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第20話 極めて日常的な問題

 いじめ。

 この三文字が好きな人間はあまりいないだろう。いるとしてもそれは、社会的倫理観に欠けた人間である。

 例え、己自身がそのいじめに加担していたとしても。

 人は平然と、『いじめはよくない』とほざくのだ。


「私の友達……一つ下の後輩なんですけど、その……今、クラスの一部から苛められているみたいで」


 余語は赤い目を擦りながら、躊躇いがちに俺へ説明を始めた。

 友達であり、後輩の中学生がクラスで苛められていると。

 その友達は物静かな文学少女で、あまり人と衝突することを好まない人種だったらしい。けれど、衝突を忌避するあまり、一部の友達としか交流しない排他的な性格でもあったのだとか。恐らく、それも問題の一端なのだろうが、本題は違う。


「クラスで人気物の男子から告白されて、それを断ったら、その、女子からも男子からも」

「無視された?」

「……大体はそんな感じだったみたいです。けど、一部の女子……クラスカーストの高い奴ら、そいつらがあの子に嫌がらせを始めて」

「……あー、そいつらが実はその男子の事が好きだったとか?」

「かもしれませんねー。ほんと、くだらない」


 本題はただ一つ、クラスの中の主流と違う意見を持ってしまったが故に。

 学校の教室というのは一つの閉じた社会だ。社会である以上、当然、場の空気の流れも存在する。影響力のある人間、いわゆるクラスカーストという序列が出来ることも。そして、空気に逆らうことを大抵の人間は嫌う。なぜならば、社会における場の空気というのは、ある種のマナーであり、強制力を伴った常識であり……例えそれが間違っていたとしても、『空気を読まない』という行為は『お前らには添わない』という意思表明に繋がってしまうのだから。

 社会の空気に合わない異物は排除される。攻撃される。そういう物だ、社会という物は。


「主犯は?」

「きっかけは振られた男子が腹いせに文句を言ったことだったらしいんですけど、今はもう、一部の女子が……大体、三人ぐらいは苛めてくるのだとか」

「内容は?」

「…………物を隠されたりとか、汚物扱いとか、殴られたりとか、金を取られたりとか。いやほんと、クソですよね、こういうのって。もっと早くに言って置けばよかった。あの子に、学校なんかクソだから、行かなくてもいいって、言えばよかったのに」

「……その子は負けたくないから、頑張って登校していたわけだ」

「協調性は無いけど、意地っ張りで、根っこはどうしようもないお人よしなんです。だから、どこかでまだどうにか出来ると思っていたのかもしれないです……でも、今回の事はひどすぎる。最悪だ。犯罪だ!」


 余語は怒りと憎しみを隠さないまま、俺へ告げる。

 その少女は危うく、ついさっき…………集団で暴行されそうになったのだと。女子集団が、何かしらのツテで地元の不良グループを呼んで、その少女を拉致しようとしたのだと。

 ああ、本当に最悪だ、糞だ、ゴミだ、最低すぎる。


「本当に、貴兄ぃが直前であの子を助けてくれなかったら、どうなっていたか……」

「海木が?」

「えっと、貴兄ぃにあの子と私が、いじめ問題を前から相談していたんです。貴兄ぃもうまく問題を解決しようとしてくれたけど、その、間に合わなくて。だから、もうちょっと時間があればこんなことにはならなかったかもしれないのに」

「警察には連絡したのか?」

「…………あの子はひどく怯えていて、報復を怖がっているみたいんです。だから、その」

「まぁ、気持ちはわからなくも無いな」


 ただの女子中学生が、不良共の集団に囲まれて、危うく一大事になるところで。その後に、普通に警察に連絡する勇気を持てというのが難しい。

 何せ、相手は未遂なのだ。最悪、厳重注意だけで逃げられてしまうかもしれないし、その場合、確実に報復行動に出るだろう。不良共では無く、警察に通報されたいじめっ子共が、今よりもずっと陰湿な方法で。


「だが、それは悪手だ」


 事は既に海木の問題処理能力を超えてしまっている。

 もしも、もしもあいつがその子と同じクラスに居たのならば、そうはならなかったのかもしれないが。そもそも、苛めなんて事態を見過ごさなかったのだろうが。


 学校も違う、年も違う、既に最悪の一歩手前の状況……いくら海木が優秀な男であっても、無理難題が過ぎるという物だ。


「問題を起こしかけた状態で、何も罰を受けなければそいつらは確実に調子に乗る。このまま引きこもっても、いずれ問題が起きるだろう」

「なら、先輩、一体、どうしたら――――ふみゅう!?」

「はっはっは、そんな顔をするもんじゃないぞ、後輩」


 不安そうな表情で見上げてくる余語の頭を撫でて、わしわしと撫でて、落ち着かせる。


「ちょ、やめ、髪が、髪型が崩れるぅ!」

「はっはっは」

「んもう、私以外の女子にやったら、変態扱いされますからね、それぇ!」


 無論である。余語以外の奴にこんな真似をする度胸など俺にはない。余語限定だ。というか、今だって密やかに心臓が早鐘を打っているからなぁ、俺。本当にとことん、格好付けるという行為は難しい。

 けれど、例え道化だったとしても、余語の表情に少しでも笑顔が戻ったのなら、何よりだ。


「安心しろ、余語。お前の先輩を誰だと思っている?」

「え、えと、芦葉先輩?」


 戸惑いながら俺を見る余語へ、俺は不敵な笑みを作って応える。


「同級生の女子全員に嫌悪され、敵対されて、それでもなお、その全てを泣かせて土下座させた男だぞ、俺は」


 さぁ、復讐を代行しよう。

 因果応報の名の元に、クソッタレな世界に制裁を。

 なに、東雲彩花を相手に戦うよりはずっと、遥に勝率が高い戦いだ。


 ――――鼻歌交じりに、泣かせてやるよ、屑ども。



●●●



 俺が啖呵を切ってから、数日後。

 俺は冬花姉さんへ、とある確認の電話をしていた。


「それで、様子はどんな感じ?」

『超絶余裕過ぎて割引くらうレベルだったぜ、弟よ! つーか、こんないざこざなんざ、アタシが出張って全員拳に骨かませば済む話じゃん!?』

「まぁそう言うなよ、冬花姉さん。身内にリスクはあんまり背負わせたくねぇんだって。それに、プロに頼んだ方が後腐れねぇだろ?」

『後腐れしなくても、金が掛かんだよ、お金が! 割引くらっても三十万だぞ、このお馬鹿! 三十万なんて大金をどうするつもりだ、馬鹿昭樹ぃ! お姉ちゃんに土下座するなら、建て替えて置くんだけど!』

「俺の口座から引き落としておくわ。ほら、宝くじ当たった時のあぶく銭が残っているし」

『我が弟ながら、金の使い方に躊躇いがねぇ! その癖、妙に金運だけはあるんだよなぁ、こいつ』

「一応、そういう金はこういう時にさっぱりと使い切る様に取って置いているんだよ。自分の趣味に使う金は、小遣いか、自分で稼いだ金だけだ」

『律儀なんだか、偏屈なんだか。ともあれ――――お前の言っていた不良グループは全員精神病院に叩きこまれたから、安心しなさい』

「おうよ」


 数日の間に、ネックとなっていた問題は解決していた。いや、解決した。俺が、姉のコネを使って、世界の裏側の住人に依頼して。余語の友達を襲おうとした不良共を、きっちりと型に嵌めてやったのである。


 不良グループという一種の不安定な戦力があるから、警察に連絡するにも、力づくで排除するにも不安が残る。だから、不良などとは比べものにならないほどの『本物』に仕事を任せて、きっちりと不良グループを潰して置く。これが最善だ。何せ、標的となった不良共の心は既に砕けて、真っ当な社会に戻れるのは少なく見積もっても一年は必要らしい。そして、社会に復帰しても心に刻まれたトラウマは消えない。もう二度と、女性に劣情を抱けなくなるほどに。


「じゃあ、後は俺たちで始末をつけるから。それと、助けてくれてありがとう、姉さん」

『そう思うなら、もうちょっと大人しくしとけ、馬鹿昭樹』

「でも、後輩が泣くのを放っておくような屑なら、姉さんに叱られるじゃないか」

『まーな! 腐った性根が治るまで、殴りまくるね、アタシは!』

「だろう? だから、これでいいんだよ」

『…………ま、無理はすんなよ』

「もちろん。俺って小心者だし」

『なにそれ、超うけるわ』


 用事が済んだので、姉さんとの通話を切った。

 心配はしていなかったが、これで確認は取れたので、ひとまずは問題なし。よって、次の段階へと作戦を進めることが出来るというわけだ。


「ん、予定通り、と」


 現在、俺は春尾さんが経営していたカフェに居る。

 春尾さん自身は東雲さんの介護で手が離せないので、カフェには居らず、また、カフェも営業状態ではない。ただ単に、いじめ問題について話し合う場所として貸し出してもらったのである。誰かの家に集まっても良かったが、ここの方が周囲に気を遣わず話し合うのには向いているだろう。


「えー、そんなわけで、お前等。俺の力で……具体的には金とコネの力で悪い奴らはぶっ倒しました。あの不良共はしばらく精神病院にぶち込まれているので、怖くありません。出てきても、もう二度と俺たちには関わらないでしょう。はい、拍手!」


 ぱちぱちぱち、という一人分の拍手が響いた。

 おかしいな、ここには俺以外に三人の人間が居るはずなのに。後の二人は一体、何故拍手をもって歓迎してくれないのであろうか?


「ふー! さっすが、芦葉先輩ですよぉ! マネーの力でゴミクズの掃除! 自分は一切、手を汚さずに、確実に障害を排除するその姿勢! むふふ、惚れ直しました」

「はっはっは、そうかそうか、もっと褒めるがいい、後輩!」

「いえーい、すっごーい!」

「いえーい」


 とりあえず、素直に拍手してくれた余語とハイタッチを交わして、俺たちは喜びを分かち合う。やはり、自分がやったことを受け入れてもらえると人は嬉しいと感じる物なのだな、うん。


「…………芦葉、お前さぁ」

「おう? 何か文句があるのか、海木ぃ?」


 一方、関係者ということで呼んでいた海木は複雑そうな顔をしていた。

 整った顔立ちを苦悩に歪め、がりがりと苛立ちを抑えるように頭を掻き、喘ぐように俺へ言う。海木貴志という人間の正しさが、沈黙を許さなかったのだ。


「やりすぎだ、そこまでやる必要は無かっただろ?」

「いいや、やり過ぎじゃない。徹底的に打ちのめされなければ、人は学習しない。特に、不良という人種は愚かだ。罪の重さも知らずに罪を犯す、愚か者だ」

「だからって、全員を精神病院行きにするのは、お前。一度、そういう経歴が付くと、就職とかにも影響が――」

「それも含めての、罰だ。大多数で女を囲んだ屑どもには少々温いくらいだがな」

「……芦葉、お前は……いや」


 海木は納得いかないように口を開いていたが、隣人の視線に気づき、口を紡ぐ。

 そうだ、それがこの場では正しい。何せ、この場に居るのは『関係者』なのだ。そして、当たり前のように――――『当事者』も居る。被害に遭いかけた当事者の前で、屑どもを擁護する言葉を並べるべきではない。


「海木。俺が間違っているのか、それとも正しいのかはどうでもいい。俺の行いが犯罪であろうが、悪であろうが、悉くどうでもいい。結果として、不良共は排除されて、問題解決が容易になった。納得しなくてもいいから、今は妥協しろ」

「…………わかった」


 海木は苦渋を飲み込み、頷いた。

 もしも、ここに居るのが俺と海木の二人だけならば、この口論はやがて素手の殴り合いに発展するであろうが、幸い、ここには互いに共通する後輩が居る。加えて、蔑ろにして話を進めるわけにはいかない当事者も。


 俺が中学校の俺たちであれば、周りも顧みずに殴り合っていただろうが、やはり、多少なりとも互いに成長しているようだった。


「さて、話を戻そう。問題のネックとなっていた不良共は俺が排除した。だが、あえてこの問題の加害者、主犯とも呼べる三人は手を付けずに残してある。この意味が分かるかね? はい、そこの元気な余語後輩っ!」

「はーいっ! これから拉致って嬲るためですよね!」

「惜しい、残念賞を上げよう。リンゴ味の飴玉です」

「わーい」


 うみゃーい、と飴玉を口内で転がす余語。

 その横顔にはゆるゆるの笑顔があるが、無理も無い。俺からの報告を受けるまで、ずっと友達のことが心配で緊張していたのだ。それらの悩み事がすっきりと無くなったので、今は安堵感で胸がいっぱいなのだろう。

 ただ、気が緩み過ぎてアホになっているので、話し合いには付いて行けそうにもない。


「それじゃあ、そこのムカつくイケメン。序盤で人にキーアイテムを託して、勝手に死にそうな顔をしたイケメン野郎」

「なんだその、具体的でよくわからない罵倒は? 妙に実感の籠った怨嗟を感じるぞ」

「うるせぇ、さっさと俺が主犯の屑三人を残した理由を述べろ」


 わけわかんねーよ、という顔で舌打ちする海木であるが、舌打ちしたいのはこっちの気分である。よくわからない夢の中で死なれた後の再会だから、妙に腹立たしいやら、少しの安堵感があるやらで、落ち着かないんだよ。


「率直に考えれば、その三人の当事者を和解させるためだよな?」

「違いますぅ! バーカ、バーカ! こっちが不良共を精神病院に叩きこんでいるのに、今更『これから仲良くしようね!』なんて展開あるわけねーだろ!」

「うっぜぇ」

「お? やるか、おおん?」


 俺は数回ほど海木と殴り合って、互いのストレスを一旦リセットする。

 普段であればこのままどちらかの気が失うまで喧嘩を続けるのであるが、余語が銀のフォークを構えながら微笑んでいるので最初の数回で終了だ。つーか、どこから出して来やがったんだよ、その凶器。


「あーいってぇ……んで、お前は俺に――――いや、『お前』はどうしたいんだ?」


 血が流れた口の端を乱暴に手の甲で拭い、俺は海木でも、余語でもない人物へ問いかける。

 俺と海木の殴り合いをドン引きした様子で見ていた少女へ。

 この問題の当事者へ。

 いじめられっ子の、少女へ。


「なぁ、湯川ゆかわ かえで。お前はそいつらをどうしてやりたい?」


 俺は悪魔の如く、復讐への誘いを問いかける。



●●●



 湯川 楓。

 その少女は鴉濡れ羽色の髪をしていた。ざっくばらんに切って揃えたようなショートカットは、己の外見への興味の無さを表している。だが、その適当に切られたかのような髪型が妙に似合うほど、その少女の顔立ちは凛々しい。鼻筋はすっと通って、切れ長の目は涼やかな知性を感じさせた。肌もインドアなタイプなのか、病的なほどに白い。いや、そもそもあまり露出を好まないのか、服装もパーカーにジーンズと女っ気が欠片も無く、夏だというのに肌をほとんど出していない格好だ。けれど、そんな格好の割に、額に汗一つも流していない。


 素朴で、けれど涼やかに美しい。

 湯川楓とは、そんな少女だった。


「私は」


 俺の問いかけに、湯川楓は躊躇いがちに口を開く。

 だが、視線はまだ彷徨ったまま。一度、恐ろしい出来事に遭ってしまった所為で、その目なかには怯えの感情が隠れている。

 湯川楓という少女がどれだけ強くとも、結局はただの女子中学生だ。

 大勢の不良どもに囲まれれば、恐怖で体が竦むだろうし、その時の記憶がトラウマとなって何度も精神を苛むかもしれない。海木が助け出したとはいえ、何事も無かったとはいえ、そいういう状況に陥っていたという恐怖は中々拭えないだろう。


 例え、既にそいつらが二度と自分と関わることが出来ないと保証されても。

 恐ろしい物は、恐ろしいのだ。


「私は、負けたくないです」


 だが、だからこそ、その恐怖に抗い、言葉を振り絞った湯川楓の勇気は尊い。賞賛に値する物だ。


「あんな奴らに、苛められたまま、誰かに助けられておしまい、なんてまっぴらごめんです。怖がったまま、ずっと胸の中で痛みを隠すのもごめんなんですよ」


 彷徨っていた視線はやがて、俺を見据える。

 目の中に隠された恐怖は確かにあるが、それを塗りつぶすほど強い意思の光があった。


「あいつらは多分、このまま何も無かったら、将来、私を苛めていたことなんて忘れて生きていくんだと思います。私が覚えているのに、あっちはなんでもないみたいに。私は、それが気に入らない。ムカつく、反吐が出る。だから、だから私は――」


 湯川楓はぐい、と立ち上がって叫ぶ。

 この場に居る人間にではなく、この場に居ない復讐相手にでもなく、くそったれな世界へと吐き捨てるように。


「私は勝ちたい! 完膚なきまでに勝利して、見下して、ざまぁみろ! って言ってやって。大人になったら笑い話にしてやりたい!」


 反抗の意思を示した。

 そこに居るのはもう、いじめられっ子の湯川楓ではない。人との衝突を避けて、我慢を続けて来た大人しい少女でもない。

 戦うことを決めた、一人の戦士だ。


「は、いいな、実にいいぞ、湯川楓。それでこそ、ああ、それでこそ、だ!」


 いじめの克服に必要なのは和解ではない。

 いじめの解決には必要かもしれないが、克服するために必要なのは、覚悟と意思だ。他者を害してでも、己が強くあろうとする覚悟。そして、勝利を求める意思だ。

 それこそが、いじめられっ子を、負け犬を上等な存在へと繰り上げさせてくれる。


「笑いに行こうじゃないか、一緒に。くだらない真似をしてくれた、くだらない奴らを。法律や規則なんて物は無視して、思いっきりぶん殴ってやれ!」

「おいこら」


 海木が制止して来るが、もう既に状況は止まらない。


「わかりました」


 湯川楓は、戸惑うことなく、俺の言葉に頷く。


「私はあいつらをぶん殴って、泣かせてやります!」

「よし、その調子だ! だが、相手は三人居るぞ? お前一人で戦えるか? 俺たちが手を貸しても良いが、それでいいのか?」


 素人同士の喧嘩なんて、所詮はじゃれ合いの延長である。そこに殺意が混ざっていない限り、相手を完全に再起不能にさせるのは難しい。

 それでも相手をぶん殴って、負けを認めさせるのには一工夫が必要だ。


「いいえ、私に考えがあります!」

「ほほう、言ってみろ」

「――――実は私、スタンガンと催涙スプレーとか持ってんですよ」


 ぐっ、とサムズアップした湯川楓に、俺は微笑んで頷いた。

 それでいい、それが正解だ。人数差という不利を埋めるために、手軽に戦力を強化できる道具を使用する。武術を習うよりも、お手軽で確実な方法だ。


「ただ、道具を使う場合は不意打ちの一撃で相手の自由を奪えよ? こっちの道具を奪われて使われたら不利になるからな。ああ、後はあれだ。一人ずつ呼び出して、闇討ちしていくのが確実だぞ、一気に三人は面倒だからな」

「ういっす! 肝に銘じます!」

「ならば良し! さぁ、復讐劇の始まりだ!」

「「いぇえええええええええっ!!」」


 俺、湯川楓、余語の三人は揃って右腕を掲げて、鬨の声を上げる。


「性根の腐った女どもに、鉄槌を!」

「私の友達に舐めた真似をしてくれたお返しを!」

「つまりはぶん殴るってことですよ!」


「「「殺せ! 犯せ! 晒せ! 嗤え!!」」」


 俺たち三人は同調しつつ、士気を高めていた。

 他者に暴力を振るう時は、その場のノリと勢いでやってしまうに限る。


「……一応、やり過ぎだと思ったら止めるからな、ほんと」


 幸いなことに、ストッパーである海木が居るので俺たちがいくら暴走しても相手を殺すことは無いだろう。だから、止められるまではやり過ぎても構わないという理論だ。


「行くぞお前等ぁ! まずは予め掴んで置いた、脅迫ネタを使って一人ずつ呼び出してからの闇討ちだぁ!」

「ひゃっはー!」

「いやっふー!」


 こうして俺は、女子二人を引き連れて女子中学生を泣かせに行ったのである。



●●●



 襲撃は極めて順調に行われた。

 まず、俺があらかじめ掴んで置いた脅迫のネタを使い、匿名で人気の『ある』場所に一人ずつ呼び出す。そうだな、オープンカフェか、喫茶店とか、まぁ、場所はどこでもいい。肝心なのは、頼りにしていた不良グループが壊滅し、警戒心が高まっている相手を呼び出せること、それと……周囲から僅かばかりの死角があることだ。


「あ、あんたたち、こんな真似して――――ひぐっ!?」


 基本的に呼び出した相手の対面の席に座るのが、余語。わざとらしく相手の隣に座るのが、湯川。俺と海木は何気ない通行人の振りをして、一瞬でも周囲の視線を塞ぐか、逆に騒ぎを起こして周囲の目を奪う役割。


 その間に、湯川が隠し持っていたスタンガンで攻撃。ここで失敗しても次があるから別に良いのだが、張り切っていた湯川は三人全てにスタンガンを決めて、悶絶させた。


「だ、大丈夫ですか!? 何があったんですか!?」

「わかんないです! 友達が、友達が急に!?」

「救急車を呼ぶか、おい、海木!」

「いいや、叔父さんの車で病院まで行った方が早い!」

「私も、私も付いていきますぅ!」


 悶絶する主犯共を、周囲の目のある中でこんな茶番をやりながら拉致していった。拉致する時はさりげなく、相手の口を塞ぐのを忘れない。叫ばれたら困るからね。ちなみに、拉致する時に使った車と運転手は姉さんの提供である。さりげなく犯罪に加担しているが、公に出なければ何も問題ないのだ。


 ばれなければ犯罪ではない、大丈夫、政治家だって似たようなことやっていると思うし。

 つーか、途中で一人ぐらい失敗するかと思ったが、意外とうまくいって驚きだ。良いことなんだが、折角考えて来たサブプランが日の目を見ないかと思うと少しだけ虚しい。


「さて、三人に不意打ちを決めて拉致してきたわけだが、ここからが本番だな」

「…………なんで俺の家のガレージを使ってんだよ」

「昼間に周囲の人が居ないということに加えて、広さがちょうどよかったんだよ、海木」

「そうか。俺の家でこれから犯罪行為が行われるのとか嫌なんだが、止めて良いか? もうここまでやれば脅したも同然だろ」

「まだだ、まだ湯川の目は奴らを許しちゃいない。そして、あの屑どもも、まだ完全に心が折れていないからな」


 海木の家は近所から三百メートルほど離れた場所に、ポツンと建てられている普通の一軒家だ。周囲は畑と田んぼで囲まれていて、カエルと虫が鳴く音がこれから始まる余計な雑音を誤魔化してくれるだろう。


「ふざけないでよ、湯川ぁ! あんた、こんなことして、無事で済むと思ってんの!?」

「解けよ、これぇ! 警察に言うぞ、おい!」

「そうよ、今なら謝れば許してあげるわ!」


 薄暗いガレージの中で、三人分の雑音が喧しく鳴っていた。

 三人はいかにも今時の女子という派手な薄着をしていて、それ故にスタンガンの攻撃をもろに受けてしまったのだろう。多分、失敗するだろうなぁという初期作戦であっさりと捕まってしまったのだった。

 まぁ、普段から電撃耐性を備えている女子中学生なんて居ないだろうけど。


「うっさい、黙れよ」


 喚く三人を湯川は見下したまま、冷たい目で一喝する。


「もうこっちは覚悟を決めてんだよ。お前等と最後まで戦う覚悟も、犯罪者になる覚悟も、決めて来たんだよ」


 がん、と近くにあった金属の柱に、湯川は乱暴に蹴りを叩きこんだ。

 それは恐らく、普段の湯川から考えられない暴力性だったのだろう。手足を縛られて身動きが取れない屑三人は、びくりと体を震わせる。


「お前たちが私を気に入らないと言うのはいいんだ、別に。三年間、同じ学年でそれなりにやってきたのに。友達じゃなかったけど、そこまで仲悪くも無かったのに。急に、私が最悪の人間みたいに扱われて、ああ、そうだ、無視されるぐらいならよかった。でも、お前らは調子に乗って、私をとことん痛めつけようとした」


 湯川は言いながら、足元のスポーツバックから何かを取り出した。それはスタンガンでもなく、催涙スプレーでも、拷問道具でもなく……木製の布団叩きだった。


「だから、私はお前たちが泣いて謝っても――――叩くことを止めない」


 ひぃ、と屑どもの中から怯えた声が上がる。

 どうやら、ようやく己が置かれた状況を正しく理解したらしい。だが、愚鈍だ。遅すぎる。不良共を使って湯川を囲んだ時点で、何もかもが遅すぎたのだ。


「待ってくれ、湯川ちゃん。流石に、それでリンチはちょっと」


 湯川の覚悟に不穏な物を感じたのか、若干、慌てた様子で海木が制止する。屑どもはその声を聞いて、海木をまるで救世主を見るような目で見上げるが、どちらもまるで見当違いだ。


「安心してください、海木さん」


 にぃ、と湯川は口の端を釣り上げて、笑う。


「これで叩くのはお尻だけです。これから私がやるのは『お尻ぺんぺん』だけです。クソガキを躾けるのには、これで充分ですから」

「…………わかった。けれど、君が犯罪者にならないようにやり過ぎないように」

「あはは、問題ねーですよ」


 あくまで湯川を案じる海木の態度に、屑三人の目から希望が消えた。


「どうせすぐに心が折れますよ、こいつらは」


 かつてのいじめっ子たちは手足を奪われて、心が折れる寸前。

 かつてのいじめられっ子は、武器を持って私刑執行寸前。


「だって、私と違って、いじめられるのには慣れていないみたいですから」


 そして、因果は応報し――――ここに正しく、復讐は実行された。



●●●



「なぁ、芦葉。お前と悠月って付き合ってんのか?」

「この状況で何を言っているんだ、お前は」


 ぱぁん、ぱぁん、と肉を叩く音がガレージに響く中、海木が唐突に俺へ訊ねて来たのである。しかも、この状況には全く合わない恋バナだ。


「あんまりあっちに意識を向けてくないんだよ、察しろ」

「……ああ、まぁ」


 海木は露骨に『それ』から視線を逸らし、ため息を吐く。

 その気持ちはわからないでもない。なぜならば、既に俺たちの眼前で行われているのは復讐では無く、別の物になっていたからだ。


「ああ! ああん! もっと、もっと叩いてください、ご主人様ぁ!」

「気持ち、悪い! 気持ち悪いんだよ、お前等三人! この変態っ!」


「「「ありがとうございますぅ!!」」」


 復讐は既に完遂されていた。というか、湯川の『お尻ぺんぺん』が始まってから十分ほどで屑どもの心は折れて、みっともなく顔の穴という穴から体液を流して、許しを乞うていた。どうやら、今まで暴力をまともに受けたことのない人種で耐性が無かったらしい。

 そう、耐性が無さすぎたのが不味かった。


「ねぇ、どうしてこんなことされて気持ち良いの? 意味が分からないよ。どうして、自分を苛めていた相手に踏みつけられて、ぐにぐに体の柔らかい所を踏みつけられて、そんな蕩けた顔しているの? ねぇ? 豚さんなの? 人間ですらない、変態豚さんなの?」

「ぶ、豚ですぅ!」

「変態豚です、叩いてください、踏んでください、唾を吐きかけてください!」

「ぶひぃいいいいいいっ!!」


 衆人環視の元、辱めを受けて、その相手は自分がいじめていたはずの相手。その相手に、為す術もなく良い様にされている。その屈辱が、痛みが規定値を飛び終えて反転、精神がこれ以上の崩壊を防ぐために変質してしまったのだろう。

 即ち、屑三人は変態トリオへ進化してしまったのだった。


「ああっ!」

「あふんっ!」

「んひぃ!」


 すっかりマゾになってしまった今の変態トリオにとって、既に湯川からの私刑はご褒美も同然だった。

 顔立ちの整った湯川が、蔑んだ目で叩いてくれたり踏んでくれたり、心底ドン引きという口調で罵ってくれるのだ。既にその道に踏み込んでしまっている変態共にとっては、お褒美以外の何でもない。

 そして、湯川もまだ隠されたサドが覚醒しつつあるので、後十分ぐらい放置してから強制的に中断させよう。


「復讐は虚しいな、海木」

「この場面で言うな、笑えて来るだろうが」

「そうだな…………それで、ええと、余語との関係だっけか?」

「ああ」


 俺と余語は繰り広げられる痴態から目を逸らしつつ、会話を続ける。


「まだ付き合ってないよ」

「へぇ、『まだ』か」


 俺の言葉の何が面白いのか、海木はにやにやと笑みを浮かべていた。俺から見たらムカつく笑みなのだが、傍から見たら爽やかに見えるのだから、不思議だと思う。


「つーことは、お互い想い合っているわけか? でも、心地良い関係から一歩進めるのを躊躇っている、と」

「分析してんじゃねーよ、くそが」

「なんだ、違うのか?」

「…………少なくとも、俺はあいつのことが気に入っているよ。ああ、そうだな。今までの人生の中で、真っ当に女子を好きになったかもしれん」


 何故俺は海木相手に、こんなことを言わなければならないのか。

 そもそも、俺は恋愛関連に関してはアホみたいに臆病で、馬鹿みたいに察しが悪い。今まで、女子なんてただの敵対者で、屈服させる対象だった、それだけだったのだ。


 だから、真っ当に俺に好意をぶつけてくる余語の存在を、どうしていいのか、正直持て余している感があるのは否めない。

 つーか、その好意すら本当は恋愛感情じゃなくて、尊敬とか、そっちのベクトルのそれじゃないかと勘ぐっている有様だ。本当に、情けないぞ、俺。


「でも、余語が俺の事を本当に好きなのかは、まだ分からな――」

「いいや、どう見ても完全に惚れているだろう、馬鹿か、お前は」

「…………は?」


 だから俺は、海木の罵倒に対して言い返すことも無く、ただ、唖然と半口を開けた。


「あいつと幼馴染である俺だから、分かるんだよ。今のあいつは、本当ただの恋する乙女だ。もう、人が苦しむ様を楽しむサイコパスじゃない」

「待って、海木。善良で甘い部分があるお前からの評価が妙に辛辣で驚いている」

「これでも控えめだぞ?」

「控えめなのかー」

「幼稚園の頃から、手足の欠けた人形をコレクションしていたり、『美人さんにしてあげる』とか言いながら、満面の笑みで人形の目をカッターでくり貫いて――」

「やめろよ、怖くなってくるだろうが!」


 前々から異常者疑惑があった余語だが、ここにきて海木の証言が合わさり、完全にアウト判定っだった。生粋のサイコパスだった。


「正直、俺はあいつが怖かったんだよ、芦葉。だから、あいつに「この気持ちを確認するために、腕を折らせてください」と言われた時は全力で逃げて、それ以来距離を取ったんだ」


 淡々と語る海木の横顔が引きつっている。

 よほど怖い思いをしたのか、その出来事は未だにトラウマになっているようだ。


「えっと、余語の初恋の話?」

「あんなに悍ましい告白が悠月の初恋であってたまるか。あれは単なる歪んだ性欲だ」

「歪んだ性欲」

「現に、今のあいつはお前に残虐で苦痛を強いる行為を求めていないだろ?」

「変態的なエロスを要求して来ることはあるのですが?」

「お前は知らないと思うけどな、芦葉。恋をしている人間は誰だって変態になるし、エロスを求める物なんだ。だから、お前があいつにとっての初恋なんだよ」


 良い笑顔で言う海木だったが、完全にお前、トラウマを物色するために必死じゃねーか。俺が初恋だったということにして、自分が悍ましい何かの標的にされていたという過去をなかったことにする気満々じゃねーか。

 だが、ここでそれを指摘するほど俺も野暮じゃない。


「そういうものか?」

「そういうものだ」

「んじゃ、それでいい。好きな女子の初恋相手が自分とか、少し嬉しいからな」

「……ふふ、お前はやっぱり、変わったよ、芦葉。少しだけ、ムカつくところが無くなった」

「ふん、お前のそういう所が、俺は結構ムカついていたぜ」


 俺と海木は憎まれ口をたたき合いながら、視線を移す。


「あははははっ! 惨めな変態共っ! ほら、その不細工で滑稽な姿を取ってあげるので、アヘ顔ピースしなさい、ダブルピース!」


 俺たちの視線の先には、ビデオカメラ片手に変態共の痴態を録画している余語の姿があった。大変興奮して、その口元には歪んだ笑みが浮かんでいる。


 神様、あれが俺の好きな女子なんですが、どうしましょうね。


「…………末永く幸せに添い遂げてくれよ、マジで」

「大丈夫。たまに狂っても俺は余語の事が好きだから」

「お前のそういう所だけは、ガチで尊敬しているよ、芦葉」


 ぱぁん、ぱぁん、と肉が叩かれる音が響く異常空間の中で。

 かつての仇敵だった俺たちは、少しだけ和解したのだった。



●●●



 いじめ問題は思いのほかあっさりと解決した。

 形としては両者の和解という物になるのだが、その過程でマゾ奴隷が三人生まれ、そのご主人様が爆誕してしまったが、問題ない。いや、今後の彼女たちの性癖が色々歪んでしまった可能性はあるが、それでも今後、湯川がいじめに遭うことは無くなるだろう。


 むしろ、苛めて欲しいと懇願される立場になったのだから。


「芦葉先輩、今回は本当にありがとうございましたっ!」

「…………素直にお礼を言われると複雑な気分だな」


 問題が解決したので、俺と余語は共に帰路に付いている所だった。アスファルトで舗装された田舎道を、照り返される熱気に炙られながら、歩いている。周囲には田んぼと畑ばかりで、人影は見当たらない。退屈で、面白味の無い田舎道だ。


 車があるのだから、そのまま送られればいいという意見もあるかもしれないが、残念ながら彼の運転手と車は拉致専用なので、普通の送迎には使えない決まりなのである。そこら辺の区別はしっかりと弁えないといけない。ただでさえ、姉さんのコネで手伝ってくれた人だったのだから。


「結局、実行に移したのは湯川の胆力によるところが大きい。きちんと反撃できる人間なら、その内地力でも解決していたさ」

「でも、三十万払ったじゃないですか、先輩。それによって不良共を蹴散らせたのが一番の戦果ですよ? というか、楓ちゃんが負担させてくださいって頭を下げてたんだから、少しぐらい負担させても……いや、私もお金を払いたいんですが」

「はん、どうせあぶく銭だ、気にするな」

「いやいや、私もあの子も気にしますってー」


 むー、と余語は唇を尖らせて俺に抗議して来る。

 やれやれ、三十万の部分は言わなくてもよかったな、うん。その場の勢いで言ってしまったが、後輩に気を掛けさせてしまう失態だ。少しばかり、恩着せがましく胸を張りたかっただけなのだが、まさか身から出た錆になるとは。


「だったら、お前らがきちんと社会人になって金を稼ぐようになってから払え。それまではどんな手段を使った金でも、絶対に受け取らない。無論、バイトも不可だ」

「えー」

「不服そうにするな、馬鹿後輩。そもそも、貴重な青春の時間を借金返済なんぞに使うんじゃない」


 余語は釈然といかないようで、じぃとジト目で俺を見つめてくる。

 今すぐ金を払えならともかく、金を払うなと言って不服そうにされるとは。世の中とはかくも理不尽で構成されているものだな。


「ええい、そんな目で見るなまったく。いつか返す金なら、何時返しても変わらんだろうが。それが十年後だろうとさ。そんな物よりも、今しかできないことをやれ」

「……例えば?」

「む、えっと、その、恋とか?」


 口に出してから、即座に後悔した。この状況でこの話題は、完全に余語の領分だ。


「ほぅん、恋ですかぁ」


 ころりと、余語の表情が変わる。

 不服そうなジト目から、欲しかった玩具を買い与えられた幼子のような笑みへ。


「えへへへー」

「お、おい」


 緩んだ口元を隠そうともせず、余語は俺の腕へと抱き付いてきた。

 余語の柔らかな体の感触と、体温が伝わってくる。特に、余語は制服よりも私服の方が薄着だったので、今までかつてないほどの密着感である。後、女の子の良い匂いとかやばい。柑橘系の香りと、ほんのり混じった汗の匂いがやばい。気合いを入れて雑念を払わなければ、俺はこのまま硬直して石像と成り果ててもおかしくないだろう。


「恋らしい行動とかしてみましたけど、どうでしょーか?」

「すみません、余語さん。勘弁していただけませんか?」

「えー、嬉しくないんですか?」

「嬉しすぎるが、心臓がやばい。理性がやばい、俺の理性が超がんばってる」

「えへへー」

「何故そこで、嬉しそうな顔を?」


 すりすりと俺の肩に頬を擦り付けてくる余語が、子猫のように愛らしく、うっかりとそのまま抱きしめそうになってしまった。とっさに姉の全裸を思い出して萎えなければ、危うく性犯罪者の仲間入りだったかもしれない。


「だって、好きな人に想われるのは、嬉しいじゃないですか」


 だからかもしれない、あまりにも唐突な言葉に硬直せずに済んだのは。

 強制的に萎えたおかげで、頭が冴えて、冷静に余語の姿を観察できた。余語は、にまにまと余裕そうに笑っているが、俺の腕を掴む力は強く、桜色の唇はかすかに震えている。

 俺がどんな馬鹿でも分かる。ここは、ここが、むしろここ以外に『想い』に答えを出す場面など無い。今を逃してはいけないと。それは、ヘタレのクソ野郎の所業だと。


 ―――だが、思い出すのは命を賭けた契約。それを成し遂げ、勝利を掴むまでは、俺は何物も得ることが出来ない。

 誰にも応えてはいけない。

 ヘタレのクソ野郎に成り下がろうとも、最低の屑になるよりはマシだから。

 だから、俺は――――殺気――――余語の体を突き飛ばした。


「え?」


 呆けた余語の表情で胸が痛むが、そんな暇は無い。

 何故なら、胸の痛みよりも鮮烈な痛みが、俺の右手、手の甲の部分に突き刺さっていたから。


「くそが、油断していた」


 手の甲から掌まで、鋭い金属の刃が貫通している。

 それはダーツによく似ている物だが、遊戯よりも人を殺すことに特化した、鋭く、必要以上に殺傷力のある代物だった。


 これが、この凶器が、さっきまで余語の腹部へ向けられていたかと思うと、反吐が出る。怒りで、何もかもを焼き尽くしてやりたくなる。


「せ、先輩っ! 芦葉先輩っ!?」

「俺の後ろに下がれ、余語後輩……こいつは、ハードな案件だ」


 ダーツを手の甲から引き抜くと、どろどろと鮮血が流れ出す。骨の間を完全に貫通していたので、肉がズタボロですぐに血は読まらない傷だ、これは。

 だが、そんなことはどうでもいい。

 俺は苛立ちを抑えながら、周囲を見渡す。

 俺たち以外、誰もいないような田んぼと畑だらけの田舎道。そんな田舎道に、いつの間にか一人の男が立っていた。

「いよお、芦葉ぁ」


 まず、目についたのはその凶悪な顔。『弟』とは似ても似つかない、獰猛な野犬の如き、殺意と狂気に塗れた歪んだ、笑顔。平然と人を殺しそうな顔。その癖に、肉体は長身でけれど、筋肉質。一切の無駄がなく、闘争に特化した肉体だ。

 けれど、その服装は髑髏マークのシャツに、ジャラジャラと銀のチェーンが付けられたダメージジーンズ。どこぞのチンピラが身に着けているような、安っぽい代物。


「今のは良く受けたな。まるでヒーローみたいで、格好良かったぜぇ、くははは」


 安っぽいチンピラのような格好で、けれど言動はさらに頭の螺子が緩んでいる。その上、能力が一流以上だから、手に負えない。


「なんで、あんたがここに居る?」

「釣れないことを言うんじゃねーよ。いつもいつも、俺の弟が世話になっているから、そのお礼だよ……あとは、まぁ、そうだな」


 それこそが、俺の親友――吉川健治の兄にして。


「お前を適当にボコっておけば、あのクソ女も俺に目を向けるだろ?」


 俺の姉、芦葉冬花の宿敵。

 吉川よしかわ 竜二りゅうじというアウトローだった。

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