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第19話 夢を想う暇も無い

 異能バトルの世界で、謎の登場人物を気取った夢を視た。そう、それだけならば、ただの微笑ましい夢で済む。笑い話にもならない、心の中の中二病が再発したんだなぁ、という微笑ましくも物書きならではの夢だ。


 けれど、あれは夢ではなかった。

 夢ならば、あんな鮮明な記憶として脳裏に焼き付くはずがない。呼吸の一つ一つまで、胸に刺し込まれるような殺気の鋭さまで、きっちり覚えているのだ。

 そう、夢の中で俺は――『芦葉昭樹』として動いていた。他の誰でもなく、己自身の視点で。けれど、己とは違う道を辿った、芦葉昭樹として。


 あの屋敷での出来事は、胸が高鳴るような逃走劇は、きっと…………俺にとっては夢であったが、『あっちの俺』にとっては現実だったのだろう。

 まぁ、どちらにせよ、どちらも俺なのだけれど。


「……ややこしいな、頭がこんがらがりそうだ」


 寝ぼけた頭を振って、思考を打ち切る。

 所詮夢、などと楽観視するつもりはない。既に俺は東雲さんや、春尾さん、秋名さん、神代先輩という非日常的な存在を知っている。それらの影響を受けて、俺の中の何かが変っていっているという自覚もある。

 だが、その不安も、恐怖も、日常から逸脱するささやかな喜びも、今は置いておこう。


「小説を、小説を書こう。そうすれば、そうすればきっと、なんともなくなるはずだ」


 勝利が欲しい。

 あの超越者に。

 文字通りの意味での、神の如き少女に。

 東雲彩花に、俺は勝ちたい。勝たなければならない。

 屈服させたいわけでも、見下したいわけでも、情欲に狂ったわけでもない。ただ、そう、俺は男子高校生として当たり前のことをやりたいだけだ。

 自分で自分を認められる、絶対的な何かが欲しいだけだ。

 どれだけ時間が経とうとも、色あせることのない誇りが欲しいんだ。


「なんて、な…………はぁ、馬鹿らしい。実家で気が緩み過ぎだろ、俺。顔でも洗って、しゃきっとするかぁ」


 どれだけ思いを重ねようとも、結果が伴わなければそれは無意味だ。

 そうならないために必要なのは、やはり行動あるのみである。よくわからない現象に怯えている暇があったら、小説を書くのだ、小説を。

 今日は午後から文芸部で集まって、学校崩壊に関しての説明を受けることになってたり、後は、後輩たちへ俺の無事を知らせる用事もある。だから、それまでに小説を出来る限り書き進めていよう。


「ん、あれ?」

 そんな一日の予定を考えつつ、俺は洗面所の鏡の前に立ったのだが、そこでふと妙な点に気付く。

 昨夜、ぼこぼこに殴られたはずの俺の顔面。今だ、シップやらガーゼなどが多く貼り付けられている顔面なのだが、思いのほか、腫れていない。あれだけ渾身の勢いで殴られ続けたのに、顔面に腫れを……それどころか、嫌な熱の塊すら、感じない。


「…………」


 どうせ、顔を洗うのでシップやガーゼを顔から全部取り外す。すると、どうだろうか? 俺の顔面には腫れどころか、かすり傷ないというか、傷痕すらも見えない。まるで、何事も無かったかのようにつるつるの肌が、そこにはあった。


「は、ははは」


 震えた声を隠すように、冷水で顔を洗う。きっちりと洗顔料を用いて、泡を最後まで洗い流すように、丁寧に洗う。洗った後は、ごしごしと清潔なハンドタオルで顔を拭いて、ふぅ、と一息。


「まったく、痛みが無いんだが?」


 傷痕どころではない、僅かな痛みすらも無い。つまり、完治だ。昨日あれだけ悲惨な顔面になっていたのに、一晩経っただけで完治している。おいおい、俺は一体どこの化物なんだよ、と無理やり笑おうとするが、喉が震えてうまく声を出せない。

 漠然としていた恐怖が、現実味を帯びて俺の心臓を掴む。

冷たい、冷たい、決して溶けることのない氷で出来た魔手に、己の内部が掻き回されるような恐怖が、身を震わせる。


「……………………小説を、書こう」


 自らの胸を掻き毟り、喘ぐように、俺は呟く。

 縋るように、自分に言いきかせるように、俺は繰り返す。


「小説を書こう。それだけが、それだけが、今の俺にとって……」


 どれだけ自身が変わろうとも、最後までこの精神が俺であると定義できたならば。

 それはきっと、幸いなことであると信じて。

 今日もまた俺は、小説を書く。



●●●



 不安を振り切るように小説を書き続けていたら、あっという間に午前中は過ぎ去っていった。

 余計なことは考えない。いくら思考を重ねたところで、何が変わるわけも無い。現実逃避のように小説を書いて、書いて、現実逃避していたことすら忘れるほど書き連ねて。

 ようやく、俺は不安を一旦、棚に置いておくことが出来た。どうにか、後輩たちとの約束の時間までに間に合ったようで何よりだ。

 いくら、理解不能な変化が己に起こっていたとしても、後輩たちの前では毅然とした態度の先輩でありたいから。先輩が後輩に心配をかけるなんて、情けなさすぎる。


「先輩、先輩、せーんぱいっ!」

「落ち着け、落ち着けよ、後輩」


 いや、既に現時点で俺は後輩たちに心配をかけていたのだった。

 後輩たちとの待ち合わせは、駅前の喫茶店だったのだが、待ち合わせニ十分前にスタンバイしていた俺の所に、数分遅れで余語後輩がやって来たのである。

 随分早い到着だな、と俺が感心している間に、私服姿の余語はそのまま店内を疾走。俺の元まで駆けよると、そのままダイナミックに俺の胸へと飛び込んできたのだった。


「ああ、先輩だ……本物の先輩だ……うぅ、本当に心配したんですよぅ」

「悪かった、俺が悪かったから、一旦、離れて――」

「変な偽物も現れてっ! その上、わけのわからない爆発で学校が壊れるしぃ……芦葉先輩に何かあったらと思ったら、私……ふぐぅ」

「分かった、離れたくないんだな、うん、わかったから、少し力を弱めろ……地味に、地味に内臓が圧迫されんだよ……」

「よかった、芦葉先輩が無事でよかったよぅ」

「聞いてねぇ」


 ぐいぐいと割と凄い力で抱きしめられて、おまけにぐりぐりと頭部を俺の鳩尾に押し付けてくる物だから、軽く悶絶物である。何故、うちの姉といい、俺の知っている女性陣は心配の形が暴力的なのだろうか?


「はいはい、もうわかったから、好きにしろ」

「あい、好きにしますぅ」

「そこは返事しやがって」


 結局、残りの後輩二人が来るまでの間、余語は俺から離れることは無かった。幼い子供が、母と別れるのを拒むように。ずっと、柔らかい体で、強く、俺の体を抱きしめていた。

 その体温が、力強さが、甘い匂いが、今に俺にとっては少しだけありがたい。

 こうやって抱きしめられている間だけは、確かに、この世界に繋ぎ止められているような気分になれたから。


「すげーっすね、芦葉先輩。なんか、うちの学年のラインに流れてましたよ? 悠月とドラマみたいな感動の再会をやらかしているって」

「もう『完全に青春ドラマの世界に居るぜ、こいつら』とか書かれているしねぇ」


 高橋と姫路の二人は、揃ってやって来たのだが、何故か学校指定のジャージ姿。しかも、高橋は右腕にギプスをはめていて、姫路は片目をガーゼで覆っている。


「よう、後輩共。早速だが、どうしたんだお前等、その有り様は?」

「それはこっちの台詞でもあるんっすけど。やー、愛されてますねぇ、芦葉先輩」

「ひゅーひゅー♪」

「茶化すな。そして、いい加減周囲の視線が辛いから、剥がすのを手伝え」

「やれやれ、病人に働かせるとは鬼っすねぇ、芦葉先輩」

「しばらくラブラブしていればいいのに」


 ぶつくさ文句を言いながらも、二人は余語を剥がすのを手伝ってくれる。だが、離れない。余語は小さな体のどこにこんな力があるんだよ、とツッコミたくなるほどの怪力で、俺の

体から離れない。なんなのよ、お前。


「離れなさい、余語後輩。俺は逃げません」

「この手を離したら、芦葉先輩が死ぬ気がします」

「死なないから、離しなさい」

「やーですぅ! そういうのは、二週間も連絡なしに失踪しない人間が言って、初めて説得力が生まれるんですぅ!」

「ぐ、この我侭ガールめ!」


 ぎゃあぎゃあ、と店内迷惑も試みず、俺たちは言い争う。早く事態を収拾しなければ、出禁コースまっしぐらだ。貴重な駅前の喫茶店に出入りできなくなるのは、結構辛い。田舎町の学生にとってのここの便利さは半端ないのだ。


「とりあえず、痴話喧嘩には関わらないんで、俺ら」

「数馬ぁ……私たちも、ラブラブしよ?」

「しねぇよ、馬鹿」


 後輩二人は早々に諦めたので、当てにならない。ここは俺の交渉力を持って解決しなければいけない場面だ。

 くそう、慕ってくる女子の退け方なんて知らねぇぞ、俺は。こっちを憎んでいる女子相手なら、容赦なく生まれてきたことを後悔させてやれるのに。


「分かった、手は離さなくていい。離れなくてもいい。ただ、抱き付き状態を解除しろ。いい加減、その、露出している肌がくっつくとやばいんだよ……」


 加えて言うのならば、余語の私服姿が結構大胆なのが不味い。ショートパンツにTシャツという普通の出で立ちなのだが、俺に対してやけに素肌を密着させてきやがる。

 小麦色で、すべすべとした感触の肌が、惜しむことなく俺の体に押し付けられてくるので、本当にやばいのだ。具体的に言えば、俺の下半身が。


「えー、嫌ですぅー。失踪していたくせに、何か、女の人の匂いをくっつけている先輩の言うことは聞きませんー」

「こえーよ、どうしてわかるんだよ、心臓が止まるかと思ったわ」

「…………ここで頑張らないと、先輩が取られる……取られるだけならまだしも、死なれたら一生ものトラウマですよ……」


 耳元でそういうことを囁くのはやめて欲しい、心が折れそうになる。

 確かに、俺が二週間失踪しただけでもこの有様なのだ。仮に死んでしまったら、確実に病むだろうな、こいつは。というか、どうしてこんなに好かれているんだか、俺は。何か特別なことをした覚えは……あるけど、あれでフラグが立つのか、こいつは。びっくりだわ。


「分かった、死なない、死なない。今度は事前に連絡するから」

「事前に連絡したら失踪していい理由になりませんよ!?」

「えー、なんだよもー、めんどくせぇなー、もー、とりあえず、暑苦しいから、離れろ馬鹿」

「はーん!? 可愛い後輩が心配しているのに、その言いぐさは何ですか――」

「その可愛い後輩が居るのに、俺がどこか別の場所に行くわけないだろうが、馬鹿」


 余語があまりにも頑固で面倒なので、段々と説得が面倒になってきた。なのでもう、こちらもその場のノリと本音を適当に垂れ流していく方針で。なんかもう、後の事を考えて論理立てて話すのとか、建前を用意するのとか、超かったりぃぜ、ははは。


「んな、んなななな! なんですか、告白ですか!? それとも誑かしですか!?」

「めんどくせー、どっちでもいいよー、お前のことはそれなりに好きだよー」


 がしがしと乱暴に余語の頭を撫でてから、俺はぐいぐい余語の体を離れさせる。暑苦しい上に、今日のお前は妙にエロいんだよ、この馬鹿後輩。スキンシップは節度を持て。


「それなりってなんですか、曖昧な!」

「それなりはそれなりだよ、お前」

「んじゃ、結婚してくれるんですか!? 私にプロポーズしてくれんですか!?」

「意味わかんねぇ……はぁ、はいはい、結婚してやるよ、結婚」

「凄く投げやりぃ!? いいんですか、結婚ですよ、結婚!?」

「婚姻届け持ってこいや、サインしてやるよ」

「んな、なな……くぅ、こ、この場は引いてあげます……ふにゅう……」


 その場のノリで、割と本音を隠さず話していたらいつの間にか俺は勝利していた。

 俺との会話で敗北した余語は、顔を真っ赤にして、ようやく俺を抱き付き状態から解放する。ただし、繫いだ手は離さないままで。


「次は婚姻届けを持ってきますので、覚悟してくださいね、芦葉先輩?」

「ははは、任せておけよ、余語後輩」


 顔を赤くした余語が、何やら蕩けた笑みで言質を取っているが、問題ない。仮に婚姻届けにサインをしたとしても、それが受理されるまでには他にもいろいろと手間がかかるのを知っているのさ、俺は。だからその内に有耶無耶にすれば人生の墓場行きは免れるという寸法だ。


「おめでとう、芦葉先輩、悠月ちゃん! あ、婚姻届けはサインするだけじゃなくて、他にもいろいろ手続きがあるから、詳しい手続きは私がきっちり教えるね! 数馬にも婚姻届けにサインさせる予定だから、一緒の日に市役所に行こう!」

「ありがとう、明日香ちゃん……一緒にウェディングドレスを着ようね!」

「うん! えへへ、今から結婚式が楽しみ!」


 女子二人の会話に、俺は無言で視線を逸らして高橋の方を見る。

 高橋は何故か、まったく関係ない方向から来た流れ弾に当たった兵士みたいな顔をしている。まるで、これから棺桶に入れられる死人の如き、生気のない目だ。


「まぁ、なんとかなるだろうさ、きっと」


 物の弾みで大変なことになった気がするが、それはきっと未来の自分が何とかするだろう。というか、何とかしろよ、俺。でもまぁ、どうせ互いに結婚できる年齢になるまでに、俺との付き合いに余語が飽きるか、呆れるかするだろうし、問題無いか。長く付き合えば付き合うほど、俺自身の欠陥が見えてくるだろうしな。


「んっ」


 そんなことを考えていると、何故か察したかのように余語の手に力が籠められる。


「逃がさないですよぅ、先輩」

「…………はは」


 耳元で囁かれた言葉に、俺は苦笑を返すしかない。

 とりあえず、現在の所は、余語が俺を手放すつもりはないようだった。



●●●



「ふふふ…………墓場が、まだまだ十代も後半戦が残っているのに……人生の墓場が見えるんっすよ、芦葉先輩」

「別にいいじゃん、姫路の事は嫌いじゃないんだしさ、お前」

「え!? 数馬が私の事を愛して夜も眠れないって!?」

「…………とりあえず、その話は置いといて、芦葉先輩が居ない間の二週間に何があったのか、簡単にお伝えしますね」


 高橋はくっ付いてくる姫路を軽くスルーして、説明を始める。


「まず、芦葉先輩が居なくなったことが分かったのは、最初に悠月が先輩の偽物に気付いた時からっすね」

「愛の力凄いよね、悠月ちゃん。私なんか、さっぱりわかんなかったしぃ」

「ちなみに俺もさっぱりわかんなかったぜ」


 さすがは東雲さんが用意した替え玉と言えるだろう。姫路はともかく、それなりに付き合いの長い高橋の目も誤魔化すなんて。いや、ただ単に俺が慕われていなかったという可能性も考えられるが、それは悲しすぎるので考えないで置く。


「ふふん、先輩は私にとっても感謝しなければいけませんよー。何せ、私が気づかなければきっと、先輩は密やかに偽物と成り代わられていたかもしれないんですから!」

「お、おう」


 にまにまと笑みを浮かべた余語が、薄い胸を張ってドア顔をしている。相変わらず、俺の手を離さずにつないだまま。

 正直、好感度はともかく、一番付き合いの短い余語がその偽装を看破するとは思わなかったのだが、どんな点に気付いて見破ったのだろうか?


「何せ、あの偽物野郎は普段の先輩よりも二割増しで爽やかなイケメンでしたからね! それに、いつもに比べて若干社交的でしたしぃ!」

「言われてみれば、そうだったっすねぇ。なんか、細かいことに気が付く感じで」

「ぶっちゃけ、普段の先輩の上位互換でしたよー」

「……そうかー」


 後輩たちの容赦ない意見に、俺は苦笑を浮かべるしかなかった。

 確かに、東雲さんが手を回した存在ならば、普段通りにしていて俺よりも数段上のスペックの持ち主だろう。それを殺して、性能を落として、無理やり低能な人間の振りをしていたのだから、それで違和感が出てしまったのか。

納得はしたけれど、釈然としない気持ちである。


「いやいや、明日香ちゃん! 先輩は情けなくて、ヘタレで、排他的で、それでも一度身内と認めた相手に優しいからいいんだよ! こう、ギャップ? 懐かない野良猫が、いつの間にかひっそりと寄り添っていてくれるような優しさこそが、先輩の真骨頂! スペックが高いだけの偽物なんて、要らないんですよぅ!」

「余語、それって俺を褒めてるの? 貶しているの?」

「もちろん褒めてます! 強いて言うなら、先輩の萌えポイントを語ってます! さぁ、自らを慕う可愛らしい後輩を甘やかしてもいいんですよぅ!?」

「あー、はいはい、ありがとうなー」

「えへへー」


 すりすりと俺の肩に頬ずりして来る余語。

 俺はそんな余語の頭を撫でて、出来るだけ優しく甘やかす。どうにも、俺の人生でここまで女子に慕われるのは初めてだから、むず痒いな。え、東雲さん? 東雲さんは俺じゃなくて、俺の小説を愛しているのでノーカウントだ。


「ちなみに、その偽物ってどうなった?」

「試しに足の指を折らしてくださいって言ったら、ドン引きして逃げました、えへ♪」


 余語はどこか恥ずかしそうに、俺を上目遣いで見つめる。

 どうしよう、どんな反応をすればいいんだよ、俺は。


「……余語、多分だけど、いきなりそんなことを言われたら俺だってドン引きして逃げるぞ、おい」

「あ、いきなりじゃないですよ! ちゃんと、こっそりと耳打ちして『先輩、私、もう我慢できません……一本でいいから、足の指を折らせてください……』って」

「ああ、それならドン引きはするが、とりあえず事情聴取だな。話を聞いて、問題があればどうにかして改善してやりたいし、それでも駄目だったら足の指一本は、まぁ、仕方ないかな」


 唐突に、何の前触れもなく狂気を剥き出しにされれば俺だってドン引きだが、そういうワンクッションがあるのならば、俺もやぶさかではない。前々から薄らと余語の異常性の話も聞いているし、それを上手く解消できなくなって困っているのであれば、先輩である俺が尽力するのは当然のことだ。

 ま、さすがに指の骨を折らせてやるほどお人よしじゃないが。


「芦葉先輩、そういう所はかっこいいと思いますけど、レベル高すぎてついて行けねぇ」

「一般的なSMの領域を超え過ぎてますよー」

「おい、人を変態みたいに言うんじゃねーよ」


 遠い目をしている後輩二人に、俺は弁解する。


「俺は被虐体質じゃない。そういうことに快感は覚えない。だが、仕方ないだろうが、その場合は。だって、俺に対してそういう要求が湧かないと言っていた後輩が、そこまで言うレベルの事態だぞ? そこは人を殺したりする前に、俺がその衝動を受け止めてやって、後はしっかり余語と向き合って、問題を解決していくべきだ」

「芦葉先輩、かっこいい台詞を言い過ぎですよ、気を付けてください。貴方の隣の余語が、萌えすぎて理性崩壊寸前っすわ」

「ふへへへー、しぇんぱいー♪」

「うわ、顔真っ赤だぞ、お前、どうした!? ええい、首筋を舐めようとするんじゃない、落ち着きなさい!」

「だってー、先輩がいきなり私を口説くからぁ……もう、胸がどきどきしますよぅ。いつもはただ、むらむらするだけなのにぃ」

「やっぱりお前、俺への好意はほぼ性欲だろ、このドスケベ後輩!」

「ドスケベ後輩!?」


 そこから十分ほど、俺と余語の言い争いが続くのだが、あまりにも見苦しいので記さないでおこう。惚気の入った先輩後輩の喧嘩なんて、傍から聞く者にとっては胸やけでしかない。

 現に言い争いの終わりは、途中で高橋が強制的に話を戻してくれたからだった。


「えー、お二人とも、痴話喧嘩はそこまででー。それでー、話を戻しますとですねー。その偽物を俺と姫路で負ったんですが、まんまと逃げられまして」

「逃げ足が速いってレベルじゃなかったですよー」

「しかも、追いかけている途中に校舎内が何者かによって爆破されまして」

「爆破!? おいまて、いきなり話がわけわからなくなったぞ!?」


 どうしてそこでいきなり、校舎が爆発するんだ。というか、何故、こんな田舎町の高校が爆破されるんだよ、びっくりだわ。


「俺たちだってよく理解できてないっすからねぇ。警察の見解だと、そいつがテロリストの一味か、学校に尋常じゃない恨みを持った人物って話になりますが」

「いきなりだったら、慌てて悠月ちゃんを校舎内から連れ出してー、まー、局所的な爆発が何度かあった後に、最終的に校舎を全壊させるレベルの爆発がありまして」

「幸いなことに、爆破された時間帯が放課後だったおかげで、校舎内の人間は目立った怪我無く全員避難できたみたいっすよ――――俺たち以外」

「めちゃくちゃ避難誘導とか頑張った代償がこれなのですよー」

「ふふふ、あの時は超疲れたっすわ、もう二度とやりたくない……あんな恐ろしいこと」


 二人の発言に、俺はどこか違和感を覚えた。

 確かに、いきなり校舎が爆破されるという荒唐無稽な出来事は、中々信じがたい。だが、校舎が現実として全壊している以上、その発言を信じなければ話は進まないのだ。そして、話を進めた上で、俺は不思議に思う。


 何故、校舎が爆破されるという恐ろしい出来事が起こったというのに、目立った怪我人が立った二人だけなのだろう? 加えて、その二人は一般的な高校生を遥に凌ぐ身体能力の持ち主であり、加えて、武道によって鍛え上げられた精神力は並外れている。避難誘導に尽力したという話は信じてもいいが、その上で、二人が大怪我を負ってしまうという状況が信じられない。


 素人の俺の考えではあるが、二人がそんなレベルで大怪我を負うような事態であったのならば、少なくとも、何人か死人が出なければおかしい。例え、誰かを庇って受けた傷だとしても、そもそも、この二人ならばそんな危機的状況で一か八かの行動に出ない。行動に支障が無い程度の怪我であれば庇うかもしれないが、避難誘導している立場で動けなくなるほどの怪我を負うリスクも冒して、誰かを助けるだろうか?


「余語、お前はその時、どうだった?」

「んー、どうだったと言われてもですねー。その、正直、あんまり覚えてないですよぅ。その時は恥ずかしながらパニックで、『気づいたら校庭に居た』って感じだったのです」

「……そうか」


 学校の崩壊。

 偽物の芦葉昭樹。

 東雲さんの負傷…………そして、神代先輩の存在。

 なんとなくではあるが、俺が居ない間に起きた出来事は予想できる。もちろん、名探偵の如く論理的な回答では無く、ほとんど妄想染みたこじつけではあるのだが。

 だが、そうなってくると、この後輩二人の負傷が余計に目立つ。

 まるで、何かの争いに巻き込まれてしまったような、その負傷は…………いや、やめておこう。考えすぎは何事も良くない。


「そんなわけで芦葉先輩。夏休み明けからは、俺たちはしばらく違う高校に転入扱いになるらしいっすよ」

「一応、近隣の学校で手分けしてこっちの生徒を受け入れるみたいだけれど、私たち文芸部は全員同じ学校みたいですよー」

「ふふふ、よかったですねー、先輩。可愛い後輩たちと離れずに済みますよぅ。先輩ってほら、同じクラスに友達とか居なさそうですしぃ」

「うるせぇ、余計なお世話だ、余語」


 悪態を返して、俺は肩を竦めて見せる。

 二人の正体が何であれ、俺の後輩であることには変わりない。ならば、それ以上の事は、今は知る必要が無いだろう。もしくは、知るべき時になったら二人から教えてくれるかもしれない。だから、俺は先輩として後輩二人を信じようと思う。


 …………ここまで考えておいて、全部間違っていたら俺はただの妄想逞しい痛い人間なんだが、まぁ、想像力が豊かなことは物書きとしては悪くないだろう、うん。

 とりあえず今は、慕ってくれる後輩が居るこの日常に、帰還できたことを素直に喜ぶとするか。


「あ、ちなみに先輩。どうして失踪してたんっすか? や、なんか複雑な事情があるなら、言わなくていいですけど」

「ああ、まぁ、ちょっと拉致られて神隠しっぽいことになってた」

「神隠し!? え、それって大丈夫なんっすか!?」

「毎日、三食世界最高峰レベルの食事が付いて、身の回りの世話をしてくれる銀髪ロリの使用人が居たぞ」

『なにそれ、ずるい』


 この後、後輩三人に詰め寄られて、やけに豪勢な監禁ライフについて根掘り葉掘り聞かれることになるのだが、話せば話すほど後輩たちの目が恨みがましくなっていくという理不尽な体験だったという。



●●●



 後輩たちとの集会が終わったのはおおよぞ、午後三時半ぐらい。この田舎町では電車は一時間に一本しか通らないので、自宅に帰ろうにも一時間ほど暇になる。


「ふふふーん♪ ふふふー♪ せーんぱいっと、おっかいものー♪」

「おいこら、手を繋いだまま振り回すな、子供か、お前は」

「えへへへ」


 そして、集会が終わっても余語が俺の手を放してくれなかったので、なし崩しのまま一緒に行動することに。適当に駅前の商店街を冷やかすだけなのに、何がそんなに楽しいのだろうか、こいつは。


「むふふー♪ 今こそ、千円までの奢りを支払ってもらう時ぃ!」

「覚えてやがったか、こいつ。そうか、それでそんなに満面の笑みか、貴様」

「えへへへ、それだけじゃないですよー、先輩の鈍感ばーか」


 可愛らし舌を出して、「んべー」と挑発する余語後輩。

 くそ、こいつめ。自分の容姿が可愛いのを知っていて、そういう態度をしてやがるな? おのれ、悔しいが俺にとっても、そのあざとい行動は有効だ。だって、女子に対しての免疫なんて元々皆無だし。

中学時代の女子は敵対者であり、姉は女子にカウントしないので、こう、余語のような女の子らしい女の子と仲良くするのは人生で初めてなのである。


「失礼だな、余語後輩。これでも俺は人間観察とか、それなりに得意だぞ? 伊達に物書きじゃないし。ただ、その、あれだ。勘違いはしたくないからな、誰だって」

「あははは、先輩のばーか」

「再びの罵倒!? 何だ貴様、先輩には敬意を払えよ、もう!」


 俺が拗ねてそっぽを向くと、余語は悪戯な微笑みと共に、そっとにじり寄る。お互いの呼吸が分かる所まで近づいて、でも、触れ合わずに。


「女の子にここまでされて、踏み込んでこないのはヘタレですよ? まぁ、そこも先輩の萌えポイントなんですがね!」


 自分の唇に人差し指を当てて、密やかに言葉を告げてくる。

 ああ、踏み込まれた、と思った。ここで言葉を濁しても良いけれど、それはこの上なく格好悪い。この後輩はその臆病さを、それもまた良しと許すかもしれないが、俺は、そんな俺の格好悪さを許すことはできないだろう。


「余語、俺は――」


 PRRRRR!! 

 意を決して言葉を返そうとした時、それを遮るように携帯の着信音が響く。


「…………んもぅ。ちょっと待っててください、先輩」


 物凄く残念そうな顔をしていることから、どうやら余語の携帯が鳴っていたようだ。余語は渋々携帯を通話に切り替えて、誰かと会話を始める。

 他人の電話を横から盗み聞きするのも難だし、俺はそっと手を振りほどこうとして、そこで気付く。電話をしている余語の横顔が、段々と険しい物になっていくことに。


「…………そんな、だって、昨日までは…………うん、わかった。今から、行くから、うん。それまでよろしくお願いします」


 通話を切った時の余語の表情は何か焦燥しているようで、見て居られなかった。


「あ、その、先輩、誘っておいてごめんなさい! 私、急用ができてしまって!」


 ぎこちない作り笑いを浮かべて、余語は俺の手を放す。あれだけ離れるのを嫌がっていた我侭娘が、すんなりと。


「また今度、デートしましょう!」


 精一杯の元気をかき集めて、俺に笑みを向ける。

 俺に、背を向ける。そのまま、どこかへ急ぎ足で走っていこうとして、俺はそこで我慢が出来なくなった。


「待て、馬鹿後輩」

「んにょっと!?」


 強く、駆け出そうとする余語の手を掴み、引き留める。余語が悲しそうな表情をしてこちらを見るが、関係ない。


「ごめんなさい、先輩。私ってば、今、結構急いでいて――」

「助けが必要か?」

「……え?」


 何を言えばいいのか分からなかったから、心のままに俺は余語へ訊ねた。

 お前が悲しそうな顔をするのはどうにも耐えられないから、助けたいと。俺の力が及ぶ範囲であるのならば、その悲しみをぶち壊してやりたいと。


「お前は俺の後輩だ。だから、困っていたら、助ける。助けるから、お前もさ、助けて欲しい時は言えよ、『助けて』って」


 あまつさえ、俺の口から吐き出されるのは何の根拠も無い、威勢だけは良い言葉。とてもではないが、少年漫画やライトノベルの主人公のようにはいかない。


「お前が文芸部に入って、俺の後輩になった時から、俺はお前の味方だ。遠慮せずに頼りやがれよ、馬鹿後輩」


 頼りない癖に、それでも俺は言う。ここで言わなきゃ嘘だから、だから、俺は余語へ『頼れ』と言うんだ。


「…………でも、こんなの、全然、文芸部も、先輩も関係なくて――」

「お前が関わっている時点で、無関係じゃない」

「…………せん、ぱい」


 余語は潤んだ瞳で、言葉を詰まらせる。

そんな余語の頭へ、出来る限り優しく手を置いて、俺は不敵に微笑んで見せる。


「少なくとも、千円分ぐらいはお前の役になって見せるさ」


 余語は呆けたように目を丸くした後、肩を震わせて、笑い始める。潤んだ瞳から、涙をぽろぽろ零しながら。


「安っぽいヒーローですね、先輩」

「こんな田舎町にはお似合いだと思わないか?」

「……ふ、ふふ、そうですね、えぇ、本当にそうですよぅ」


 ぐしぐしと、涙を掌で拭い、余語は腫れぼった目で笑みを作る。泣き笑いの笑みを作って、俺に助けを求める。


「私の友達がピンチなんです。助けてください、先輩」

「任せろ、後輩」


 余語の事情も、電話の内容も何も知らないまま、俺は頷いて了承した。

 安請け合いでは無くて、例えそれがどんな内容だったとしても、己の力の限りを尽くすと決めて。

 どこにでもいる平凡な男子高校生は、今、安っぽいヒーローになる。


 世界なんて救えないけど、大事な後輩の笑顔ぐらいは、守りたいから。

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