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第14話 スタート

 夢を見ていた。

 それはとても他愛ない夢というか、なんというか、恐らくは寝落ちする寸前まで、PCのディスプレイの前でキーボードを叩いていた弊害だろう。


 俺が長編小説の冒頭に、主人公として登場させた少年。

 その半生を適当に継ぎ接ぎして編集したような、退屈なダイジェストの夢を見ていた。

 簡単に言ってしまえば、それは俺が『物書き』という人生の退屈しのぎ――あるいは趣味、あるいは人生の目標を見つけられず、だらだら生きていると仮定した人生だった。

 文武両道であり、コミュニケーション能力に長けた姉を持ち、それをコンプレックスとして生きるだけの人生。


 例えば姉のようになりたいと、姉を真似て友達を作ろうとしても。

 俺は規格の違う歯車のように、周囲の人間とは噛み合わない。無理やりこちらが合わせれば、あっという間に俺の歯車は砕かれ、無残に零れ落ちるのみ。

 つまり、なんだ。

 小学生の時は仲間外れの上にいじめの対象にされて。

 中学生の時は周囲に反抗して、己を含めて全方位攻撃をかまして。

 高校生になって、やっと落ち着くまでの実に恥ずかしい人生のダイジェストを俺は見ているのだ。しかも、それは俺によく似た……いや、今の俺よりも明らかに凶暴性が増してある、不良染みた風体の人生を。


 どうやら俺は、物書きを趣味にしていなければこうなってしまうらしい。

 己の創作として仮定した人生だというのに、夢の中で上映される光景は非常にリアルで、もしもそうだったら、そんな人生を送ってしまうだろうと納得してしまうほど、説得力に満ちていた。

 特に、結局こういう人生を過ごしても、友達は吉川健治ただ一人だけ、という事実が笑えるほどに納得だ。あいつは俺がどれだけ荒れていても、面白がって関わってくる。そんな確信が、そのまま映し出されたような夢の情景も、俺はダイジェストとして閲覧した。


 さて、問題はその後である。

 ここから、俺が脳内で描いていた主人公のストーリーとダイジェストが違ってくる。

 俺が描いていた主人公は、高校に入学しても社交的にならず、己の暴力性を落ち着かせるために周囲から一線引いて生きていた。悲しきボッチ人間として、他愛ない日々の退屈を読書で紛らわす日々。関わり合うのは、奇特な数人だけ。

 そのはずだったのだが、


「よう、芦葉! 駅前にすげぇ美味いカフェが出来たんだってよ!」

「一緒に行こうぜ! そして、ジャンケンで負けた奴が全部奢りな!」

「おいおい、止めとけよ。三連敗中だろ、お前……将来、パチンコとかに嵌りそうだよな、このリスクジャンキー。お前はこうなるなよ、芦葉」

「はぁ!? リスクジャンキーじゃありませんしぃ! 俺はただの雀鬼です!」

「すでに麻雀に手を付けてやがる、こいつ!」


 夢の中の主人公――いや、『俺』は上手く高校デビューを果たしたらしい。

 健治からファッションを学んで、身だしなみをまともにして。

 コンプレックスを持つ姉へ、頭を下げて人間関係のあれこれを教えて貰って。

 最後に、己と周囲のズレを無理やり愛想笑いで誤魔化して。

 なんとか、どうにか、『どこにでもいる男子高校生』のように、周囲と合わせた楽しげな青春を送っていたのである。


 無理やり合わせた歯車は、いずれ砕け落ちると思っていた。

 事実、それで小学校時代は悲惨な目に遭って、中学校時代は荒れていたはずだった。

 なのに、そいつは、その人生を歩んでいる『俺』は、どうやら己を粘土のように柔らかく曲げて、周囲と同調することを学んだらしい。


 その夢の中で俺は、似合わない愛想笑いをたくさん浮かべていた。

 だが、それでも今の俺よりもまともな人生を送っている事だけは確かで。クラスメイトの間前も全部ちゃんと覚えていて。年下だけではなくて、同級生相手、先輩相手だったとしてもそれなりに上手く付き合っていた。


 おまけに、男友達だけでは無くて、気安く話せる女友達もいたから驚きだ。

 これは本当に俺なのか? 芦葉昭樹という人間なのか? こんな、こんな人生を送れる可能性を持っていたのか?

 いいや、これは所詮一抹の夢に過ぎない。

 きっと、俺の頭が生み出した、都合の良い妄想展開だろうさ。そうに決まっている。そうでなければ、俺は…………俺は、何だろうか?

 俺は羨んでいるのだろうか?

 夢の中で構成された、都合の良い妄想ストーリーの中で生きる、俺自身を。

 そうだとしたら、今の俺は滑稽すぎる。夢に対して嫉妬するなんて、あまりにも阿呆過ぎるだろうが。


 ああ、まったく――――願わくば、こんなクソッタレな夢は朝日と共に記憶から消えていますように。



●●●



 変な夢を視たが、その内容はあまり覚えていない。

 何やらろくでもない内容だったということは、寝床の乱れ具合によって察することが出来るが。というか、久々だ、ベッドから落ちるほどの寝相の悪さなんて。

 思い出さない方が良いような気もするし、思い出さなければいけないような気もする。


 そんな、歯の隙間に林檎の繊維でも挟まったような気分で結局、俺は放課後までだらだらと過ごすことになるのだった。まぁ、夜遅くまで原稿を書いていた所為もあるのだろうが、とにかく、今日は放課後になってようやく意識が覚醒したような気分である。


「おやおや、今日は寝不足ですかね、芦葉先輩」

「寝不足は万病の元ですよ!」

「お、高橋と姫路か。もう道場の用事は良いのか?」


 欠伸を噛み殺しながら原稿を書いていると、高橋と姫路が珍しく二人揃って部室に入って来た。大抵は高橋が先に入って、姫路が後から追いかけてくる形なのだが。

 ふむ、姫路のヤンデレなアプローチが改善されて、高橋の心境も変わったのかな? 最近は部室内でもじゃれ合うことなく、二人とも落ち着いているようだし。


「はい、ばっちし決めて来ましたよ。やれ、古くからの因習ってのは本当に面倒な物でして」

「本当にねー。ぶっちゃけ、私たちの代で道場を閉めたいとも思っているんだけどねー」

「お国の方の要望で、途絶えさせるわけにもいかないという現状でして。だからまぁ、後継者不足解消のためのスカウトというか、腕試しというか」

「入門希望者をある程度私たちがフルボッコして、見込みがありそうな人達を見繕っていたのです」


 やれやれ、と二人はくたびれた様子で各自の席へ腰かける。

 どうやら俺と余語が絡んでいる間に、この後輩二人は武侠小説に書かれていそうなシュチエーションを実際に体験していたらしい。


「お前らの道場って何なの? 現代日本に存在していいの?」

「存在しているんだから、仕方ないっすね」

「幼少の頃の鍛錬って、今思えば虐待を疑うよね!」

「それな。小学校低学年に対して、目隠し状態で飛んでくるゴムボール避けろとか、普通に虐待だよなぁ」


 高橋と姫路は虚ろな瞳で、揃って乾いた笑みを浮かべていた。

 なるほど。今回二人とも一緒に部室へ入ってきたのは、ただ単純に疲れていただけらしい。日常生活をなぞる以外の行動に回す体力の余裕が無かったのだろう。

 個人的には高橋と姫路には穏当な形でくっ付いて欲しいのだが、まぁ、部員のプライベートな付き合いにはあまり干渉しない部長だからな、俺は。

 不順異性交遊で部活動停止になるような事態にならなければ、俺はそれでいい。つか、それを言ったら、昨日の俺と余語の方がよっぽど問題行動だったな、ちくしょう。


「おつかれでーす」


 そんな気恥ずかしい記憶を思い返していると、当の本人である余語が部室へやって来た。

 何故か、今までとは違う、普通の女子の制服姿で。


「お、止めたの? 余語さん」

「髪を切ってまで、男装してたのにねー」


 俺が何かを言う前に、後輩二人が余語へ声をかける。

 そうか、髪が女子にしては短い方だと思っていたが、態々切っていたのか。となると、あれか? 男装は東雲さんに告白した後で思い切ってやったということだろうか? ああ、うん。今更ながら東雲さんの告白に対する答えの意味がよくわかるな。

 余語よ、女子として告白を断られたからって、男子の格好をすればいいという物ではないだろう。馬鹿じゃないのか、お前。

 いや、その男装に一週間も騙される形で付き合っていた俺も馬鹿だけどさ。


「まーねー。昨日、芦葉先輩に思いっきりばれちゃったからねぇ。やる意味がなくなったというか、ぶっちゃけ毎回着替えてくるの面倒なんだよ、あれ!」

「おお、ついにばれちゃったわけか」

「というかー、芦葉先輩はあれですね。逆に何で、可愛い系女子である悠月ちゃんの女装に一週間も気づかなかったんです?」

「うぐ」


 女子である姫路からの、純粋なる疑問が俺の胸を刺す。

 気づかなかった訳ではない。むしろ、八割ぐらいは女子じゃないかと思っていた。二割ぐらいはこういう男子も居るんだな、世界は広いんだな、とか思っていたけど。ただ、それを直接確認するのは失礼な行為なのではないかと気を遣っていただけなのである。


「だってほら、まさか学校内でコスプレ男装している女子がいるとは思わないじゃんか」

「こ、コスプレじゃないですぅ! 純粋な愛の発露ですぅ!」


 今は余語に気を遣う必要が無くなったから、言いたいことはどんどん言っていくスタイルへ変えていくが。余語とはもはや、お互いに気を遣うような関係でもなくなってしまったような気がするのだ。主に昨日の出来事の所為で。


「純粋な愛ってお前、違うよな? 具体的に言うと、お前の感情は性欲八割だよな? 綺麗なものを汚したい系の性癖だもんな?」

「あー! 芦葉先輩、友達の前で隠していた性癖をばらすのはやめてください! そういう所があるから、芦葉先輩は駄目なんですよぉ!」


 ぎゃあぎゃあと、俺と余語は挨拶代わりに罵り合う。

 互いに色々と弱みを知っている仲であるので、もはや関係性に遠慮が無くなっているのだ。俺の中では既に、余語は女子というカテゴリから逸脱したイレギュラーになりつつあるし。余語に至っては、気を遣うような相手に己の足を舐めさせるわけがないという。


「お前、あれで隠せているつもりなのか? 一週間ちょいの付き合いの俺にばれている時点で、他の友達にもばれているとは考えないのか?」

「先輩が言うまでばれていませんでしたよ、きっと!」

「んじゃあ、友達から『好みの男性のタイプは?』とか訊かれていたら、どんな風に答えていたんだよ?」

「え? そりゃ、『屈辱的な表情が似合う美形で』と!」

「隠せてねーよ、むしろ、オープンだよ、その答えは!」

「失礼な! ちゃんと『這いつくばらせて、頭部を踏んだら』という部分はカットしました!」

「昨日も思ったけど、可愛い顔してサディストかよ、お前は!」

「昨日の事は言わないで下さいよ、先輩の馬鹿! お詫びとして、可愛いという部分を強調して、私を褒めてください! 気分が良くなるので!」

「可愛い! 余語可愛い! 性癖歪んでいる癖に、意外と素直なところが可愛いぞ!」

「えへへへー」


 へぇい! とよくわからないテンションになった俺と余語は互いにハイタッチを交わす。

 何気なく会話していた俺たちであったが、これでも内心はバクバクだったのだ。何せ、あんなことがあった翌日の放課後だ。そりゃ、視線は彷徨うし、自然が合えば互いに顔が赤くなるし。互いにフルスロットルなテンションで乗り切るしかなかったのだ。


「……ふむ」

「……うーん、これはー」


 そんな俺たち二人のやり取りを、何故か高橋と姫路の二人が生暖かい目で見守っている。


「な、何か言いたいことがあるか?」

「そうだよぉ! 二人とも、私たちに何か言いたいことがあるなら、さっさと言いなよぉ!」


 狼狽した俺たち二人の呼びかけに、高橋と姫路はどこか悟ったような表情を作り、応える。


「「ご結婚、おめでとうございます」」

「「何でっ!?」」


 その後、俺と余語が顔を赤くしながら関係性の潔白を訴えたのだが、


「大丈夫、俺と明日香は二人を応援するから」

「私も二人ってお似合いだと思うよー」

「「ああああああああああああああっ! だからぁ!!」」


 結局、十分もかけて説明しても理解は得られず、むしろ次第に二人が微笑ましい物を見るような態度になっていくのだった。



●●●



 話し合いでは人は真に理解し合えない。

 だからきっと、例え、世界中の言語がたった一つに統一されたとしても、争いは続くのだろうなと思った。


「ええい、そこの二人はいい加減、生暖かい祝福ムードをやめろぉ!」

「そうそう、ひどいよ、二人とも! 仮に誰かと付き合うとしても、芦葉先輩は……芦葉先輩は、うん、どうしてもと頼まれたらやぶさかでもありませんね! あ、でも気安く話しかけないで下さいよ! ちゃんと文通から始めましょう!」

「俺をフォローするつもりで、背後から撃ってくるのはやめろ、余語後輩」


 否定するのか、肯定するのかどっちかにしてくれよ。

 そもそも、余語が若干照れたような表情で本気かどうかわからないことを言うので、俺としては対処に困るのだ。普段であれば一笑に伏して、俺はただの冗談として受け止めるだろう。

 でも、あれだ、昨日の別れ際のあれはずるい。

 あんなことをされてしまえば、年頃の男子高校生なんて容易く相手を意識してしまうのだから。ん? 東雲さん? 彼女に対してはそういう感情よりも、どうやって勝とうか、という負けん気ばかりが奮い立つから不思議だ。超絶美少女なのになぁ。

 と、そうだ、東雲さんだ。


「大体だな、高橋に姫路。いいか、よく聞けよ?」

「ういっす」

「はいはい」


 初々しい物を見るような目でこの俺を見やがって、後輩共が。


「お前等二人はそういう感じのアレに思っているかもしれないが。俺と余語がそういうあれかもしれないと思っているかもしれないが、そもそも、だ!」


 俺は素早く頭の中で、論理立ててこの状況を打破する言葉を紡ぎ出す。


「この余語は東雲さんにがっつり惚れている状態なんだぞ!? だからきっと、俺とそういう関係になるつもりはないはずだ」


 そう、そうなのだ。

 思い出して欲しい。この余語悠月という後輩は、東雲さんに告白して振られた癖に、諦めきれずに髪を切って男装までするほど東雲さんの事を慕っているのだ。

 ならば、昨日の俺に対するあれはただのスキンシップで、深い意味はない…………はずだ! ええい、俺の癖に後輩の女子から気が無かったぐらいで落ち込むんじゃない。これが通常運転、俺の青春にバラ色は存在しないのである。


「そうだよな、余語?」


 確認の意味を込めて、俺は言葉と共に余語へ視線を向ける。

 さぁ、容赦なく肯定して、俺の中に渦巻くよくわからない感情を切り捨ててくれ。


「いやその、前にも芦葉先輩には言いましたけど――――私の慕情は主にエロスだったので」

「余語ぉおおおおおおおおっ!?」


 真顔で応える余語に、俺は頭を抱えて机に突っ伏した。

 言ったよ、いや、確かに言ったけどさぁ! まさか冗談でも照れ隠しでも無く、普通にガチだったとは。


「ぶっちゃけ、芦葉先輩が上手いこと東雲先輩を籠絡したら、エロいことする時には一緒に混ぜて欲しいとは思いますが、今思えば、それほど恋心なんてありませんでしたね、私」

「ああああああああっ! 高橋ぃ! 姫路ぃ! この脳内ピンク女子はいつもこんな感じなのか、おい!」


 悲鳴のような俺の問いへ、高橋と姫路は少し悩んだ後に答えた。


「いや、俺が知っている余語さんは可愛い系残虐女子っすね。その場の空気を読みつつ、時々さりげなく人の心を抉るのが大好きな人間です」

「前にルックスの可愛らしさに騙された他のクラスの男子が告白してきた時は、『とりあえず、付き合えるかどうかは貴方の親指を折ってから決めたいと思います。あ、大丈夫ですよ、安心してください、もちろん利き手とは逆の方です』と答えてドン引きされたたけどねー」

「なにその、サイコパスぅ!?」

「今はむしろ、先輩が絡むとどうしてエロスになるのか不思議っすわ」

「きっと運命なのかも? 相性がいいんですよー」


 その場の勢いで投げかけた問いが、思わぬ後輩の本性として返って来た件について。くそう、サディストだとは思っていたが、ちょっと笑えないレベルの歪みを感じるんだけど!


「ええと、余語? この二人がそんなことを言っているけど、実際の所どうなんだ?」


 とりあえず俺は本人に確認を取ることに。

 いや、きっと間違いだ。こんなに可愛い女の子がサイコパスなわけが無い。ちょっとサドなだけの、性癖がおかしい女子なのさ。


「失礼な話ですよ! ちょっと人よりもサドっ気があるからと言って! 先輩もサイコパスなんてひどいじゃないですか!」

「だ、だよなー。いやぁ、すまん、すまん」


 その証拠に、余語は良からぬ濡れ衣を着せられたと、頬を膨らませてあざとい感じに怒りを露にしている。そうだよな、お前はちょっとわざとらしい可愛らしさを演出だけで、ちょっとサディストな後輩だよな。


「そもそも人が人を傷つけて楽しいと思うのは、人間の本能に刻まれた快楽の一つですよ? 人は殺し合ったり、相手を痛めつけるのを楽しめる生物ですよ? それを歴史がちゃんと証明しています。だからですね、折角、そういう機能が付いているのなら、それを思う存分堪能したいと思うのは正常な判断だと思いません? そう、例えば、美味を追及する美食家のように」


 微笑みながら説明する余語の姿は、どこまでも自然体だった。自然体で、ナチュラルに、狂った理論を俺に語って聞かせている。


「…………」


 俺は無言のまま後輩二人へ助けを求めるが、後輩二人はそっと目を伏せた。

 なるほど、後輩二人の間でも余語の性癖に関してはアンタッチャブルな案件らしい。


「そ、そうか。正直に言って俺はドン引きしているが、人それぞれ個性は自由だし、犯罪にならない程度に楽しむのなら――」

「ばれなきゃオッケーですよね!」

「俺の足の指程度なら折ってもいいから、周囲に迷惑をかけるよりも前に俺へぶつけなさい、まったくもう」


 駄目だった、満面の笑みでサムズアップをかます後輩を犯罪者予備軍としてカウントしたまま、スルーするのは俺には到底無理だった。ならばせめて、その狂気の方向を限定させて、被害を留めるしかないと考えた俺である。うん、馬鹿じゃないのかな、俺って。


「え、せ、先輩……それって?」

「何をもじもじしているのだ、お前は。ええい、身内から犯罪者を出すのは嫌なので、俺で我慢しておけという話だよ。つか、痛いのはガチで苦手だから本当にどうしよもうなく我慢できなくなったら、という限定でな。あ、手の指を折ろうとしたら、反撃するからな。小説書けなくなるのはかなり困る」


 呆れ混じりに俺が言いきると、何故か高橋と姫路が拍手していた。意味わからん。


「ふふ、先輩ってあれですよねー。人にサイコパスとか言っておきながら、先輩の方が色々とおかしいですよぅ」

「失礼な」

「ふふ、ふふふっ、でも嬉しかったです。あ、一応言っておくと、芦葉先輩に対しては痛めつけた願望よりも、こう『仕方ないなぁ』という顔をさせてエロエロ――もとい、色々ヤりたいだけですから! つまり、さっきの発言は私の性欲処理係になってくれるという告白で――」

「それじゃあ、部活動を始めるぞ、お前らー」

「「はーい」」

「スルーはひどいですよぅ、先輩っ!」


 むしろ、スルー以外に俺はどうすればいいんだよ、という話だ。

 きゃんきゃんと、子犬のようにしがみ付いてくる余語を押しのけつつ、俺は部長として健全な部活動を続ける。

 そもそも、余語に構って忘れていたが、今日は部活動を始める前に、部長として部員へ連絡することがあったのだった。


「後、書き始める前に夏休みの合宿について、詳しい日時と内容が書いてあるプリントを配るから、読んでおくように。ちなみに参加は自由だから、面倒だったら来なくていいぞ。誰も来なかったら、最悪、俺一人で温泉宿に籠るから」


 実際、去年は俺と隼人先輩、後一人、当時の三年生の先輩という三人だけの面子で合宿を行った。どこか海に近い温泉宿で、適当に観光しつつ執筆活動をするだけなので人が居ようがいまいが、合宿は続行されるのだ。

 まぁ、そもそも非公式というか、部費を使わず、学校へ申請する必要が無い合宿なので人数は少なければ少ないほど、予算の都合が付くのだけれど。


 ちなみに予算は部員が稼いだ同人誌の売り上げをプールしている口座があるので、そこから支払うことになっている。加えて、神代先輩のツテがあるおかげで、格安の値段で宿に泊まれるのでそこまで費用は掛からないのだ。なお、この合宿は真面目に部活動へ出ている者限定の誘いであり、幽霊部員は普通にカウントしない。どうせ、誘っても来ないしな。


「大丈夫ですよ、芦葉先輩っ! 私ってば、温泉宿で小説を書くとか、そういう雰囲気ありそうなこと大好きなので!」

「おお、そうか、それは助かる…………のか? いや待て、男と女が二人で温泉宿に向かうってこう、駄目じゃないか?」

「大丈夫ですよぅ、部屋は別々でしょう?」

「まぁ、そうだが」


 どうせ学校の行事でもないし、神代先輩からのツテなので旅館側から注意を受けることはないと思う。しかし、俺の中の理性が何か危険を訴えているのだ。

 そう、この余語と二人きりで温泉宿に泊まれば、洒落にならないイベントが起こると。


「いいですねー、いいですねー。一緒にご飯を食べたり、近場の観光スポットを回りましょうよぅ」

「言っていくが、遊びじゃないぞ。合宿だぞ」

「知ってますってば。でも、小説の取材って大切ですよね? その場でしか感じられないことを書き留めるって文芸部の合宿のだいご味じゃないんですか?」

「それも、そうだな……うん、わかった考慮しよう」

「えへへー、やったぁ」


 俺が了承すると、余語は素直に笑顔を作る。

 こういうところがこの後輩は可愛いと思う。嬉しいことを素直にうれしいと表現できるというか、子供の頃に失ってしまった純粋さを感じるのだ。


「えへ、えへへへ、芦葉先輩と二人で…………ぐへへへ、二人っきりかぁ。ちゃんと着替えを持って行かないとなぁ。色々汚れたら困りますからね!」


 ただ、同時にその純粋な笑みの裏側に隠しきれない性癖の歪みを感じるが。


「すまない、高橋と姫路。予定は出来るだけお前らに合わせるから、俺たちと一緒に合宿に来てくれないか? なにかこう、身の危険を感じるんだ」

「おおう、芦葉先輩が真顔で頼んで来るとは。いや、最初から俺は付いていくつもりでしたけどね? 夏休みは家で暇してると道場に連れ出されるんで」


 高橋は青い顔をして頷く。

 家業に追われる夏休みとか、本当に大変だな、高橋は。


「数馬が行くなら、当然私も行くよ! 後で、私と一緒に着替えを選びに行こうね、悠月ちゃん! ここが勝負だよ!」

「勝負とか何かさっぱりわからないけど、当然、私も一緒に買いに行くよぅ、明日香ちゃん!」


 一方、女子タッグは生き生きとした顔で腕をガッ、とぶつけ合っていた。何こいつら、とても元気なんですけど。


「芦葉先輩、先人として俺がアドバイスすると、夜はきっちり部屋に鍵をかけておいた方がいいっすよ。それでも時々鍵開けしてくるんで、部屋に罠を仕掛けるんですが」

「お前は何と戦っているんだ、高橋」

「自分の童貞も守れず、誰を守れるってんですか、先輩。俺は戦いますよ、現実と」

「そ、そうか。俺も部長として、部内の風紀を守る義務があるからな、うん。当然、そういう行為は慎むべきだな、合宿だし」


 俺と高橋の男子タッグは、己の貞操を守るために互いに手を組む。大丈夫、こちらには物心ついた頃からヤンデレに対処してきた男の経験と、部内の風紀を守るという大義があるのだ。

 絶対に、女子の言葉に惑わされて一線を超えないようにしなければ。


「ところで芦葉先輩。話は変わるんですが、先輩は女性の下着の柄とかには、こだわりがある方ですか?」

「余語ぉ! 言っておくけど、俺は元々女子が苦手な人間だからな! そういう話題はもっと配慮してくれ!」

「分かりましたよぅ…………つまり、私も女子だけど、私だけは特別扱いなのですね、ふふん。そっかぁ、特別扱いですかー」

「や、やめろぉ! 露骨に嬉しそうな顔をするなぁ! 胸がキュンキュンするんだよぉ!」

「えへへー」


 なんかもうすでに余語の手のひらの上って感じがするが、頑張っていきたい所存である。

 いや、本当に。



●●●



 多分、俺は浮かれていたのだと思う。

 今までの枯れた灰色の青春と違って、最近の日常には彩りが出て来たから。

 だから、ふとした違和感にいつまでも気づけなかったのだ。


「…………は?」


 その姿を見かけたのは、部活帰りの駅のホーム。ああ、わかる。学生服じゃなくても。その特徴的な金髪を帽子で隠していても、そのでかい体を見間違えるはずがない。

 だが、問題はそこではないのだ。問題は、見覚えのあるその姿に、顔に、痛々しい青あざと、頬を隠すガーゼが張られている事である。

 そう、俺の友達である吉川健治が怪我をしているのだ。


「……おい、健治」

「うおっ? あー、ついに見つかっちゃったか。やぁ、久しぶりだな、芦葉君」


 俺が声をかけると、健治は悪戯でも見つかった子供の様に笑って、「いてて」と傷を痛めたのか顔を顰める。


「最近、見かけないと思ってたら、テメェは…………どいつだ? どこの誰にやれられた? さっさと教えろ。生まれてきたことを後悔させてくるから」

「ステイステイ、芦葉君。ちょっと落ち着いてくれよ、これは階段から落ちて――」

「つまらねぇ嘘を吐くなら、その頬を引っ叩くぞ」

「うへぇ、こういう時の芦葉君はおっかないねぇ」


 へらへらと、いつも通りに健治は笑った。

 いつもとは違う、傷だらけの顔で、なんでもない様に笑って見せた。その、気遣った笑みが、俺は気に入らない。


「いいからさ、さっさと言えよ。俺はな? 喧嘩は弱いが、手段を選ばなければどんなクソ野郎だってバッドエンドに叩き込む自信があるんだ。ああ、任せておけ。人のダチに手を出したら、どうなるのか教えてやるから」

「うわー、俺ってば愛されてるぅー」

「うるせぇ。ぶち殺されたくなければ、さっさと吐け」

「…………まったく」


 俺が睨みつけると、ようやく健治は顔から笑みを消した。そして、ため息交じりにがりがりと頭を掻き、言葉を紡ぐ。


「芦葉君、お前には教えられないよ。巻き込みたくないし、大怪我をするような喧嘩をする予定は今後も無いからさ」

「そんなの――」

「今、お前が俺の事情に巻き込まれれば、お前の後輩も巻き込まれる可能性があるんだぞ?」

「……っ!」


 嗜める様な、強く鋭い言葉に俺は息を止める。

 怒りに吞まれて考えが浮かばなかった、当たり前の可能性が提示されて。俺は身動きが取れなくなってしまう。


「昔とは違うんだ。お前は既に『持っている人間』なんだよ、芦葉君」

「……」

「昔の芦葉君はさ、気に入らない奴には噛みついて、どれだけ攻撃されても全然気にしない奴だった。でも、今は違うだろ? 色々と大切な者が出来て、中々動きづらくなっているだろ? でもさ、それでいいんだよ、それが真っ当な青春を歩むってことだぜ」

「…………でも」

「心配すんなよ、芦葉君」


 ばんっ、と健治は俺の背中を思いきり叩く。本当に、容赦なく、こちらが咳き込んでしまうほどに、強く。


「あはははは、喧嘩は俺の方がお前よりも強いんだからさ。心配すんな、俺は芦葉君と違って友達はたくさん居るし」

「この野郎」

「ははははは! でもまぁ、ガチでやばくなったらそれとなく助けを呼ぶから、助けてくれるとありがたいぜ。あ、別に喧嘩をしろってことじゃねーよ? 一緒に逃げてくれってことさ」

「てめ、おまえ、やめっ!」


 がしがしと、大型犬にでもするように俺の頭をわしわしと掻き回す健治。

 ええい、いきなり何をするのだ、貴様は。いくら俺の背が小さいからと言って、そんなスキンシップをしているとほらぁ! 周りの腐女子が反応して物凄い勢いで携帯端末弄ってるぅ! 目を泳がせながら、こっちを隠し撮りしようとしている女子も居るしぃ! ちくしょう、周りの腐女子率がなんか多いぞ!


「だってさ、誰だって友達が傷つくのは嫌だろうが? 特に、自分のために友達が喧嘩して怪我した時とかさ、かなり凹むぜ?」

「……わかった、わかったから、離せっての!」

「やれやれ、芦葉君は恥ずかしがり屋ですなぁ」

「うるせぇ、馬鹿」


 吐き捨てるように言って、俺はそっぽを向く。

 いつだってそうなのだ。

 この健治という男はでかい図体をしている癖に、誰よりも平和主義者で。戦えば、喧嘩だって俺よりも強い癖に、友達の身を案して手伝わせようとしない。

 だからきっと、大勢の人に慕われているのだろう。

 たくさんの友達が居るのだろう。

 ひねくれて、偏屈で、いざとなったら暴力を躊躇わない俺とはまるで真逆だ。でも、真逆だからこそ、あるいは友達関係がうまくいっていたのかもしれない。


「ちっ、言っておくが入院なんかしたら、俺は暴走するからな。周囲を焦土と化すまで動きを止めないからな」

「あははは、俺は頑丈だから大丈夫だっての! それに、芦葉君の手は人を殴るよりも、面白い物語を書いている方が似合ってんぜ?」

「…………ちっ」

「だからまぁ、俺の手助けをするってんなら、いつも通り面白い物語をたくさん書いて、俺に読ませてくれよ。そっちにの方が俺の力になるからさ」

「…………ふん、気が向いたらな」


 俺は悪態を吐くように言って、健治はそれを笑いながら受け流す。

 中学の頃から変わらない、俺たちの友達関係だ。

 色々と暴走しがちな俺を健治がフォローして、そう、昔から色々と気遣われていたのだと思う、俺は。中学時代はそんなことにも気づけなかったけど、高校生になって余裕が出て来て、ようやく俺は気づいた。

 俺は、大分健治に助けられていたのだと。


「…………なぁ、健治」

「なんだよ、芦葉君」

「…………いや」


 だから、俺はふと考えてしまったのである。

 もし、俺が東雲さんとの契約を健治に打ち明けたとしたら、何と言うだろうか? と。


 ――――答えなど、考えるまでも無く分かっている癖に。


「なんでもない」

「えー、なんだよそれ」

「うるせぇ、傷口にからしを擦り込むぞ?」

「俺の友達がナチュラルにひでぇ!」


 他愛ない言葉を交わしている内に、ホームへ電車がやって来た。

 俺と健治はそこで一旦、会話を区切って電車の中へと入っていく。席は隣同士で。周囲には俺たちと同じような高校生と、スーツ姿の社会人がそれなりに。

 電車がホームから発車するまで、俺と健治はいつも通り、他愛ない世間話で暇を潰す。

 退屈で、平和で、くだらなくて、当たり前のように大切な日常風景。


 俺が死ねば、欠けてしまう風景。


 でもきっと、俺が死んでも健治はたくさん友達がいるから、直ぐ隣には別の奴が座るのだろう。そして、今日みたいに他愛ない日常を過ごしていくのだ。

 そうであってくれ…………そうであって欲しい。

 身勝手極まりない話だけれど、俺が欠けた日常の中で、健治が一人で電車に乗る姿を思い描くのはあまりにも辛すぎたから。

 もしも、俺が居なくなっても平然と日常を過ごして欲しいのだ。


「なぁ、健治」

「お、何か言う気になったか、芦葉君」

「もしも、俺がいつか死んでも。適当に笑い飛ばしてくれないか? 泣かれたりしたら、鬱陶しいから」

「嫌だよ、馬鹿かよ、芦葉君は。つーか、いきなり重たいことを言ってくるなぁ、お前は。何? 死ぬ用事でもあるかよ? 言っておくけど、自殺しようとしたら俺が手足ブチ折って、さるぐつわ嚙ませてでも止めるからな?」

「…………はん、別にそんな用事は無いさ。ただの創作に役立てるための取材だよ」

「そうか、安心したぜ」


 へらへら笑う健治の顔を眺め、俺は改めて己の愚かさに心中で歯噛みする。

 命を賭けるということは、恐らく、こういうことなのだろう。

 いくら浪漫に溢れていて、己の中で格好良いと思っていても、結局の所、そうなのだ。

 自分を想ってくれる他者の善意を踏みにじる。

 命を賭けた契約と決闘というのは、そういう最低な行為の上に成り立っているのだと、今更ながらに俺は理解したのだった。

書き溜めが終了したので、次から低速不定期になります。

完結まで気長に付き合っていただければ幸いです。

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