのだが……耳を澄ませてみると、静寂の中に僅かな音を拾うことが出来た。


 それはぐつぐつと何かを煮込む音。

 その音を認識した瞬間、体が思い出したように香ばしいみそ汁の匂いを感知する。

 しかし、それはおかしい。うちの朝食は朝七時からと決まっている。遅くとも八時には完全に片付けも終わる。であるからして、これはちょっとした異常だ。母親は時間通りに料理を作ってくれるが、時間外ならテメェでやれと言ってくる人である。


「…………ふぅーむ?」


 首を傾げつつ、俺は階段を下りて台所へと向かう。

 ひょっとしたら、姉が帰ってきて遅めの朝食でも取ろうとしているのかもしれない。きっとそうだ。朝起きてきたら、姉が朝帰りで一睡もせず徹夜で遊んでいたという事態は割とよくあるのだ、うちの家では。

 だから、俺は全く警戒せずに台所へ顔を出してしまった。


「おや、おはよう。良い夢は見れたかな? 芦葉君」


 涼やかで、凛とした美声。

 聞き覚えのある声に、俺は思わず眉を顰めた。なぜなら、その声は本来であれば、俺の家で聞くはずがない人物の声だったからである。


「残念ながら、夢見はさほど良くなかったよ……まぁ、悪くも無かったけど」

「それはよかった。悪夢でも視て、食欲が湧かないなんて言われたら間が悪いにもほどがあると思ってね?」

「ああ、そう。それで……一体、俺の家に何の用事かな? 東雲さん」


 金髪碧眼の美少女、東雲彩花が、何故か俺の台所で朝食を作っていた。しかも、古めかしい割烹着姿だ。おまけに、日本人離れている美貌の割に割烹着が似合っていると来たものだ。これで、中身が可愛らしい女子高生だったならラブコメのワンシーンになってもおかしくない場面だと思う。


「可愛らしい女の子が、男の子の朝食を作りに来てあげているのだよ? 素直に喜んでみたらどうかな?」

「ははは、しばらく見ない間にジョークのセンスに磨きがかかったなぁ、東雲さん。まさか本気で言っているわけでもあるまいし」

「ふふふ、半分ぐらいは本気なのだけれど?」

「もう半分は『俺の体』についての説明だろう?」


 俺が問いかけると、東雲さんはチャーミングな笑み共にウィンクを一つ。


「それは朝食の後にしよう。手によりをかけて作ったからね、折角だから味わってくれたまえよ」


 まったく、こういう誤魔化しの仕草さえも様になるのだから、こちらとしてはやってられない。俺も最近ではイケメンモードを使えるようになったが、まだまだ中身が伴いそうにも無いからな。


「別にいいけど、露骨に春尾さんの物と比べてやるぞ?」

「ふふん、望むところだとも」


 どうやら家族は東雲さんの能力によって、人払いされているらしい。この家には俺と東雲さん以外の気配が感じられず、妙に静かな朝食となった。

 ちなみに朝食のメニューはごく普通。ご飯と味噌汁、焼き魚に漬物という定番中の定番だ。しかし、さすがは東雲さんと言ったところだろうか? その味たるや、春尾さんのそれと比べて遜色ない。


「どうだい、お味は?」

「ドヤ顔がムカつく」

「味の感想」

「…………美味かったです、はい」

「ふふふん、当然さ、愛を込めて手間暇かけているからね」


 最近の俺は春尾さんの料理を存分に味わったおかげで、それはもう舌が肥えていたのだが、その舌を満足させるどころか、こちらの度肝を抜く味わいだった。

 まさか、味噌汁の中にトマトが入っているとは。しかも、トマトの青臭さがまったく嫌味にならず、むしろ酸味や味噌の風味と合わさって清々しい味わいへと昇華されている。悔しいが、寝起きの頭がしゃっきりと覚醒するほどの美味だった。


「これでも私は我が眷属である稀代の料理人と鎬を削った中だからね? ちょちょいと本気を出せばこの通りさ。どうだい、見直した?」

「いや、東雲さんが何でもできるのは代々予想済みだし。ただまぁ、春尾さんと同じ水準ってのは凄く驚いたけど」


 俺の言葉を東雲さんは微笑で否定し、訂正する。


「私が彼に匹敵しているんじゃない、逆さ。彼が私に匹敵するほどの腕前だったから、私の眷属にしたんだよ」


 その笑みは自分自身に絶対の自信を持っている存在のそれだった。

 森羅万象、あらゆる物事の頂点に君臨する絶対王者。

 超越者の能力と視点を持つ少女。

 それが、この東雲彩花という化物の本質なのだろう


 万能過ぎて、超越し過ぎて――――だからこそ、自身が気に入った物に偏執的に入れ込んで、自身に匹敵する存在を手元にコレクションしたくなるのだ。

 己の万能感を、少しでも押さえつけて、退屈を紛らわせるために。


「…………その割には、春尾さんをスカウトする時、大分涙目だったみたいだけど?」

「ちょ、え? あっれー、おかしいな、芦葉君。その記憶は君に存在しなかったはずなんだけど、うん?」

「……いや、ごめん。とっさに出た言葉で自分でも根拠とかよくわからねーや」

「ははははは、こいつぅ!」


 こうして俺が今、東雲さんと対等のテーブルに付いているのは偏にその気まぐれによるものだ。俺の作品を彼女が愛して、俺がそれに応えようとしただけの話に過ぎない。

 本来であれば、俺と東雲さんの道は交わることなく、世界は続いていっただろう。

 だが、現実はこうして道が交わり、東雲さんと命を賭けた戦いをしている。こうやってふざけ合って、笑い合っているのも楽しいが、そろそろ本題に移ろうか。


「――――それで、東雲さん。俺に宿ったこの力は何だ? まさか、俺の中に眠っていた能力が覚醒した、なんて言わねーよな?」


 朝食を済ませて、片付けも終わらせた後、俺は一息に本題を切り出す。

まずは、このはた迷惑な能力をどうにかしなければ。竜二さんの時は助かったけれど、正直、この万能感とこれからも付き合っていくのは骨が折れるのだ。どうにか出来るのであれば、どうにかして能力を取り除きたい。


「ええと、それなんだが、君には本当に申し訳ないことをしたと思うよ。契約を交わしただけならともかく、私が弱っている時に私の血液を大量に浴びてしまったからね。ほら、君も創作者なら聞いたことはないかい? 竜の血を浴びた戦士が、刃も通さない強靭な肉体を手に入れた伝説を。あるいは、怪物の血を吸った刀が特異な力を得て妖刀として新生する逸話を」

「つまり、俺が神様っぽい存在である東雲さんの血を浴びたことによって、俺がその力の一端を取り込んでしまった、と」

「…………うーん、一端というかだね」


 東雲さんは困ったように微笑んだ後、あっさりととんでもないことを告げてくる。


「三分の一ぐらい?」

「…………え?」

「君がその気になれば、小国ぐらいなら一晩で滅ぼせるよ」

「マジか」

「マジだとも。本気を出せば、各国の核ミサイルを誤作動させてハルマゲドンも可能さ」

「うわぁ」


 これはさすがに予想外だった。まさか、人間を超える力どころか、国を滅ぼして、最終戦争を勃発させることも可能な能力に目覚めていたとは。

 正直、ドン引きだった。

 東雲さんの口調が、軽くやけくそ気味なのが余計に真実味を帯びさせて、否応が無しにそれが事実なのだと理解させられてしまう。


「異能の最高峰だからねぇ。質は最上だし、戦闘経験がなくとも最強クラスの異能者になれるし、うん。控えめに言っても人類最強選手権に出られるかもね、君」

「こんなチートで出たくねぇよ、返品だ、返品!」

「無理なんだねぇ、これが」


 ははは、という乾いた笑い声と共に東雲さんが肩を竦めた。


「私が君に贈呈した物なら、やっぱりやーめた、で取り返すことも可能だけど。形式的には略奪されたという形になるからね」

「なんで?」

「契約を交わし、対等に戦うと決めた相手に血を奪われたという事実がね? 強制力を伴っているから無理なのだよ。なので、その力の制御は君の先輩に頼むと言い。有史以前の大先輩だから頼りになるとも」

「卒業後の進路が今、確実に内定したぞ、おい」


 隼人先輩の会社に入って、異能の制御を学びながら会社を経営する未来を思い描き、俺はふと首を傾げる。

 おっかしいなぁ、俺の未来ってこんなに荒唐無稽な形をしていたっけ? もっとこう、世知辛く、社会との軋轢に悩みながら冴えない会社員になると思っていたのだけれど。まったく、人生とは本当に何が起こるか分からないな。


「ええと、それよりもだね、芦葉君」

「他にも何かあるのかよ、東雲さん」


 東雲さんは先ほどまでの態度とは裏腹に、妙に言い淀み、目を泳がせながら、そっと俺の様子を伺ってくる。時々、その美しき碧眼と目が合うのだが、直ぐに逸らしてしまい、「うー」だの「あみょー」だの奇声を上げて呻いている。

 なんなの、生物……見てて飽きないなぁ。


「あ、芦葉君っ!」

「はい」


 やがて意を決したのか、東雲さんが目を見開いて、どん、とテーブルに手を置く。そのまま、俺の眼前まで体を乗せて近づけて、酸欠寸前のように口をパクパク動かしてから、言った。


「け、契約は継続で良いんだよね!?」

「え?」

「ぶっちゃけ、今の君なら私が用意できる報酬を全部自力で手に入れられそうなんだけど、その! 本気を出せば私からもワンチャン完全逃亡が可能だしぃ! そんな感じの現状だけど、そのぉ! まだ私と契約してくれますか!?」


 涙目だった。

 先ほどまでの太々しい態度が嘘のように、東雲さんは弱っていた。

 美しい碧眼に大粒の涙を溜めて、お気に入りの玩具を失くしてしまった子供の様に、今にも泣き出してしまいそうな顔だった。


「は、ははは」


 その様子があんまりにも必死な癖に、そんな有様にもなって変わらず東雲さんが美しいことが、何かツボに嵌ってしまい、俺はついつい笑ってしまう。


「や、やっぱり駄目な感じなのかい!?」


 俺が笑うと、何やら東雲さんが慌てた様子でこちらににじり寄ってくる。もはやテーブルに腹ばい状態で、とても無様だ。だが、美しい。けれど、それ以上に面白い。

 ああ、まったくもって面白い。


「駄目じゃない、駄目な訳あるかよ、東雲さん」


 もう少しだけこの状況を楽しみたいが、後が怖いのでさっさと俺の答えを言うことに。といっても、本当に今更過ぎる答えなのだ。

 だって、力があろうがなかろうが。

 命が掛かっていようが、なかろうが。

 とっくの昔にスタートダッシュは終わっていて、今はラストスパート。今更止まれるわけがない。頼まれたって、止まってやるかよ。


「俺は世界なんて要らない。俺が今、どうしても欲しい報酬は一つだけだ」


 ここにきて、終わる寸前になって俺はようやく気付いた。

 最初から東雲さんが提示してきた報酬なんかは眼中に無かった。最初から、この勝負で俺の目に映っていたのは東雲さんだけ。

 ならば、東雲さんとの勝負が終わった後で、どうなりたいかなんて答えは最初から決まっていたのだ。ずっと答えは出ていたはずなのに、間抜けな俺はそれが見えていなかっただけ。ああ本当に、俺という奴は冴えない男だ。

 けれど、この、この大一番だけは冴えない面を歪ませて、虚勢を張らせてもらおう。


「俺が欲しいのは、勝利だけだぜ、東雲さん。世界中の財宝を集められたって、この報酬には代えられない」


 腹ばいになったまま、俺を見上げる東雲さんの表情は輝いている。まるで、見上げた先にある空から、とても美しい何かが降り注いできたかのように。

 期待されている。

 その期待に恥じないように、俺は最後まで格好つけて見せた。


「だから、東雲さん――――首を洗って待ってろ」


 色々あったが、決着の時は近い。願わくば、最後の時まで俺が虚勢を張って格好付けられるように、覚悟を決めておこう。

 せめて、自分の命が掛かっている勝負の間ぐらいはさ。

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