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第18話 既に夏休みは始まっていた

 家に帰ったら、姉にぼっこぼっこにされた。

 それはもう、まったく容赦のない拳の連打だった。まず、玄関から普通に帰ったら、出迎えた姉が即座に俺を仰向けに転ばせて、そこからのマウントポジション。後はガチ泣きしながらのタコ殴りである。その勢いたるや、しばらく様子見をしていた両親が若干引きながら止めに入るほどだ。


 結局、姉が落ち着いたのは俺を五分間ぐらいぼこぼこに殴ってから。当然、俺の顔はひどく腫れて、口の中も血だらけ。ただ、姉さんの拳からも血がたくさん出ていて、本当に手加減なく殴りやがったんだな、と思った。


「無事でよかった……心配したんだぞ、馬鹿弟ぉ……」


 たった今、無事じゃなくなったぞ、この馬鹿姉と言いたいところだが、どうにもそういう雰囲気じゃない。そもそも、殴られて非常に顔や口が痛いので、こんな状況で姉と口喧嘩する気が起きなかった。

 だから、まぁ、その、なんだ。


「ただいま……あー、心配かけて、ごめんな、姉さん」


 ぽつぽつと、頬に落ちる暖かい雫を感じながら、俺は素直に謝ることにしたのだ。


「…………大体お前、二週間も何してたんだよ、馬鹿」

「は? に、二週間?」


 その後、ぼこぼこになった顔面の治療を受けつつ、俺は姉や両親から現状を聞かされた。

 なんでも、俺があの霧の民宿で過ごした数日の間に、こっちの世界では二週間もの時間が経っていたらしい。軽く浦島太郎の気分だ。


「最初、お前の偽物がやってきて、すっげぇビビったし。ついつい、捕縛して尋問しようとしたんだけど、いつの間にか消えていて」

「捕縛して、尋問」

「くっそ、絶対主役クラスの存在が何かやったんだ、ぶち殺してやる」

「姉さん、落ち着いて。さすがに姉さんでも東雲さんの相手は無理だって」

「やっぱり、そいつか! その女がお前を誑かしたんだな!」

「誑かしたというか、誘拐されたというか」

「ちょっと知り合いの殺し屋に片っ端から連絡して来る」

「どうせ無駄になるから、やめてくれ」


 ガチギレ状態の姉さんは比較的まともに会話してくれる。というよりも、ふざけている余裕が無いのだと思う。大抵、姉さんがこの状態になる時は本当に姉さんが追い詰められていたり、洒落にならない時なので、今回の誘拐は姉さんがそう判断するレベルの事件だったようだ。


 確かに、我ながら落ち着いて行動していたけれど、よく考えると未成年を誘拐して、しかもよくわからない異空間に閉じ込めるとかやべぇな、東雲さん。東雲さんの正体から考えるに、普通に神隠しとか呼ばれる類の物じゃないか。


 ちなみに姉さんの意味深発言に両親が説明を求めない所を見ると、ある程度両親にも説明済みらしい。というより、姉さんの電波的な説明を聞いても、普通に受け入れていたのかよ、我が両親たち。いや、確かに納得せざるを得ない状況だったかもしれないけど、もっと常識的に考えて…………今更、常識なんて意味ないか、ははは。


「とりあえず、冬花は落ち着きなさい。昭樹は友達にちゃんと無事を伝えなさい。私が学校や警察とかに連絡しておくから」


 二週間ぶりの息子の帰還にも、うちの父親は動じずに落ち着いた指示をくれる。内心はどうであれ、今はその落ち着いた態度がありがたい。さすが我が父だ。俺もこんな落ち着いた大人になりたい物である。

 さて、ともかく父親の言う通り、連絡だ。二週間も失踪していたとなると、正直、反応が怖いわけだが、ここで連絡しないともっと後が怖いからな。うん、勇気を出そう。


『せ、先輩っ!? 芦葉先輩なんですか、本当に!? あ、せんぱ、い……よか、本当に、心配して、うぐ、ひっく、うううううううっ!』

「落ち着け、頼むから」


 話がこじれない内に、真っ先に余語後輩に電話をしたらこの様である。電話に出るなり泣かれて、まともに話が出来ないので、翌日、文芸部でまとまって会って話をしようということになりましたとさ。

 ちなみに、後の文芸部二人の反応はこんな感じだ。


『あー、よかったっすわ。無事に帰れたんっすね? ふぅ、やぁ、リアルに骨を折った甲斐があったってもんですわー』

『数馬に感謝しておくよーに!』


 高橋と姫路、何者だろうね、君たちは。

 何となくこっちの事情を察しているようなことも言っているし、どうやら、学校崩壊に関しての詳しい事情も知っているようだ。確かに、柔道黒帯とか、実家の道場とか、不思議に思っていたことはあるが、まさか裏世界の関係があるのか? ともあれ、その手の話は直接会って話すとしよう。もちろん、余語後輩を巻き込まないように配慮は必要だが。


『…………芦葉、戻ったか。無事だな?』

「はい、問題ないです」

『そうか。なら、いい……すまんが、体調が悪いんでな、詳しい話はまた――』

「神代先輩」


 そして、もっとも勇気を振り絞るべき電話があった。

 ただの勘違いであればいいし。何より、何も証拠なんてない。ただの、俺の勘での推測。馬鹿馬鹿しいと笑われれば、それだけでまた元通りに慣れる程度の質問。


「先輩は、東雲さんの『同類』――いや、『同格』なんですか?」

『…………ったく』


 電話口から返ってくるのは、舌打ち混じりのイケメンボイス。

 なんでお前はそんなこともわからないのだ、と呆れているような口調で、神代先輩は俺に言うのだ。


『俺は神代隼人。お前の先輩で、元文芸部部長。んでもって、卒業後はテメェを散々こき使って、サークル活動や会社で働かせようとしているぽっちゃり系だ。俺とお前の付き合いは、それだけでいいだろうが、馬鹿が』

「神代先輩……」


 呆れたような、けれど優しい言葉に俺は安心する。

 だって、神代先輩は言ってくれたのだ。例え、俺が何を知ろうが、それは今までの関係が崩れるようなことじゃないだろ? って。ああ、それだけで、それだけで俺は、自分の足元が定まったような気分になれるんだ。

 だから、俺はいつも通りに神代先輩へ軽口を叩く。


「何かさりげなく、会社とか言っていますけど、え? サークル活動を超えて、ついに会社を興すんですか、あんたは!?」

『何のためのサークル活動で、コネを作っていたと思っている? 俺が取締役で、お前がその秘書だ。気張っていくぞ』

「責任重大過ぎる!?」


 他愛ないやり取りや、未来への展望などを適当に罵り合うように話して、電話は数分も経たずに終わった。俺は、神代先輩の正体を追及しなかったし、神代先輩も何も言わなかった。そんな物は、俺たちの間に必要なかったから。


「さて、と」


 連絡すべき相手は、残るは一人だけ。だが、今までと違って、俺に緊張は無い。確実に詳しく話をしなければならない相手なのだけれど、その上、きっと物凄く叱られそうな相手なのだけれど、中学時代にも似たようなことがあったから既に慣れっこだ。

 それに、奴がきっと、俺の無事を一番信じていると思うから。


「――そんなわけで、よお、健治、久しぶり。なんとか生きているぞ、俺は」

『開口一番にそれとは、さすが芦葉君だなぁ! はっはっは、今回ばかりは俺も、きっちり話を聞かないと納得できないぞー』

「安心しろ、なんかもう夏休みっぽいし、たまにはお前と長電話も悪くない」

『格好つけている所悪いけど、この後は多分、俺からお前へのガチ説教だかんな? つか、いい加減落ち着いた行動を心掛けろよ、芦葉君』

「いつも苦労を掛けるな、健治」


 言われるべきことも、言うべきことも決まっている相手だから。

 信頼できる相手だから。

 胸を張って友達だと言える奴だから、緊張する必要なんてない。

 だって、俺たちはきっと世界を賭けた戦いが始まっても、どんな非日常に襲われたとしても、こんなノリで何時だって話すことが出来るんだから。



●●●



―――鎖が千切れる音が聞こえた。


 鈍い音を立てて、何か自分を縛っていた物が外れるのを感じる。


『同調解除』


 沈むように空に吸い込まれていく。

 ここはどこだ? 夢の中か? 夢の中ならば、どんな夢なんだ? 俺は何故、空に落ちて行っているんだ?

 空に、煌くほどの星空に、吸い込まれているんだ?


『超越存在とのラインを確認…………媒体による存在拡張を確認…………シフトを開始します』


 唐突に、恐怖を思い出す。

 大切な何かを離れていく感覚と、未知の闇に放り出されるような寂寥感。

 手を伸ばす。だが、いくら目を凝らしても、大地すら見えない。空の下にはただ、底無しの暗闇があるだけだ。明るいのはずっと、空の上、その彼方。だが、その彼方を目指せば、何かを『超越』してしまうことだけは理解できた。


『ログを参照…………履歴を発見…………アンカーを打ち込みます』


 空の果てすら超えて、俺は落ちて行く。

 その内に、何かの重量に囚われて、落下が加速する。加速、加速、加速――瞬く星々の一つに吸い寄せられるように加速する。


 それは、音を超えて。

 それは、光を超えて。

 それは、理すらも超えて。

 虹色の番外通路、世界の隔たりを跳躍する――――肉体は持たず、俺は『精神』のみで世界の移動を成し遂げる。


『超越視点によるアクセス権限を付与』


 もしも声を出せるのならば、俺は絶叫していただろう。

 人の精神を無理やり弾丸に押し込めて、世界の壁をぶち抜いた所業に。魂に刻み込まれる、理不尽な情報の嵐に。

 発狂と覚醒を何度も繰り返して、永遠と一瞬の狭間に漂って、ようやく俺は元の自分を取り戻す。

 芦葉昭樹としての存在理由を取り戻して、そして……見つけた。


『渡航終了…………魂の安定を確認…………では、観測者に良き物語があらんことを』


 流れ星が落ちて行くように、摩耗しながら煌いて。

 俺は、『俺』を見つけた。同調すべき視点を見つけた。本来であれば、終わってしまう物語の断片を見つけた。

 さぁ、意味不明でまったく現状把握も出来ないけれど――とりあえず、本能に従って勝利を目指そうか。

 己の魂と、契約に背を向けないように。



●●●



 これは夢である。

 しかし、これは現実でもある。

 どちらも真実であるが、場合によってはどちらも嘘であるかもしれない。


「ただの人間風情が、随分と手こずらせてくれたじゃないか」


 さて、そんな哲学的なことは置いておいて、まずは現状を把握しよう。思い出そう。俺が、芦葉昭樹が何故、こんな場所に居るのかを。


 周囲を確認…………どうやら、ここは西洋屋敷の一室らしい。見慣れない――いや、『見覚えのある』一室だ。恐らく、一度も通ったことが無い――『前に通されたことがある』あの客室だろう。


 自分の状況を確認…………驚いたことに、俺は拘束されていないらしい。ボロボロの学生服のまま、床に転がされている。手足は自由で、けれど、周囲には武器になりうる物は存在しない。まぁ、仮にそんな物があったとしても、目の前の彼女が許してくれないだろうが。


 現状に至るまでの過去を回想…………なるほど、思い出した。海木の馬鹿に何かを託された日から、誰かに監視されているような違和感が続いて、その結果、夜に化物と化した同級生に襲われたという次第だな。殺されたか、殺したかと思ったが、どっちでもなく、両方とも気絶していた所を、誰かに回収されたらしい。


「初めに言っておこう、人間。私はお前の人権を考慮しない。お前の苦痛を考慮しない。お前の理由を考慮しない。だから、白状するなら早くしておいた方が良いぞ。痛みで発狂して、まともに言葉を話せなくなるようでは困るからな」


 最後に、今、俺が相対すべき存在を確認する。

 銀のポニーテイルに金色の瞳を持つ、軍服の少女だった。片目を黒皮の眼帯で覆い、隠している。背丈は俺よりもニ十センチほど低く、外見年齢は俺と同じぐらいに見える。ただし、その軍服が、かつてのナチス・ドイツのそれに酷似していた。例によって例の如く、外見通りの年齢では無いのだろう――少なくとも、その精神は。

 どうせ、まだ見ぬ東雲さんの眷属シリーズの一人だろうさ、こいつも。


「だから、願わくば私の手を煩わせるまでに、銀の弾丸の在処を――」

「あれなら神代先輩に預けてあるぜ」

「…………は?」


 故に、俺は正直に、偽ることなく、死の恐怖に襲われても決して言うことが無かった、それを素直に白状した。

 眷属たちは全て、東雲さんが集めた人材の宝庫だ。ならば、拷問や尋問に特化した人材、あるいは荒事そのものに特化した存在が居てもおかしくない。特に、これ見よがしに軍服を着ている少女が居るのだ。いくら俺が頑強に耐えようとしたところで、十分も持たずに在処を聞き出すだろう。ならば、素直に白状してダメージを回避した方がまだマシだ。


「小さな木箱に入った、銀づくりの弾丸だろ? あれなら、信頼できる先輩に預けてあるんだよ。神代隼人って先輩。ここまで言えば、後はそっちで調べられるだろ?」


 ところで、こっちの『俺』の記憶にある神代先輩が、物凄いかっこいいんだが。ぽっちゃり系じゃなくて、細マッチョのワイルドなイケメンなんだが。ビビるわ、カエルというか、狼顔のイケメンだわ、あれ。ただ、その分、あっちの『俺』ほど親しくないみたいだが、それでも大切な物を託せるほどの仲であったのは僥倖だろう。


「自らの命のために、親しい者を売るか……ふん、見下げ果てた屑だな」


 俺の言葉が嘘じゃないと判断したのだろう。軍服の少女は軽蔑の眼差しで、俺を見下す。

 うん、まぁ、間違っちゃいないけどさ、それだけでもないんだよなぁ。


「誰だって自分の命は惜しいからね、そりゃ当然。それに、素直に白状した方が俺にとって都合がいいとも思ってね」

「なに?」

「どうせ、場所が分かったとしても、貴方たちじゃ手に入れられないでしょ?」


 言いながら、俺は床から起き上がって立ち上がる。さすがに見下されたまま会話するのは、気分悪い。これで軍服がスカートだったら、喜んで寝っ転がていたんだけど、そうじゃないからな。大人しく転がっている理由が無い。


「貴様、どういう意味だ?」

「言った通りの意味だよ、眼帯さん」


 軍服の少女――仮称:眼帯さんが俺を凄まじい眼光で睨む。

 おいおい、勘弁してくれよ、怖いだろ? 俺は平凡な男子高校生なんだから、その道のプロに睨まれたら、あること無いこと喋ってしまいそうになるぜ、まったく。


「眷属じゃ、神様には敵わないだろ? 格が違う」

「貴様、何者だ? 一体、どこまで知って――――」

「ああ、やっぱり神代先輩のことは知ってんのな、なるほど。んじゃまぁ、結果的に最善策程度にはなったみたいだ」

「…………」


 だから怖いって、マジで。本気で勘弁してほしい。ぶっちゃけ今の俺なんて、二人分の勇気と虚勢と浅知恵で頑張っているだけの人間に過ぎないのだから。


「貴様は、ただの人間のはずだ。まさか、サイカ様が見間違えるはずもない」

「え、意外と節穴だったりしない? ほら、余裕ぶって宣言した癖に、思いもよらないトラブルで涙目になったり」

「…………本当に貴様、何者だ? なんで、サイカ様あるあるを知っているのだ?」

「やっぱり、あるあるネタだったのか」


 眼帯さんは頭痛を抑えるように額に手を当てて、大きくため息を一つ。


「私では判断が付かない。それに、貴様の妙な健闘を称えて、この後、直接サイカ様が手を下す予定だ、ありがたく思え」

「あ、だったら死ぬ前にご飯が食べたいです。お腹が空きました」

「駄目だ、殺した後の処理が面倒だ」

「んじゃ、口寂しいのをなんとかしたいです」

「貴様の図々しさには負けたぞ、くそが」


 不承不承と言った様子で、軍服のポケットから煙草の箱とジッポライターを投げ渡してくる眼帯さん。煙草は知らないメーカーの物だったが、俺は構わず一本取り出して、口で咥える。以前、資料として学んだ『かっこいい煙草の吸い方』を真似て、如何にもな動作で煙草に火を点ける。


「ん……」


 じじ、と小さく煙草が焼ける音と共に、紫煙が口内に入っていく。最初からいきなり、肺で吸わないように、吹かすような気分で、え、げぼっ。


「うえぇほっ、げぇほっ! まっず!? ごほっ、え、煙草ってこんな気持ち悪いの、ふざけんなよ、くそぉ!!?」

「普段から吸ってない人間だったのかよ、貴様……普通に断れよ、そこは」

「なんかいい空気で渡されたら、そのままのノリでやってみるのが、男子高校生だろうが! その結果がこの有様だけどな! くそ、もう二度と煙草吸わねぇ!」

「健康的で何よりだ、はぁ……」


 眼帯さんが肩すかしをくらったように、ため息を漏らす。こちらを警戒していた所に、俺がボケをかました所為で気が抜けてしまったようだ。

 もちろん、わざとである。そう、天然なわけが無い。格好つけたまま眼帯さんと話を進めようとしたけど、思いのほか紫煙がきつかったわけじゃない。本当だ。


「ごめん、換気してもらっていい? 煙草の匂いがきつくてさ……ほら、俺が窓枠近くに行くと、逃亡容疑を掛けられて殺されそうだし」

「何故、これから処分する予定の人間の言うことを……」

「ごめんごめん、マジでお願い」

「…………ちっ」


 舌打ち混じりに、けれど、眼帯さんはこちらの言葉に従って窓を開けてくれた。

 やはり、この眼帯さんには付け入るべき隙というのが存在しない。こうして、態々無駄な動作をお願いしたところで、俺が背後から襲い掛かったり、逃げたりしても、数秒も待たずに俺は制圧されるだろう。そして、後からやってくる東雲さんに捕まって、あっさりと殺されてしまう。控えめに言っても、絶体絶命。本来であれば、ここでデッドエンドだったはずの物語。


 だが、しかし、既に伏線はばら撒かれてある。後はそれが回収されるまで、時間を潰すだけだ。そう、これは他力本願の運任せの作戦だ。


「ははは、ありがとう、眼帯さん。ところで、眼帯さんの軍服ってナチス・ドイツの奴だけど、やっぱり、あれ? コスプレが好きな人だったりする? コスプレイヤーさん?」

「貴様、ぶち殺すぞ?」

「なるほど、その反応からすると『本物』か」

「…………貴様」


 金色の目で、眼帯さんは俺に殺意を向けるが――俺の舌は止まらない、止まれない。正直、心臓に冷たい刃を刺し込まれるような恐怖で体が震えるが、減らず口を止めてしまえば、俺の評価が『ただの臆病者』として定まってしまう。後々の伏線とするために、この場は『何をするか分からない正体不明な奴』を装わなければ。


「確か、なんだっけ? 超人計画みたいな物あったよね。創作物とかではよく取り上げられたりするんだけどさ。それって、今の眼帯さんを見ていると、惜しい所まで行ったんじゃないかと思うよ」

「それが、一体――」

「人間の可能性って素晴らしいよね。オリンピックとか、びっくり人間の奴とか見ると、本当に現実なのかよ、って気分になるし。すっごく速く走ったり、大砲を受けても平気な人間とか、車に引かれても大丈夫、とか。後は嗅覚や視覚――感覚が鋭い人間とか、あるいは、芸術方面にも範囲を伸ばすと、ほんと、人間って可能性の宝庫だよね」


 一呼吸おいて、俺は口元に笑みを貼り付ける。


「でも、その可能性には上限が存在する。どれだけ速く走れても、走ることに特化した動物には勝てないし、どれだけ長く泳げても、魚には敵わない。どれだけ高く飛んでも、空を飛ぶ鳥には届かない。だから、人間は科学でその限界を突破することを選んだんだろうねぇ」

「何が、言いたい? 芦葉昭樹」

「ふぅん、『貴様』じゃなくなったね、いい感じだ」


 痛みを錯覚してしまうほどの殺気を受けながら、俺はへらへら笑う。

 実際は語る言葉なんて、ただの妄想。適当な創作。拙い作家志望の夢物語に過ぎない。しかし、俺は知っているのだ。時に事実とは、虚構を凌駕するほどに荒唐無稽なのだということを。


「貴様の名前など、どうでもいいだろう?」

「名前は肝心だよ、眼帯さん。できれば、お美しい貴方の名前も――――はいはい、話を続けますよ。殺されたくないからね。それで、ああ、限界の話だっけ? そうそう、結局人間、人類は科学を持って限界を更新し続けているけどね、それでも上限はあるよね? どうしても、人間だと超えられない壁ってのが、存在すると思うんだよ、俺は」


 ぺらぺらと、身振り手振りを加えて、道化のように振舞って。眼前の敵を騙すために、俺は言葉を繕う。恐らくは、もう少しだ。


「世界の規則として、そういう上限は超えられなくなっているのかもしれない。その上限を超えてしまえないように、セーブが掛かる様に。超人計画はそれを超えようとして、神話の英雄か、神様にでもなろうとして…………『本物』にでも見つかったか?」

「…………」

「無言は肯定と受け取っておこう」


 眼帯さんの顔から表情が消えて、段々と剣呑な物へ変わっていく。

だが、それでいい。それが良い、予想通りだ。その調子でどんどん殺気をばら撒いてくれるとありがたい。


「かつて、太陽に近づきすぎたイカロスは蠟の翼を焼かれて、海へ落ちた。無残に死んだ。ただし、貴方の場合は違うようだ。太陽に近づきすぎた結果、凍えて固まったんじゃないか? 太陽の熱が届く前に、空の寒さに凍えて。あるいは、人類が到達しえない壁の向こう側から現れた怪物の姿を見て――――恐怖したんだ」

「…………随分と、勝手な話を…………馬鹿馬鹿しい、的外れにも、ほどがある。随分と貴様は作り話が得意なようだ……小説家にでもなったらどうだ?」

「いやいや、小説家への道は狭くてね。ご覧の通り、たった一人の『か弱い女の子』をからかうのが限界さ」


 俺がそこまで言うと、眼帯さんの怒りが一定量を超えるのを感じた。

 殺意が消えたのだ。いや、違う。あまりにも殺意が鋭く、冷たすぎて、俺の本能が受け取りを拒否したのだ。まぁ、それも当然だろう。まともに受けていたら、俺の精神が危ない。


「――いい加減、黙れ」


 眼帯さんは腰のホルターから拳銃を抜いて、その銃口を俺へ向けていた。

 随分と古めかしい拳銃だ。ルガー? だっけか? そこまで銃器に詳しくないが、世界大戦の時に使用された銃器だか、なんだか。


「お前の戯言に使き合うのも飽きた。次に何かをさえずってみろ? それが言葉を為す前に、貴様の脳漿を床にぶちまけてやる」


 それは掃除が大変ですね、と思ったが口には出さない。

 さすがに完全にブチ切れた相手にふざけていては、容赦なく殺されてしまう。少なくとも、今はそういう空気だ。だから、これからは暴力に怯えながら、粛々と静かに過ごさなければならない。


――――ヅガンッ!!


 もっとも、その静寂は長続きしなかったわけだが。


「あーあ、派手にやりましたね、先輩」


 突如として、客室の窓が全て吹き飛ばされたのである、はめ込んである壁ごと。窓側から、凄まじい勢いで何かが撃ち込まれたかのように。

 しかも、その衝撃で眼帯さんは奥の壁まで吹き飛ばされて、俺だけはかすり傷一つ付かずに無傷。これぞまさに、神の御業だな。


「さっきの話の続きですがね、眼帯さん」

「……貴様、いや、貴様らは……っ!」


 眼帯さんが呻くが、既に行動不能だ。好き勝手語っても問題ない。ただし、直ぐに東雲さんが駆けつけるであろうから、手短に。


「人間には不可能でも、現行科学で不可能でも、神様に近しい存在なら、可能だと思ったんですよ。『紫煙に混じった人間の匂い』を遠くから察知したり、また、何者かの殺気や気配を感じ取ったり、ね」


 賭けにもならないような、ご都合主義を引き上げるような行動であったが、どうやらうまく嵌ってくれたようだ。

 だから、俺は衝撃と共に、俺の眼前に降り立ってくれた人物へ、礼を言う。


「助けに来てくれて、本当に感謝ですよ、神代先輩」

「…………後輩だからな。お前も――『ダブってる』お前も、な」

「ははは、隠し事は出来ないようで」


 長身で筋肉質。黒のシャツとジーンズをすらりと着こなすモデル顔負けのスタイルの良さ。狼に似たワイルドで、けれど整った美形。

 俺が良く知っている――『知らない』――神代先輩の姿が、そこにあった。

 ただし、窓からダイレクトに侵入して、周囲を破壊するなんて芸当が出来るなんて知らなかったけれど。その上、俺に傷一つも負わせないのだから、本当に凄まじい。


「詳しい説明は後で。今はお助けください、お願いします」

「ふん、相変わらずの減らず口で安心したぞ」


 神代先輩が乱暴に俺の体を小脇に抱える。内臓が圧迫されて、「うえぇ」という声が出てしまったが、神代先輩はお構いなし。いや、これは心配をかけた俺に対する罰なのかもしれない。


「ま、待て、芦葉昭樹ぃ!!」


 立ち去ろうとする俺たちへ、眼帯さんが憎悪の視線を向けてくる。だが、それだけだ。神代先輩から受けた衝撃で、眼帯さんは無様に床に伏している。拳銃は既にその手から離れて、這いつくばって手を伸ばしても届かない場所へ弾き飛ばされてしまっていた。


「じゃあ、また縁があったら会おうぜ、眼帯さん。その時までに、クールな自己紹介を考えておいてくれ。いつまでも、眼帯さんじゃ締まらないからさ」

「貴様は、この私が……必ず……殺す!」

「勘弁してくれ、泣きたい気分だ」


 へらり、と笑みを気の抜けた笑みで応えてやると、眼帯さんが怨嗟のままにこちらに這い寄ってくる。凄まじい感情の熱量だ、是非ともそれを俺以外にぶつけてくれ。


「随分と肝が据わっているじゃねーか、後輩」

「虎の威を借る狐ならぬ、狼の威を借っておりますので、まぁ、多少は?」

「くは、そうか、なるほどな」


 獰猛な笑みと共に、神代先輩は凄まじい脚力を発揮して、飛翔。一体、どのような原理を持ってやっているのかは不明だが、何もないはずの空中を足場にして、夜空を我が物顔で駆って行く。


「少しは、マシな面になったじゃねーか、芦葉」


 凄まじい勢いに揺られ、眼下の街灯と、頭上の星の煌きが混じり合う頃。神代先輩にしては珍しい、素直な褒め言葉を聞いたような気がした。


「お褒めに預かり光栄――――ぐぇ」

「あ、やべっ」


 だから、少々格好つけて応えようと思ったのだが、どうにもここが限界らしい。

 極度の緊張からの解放に加えて、常人の身で、規格外の存在に抱えられながらの空中跳躍。それは俺の意識をぐるぐるにかき乱して、闇の中に叩き込むには充分過ぎるほどの説得力があって。

 だから、今回の『観測』はこれまでだった。

 視点がぶれて、段々とこの世界から遠ざかっていく。再び夜空に飲み込まれるような、感覚。自分の視点なのに、自分の背中がどんどん遠ざかっていくのを見ているような、不可思議な感覚に囚われて、そして、俺は――――



●●●



「…………これ、本格的にやばくねぇか?」


 俺は、無事に何事も無く、睡眠状態から覚醒した。

 ――――きっちりと、夢の中の記憶を保持したままで。

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