表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/27

第17話 霧の中より現れるのは

 夢は見ない。

 異なる世界の夢は見ない。

 同調によって現世へ定着し、異なる視界を得ることは無い。

 されど、されど、心せよ。

 既に定まった運命からは逃れられず、いずれ来る対決に備えなければならないことを。

 どれだけ他者が汝を留めようとしても、運命の濁流は汝を浚っていく。

 濁った水の中で、溺れて死ぬのか。流れに身を任せて、果てまで辿り着くのか。

 あるいは、未知なる光を切り拓くのか。

 全ては、汝の選択によって決まる。

 さぁ、目を開け。起き上がれ。活動を再開せよ。どれだけの困難に襲われようとも、汝の道は続いているのだから。



●●●



 何の嫌気も感じない目覚めだった。

 微睡が煙の如く体から抜けて、眠気は既に無い。深夜に感じた、あの悍ましい吐き気など微塵も体に残っておらず、体力、気力共に充実している。

 まさに、最高の目覚めと言えるコンディションだろう。


「…………すぅ……すぅ、んん……」


 同じ布団で、銀髪幼女が眠っていなければ。


「マジかよ」


 安らかな寝顔で銀髪幼女――秋名さんは、俺の体へ抱き付いている。さながら、コアラの如く。結構がっしりと、俺の体をホールドしているので、こっそり抜け出すことが出来ない。


「……どうしたもんかなぁ」


 昨夜の出来事を思い出す。

 唐突に悪夢に襲われ、わけもわからず混乱する俺。そんな俺を落ち着かせて、宥めさせて、優しく介抱してくれた秋名さんの姿を。

 愛しい人に似ていると告げた、秋名さんの微笑みを。


「うん、しょうがねーよなぁ、これは」


 秋名さんには義理もあるし、なおかつ、俺自身も離れがたい親しみを感じているので、しばらくこのままで秋名さんの目覚めを待つとしよう。

 なに、たまにはゆっくりした朝も悪くないはずだ。何せ、東雲さんの所為で現在俺は、絶賛監禁中である。昼頃までだらだらしていたところで、咎める相手は誰もしない。なので、しばらくは秋名さんの横顔を眺めながら、まったりとさせてもらおうかな。


「んにぃ、んん……」


 安らかな寝息と、時折呟かれる寝言。

 普段は人形のような仏頂面も、寝ている時は穏やかに緩んでいる。

 柔らかく、けれど確かに俺を抱きしめる肢体は暖かい。ふわりと檜に似た香りが鼻腔を擽って、むず痒い。まるで、妖精でもこの手に抱きしめているかのようだ。


 だからかもしれない。

 その美しい少女の柔らかな感触に魔が差して、俺はつい、その銀髪へ指を添えてしまう。

 美しく、可愛らしい物に触れてしまいたいと願うのは、人間が誰しも抱く感情であり、罪へと続く衝動の原点だ。


 無論、俺は恩人である秋名さんへ狼藉を働こうとは思っていない。

 けれど、少しぐらい頭を撫でてもいいだろう、うん。起きている時にやると、怒られそうだから、こっそりと、起きないように。


「んに、んんふふ」


 銀の髪を梳く様に、ゆっくりと頭を撫でると、秋名さんはむず痒そうに体を捩らせた。だが、撫でていくにつれて、どこか好ましそうに俺の手へ頬を摺り寄せて、そして――――かっ、と唐突に目を見開く。


「あ、やべ」


 あまりにも唐突な目覚めだったので、手を引くのが遅れてしまった。

 俺は悪戯がばれた子供の様に、引きつった笑みを浮かべ、目を見開く秋名さんと見つめ合う。


「…………」

「…………」


 互いの沈黙が、朝の空気を段々と重くしていき、だが、その沈黙は秋名さんの一言によって破られた。


「――――ねえ、さま?」

「はい?」


 姉様? と言われたような気がするが、はて、なんだろうか? 少なくとも俺は、女顔では無いし、目つきが悪い方だし、秋名さんのような美少女の姉と間違えられる要素など微塵も無いはずなのだが。


「…………あ、芦葉様」


 俺が内心で疑問に思っていると、秋名さんがはっ、と正気を取り戻したかのように瞬きを重ねる。どうやら、完全に寝ぼけていたらしい。


「はい、芦葉昭樹です。おはようございます」

「…………おはようございます」


 秋名さんにしては慌ただしく、俺の腕の中からするりと逃げていく。

 そして、布団から出たかと思うと静かに、けれど素早くはだけた寝間着を整えて、そのまま深々と俺へ頭を下げた。そう、初手土下座である。


「ちょ、秋名さん!?」

「申し訳ありません、芦葉様。この私ともあろうものが、お客様よりも遅く起きてしまうなんて。どのような罰でもお受けします」

「やめよう! ねぇ、朝からそういうきっついのはやめよう!?」

「しかし、使用人としてのケジメが――――」

「お客さんに良い気分のまま過ごしてもらうのが、第一じゃないのかなぁ!?」

「……なるほど、わかりました。今の体でどれだけできるか分かりませんが、精一杯楽しんでもらえるように、ご奉仕いたします」

「ちょ、え、まっ――――服を脱ぐなぁ!! そうじゃない、そういう要求じゃない! ええい、大体、さっきまで添い寝してたくせに、そっちの方が問題じゃないの!?」

「それはそれ、これはこれでございます」

「なんでそういう所は図々しいの!? いや、助かったけどさぁ! 助かったけど、さすがにロリ相手にそんな真似をするわけにはいかないんだ、俺に近づくなぁ!!」

「どうか、恥ずかしがらずに。これは私への罰ですので」

「望んでない! 望んでないよ、俺! っと、本気で待って、待ってってば! 今、地の文だと描写したらアウトな体勢になってきて――」

「あむっ、んむんん……」

「春尾さぁーん! 助けて、春尾さぁーん!!」


 その後、俺の叫び声を聞いた春尾さんが駆けつけてくれるまで、地の文には書けないレベルの争いが続いたという。



●●●



「朝っぱらから発情するのは別にいいんだが、さすがにこいつの体に欲情するのは、ちょっと問題があると思うぞ? なぁ、芦葉昭樹」

「欲情していません。していたら俺は首を吊りますよ、春尾さん」

「まぁ、冗談で嫌味だ。というか、嫌味の一つぐらい言わせろ。お前らの馬鹿騒ぎの所為で、調理の過程が幾つか台無しになったんだからな」


 割烹着姿の春尾さんは、これ見よがしにため息を吐く。

 そして、俺の隣で簀巻きにされている秋名さんへ視線を向けて、呆れたような口調で言葉を投げかけた。


「アキ――もとい、秋名。お前がここまで暴走するとは思わなかったぞ。いや、多少はお前の好みに合うかと思っていたが」

「暴走などしていませんよ、春尾様。全ては客人である芦葉様を持て成すための行動です」

「嘘を吐け。明らかに、この芦葉昭樹をあいつと重ねて見ているじゃねーか。もう完全に、お前の欲望で動いているじゃねーか」

「そんなことはございません」

「芦葉昭樹を襲った上、現在進行形で簀巻きにされているのにお前って奴は……」


 額に手を当ててため息を吐く春尾さんに、つーん、と機嫌の悪い猫のようにそっぽを向く秋名さん。傍から見ていれば、仲の良い兄妹の喧嘩に見えるから不思議だ。


「つーか、春尾さん。さっきから話に出ている『あいつ』って誰の事なんです? いや、話の流れから、秋名さんが愛していた人で……多分、故人だってことはわかるんですが」

「ああ、別に。お前には関係ない話……でもねーか。うん、よく考えれば似ているな」


 ふんふん、と何度かしたり顔で頷いた後に、春尾さんは言葉を続ける。


「あいつは今から大体、百二十年ぐらい前に妹様に反逆した人間だよ。そこの秋名とは義理の姉妹関係だったな。思えば、俺が知る限りで人間ながら妹様に屈せず、なおかつ、一度、妹様の肉体を殺し尽せた奴はあいつ一人だけだった」

「待って、待って、お願い待ってください、春尾さん」

「んだよ?」


 かったるそうに春尾さんが言葉を止めた。

 いや、何か不思議そうな目で見ていますがね、春尾さん。いきなり、さらっと情報密度が高すぎませんかね? そして、それを全部知ることによって、俺が既に今までの日常に埋没できなくなる可能性があるんですが、それは。


「つい先日まで普通の男子高校生だった人間に、何か、世界の裏側みたいなことを教えようとしませんか、あんた」

「世界に表も裏もあるかよ、面倒くせぇ。とにかく、お前より以前に妹様に反逆を起こして、成功させた人間って覚えとけ。ただまぁ、その後は守ったはずの人間に裏切られて殺されたけどな、はっはっは」

「まったく笑えねぇ……」


 英雄の末路みたいな話を朝っぱらからされても、正直、胃が痛くなるだけだ。というか、普通に反応に困るって。


「だから、秋名は基本的に人間が大嫌いだぞ」

「え? そうなんですか、秋名さん?」

「プライベートな質問はご遠慮ください」


 素っ気なく応えつつも、視線はこちらから逸らしているので、やはり春尾さんの言った通りなのかもしれない。最初の対応も、素っ気ないというか、機械的だったし。まぁ、その後すぐに騙されてお姫様抱っこをすることになったのだけれど。


「基本的に人間が大嫌いだから、この辺鄙な場所の管理人をやってんだよ。他の眷属は、適当に自分の好きな場所に住んでいるからな。ま、俺は料理担当として常に妹様の傍に控えていなければいけないわけだが」

「逆に言えば、その春尾様を付けられているということは、それだけ芦葉様に期待されているということになります」

「期待云々の前に、まず、監禁するのは勘弁してほしかったんだけどさぁ」


 俺の呟きに、春尾さんと秋名さんは揃って首を横に振る。


「妹様にそれは無理だ」

「まず、自重するという行動が無理です」

「元々人間よりも遥に高みの存在らしいからな」

「正直、人間の姿になっている時の方が怪物状態の時よりも面倒ですね」

「怪物状態って!?」

「「気にしない、気にしない」」


 仏頂面で声を揃える二人に、俺は、それこそ無理だと頭を抱えた。だが、各自に訊ねたら詳しく説明されて、俺の正気が削れてしまう。

 ちくしょう、俺には特別な能力とか何もないのに、どうしてこんな目に遭うんだろうか。いや、待て、俺よ、逆に考えるんだ。俺の正気が削れても良いと思うんだ。そうだ、これは取材だ。幸い、小説の内容は俺の生まれ故郷の『まつろわぬ民』を題材にした物語。そういう怪物とか、異能者とか、常識から外れた存在の話は大歓迎だと思うんだ。そうすれば、どの道削れてしまう俺の正気や常識を対価にして、作品の糧が出来るという物よ。


「芦葉様?」


 簀巻き状態でも、器用に、俯く俺の顔を覗き込む秋名さん。その秋名さんをひょい、と抱きかかえてから、秋名さんに取材の件を頼み込むことに。


「秋名さん、すみません。俺のために、貴方の事を詳しく聞かせてもらっても良いですか?」

「あ、芦葉様?」


 俺の言葉に目を見開き、ふるふると唇を震わせて、秋名さんは言葉を紡ごうとする。けれど、わなわなと口を動かした後、静かに瞼を閉じて、ぽつりと小さな呟きだけを返して来た。


「どうぞ、ご自由に」


 ん、んんんんー?

 なぜ、秋名さんがキス待ち顔で静かにばっちこい、状態なのだろうか? あ、アレだな、言葉を間違えたな。具体的に言えば、言葉が足りなかったな。だって、横目で春尾さんの表情を確認したら、ドン引きしてたもん。明らかに『見境ねぇな、こいつ』って顔をしていたもん。


「あ、あー、秋名さん」

「なんでしょうか?」


 俺は軽く咳ばらいをして、先ほどの言葉を訂正する。


「さっきの言葉は別に愛の囁きでは無くて、単に小説の取材の申し込みで――」

「なるほど、そうでしたか、納得です」


 じたばたじたばた、ごんごんごんっ。


「秋名さん、明らかに納得されていない動きなのですが? 思いっきり、腕の中で暴れた後に、俺の胸板に頭突きをされているのですが?」

「乙女心をっ、弄んだっ、罰ですっ、よっ!」

「申し訳ありませんでした」


 仏頂面のまま、頬を膨らませて秋名さんはそっぽを向く。

 これは完全に機嫌を損ねてしまった顔だ。


「今日はもうお仕事したくありません」

「舐めんな、同僚。秋名、テメェが働かなければ俺が家事をやることになるだろうが。つーか、俺は料理以外に何もできねぇんだよ!」

「あ、それじゃあ、俺が家事を――」

「お前がやるべきことは家事じゃねーよ、そいつのご機嫌取りだよ、この馬鹿が!」

「ういっす」


 春尾さんから叱咤を受けたので、真面目に何をすればいいのか考えてみる。とりあえず、秋名さんの頭を撫でてみたが、駄目だった。秋名さんは『撫でポで女性関係が解決したら、苦労はしねぇんだよ!』という叫びが体現化されたかのような頭突きを俺の鳩尾に決めてくる。それでいて、腕の中からは逃げずにスタンバイしているのだから、もうどうしたらいいのやら。


「察しろよ、馬鹿。キスして欲しいんだよ、そいつは、お前に」

「…………マジですか、春尾さん?」

「俺がお前の何倍生きていると思ってんだよ、馬鹿が。つーか、そいつがわがままを言い出すのも今が初めてじゃねーし。あいつが生きていた時にはよくわがままを言っていたしな。大体、その時の傾向から考えると、明らかにそうなんだよ。そもそも、話の流れでこれくらい分かれよ、朴念仁が」

「うぐっ」


 何も反論が出来なかった。確かに、俺は朴念仁というか、女性への経験値がかなり不足している人間だ。いや、女性を泣かせたり、心を折る行動に関してはすぐに思いついたりするのだが、その逆は難しい。


「…………どうぞ」


 ちらりと秋名さんの方を伺うと、既にキス待ち顔でスタンバイしていた。この状態から、俺がキスを拒否すれば、確実に話がこじれて、仕事のボイコットは継続されてしまうだろう。

 しかし、キス、キスかぁ。

 最初に思い浮かんだ顔が東雲さんだけれど、東雲さんに関しては特に配慮は必要ないな。そういう感情は双方でもっていないし。だから、考えるべきは余語後輩の件だ。何を考えているんだがよくわからない奴だが、恐らく、多分、きっと、あいつは俺に対して何らかの好意を持っていて、それなりに慕ってくれている。でも、付き合っているわけでもないし。けれど、だからと言って俺が秋名さんに対して恋愛感情を抱いているわけでもない。

 なので、それら諸々を考慮した結果、俺は秋名さんの頬にそっと口づけをするだけに留めた。


「このヘタレが」


 春尾さんから吐き捨てるように罵倒を受けたが、こればかりは仕方ない。むしろ、出会って数日のロリに要求されたからと言って、ガチのキスをする方がやばいと俺は思うのだ。そもそも、春尾さんたちと俺では価値観が違い過ぎるような気がするし。

 ただ、この俺の行動で余計に秋名さんが拗ねなければいいのだが。

 そう思って俺がそっと腕の中の秋名さんへ視線を落とすと、そこにはすでに秋名さんの姿は無かった。確かに、つい先ほどまで腕の中に柔らかな感触があったのだが、今は無い。俺の腕は虚空を抱くのみ。


「さて、芦葉様、春尾様。いつまでも遊んでいないで、朝食にしましょう」

「うおおう!?」


 気づくと、秋名さんは俺のすぐ隣で佇んでいた。しかも、自力で拘束を解除して、体が完全に自由になった状態だ。一体、僅かな時間の間に、秋名さんは何をしたのだろうか?


「そうだな。テメェの機嫌も治ったことだし、飯だ、飯」

「治ったんですか!? ねぇ、いつも通りの仏頂面ですけど!?」

「何をおっしゃいますか、芦葉様。私はこの場所の管理人であり、使用人です。私情で行動したことなど、ただの一度もありません」

「えぇ……」

「機嫌が良くなると、秋名は思い出したように仕事人を装うからな。覚えておけ」


 つくづく気ままで、猫みたいな人達だな、と俺は思う。

 妙に義理堅い一面もあるが、基本的に気ままで、自分たちの主に対しても結構ぞんざいな扱いをする。その癖に、妙に勝手に懐いてくるような面もあって、正直、振り回されるこちらとしては心労が絶えなさそうだ。


「後、取材に関しては飯を食い終わって、片付けが済んでからな」

「私の洗濯が終わるまで、待っていてください、芦葉様」


 しかし、対応に慣れるとどうにも、そういう面倒な所にさえ親しみを感じてしまうから、困ったものだと思う。

 やれ、ほんと、美人はずるいな、まったく。



●●●



 いつも通り、春尾さんの料理はとても美味だった。至高だった。正直、この料理に慣れて普段の料理で物足りなくなるのが心配だ。いや、むしろ東雲さんはそういう面も狙って春尾さんを俺に付けたのかもしれない。そう思ってしまうほど美味なのだ、春尾さんの料理は。


「さて、妹様と俺たちのことに関して説明するとだな」


 料理と片づけを終えた春尾さんは、普段通りの執事ルックだ。俺の傍に控えている秋名さんは普通に着物姿。和洋折衷の組み合わせであるが、この二人の組み合わせは妙にそれが合っている。


「妹様の正体は、この世界よりも上位の世界から落ちて来た上位存在で。魂というか、精神だけで存在できる精神生命体みたいな不思議生物なんだよ。肉体に囚われず、有史以前から何度もこの世界に転生して生きていてな、ぶっちゃけ、悪魔とか神様とか、そういう類の存在だ。妖怪とか、怪物とかも、妹様や他の上位生命体の眷属が異形化した物だと言われている」

「春尾さんは少し、説明がストレート過ぎるところありますよねぇ、マジで」


 そして現在、部屋で春尾さんから東雲さん関連の話を聞いている所なのだが、うん、正直甘く考えすぎていたと思う、俺は。なんかこう、魔王の血を引くとか、神々の末裔とか、そういう類だと思っていたのだが、まさか、神様そのものみたいな存在だと言われると思わなかった。

 眷属とか、怪物とか、百二十年前とか、そういう話が冗談ではなく、ただの事実だと思い知らされてしまうとは。


 加えて、何よりも驚いたのは…………そんな、荒唐無稽な話をすんなりと、俺自身が信じてしまったことである。いや、信じるというよりは『納得した』と言った方がいいだろう。今まで経験してきた、数々の異常事態の原因を、ようやく説明してもらえたのだから。


「んでもって、俺や秋名は妹様に捕まった『コレクション』だ。悪魔のように契約によって魂を奪われた者もあれば、神のように祀っていた際に、生贄として捧げられら存在も居る。肉体は一度死んだ後、妹様の手によって人間とはちょっと違った『何か』として転生させられた。それが現在の俺たちだ」

「サイカ様に気に入られてしまった者の末路が、私たちで御座います」


 銀髪金眼の美形。

 それは、二人が生来持ち合わせた物ではなく、一度死んで、与えられた肉体だという。にわかには信じがたい話だが、ここまで来れば今更だ。というか、ガチの怪物なのな、東雲さんって。つーか、世界の裏側がこんなに異能伝奇ストーリーになっているとは思いもしなかったぜ。


「……その、東雲さんを恨んでないんですか、二人は?」

「まー、コレクションとしてこの体になった時は不満とかあったが、さすがに世紀単位で時間が過ぎればどうでもよくなるわな。元々爺の肉体で死に際に捕まったから、かえって便利って気分だし、俺は」

「爺だったんですか、春尾さん!?」

「おうよ。つっても、精神は肉体に引きずられて変容するからな、今はある程度若々しい精神のつもりだぜ?」

「な、なるほど」


 にかっ、と仏頂面を崩して笑う春尾さんの笑みに、並々ならぬ時間の重みを感じる。

そうか、通りで東雲さんへの扱いがぞんざいになるはずだ。だって、この人も、春尾さんもまた、人の寿命を超えた年月を生き続ける、外れた存在なのだから。


「ちなみに私は絶世の美女の時に捕まりました。大体二十代前半だったので、芦葉様にとってはお姉さんですね」

「それが何で今はロリの姿に……って、ああ、そういえば、言ってたね」

「はい。私が芦葉様に手出しをするかもしれないという、サイカ様の余計なお世話によってこの肉体に魂を封じられているのです。いつもならば、二十代のお姉さんとして、芦葉様のお世話が出来たのですが」


 二十代の銀髪着物美女によるお世話。

 俺は昨夜の出来事を思い出しつつ、それを二十代の美女に変換しようとして、やめた。ぶっちゃけ、あれがロリでなくて女盛りの美女だったら、正直、そのまま流されて一線を越えてもおかしくないと感じたからだ。

 うん、余計な事しかしないイメージの東雲さんだけれど、このことに関しては素直に感謝しよう。ただし、監禁の事に関しては許さないけど。


「芦葉昭樹。こいつがここまでポンコツになったのは、お前の責任だからな」

「責任って言われても……」

「条例違反はしないように、適度に構え。放っておくと、拗ねるぞ」

「拗ねません、精神は大人ですので」

「…………小説書いている時以外なら」


 小説を書いている時は本当に、それ以外の事が出来ないので、まったく保証が出来ないのだ。音楽を聴きながらやって、しかも、集中している時は音楽すらも耳に入らないので、何かを言われても反応できないだろうし。


「ん、それでいい。じゃあ、何かあったらまた呼べ。俺は料理の研究に戻る」

「私はいつも通りの業務をしていますので」


 二人は納得したように頷くと、それぞれの役割へと戻っていく。なら、俺も俺がやるべき役割を果たすとしよう。


「良い話が聞けたからな、それに合わせて少し設定を弄ってみるか」


 背伸びを一つした後で、ノートパソコンを起動。ヘッドフォンを装着。適当な音楽データを再生。後はいつも通りの文章ソフトを起動させて、小説の設定の変更を。ただし、根底を変えるわけではなく、設定に深みを持たせる形で。


「ちょうどいいや、春尾さんと秋名さんをモデルにしたキャラも作っちゃえ」


 折角話を聞けたのだから、その二人をモデルに脇役のキャラクターを作ろう。そうだな、主人公がピンチに陥った時、何故か敵側なのに助けてくれる役割で。ただし、そのまんまにしても面白くないので、春尾さんは美少女に、秋名さんは幼女じゃなくてショタに変えて。


「んー、ネットに乗せるわけでもどこかの賞に応募するわけでもないけど、一応、後で二人の許可は取っおくかぁ」


 俺はぶつぶつと独り言を零しながら設定を作り、納得できるまで推敲。

 その後、ようやく昨日の続きを、本編の続きを書き始めた。


「…………」


 無言のまま、想像を文章に貶めて、キーボードを叩き続ける。

 最初はゆっくりと、戸惑うように。そう、波に乗るまでが大変なんだ。何度も、何度も、気に入らない表現は書き換えて、考え直して。それで結局指が止まって、何分も悩みながら再び書き始める。けれど、それすらもまた納得できなくて。それでも、それでもと妥協と試行を重ねながら文章を打ち込んでいく。


「ふ、む」


 小さく己が何かの言葉を呟いた。意味は分からない。意味などは無い。ただ、それがちょうどよくスイッチとなって、深く思考と執筆の狭間に沈んでいく。

 ヘッドフォンから聞こえてくるBGMが全く気にならない。ただ、キーボードの上で不規則に踊る指先の音だけが、俺の頭に入ってくる。

 たたたたたんっ、と何かに憑りつかれた様に。

 書いて、書いて、書いて書いて書いて。

 …………

 ……


「お、おおう?」


 気づくと、既に窓の外から黄昏が差し込んでいた。

 深い霧の中を切り拓く様に、美しい黄金の光が俺の胸元へと注がれる。その僅かな暖かさで、俺は何時間も集中して小説を書いていたという事実に、ようやく気が付いた。


「ま、マジかぁ……うわぁ」


 六時間近くもずっと文章を書き続けるなんて、俺は一体、どうしてしまったのだろうか? こんなに集中力を発揮できたことなんて、短い生涯の中で一度も無かったはずなのに。やはり、あれだろうか? 昨夜からぐっすりと眠れたから? だとすれば、俺は気恥ずかしさに目を瞑って、秋名さんにお礼を言わなければならないが。


「ん、なんだこれ?」


 俺が凝り固まった首の筋肉をほぐしていると、ノートパソコンの隣に真っ白な皿と、飲みかけのミルクが入ったマグカップが置かれていることに気付く。さらによく己の状況を確認すると、服の胸元には少しばかりのパン屑が。


「ひょっとして、無意識で昼食を食べたのかよ、俺」


 恐らくは春尾さんが作って、秋名さんがこっそりと置いてくれたのだろう。あるいは、何か声をかけて貰ったのかもしれない。気づかなかっただけで。もしくは、無意識に返事をして、勝手に食べていたのか。


「あーあ、折角の美味を味わう機会が一つ減ってたじゃんか」


 己の間抜けさを嗤いつつも、少しだけ俺は誇らしい気分になった。

 まさか、俺がこんなに集中して小説を書くことが出来たなんて。踊るような指先で、深海に沈められたような静けさで、物語を書くことが出来るなんて、思いもしなかったから。


「ふ、ははははは、やるじゃん、俺も」


 ささやかな誇らしさは、俺を妙に行動的にさせた。

 普段なら休日は家を一歩も出ないこともあり得るほどのインドアな俺が、何故か、この黄昏と白が混ざった、奇妙な世界を体験したいと思ってしまったのである。

 俺は夕飯の準備をする春尾さんに一声かけてから、宿の玄関へ向かう。特に意味は無いけれど、この誇らしさと共に外に出れば、とても素晴らしい景色が見られるのではないかと思ったのだ。きっと、一生記憶に残るような、そんな素晴らしい景色が。



「やぁ、芦葉君、久しぶり。元気にしていたかい?」



 だが、玄関の戸を開くと、俺の視界に飛び込んできたのは美しい景色では無く、美しい怪物の姿だった。

 黄昏にも負けない輝く金髪を靡かせて、白よりも無垢な銀の瞳で俺を見つめて。

 そして――――腹部から、夥しい量の血を流している、東雲彩花の姿だった。


「私はご覧の通り、ちょっと、ヘマを、し、て……」

「お、おおおおう!? 東雲さぁあああああん!!?」


 いつも通りの不敵な笑みが、その時ばかりは色あせたように見えた。肌は青白く、流れる血の赤さを際立出せていて…………確かに、一生忘れられない光景になった。


「い、い、医者ぁああ!!!?」


 先ほどまでの誇らしい気分はどこへやら。

 俺は血塗れの東雲さんを必死で抱えて、涙目になりながら二人の眷属の元へと走っていく。息を切らせて、全力で。

 東雲さんが生きるか、死ぬか、あるいは、人間じゃないとかはどうでもよくて。

 ただ、もう二度と俺の小説を読んでもらえなくなることが、とてつもなく悲しく、涙を流してしまうほど胸が苦しくなった。

 これはきっと恋ではないけれど、恋よりも大切な何かかもしれない。

 もっとも、当時の俺はそんなことを考える暇もなく、ひたすら全力で走っていたんだ。



●●●



 結論から言えば、東雲さんは大丈夫だった。結構多量の血液が流れたにも関わらず、止血をして横になっただけで、既に傷口が癒えて塞がっているのだから、びっくりだ。そして、傷口があったはずの腹部を、俺に普通に見せてくるんだからもう、本当にびっくりだ、ちくしょう。


「いやはや、完璧だと思っていた偽装が見破られた挙句、この様だよ、ははは。芦葉君、君は本当に稀有な人たちに愛されているねぇ」

「東雲さん? 笑っているけど、アレだよね? その言い方だと俺って、外だと普通に失踪扱いになってない?」

「ははははははは…………ここに君の学生服がある。言いたいことは、分かるね?」

「ファッキン」


 うまく偽装してくれる部分だけは本当に信用していたのに、裏切られた気分である。

 血塗れの東雲さんを必死で背負い、秋名さんと春尾さんを呼び回ったのに。二人に『大丈夫だから放っておけば?』みたなことを言われても、心配して布団の傍から離れずに見守っていたのに。

 …………裏切られた気分だ。


「ふん、もういい。俺はさっさと秋名さんと春尾さんに挨拶して帰るよ。東雲さんはそこでしばらく休養を取って顔を見せるな、クソが」

「怒ってる? 芦葉君、怒ってる?」

「ははは、なんのことやら」

「怒っているよね? だってほら、君が私の見舞いのために持ってきたであろう、その感熱紙の束。それは恐らく、君が長編を書くより前に書き溜めていた短編だろう? ふふふ、超読みたいのだけれど?」

「なんのことやら」


 俺が短編をプリントアウトした紙束を持って行こうとすると、つい先ほど重症を負っていた人だとは思えないほど機敏に、東雲さんが俺の足にしがみ付く。


「ふふふ、謝るからその紙は置いて行ってくれたまえ」

「謝ってないじゃん」

「ごめんなさい、調子に乗っていました。どうか、許してください、お願いします」

「えぇ……」


 唯我独尊でプライドの塊みたいな東雲さんが、即座に頭を下げて来た。ここまでされると、嬉しいとか悲しいを通り越して、軽く引くのだが。


「謝ったよ、芦葉君。私、謝った!」

「あ、はい。んじゃ、これ」

「ふふふふっ、これで後百年は戦えるね!」

「元気そうで何より。んじゃ、また縁があったら」

「ん、またね」


 ひらひらと片手を振って見送る東雲さんだが、既に視線が手元に短編へ向けられているのがバレバレである。本当に好きなんだな、俺の小説。まぁ、そうでなければ俺のような凡人に、東雲さんのような怪物が関わるはずもない、か。


「さて、久しぶりの現世っと」


 俺は秋名さんに手伝ってもらい、普段着の和装を脱ぎ、着慣れた学生服へと袖を通す。和装もここで過ごすのには着心地は良かったが、やはり男子学生として、学生服を着るとしっくりと来るものがある。


「秋名さん、ここ数日お世話になりました。また何か、こちらに来ることがあったら、よろしくお願いします」

「いえ、使用人として当然のことでございます」

 秋名さんへお礼を言ってみたけれど、素っ気ない礼で返される。けれど、ここ数日一緒に過ごしてきたおかげか、秋名さんの仏頂面が少しだけ寂しげな色を帯びているのに気が付いた。

「また、絶対に来ると思うよ、東雲さんに頼んでみるからさ」

「…………その時は、また私がお世話させていただきましょう」

「ははは、そうだね、よろしくお願いします」


 秋名さんには本当に世話になったし、今度来る時は何か土産を用意しよう。東雲さんや春尾さんに効いたら、秋名さんの好物とかを教えてくれるだろうか?


「……芦葉様」

「ん、どうしたの、秋名さん?」


 俺がいざ部屋を出ようとすると、秋名さんから呼び止められた。その表情はいつもの仏頂面とは違い、何やら真剣な眼差しをこちらに向けている。


「どうか、お気をつけて」

「あ、ああ。わかったけど」

「――どんな物を見ようとも、貴方様は貴方様です。それだけは、忘れないように」


 その忠告にどんな意味があったのか、俺にはよくわからなかったが、ただ、忘れないように俺は記憶に刻み込むことにした。

 神妙な面持ちで言葉を告げる秋名さんの姿が、まるで、これからの過酷な試練の予兆を告げる予言者のようだったから。


「ああ、帰るのか、芦葉昭樹。なら、霧の中を適当に進め。その内、お前が知っている場所に辿り着くだろうさ。ただし、霧が晴れるまで振り返るな――――迷うぞ、特に今のお前は」


 ちなみに、春尾さんからも別れ際によくわからない忠告を受けました。

 なんだのだろうか? これからの俺の未来はどれだけ過酷な物になるのだろうか? そういう悪い相でも顔に出ていたのだろうか? まぁ、どちらにせよ、未来に何があろうが、現在の俺に出来ることなど限られている。その中で最善を尽くすだけだ。


「しかし、あの夢は一体、なんだったんだろうな?」


 霧の中を進んでいく中、俺はふとあの悪夢を思い出す。

 半人半蜘蛛の怪物。

 怪物に変わってしまった――――『実在する』クラスメイト。

 肩と足に残っていた、とてつもない激痛。

 そして、心が焦げ付くほどの殺意と、口内に広がった、生臭い鉄の味。


「あれは、本当に……夢、なのか?」


 鮮明な映像に、耳に残る甘ったるい絶望の声。それと、体中を掻き毟りたくなるほどの激痛。そんな物を感じてしまう夢など、あるのだろうか?

 だがしかし、あれが夢じゃなかったとして、それが俺に何の意味を持つのだろうか?

 『よくないまやかし』とは、俺は霧の中に何を見出してしまったのか?


「…………は、阿保らしい」


 疑問は尽きないが、疑問に押しつぶされて動けなくなるのも馬鹿らしい。何より、荒唐無稽な出来事なら、俺の夢よりも東雲さんの正体とか、そっちの方がよほどだ。なら、今は特に気にすることではない。

 そうだ、今俺がやるべきことは決まっている。


「早く帰って、小説を書こう」


 右手に持った手提げ袋の中には、愛用のノートパソコンが入っていた。もちろん、何かの拍子で壊してしまっても問題ないように、小説のデータはきっちりとUSBに保存している。

 さぁ、早く、この鬱陶しい霧を抜けて、俺の家に帰ろう。


「お、そろそろか」


 振り返らずにどんどんと歩みを進んでいくと、ある瞬間を境に、霧が一気に晴れた。霧が晴れた先の光景は、見慣れた通学路である。

 ただし、もうすっかり陽が沈んでしまい、周囲が暗くなり始めていたが。


「うっわー、もう暗いじゃん、これ。さっさと帰らないと田舎だから、電車がすぐになくなって……いや流石に終電には間に合うと思うけど――――って、んん?」


 そう、暗くなり始めていたから、今まで気づかなかったのかもしれない。

 通学路とは即ち、学校へ向かうまでの道順だ。即ち、進んで行けば学校に近づくし、学校に近づけば、その校舎が遠くからでも見えてくる物だ。

 けれど、見えない。本来ならば校舎が見える位置に居るというのに、どれだけ目を凝らしても校舎の影は見えなかった。

 周囲が暗い所為だと思った。それで思ったよりも視界が通らず、ただ、見えていないだけなのだと。そう思って、だからこそ、俺は自然と学校の方へと歩を進めて。

 そこで、見てしまったのである。


「…………なん、だよ……なんだよ、これ?」


 見るも無残な瓦礫の山を。

 崩れ去ってしまった、日常の象徴を。


 ――――崩壊した、学校の跡を。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ