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第1話 美少女は空から降ってこない


『んほぉおおおおおっ! らめぇ、らめぇなのぉ! 頭がおかしくなっちゃうのぉ!』


 部室に入った瞬間、室内に聞き覚えのある嬌声が響いた。

 もちろん、室内に入ったら見知った誰かが事を致していたとか、そういうわけでは無い。ただ単純に、不運に、パソコンからヘッドフォンの端子が外れてしまい、音声が漏れてしまったのだろう。

 エロゲーの情事シーンの音声が。

 俺が貸したエロゲーの、グランドルートのHシーンの音声が。声優さんが熱演したと言われている名シーンが。

 うん、そのことは理解できた。

 理解できたからこそ、俺は眉を顰める。


「…………おい、高橋?」


 俺の眼前には、慌てた様子でノートPCの画面を閉じる後輩の姿が。


「あ、あああああ、芦葉先輩……これはですね、その……」

「たーかーはーしぃぃいいいくぅううううん?」

「ひぃ、すみませんっ! ちょっと魔が差したんですぅ!」


 高橋たかはし 数馬かずま

 俺が所属する文芸部の後輩の一年生だ。ひょろりと背が高い優男で、狐目と呼ばれるような細い目つきと、妙に長い手足が特徴的な男子高校生である。


「あのさ、高橋後輩。俺が言いたいこと、分かっているよね? よりにもよって、どうしてこの部室でエロゲーをやってんのかな? 馬鹿なのかな? 教師連中にばれたら謹慎物だぜ?」

「すみません、すみません……家できない息抜きを、ここでなら、と」

「お前の事情は知っているがな。まぁ、息抜き以外に違う物を抜いて居たら、そのまま蹴りを入れていたところだぞ、マジで」

「はっはっは、流石の俺でも学校でオナニーなんざ――」

「学校でエロゲーやっていた奴が何か言っているなぁ?」

「先輩ぃ!? 芦葉先輩! 机は! 机は打撃武器ではないので!」


 高橋が焦っているが、本当に机をぶつけるつもりなどない。これはあくまでも脅しだ。本当に机を投げつけたらただの頭のおかしい人間である。そして、俺はごく普通の男子高校生。よほどブチ切れた時でしか、そんな真似はしない。鬱屈した中学時代でも、机を投げたのは一回程度だ、問題ないはず。


「ふぅうううう……いや、冗談だ、うん、冗談。そんな真似をしたら、今度は暴力事件で謹慎をくらうからな。大丈夫だ、部長としてそんな真似はしない」

「芦葉先輩って、本気で怒ると何するか分からないから怖いっすわ」

「大丈夫だ、沸点を低くして、定期的にガス抜きしているから」

「ああ、それで今回のリアクションもガス抜き、と」

「きしゃあ!」

「先輩、芦葉先輩。椅子は、椅子は打撃武器では!」


 俺は後輩との心温まるコミュニケーション終え、息を荒くしながら何時もの席に座る。

 文芸部の部室は使っていない空き教室の一つを与えられているので、椅子と机の数は豊富だ。なので、自分で好きな位置に机と椅子を置いて席を用意するのである。一応、私物を机の中に居れても良いが、管理は自己責任。


「ぜぇ、ぜぇ……くっそ、無駄な体力使っちまった。今年の初夏はクソ暑いってのに」

「ご安心を、先輩。この俺が顧問に許可を取って、クーラーの使用権を頂いて来ましたぜ。ま、室温を26度以下に設定しないという制限付きっすけど」

「ぜぇ……ふぅ、それに関しては良くやったな、高橋。どおりで廊下よりも涼しいわけだ」


 元々空き教室だったためか、この部室にはクーラーという贅沢品が付属されている。もっとも、使用許可を顧問から貰わないと稼働できないのが面倒だが、それを踏まえても贅沢品である。文科系の部活の中ではかなり優遇されている方だろう。

 この優遇具合に関しては過去の先輩たちの優秀さによるものなので、最悪、俺たちの不出来さによってはこの部室を奪われる可能性も出てくる。

 ちなみに、エロゲーをやっていたと知られたら一発アウトなので、今後も厳しく取り締まっていきたい所存だ。


「あとは、はい。芦葉先輩、麦茶です。良く冷やしておきましたぜ」

「おう、サンキュー。なんか、ポットと紙コップを持ちこんでいる辺り、お前がどれだけこの部室に居座るつもり満々か分かるよな」

「はははは、ここは唯一のオアシスですんで」


 遠い目をした高橋は、老人のように麦茶を啜る。

 何故、高橋がこんなに文芸部の部室を好んでいるか、それにはちょっとした理由があるのだ。

 高橋は元々文芸部では無く、柔道部に所属していた一年生だった。しかも、幼い頃から実家の道場に通い、中学校の時には個人で全国大会に出場したほどの猛者である。

 そんな彼が何故、現在文芸部に所属しているかと言うと――


「うふふふふっ! 数馬発見ぅ! ひゃっほーい!」

「ぎゃぁあああああああああっ!」


 部室のドアを勢いよく開け放ち、そのまま高橋へ抱き付いた少女に原因がある。


「ひゃぁ! 数馬成分補給! 補給! んゆー!」

「やめろぉ! 近づくな、舐めるな、さっさと離れろぉ!」


 その少女は全国クラスの腕前を持つ高橋の掴みにも動じず、がっちりとどこぞの妖怪の如く高橋へしがみ付いている。傍から見れば、獲物を襲うエイリアンみたいな感じだ。間違ってもロマンチックな成分など感じられない。


「うへへへ、数馬ぁーん」


 このどう見ても頭がおかしい感じの少女は、高橋と同じ一年生の後輩で、名前は姫路ひめじ 明日香あすかという。茶髪ポニーテイルで小柄な体躯で童顔。小学生と言われればうっかり信じてしまいそうなほどの幼い容貌の女子高生である。

 そして、高橋の幼馴染であり、高橋の事を愛してやまない馬鹿ヤンデレだ。ヤンデレの癖に、馬鹿なのである。どうしようもない。


「くそぉ、明日香ぁ! 貴様、教師陣からこの部室への立ち入りを禁止されたはず! 停学が怖くないとでも言うのか!?」

「うえへへへぇ」

「駄目だ、会話にならねぇ! 芦葉先輩、教師を呼んでください! 後、男手を三人ほど! この状態のこいつを剥がすにはそれだけの数が!」


 ちなみに高橋と同じ道場に通い、姫路も全国クラスの柔道の腕前を持つ。しかも、高橋よりも強いので高橋は捕まったら逃げられない。なので、高橋は高校に入ってからは常に複数で行動するように心がけていると言っていた。


 このように、高橋は身の危険を回避するため柔道を止めて、文芸部に所属することにしたのである。元々柔道は何時か辞めたいと思っていたらしく、姫路から逃げるついでにこの文芸部を選んでみた、というのが高橋が文芸部に所属するに至った流れである。

 高橋を不憫と見るか、羨ましく見るかはさておき。


「はい、そろそろ二人とも静かに。他の部室から文句を言われるぞ」


 ぱぁん、と大きく柏手を一つ、俺は鳴らす。

 それで高橋は不承不承に黙り込み……けれど、姫路が何時まで経っても離れないので、仕方なく俺が動くことに。


「おい、姫路」

「うへへへへ……」

「俺は約束を守れない人間には、相応の罰が必要だと思っている。そして、この部の部長は俺だ。言っている意味はわかるな?」


 できる限り声を低く、威厳を込めたつもりで姫路へ告げる。

 すると、姫路もやっと正気を取り戻したのか、慌てて高橋から離れて、床に正座。スカートが汚れるのも構わず、じっと待機状態へと移行した。


「こ、この馬鹿が人の忠告をまともに!? せ、先輩……一体、どんな魔法を?」

「ふむ、それに関して説明するとだな」


 驚きの目で俺を見る高橋へ、説明を始めた。

 と言っても、話は簡単で、実にシンプルである。高橋が柔道部を去ってから、姫路が高橋を追って女子柔道部を退部。その後、こちらへ出没するようになり、学校側からの警告が入る。あからさまに不順異性交遊をしようとしているので、学校側も厳しく対処せざるを得ず、姫路は身動きが取れなくなる。

 だが、身動きが取れなくなった姫路は別のアプローチを試すことにしたのだ。そう、文芸部への入部届である。


「そして、俺が入部を許可した、というわけだ」

「裏切りやがったなぁ! 芦葉先輩ぃいいいいいっ!?」

「落ち着け、後輩」


 今にも掴みかかりそうな高橋を宥めて、俺は言葉を続けた。


「無理に馬鹿を止めても、より馬鹿な行動を起こすだけだ。だから、最初にある程度の要求をこちらが飲むんだ。そう、『一緒に居る』ことは許可した。だが、『過剰なスキンシップ』は当然禁止だし、部室内で騒ぎ立てたり、他の部員に迷惑をかける行動を起こすのも禁止だ」

「いや、先輩。それは普通に当然のことで……あ、そっか」

「そうだな、これは普通に当然の事である。だが、お前が困っていたのは、姫路が普通で当然の事を守ろうとしなかったから、だろう? そして、当然のように部活動の最中に禁止事項を破れば、退部だ。容赦はしない」

「うぐぐぐぐ」


 恨みがまし気に姫路がこちらを睨むが、俺は悪くない。お前が全般的に悪くて、むしろ、立場を良くしてやったんだから感謝しろよ、という気持ちを込めて「あ?」と言葉を返す。

 すると、姫路がこちらから露骨に視線を逸らして目を伏せた。よし、きちんと部長権限が効いているようで何より。これで何も反応が無かったら、部内での不祥事を避けるために強制退部しか無かったからな。


「あ、芦葉先輩! 俺、文芸部で、芦葉先輩の後輩でよかったです!」


 その様子を見ていた高橋は満面の笑みで、ガッツポーズを作っていた。そこまで嬉しかったか、お前。


「そうか、そりゃよかった。ただ、基本的に俺は女子に関わるのがしんどいので、馬鹿が部活動で分からないことがあったらお前が教えるように」

「先輩は女子が苦手というか、露骨に避けますからねぇ? なんでしたっけ? 中学時代に同じクラスの女子を全て敵に回していたとか」

「思い出したくない」

「…………ひょっとして、さっきまでのやり取りもきつかったりします?」

「女子からの敵意とかトラウマ物だが、部内の平穏のために頑張ったんだよ。こんなんでも、一応部長だからな……うん」

「おおっ! さすが芦葉先輩っすね!」


 やめてくれ、素直に感心しないでくれ。

 まともに人から尊敬の念というか、良い感情を向けられるのは久しぶりなのだ。照れるからマジ勘弁。というか、一度評価が上がると、後々下がって失望されるんじゃないかと不安になるので止めて欲しい。いや、ここはネガティブになるところじゃないだろ、落ち着け俺。


「ふぅううう……落着け、俺、芦葉昭樹……お前はやればできる人間……いや、頑張ればそれなりに最低限の事はできる人間だ……前向きに……」

「素直に褒めたら、先輩がネガティブに!? なにこの先輩、めんどくせぇ!」

「ええい、それに関しては自覚している。改善を目指している、だから大丈夫だ!」


 部長であり、後輩の前であるから頑張っているだけで、普段の俺はもっと面倒くさがりの駄目人間なのだ。本音を言えば、姫路の問題だって見て見ぬふりをして放っておきたかったのだが、さすがに部長としてそれは無いだろうという、己の最低限の良心に動かされたのである。

 まぁ、折角後輩が尊敬してくれているのだから、もう少し頑張ってみるか。


「ぐぎぎぎ……数馬と先輩楽しそう……妬ましい」

「はいはい、姫路は訳の分からない嫉妬をしていないで、さっさと立って好きな席に着くように。あ、高橋は空いているノートPCを姫路に使わせて、色々説明してやってくれ。適度な距離を保って」

「ういっす」


 高橋と姫路が程度な距離を保ったまま、隣の席に。加えて、俺の目の届きやすい場所に居るので、これで何かあっても即座に注意できる。大丈夫だ、問題ない。ちなみに、この場に居る俺たち以外の部員(三年生を除いて)は、ほぼ幽霊部員なので、基本的にこの面子で部活動をしていくことになる。

 自ら望んで作った環境とはいえ、胃が痛くなりそうだ。

 だが、きちんと出席してくれる部員が居るだけマシだと考えておこう。


「それでは、今日も二海市立第一高等学校文芸部の活動を始める。各自、好き勝手に己の文芸に勉めるように」

「ういっす」

「はーい」


 こうして、騒がしい面子を一人増やして、文芸部の活動が始まる。

 いつもとほんの少し違う空気で、けれど、恐らくいつも通りの部活動が。



●●●



 かたたたた、と不規則なリズムがキーボードを叩く。

 踊る様に指を動かすなんて、とてもじゃないが執筆中は難しい。精々、ステップを踏むような指使いしか出来ない。いつかは俺も、踊り出した指先が止まらないほどのモチベーションに溢れる日が来るのだろうか?

 まぁ、来ないだろうな。


「…………んっと」


 紙コップに淹れられた麦茶で喉を潤す。

 物語を綴るリズムが崩れないように、炉を入れたモチベーションが落ちない程度に。

 脳内で思い描いた情景を、道筋を、キャラクターを、文章に貶めて綴っていく。ああ、書けば書くほど分かる事ではあるのだが、物語を頭の外側に押し出す作業は基本的に苦痛だ。

 書けば書くほど、面白いと信じていた物語がつまらなくなっていくような気がする。もっと、何か適切な表現があったのではないかと苦悩して、妥協して、それでも物語を進ませて。

 指を動かして、己の意欲が枯れるまで、せめてつまらないと失望してしまう前に物語を書き終えよう。妥協が諦観に、諦観が投げやりに変わる前に。


「…………んん?」


 ふと、違和感を覚えて指が止まる。

 指先が、キーボードの上から動こうとしない。


「んんんん?」


 さて、何が原因だろうかと、今まで書いてきた文章を見直す。

 現在、俺が書いている作品は現代超能力系の短編だ。ジャンルはバトルと言うよりは、ミステリーより。というか、短編でバトルは難しい。


 主人公は、複数の鴉と視界を共有する能力を持っている。そんな主人公は最初、下世話な覗きに能力を使っていたのだけれど、その内、クラスメイトが殺人を犯している現場を目撃してしまう。しかも、そのクラスメイトは主人公が密かに想っている女子で……倫理と愛の狭間に揺られ、主人公は決断を迫られる、という話である。


 結末を先に言えば、主人公は結局決断せず、見て見ぬふりをすることにして……その結果、その女子が自殺を謀っている姿も見逃してしまう。

 能力の所為で悩み、能力を拒んで目を逸らし、その行動を皮肉った結末。

 愚かな主人公を嗤い、読者の心が荒んで欲しいという想いを込めて考えた結末である。


「…………鴉の視界って、どんなんだ?」


 結末から逆算して、話の道筋まで組み立てていたというのに、思わぬ欠陥を発見した。いや、鴉の視界でも普通に人間と同様に見えるようにすればいいのだろうが、それでは面白くない。というより、面白くないご都合主義だ。ここは、ある程度リアリティを含ませておいた方が、異能という非日常に対して現実感を肉付けできるだろう。

 流石に図書館へ鳥類の本を探しに行くほどでは無いが、ネットでざっと情報を浚って、もう一度文章を見直してみるか。


「あー、んーっと」


 部室内ではPCをネットに繋げてはいけないので、携帯端末で鴉についての情報を集める。集めて、使えそうな部分の情報だけメモって、文章を見直して……と、そこまでやったところで部活動終了のチャイムが響いた。

 時計を見ると、もう六時は過ぎている。


「ふぅ、こんなもんか」


 ちょうど調べ物を終えて集中力が途切れたところだったから、タイミングとしては悪くない。俺は文章をUSBに保存して、PCをシャットダウン。後輩たちにも、部活動の終了を告げようとして、そこで気付いた。


「何してんの、お前等?」

「芦葉先輩、聞いてくださいよ、この馬鹿がね!」

「馬鹿じゃないしぃ! 数馬とのラブイチャ小説書いてただけだしぃ!」

「そのラブイチャが一行目からR指定を受けそうな描写しているのが馬鹿だってんだよぉ!」


 どうやら、高橋と姫路の間でひと悶着があったらしい。ヘッドフォンを付けて音楽を聴きながら執筆していたので、全然気づかなかったが。

 姫路に関しては高橋からの指導の方が真っ当に文芸に取り組むと思っていたが、どうやら思い違いだったらしい。明日からは、俺がきっちりと教えることにしよう。


「はいはい、喧嘩だったら二人一緒に帰りながらやれ。本日の部活動は終了。鍵を閉めるから、さっさと出ていけ」

「うーい」

「あーい」


 後輩二人を押し出して、部室の戸締りを確認。その後、職員室へ部室の鍵を返して、俺も帰路につく。

 初夏のため、夕方の六時は陽が沈むにはまだ少し早い。

 薄らを赤く染まり始めた空の下で、自転車を走らせ、俺は駅へと向かう。駅には近場には俺と同じく帰路につく学生たちと、スーツ姿の社会人で溢れていて、非常に混雑していた。


「うへぇ」


 人が溢れかえる駅の光景に、俺は賑やかさよりも鬱陶しさを感じる人間だった。

 部活動が無ければ、人が少ない四時ぐらいにもう帰っているぐらいである。基本的に、人が多い所では俺は元気が出ない人間なのだ。祭りの時も、体調を崩すタイプ……というか、そもそも祭りに行こうとも思わない。


「はぁ、あ」


 溢れかえる人の煩雑さと、己の人嫌いにうんざりしつつ、俺は駅のホームで電車を待つ。

 横目でちらりと、自分と同じく駅のホームで待つ学生たちを見るが、皆一様に誰かと雑談をしながら電車を待っている。人生ソロプレイヤーは俺も含めて数少ない。

 雑談の内容は他愛のない物がほとんどで、聞き耳を立てるまでも無く勝手に耳に入ってくるような声量で馬鹿笑いしている奴らも居る。


 羨ましいと思う気持ちと、見下すような気持ち。

 寂しいと思いつつも、学校から帰る時まで誰かに気を遣いたくないと思う怠惰。

 二つの相反する感情は俺の中で入り混じり、水と油のように混じり合わない。混じり合わないまま、胸の中で不快感となって俺を苛む。

 ―――まったく、ボッチも楽では無いな。


「おっ、芦葉君じゃん」


 そんな風に自分を皮肉って、肩を竦めていた時だった。

 聞き覚えのある声と共に、気安く俺の肩に手がかけられる。振り向いて姿を確認すると、案の定、そこには俺の見知った顔が居た。


「いやぁ珍しいな、駅で芦葉君に会うなんて。いつもはこんな時間まで残ってないでしょ?」

「…………まぁ、部活動を真面目にやることになったからな。しかも、部長に任命された。だから、今度からは概ねこの時間の下校だ」

「へぇ! んじゃ、今度から一緒に帰れるじゃんか!」


 金色に染めた短髪に、銀十字のイヤリング。顔つきは大人びている癖に、けらけら笑う表情は子供っぽい。しかも、俺よりも遥に背が高く、がっちりとした体格でそんな仕草をするのだから、違和感がばりばりというか、巨大なゴールデンレトリバーを相手にしているような気分になる。


「帰らねーよ、待ち合わせとか面倒だ」

「ははは、だよな、芦葉君らしい。んじゃ、今日みたいにたまたま会ったら、一緒に帰ろうぜ」

「駅から俺は原付で、お前は自転車だろうが」

「そこは合わせてくれよ、原付が」

「…………考えておくよ」

「ははははは、なんだそれー」


 この人懐っこいヤンキーの名前は吉川よしかわ 健治けんじ

 捻くれた俺が唯一、友達と明言できる存在だ。



●●●



 吉川健治。

 同じ市内の工業学校に通う男子高校生。

 髪も染めるし、煙草も吸うし、酒も飲むという未成年では完全に不良にカテゴライズされる類の奴である。

 ただ、素行は不良ではあるが、性根は悪では無い。

 少なくとも、捻くれた俺よりもずっとまともだ。

 友達付き合いが上手く、他校との友達も多い。時には大学生と一緒に何処かへ遊びに出かけている姿も見かける。加えて、仮にどれだけ己の素行が荒れたとしても、『他愛ない不良』の一線を超えるような真似だけは絶対にしない奴だ。


 進んで誰かを傷つけるような真似はせず、弱者が居たら迷わず手を差し伸べる。

 そんな不良の善人が、俺の友達だ。


「へー、ヤンデレの後輩が入部ねー」

「柔道の腕が全国クラスだからな。実力行使されるとどうにもならん。だから、ある程度餌を与えて、ルールを定めてやったわけだが」

「ほうほう」

「…………まぁ、とりあえず俺の目が届く範囲では暴走しないようにはなったかな」

「くくく、そりゃなにより!」

「…………?」


 俺と健治は、他愛ない会話を交わしながら田舎道を進んでいく。

 田んぼの間に挟まれた薄暗い道路を、僅かな灯りで照らして。原付の俺が健治の自転車に速度を合わせ、ちんたら走っていく。


「何か楽しそうだが、良いことでもあったか?」


 しかし、原付を運転しながらの会話は失敗かもしれない。というか、失敗だ。ヘルメットをしなければならない上に、エンジンの音がうるさくて会話が聞き取り辛い。互いに、割と声量を上げて会話しないと、碌に言葉も届けられないのだから。


「良いことか? んだねぇ、良いことはあったぜ。芦葉君が真っ当な人間として、後輩に接しているんだからさ! 友達としては嬉しい限りだ!」

「ははは、俺が今まで真っ当な人間では無かったとでも?」

「真っ当な人間は駅のホームで、世界を滅ぼしそうな目でため息を吐かない」


 どんな目だよ、どんな目をしていたんだよ、俺は。つーか、滅ぼさないし、滅ぼせないよ、俺は。特別な力は何もないただの凡骨以下だよ、俺は。


「ため息はともかく、世界を滅ぼしそうは余計だ」

「いやぁ、だって芦葉君。中学時代はいっつもあんな目をしてたぜ? そりゃあ、俺以外の友達が出来ないわけだと思わない?」


 正論はやめろ、何も言えなくなるだろうが。


「ぐ…………友など、友など要らぬぅ! あ、いや、一人ぐらいは欲しいな、うん」

「別に前言撤回しなくても、友達辞めたりしねーよ、まったく。少しは社交性って奴を身に付けろよ、社会に出た時大変だぜ?」

「やっべー、社会って言葉の響きが既に憂鬱だ」

「うはぁ、重症だなぁ、芦葉君は」


 自転車を漕ぎながら、けらけらと健治は笑う。

 原付のスピードを自転車に合わせているとはいえ、自転車を漕ぎながら会話しても息一つ切らしていない。まるで余裕そうだ。煙草吸っている癖に、心肺機能が高いのであるこいつは。


「ま、でも芦葉君ならなんとかなるんじゃね?」

「人の痛いところを突いといて、適当な事を」

「いやいや、適当じゃねーさ」


 にぃ、と薄暗い夕方でも分かるような豪快な笑みを浮かべて、健治は言う。


「芦葉君は後輩には優しいからなぁ。今回だって大嫌いな人付き合いって奴を頑張っているみたいだし。責任が生まれれば、芦葉君も頑張れるんじゃねーの?」

「責任とか負いたくないな、出来る限り。ちなみに文芸部の部長になったのは、ジャンケンで負けた結果だ……くそが、あの副部長、サボりやがって」

「人付き合いが苦手な癖に、何かの役職を押し付けられるところは相変わらずだなぁ、芦葉君は。中学時代も何だかんだで後輩には慕われたし」

「舐められていただけじゃね?」


 気軽に肩を叩いて来たり、名前を呼び捨てとかしてきたぞ、あいつら。


「ははは、それだけじゃないと思うぜ、俺は」

「それだけじゃないってことは、やっぱり舐められてたんじゃねーか」

「はははははは」


 笑って誤魔化すんじゃねーよ。


「まぁまぁ、どの道社会に属している限りは人間付き合いを避けられないぜ? 失敗が効く学生時代だからこそ、新しい人間関係にチャレンジしてみろよ」

「新しい人間関係ねぇ?」

「ほら、ちょうどお前の学校に転校生が来るだろ? しかも、お前の同学年で。折角、外から新しい風が来るんだ、これを利用して友達増やせよ」

「…………転校生?」


 運転中なので、俺は内心で首を傾げる。

 はて、そんな連絡あっただろうか?


「え? 芦葉君、マジかよ……他校の俺ですら知っているのに……というか、明日来る予定なのに、一週間前から噂されていたのに……」

「おい、ドン引きするんじゃねーよ。たまたま知らなかっただけだってーの、多分」

「そうだな、うんうん……大丈夫、俺はお前の友達だぞ?」

「チッ!!」


 行儀悪く舌打ちする俺。

 なんだよ、友達が少ないことがそんなに悪なのかよ、クソが。こんな社会壊れてしまえ、ちくしょう……あ、いや、やっぱり壊れないでください。革命とか起きたら俺が生き残れない。


「舌打ちすんなって。噂によれば、転校生は女子らしいし、これをきっかけにお前の女子への苦手意識を変えてみたらどうだ?」

「女子が苦手なのでは無い。人間全般が苦手で、女子が特に苦手なんだ」

「頑なだなぁ。そんなんだと、見識が広まらずに小説もつまらなくなるぞー」

「ぐはっ!」


 ここ一番の正論に俺の心がノックアウトされる。運転にも影響が出るほど動揺して、しばらくの蛇行運転の後、それは這う這うの体で原付を止めた。


「…………頑張ってはみるよ。駄目だと思うけどな」

「ははは、最終的には己の行動を省みるのが、芦葉君の良い所だな」


 健治は俺の隣に自転車を止めると、勢いよく俺の背中を叩く。

 ばしんと、大きな音が鳴った割には痛くは無くて、多少なりとも俺の背筋が伸びるような気持ちになった。

 まったく、お前の駄目な所はこんな俺相手でも、きっちり友達になってしまう所だよ。

 感謝はしているけどな。



●●●



 翌朝。

 母さんに用意してもらった朝食をささっと食べて、簡単に身支度を整える。寝癖を整えて、髭を剃って、顔を洗って、歯を磨いて、最低限の身だしなみを整える。


 己の容姿の改善に努めようとは思わないが、マナーとして不潔な格好をするつもりはない。うちの家族は……特に姉はそういうのに厳しく、下手をすると蹴りを食らわせられるのだ。今は大学近くのマンションで一人暮らししている姉であるが、神出鬼没で油断はできない。いや、それ以前に人としてマナーは守らないといけないな、うん。


「…………そういえば、今日は転校生が来るんだったか」


 学生服を着たところで、健治の言葉を思い出す。

 思い出して、おもむろに洗面所の鏡の前へ。特に何かをするというわけではないが、改めて己の容姿を鏡で確認する。


 体格は男子にしては小柄な方だと思う。その上猫背気味だから、余計に背が低く見えるのだ。顔に関しては主観が混じるのではっきり言えないが、初対面の人間に好印象を与えられる物では無いと思う。親から貰った物にケチを付けているわけではなく、単に俺の浮かべている表情が悪い。顔つきが悪い。何か嫌なことでもあったのか、ふて腐れたような面をしている。しかし、特に機嫌が悪いわけでもなく、これが俺の標準の顔なわけなのだが、さて、どうしたものかなぁ。


「なるほど、この顔なら確かに」


 昔から誰かに説教を受けている時に、『反省していないな』とか『睨むんじゃない』とか言われてきたが、この顔なら納得だ。

 真剣な表情を作ってみても、『ああん? ぶち殺すぞ、こら』という顔にしか見えない。我ながら人相が悪いな。強面で無い癖に、顔が悪い。いつからこんな顔になってしまったのだろうか? 少なくとも、幼稚園までは愛らしい子供として年上に評判だったはずだが……今では年上に不評で、年下に懐かれやすいという仕様変更が起きている。


「ふむ」


 試しに笑顔を作ってみた。

 予想以上に気持ち悪くて、三秒も経たずにやめた。駄目だな、これは。作り笑いの才能が皆無かもしれない。

 なので、とりあえず心持ち凛々しさを心掛けた表情を作ってみる。


「…………うん、まぁ」


 先ほどの顔よりはマシになったので良しとしよう。

 別に何か出会いを期待しているわけではないが、昨日の健治との会話もあったので、心持ち愛想よくしてみようという気まぐれである。

 どうせ気まぐれなので、一日持てば良い方なのだけれど。


「小説がつまらなくなるのは、嫌だからなぁ」


 自分の事は比較的どうでもいい。

 他人の事も割とどうでもいい。

 けれど、友達の忠告は聞くべきだろう。

 自分の事はどうでもいいのだけれど、自分が書く小説は面白くあって欲しいから。面白い物語を書きたいから。

 少しぐらいは、進んで嫌な事をやってみようと思ったのだ。


「行ってきます」


 心持ち、声を大きく。

 背筋を伸ばして。

 ぐるりと肩を回して、深呼吸を一つ。

 ただ、それだけのことで。心の持ち方一つで、先ほどよりも世界がマシに見えて来た。あるいは、今日が雲一つ見えない晴天だったからかもしれない。


 朝の空気は冷たく澄んでいて、これから空気が煮えるような暑さが待っていたとしても。

 この清々しさに背を追われるような気分で、俺は登校する。

 原付に乗って、清々しい朝の風を肩で切り。

 電車に乗って、乱雑な騒々しさを賑やかだと欺瞞して。

 自転車に乗って、多くの学生たちに混ざって学校へと急ぐ。


「おはよう」


 校門前でクラスメイトの男子が居たので、さりげなく挨拶してみる。

 すると、相手は少し驚いたように目を丸めた後に、どこか安心したように息を吐いて挨拶を返して来た。

 いや、俺が挨拶するのは珍しいだろうが、随分と奇妙な反応だな?


「…………転校生が玄関前に居るみたいだぜ。ちょっと顔を拝んで来たらどうだ?」

「ん、ああ、そうだな」


 なんだろうか? この、ささやかな悪戯というか、自分が嵌った落とし穴に笑顔で手招きするような微笑みは? それでいて、妙に悪意が無いというか。

 いや、行動する前に変に考えすぎるのは俺の悪い癖だ。別に何もない。きっと転校生の女子が思いのほか可愛い女の子で驚いていたのだろう。そこに俺の見慣れた顔を見て安心したとか、そういうアレだ。言ってて、意味わからないが、多分、そういう感じだと思う。


「あー、転校生って可愛かった?」

「可愛いと言うより綺麗というか、んー、見なきゃわかんねーと思う」

「そっか、サンキュー」


 なので、俺は予め心構えをしてから、転校生の顔を拝みに行くことにした。

 思いのほか可愛かったりしたら、うっかり一目惚れするかもしれないからな、俺のヘタレメンタルでは。それでいて告白とは出来ないので、高校生活を悶々とさせるだけになるという。


「うっわ、人が予想以上に。つーか、邪魔だな、おい」


 玄関前には人の壁が出来ていた。

 この田舎高校に転校生という珍しい出来事が起きたのだ。俺のように野次馬根性で一目見てみよう、と思う奴も少なくないだろう。ただ、ここで引き返そうにも普通に玄関を通らなければならないので、どの道吶喊せざるを得ないわけだが。


「……ふぅ」


 一息吐いて、気合いを入れて人の壁をすり抜ける。

 人付き合いは苦手で、出来る限り大勢の人がいる場所は避ける俺であるが、それが必要な事であれば空気が読めてなくともやってやるのが俺だ。


 このまま周囲の奴らと同じように、呆けたようにして突っ立って遅刻するのも馬鹿らしい。

 ん? 呆けたようにして、突っ立っている? 何故だ? 普通はもっと、こう、転校生に声をかけたりして、もっと騒がしくなるはずなのに。そうであるべきなのに。

 なぜ、玄関前はこんなにも静かなんだ?


「――――ぁ」


 その理由は明白だった。

 一目見れば、否応が無しに理解せざるを得なかった。

 転校生は女子教師によって、玄関前で学校の説明を受けている。何故、玄関前で? 恐らく、学校内に入ってからだともっと騒動になるからだ。

 だから、予めこの場で、教師の目の届く範囲で周囲に『耐性』を付けておきたかったのだろう。そうしなければきっと、誰もがまともに授業を受けられないほど呆けてしまうだろうから。


 そう、それほどまでにその転校生は、異様で、美しかった。


「なんだ、あれ」


 誰にも聞こえないような小さな声で、俺は呆然と呟く。


 純金で作られたような美しいショートヘア。どこまでも広がる蒼穹を閉じ込めたような二つの瞳。染み一つない白い肌。理想の女性を体現したような、肉体の黄金比率。人形のような完成された造形でありながら、蠱惑的な女性のふくらみを感じさせる。ああ、彼女が着ているのであれば、学校指定のブレザーですらブランド物のドレスに勝るだろう。


 美少女だった。

 転校生は、金髪碧眼の美少女だった。

 そう、美少女だ。誇張無く、本当に美少女だ。その言葉がこれ以上なく相応しい存在に出会ったことは無い。アイドル? 女優? グラビア? なんだそれは? 目の前の彼女に比べれば、全ての存在が一線を引かれてしまうだろう。


 それほどまでに、美しい存在だった。

 生まれてからこれほどまでに美しい存在を見たことは無く、恐らく、死ぬまでこの美しさの上限が更新されることは無いと確信するような、美しさだった。


「なんだよ、あれ」


 だからこそ、俺は彼女が恐ろしくなってしまった。

 美しさは時に魔に通じるというが、あれはまさしく魔性その物だ。現実感がまるでない。ふわふわと足元がおぼつかない。地に足が付いていない気分だ。いや、それどころか、正しくこの世界が現実だと認識できない。


 なぜなら、目の前の少女はまるで物語のヒロインのようだったから。

 主人公と共に物語を進める、そのためのアクター。世界を回す最重要な存在。それが美少女だ。物語は美少女が居る場所から生まれると言っても過言では無い。

 だから、恐ろしい。

 何かとても不吉な予兆のような気がする。


「…………っ」


 けれど、そんな予兆すらこの美少女の前では擦れて消えてしまった。

 見れば見るほど己の中の感性、その上限に目の前の少女が決定づけられる。汚点など見つからない。見つけられない。今までどんな女性を見て、長く見つめればそれなりに美しくない点を見つけてしまう捻くれた俺だったが、この少女にはそれが無い。全てが完璧で、全てが美しい。まるで、たった一人で美しさという概念を完結させてしまったかのように。

 ああ、凡骨以下の俺に出来る行動など、美しさと恐ろしさに呆然としていることぐらいだっただろう。


「やぁ、おはよう――――芦葉昭樹君」


 その少女から声をかけられなければ。

 名前を呼ばれなければ。

 ずっと停止して、周囲と混ざって安心感を得られていたというのに。どうして、こんな急に浮き彫りにされないといけないんだろうか?


 何故、俺の名前を知っているのか? 何故、俺に声をかけたのか? まるで物語のワンシーンではないかと内心で驚く。それも、主人公とヒロインの邂逅シーンのようだ、とそこまで考えて己の中の皮肉屋がやっと目覚めた。

 おいおい、何時までも夢を見てんじゃねーぞ、いい加減起きろよ、俺。

 そんな自虐によって辛うじて気力を取り戻した俺は、口元に笑みを。恐らく、いつも通りに相手の不愉快を買うような、ふて腐れて、皮肉な笑みを浮かべて。


「ああ、おはよう」


 そこまでやって、やっとオウムのように言葉を返せた。

 言葉を返した後は、平静を装ってその場から立ち去る。素早く靴を履き替えて、己の教室へ。自分のテリトリーへと逃げる。足早に、俺は玄関から立ち去った。

 こうして、俺と美少女の邂逅が終わる。



 そして、俺と美少女――――東雲彩花の物語が始まった。




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