成行きの人生
ご訪問ありがとうございます。
『人生は人それぞれ。』のシリーズの作品です。
今回はそれほど長くは無いのですが、2話完結にします。
私は、東京都郊外に住む2児のシンママ(シングルマザー)26歳でーす。
私には8歳と5歳の娘がいるんだよね。そして現在妊娠8か月なのねぇ。
私と娘2人は、私のママの家で一緒に暮らしてるんだよね。
娘2人とお腹の子は、それぞれ父親が違うんだよね。
長女は、私が17歳の時に交際していた彼との子供なんだよね。
次女は、私が20歳の時に少しの間だけ付き合った年下の彼の子供なんだよね。
そして、お腹の子の父親は、私が25歳の時に一夜のアバンチュールで出来ちゃった子なんだよね・・・・。
私は、男運が無いって言うか、男に逃げられたって言うか・・・単に私がモノ好きなだけかも?って思うんだよねぇ
戸籍上の父親欄には、父親の名前がないんだよね。子の認知をして貰えてないんだぁ。
一般的には、非嫡出子っていうらしいんだけどね。
でも、私は娘達に囲まれながら毎日一生懸命頑張って生きてるんだよね。
因みに、お腹の子は男の子だって産婦人科の先生に言われたから、初めての男の子で今から息子に会える日を楽しみにしてるんだ。
そして、私のお腹に娘達にも手を当てさせて、赤ちゃんがお腹の中で生きていることを知ってもらってるし、娘達も私のお腹の中でこうやって育ってから生まれてきたんだよ、って教えてるよ。
小さな手で胎動を感じた娘達も、「弟に会える日が楽しみ~ッ。」って言ってくれています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私は一人っ娘で、両親と都内の閑静な住宅街に住んでたんだよね。
私が中3の5月末頃に両親が離婚してぇ、ママに引き取られた私は高校には進学できなかったんだよね。
離婚後は、私が生れ育った家を出ないとならなくて、ママ側のお祖父ちゃんが住んでいる家に一度引っ越したんだよね。両親が離婚する前までは、都内の公立中学校に通っていたのに、仲が良かった友達とも離れて、新しい学校に馴染めなくて、勉強にも身が入らなかったし、生活環境が変わって精神的に病んじゃって・・・不登校気味だったんだ。だってぇ、中途半端な時期に転校したって、既にグループが出来上がっていて都内から来た転校生を快く受け入れてくれる雰囲気なんて無かったんだよね。
中3年の6月から卒業まで学校に行ったのは、最初の1か月半くらいかな。夏休みに入ってから体調を崩して、不登校になってそのまま卒業式までお祖父ちゃんの家にずっと引き篭もってたんだよね。
お祖父ちゃんの家は2階建てで、1階に和室6畳のお祖父ちゃんの部屋と台所3畳、ダイニング6畳、客間6畳とお風呂とトイレが別で、2階に和室6畳が2つあって、階段を挟んで5畳位の洋室とトイレがある昔ながらの住居なんだよね。今は5畳の洋室を物置部屋にしてるけど、昔はママが使っていたって言ってたっけ。
お祖母ちゃんは私が中1の時に亡くなっちゃたんだよね。だから客間に仏壇があるんだよね。私はお祖父ちゃんの家の2階の和室6畳の1部屋を与えられたから、その部屋で毎日特に何もしないで過ごしたんだよね。私の部屋の隣の和室6畳でママが寝起きしていたけど、飲食店開業に向けて色々と準備が忙しくて、あまり私にも構ってくれなかったかな。
ママは離婚したばかりなのに、バイタリティーがあって前向きに行動をしていたね。
パパの浮気が原因で離婚したらしいんだけど、その時の慰謝料と家を売却したお金や夫婦の預貯金などの財産分与請求でママが勝ち取ったお金を資金にして、都内から外れた郊外の中古物件を購入したんだよね。
ママは「この街でママが生まれ育ったから戻って来ただけよ。」って言ってたけどね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私鉄線の駅前ロータリーから大通りを少し下って駅から少し離れた場所の通り沿いに、15坪程度のテナント物件付き2階建て住宅で、昔は1階が居酒屋で2階が住居で外階段があった中古物件だったんだよね。
その物件を1階を飲食店、2階に洋間8畳、和室6畳、ダイニングキッチン8畳、納戸4.5畳にお風呂とトイレ別で1階の店内から2階の住居に行ける階段を設置して・・・と全体的に今風にリフォームしたんだよね。住居用のキッチンは余り使ってないんだけどね。
ママが設計士さんと相談しながら全部決めたんだよね。
新改築工事が完了したのは、私が中学卒業後の4月中旬だったんだ。
私は洋間8畳の部屋を貰ったんだ。ママは和室6畳の部屋で寝起きしてるのね。
1階の飲食店は、日中は喫茶店として営業して、夜間はスナック営業に切り替えて、一定の収入があって母子2人の生活には問題無かったんだよね。ママは飲食店開業資金と改築工事費の全てを現金払いで借金を作らなかったみたい。だから順調だって喜んでいたからね。
私は中学卒業後の進路を全く考えて無かったから、昼間の時間帯だけ喫茶店でママの手伝いをしていたんだよね。ママも私に無理に学校へ行くように言わなかったし、精神的に安定した生活をして欲しいと言ってくれたし、勉強は自分がしたいと思った時にすれば良いって言ってくれたんだよね。
昼間のランチタイムに地元のお客さんやご近所さんが沢山来店してくれてたから、それなりに経営は順調だったんだよね。夜のスナック営業はママの口八丁手八丁の手腕に魅了されたお客さんが常連で来てくれるようになってたから、ママも活き活きと仕事をしていたんだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私が17歳の時に知り合った彼は、昼の喫茶店の営業時間にお店に何度か来てくれて、次第にお店の常連さんになってくれてね、何回も会話しているうちに、私が通っていた都内の公立中学校出身の先輩だったって知って、親近感が湧いて何となく交際が始まったんだよね。
ママとも気さくに話すし、好青年って感じの23歳の社会人だったんだよね。
家のすぐ近くの某信用金庫・駅前通り支店勤務になったって言っててね、大学を卒業後に信用金庫に就職したら、希望勤務地は都内本社だったのに、勤務地がこっち(駅前通り支店)になったんだってさ。
毎日仕事は辛いのに給料が安いと嘆いてたね。
都内から通勤出来ない距離じゃぁ無いけど、毎日の通勤ラッシュが苦痛になって、こっちにアパートを借りて一人暮らしをしてるって言ってたんだ。
ウチの喫茶店に来れば500円の日替わりランチを注文してくれて、ママには営業トークだったけど仕事に一生懸命に取り組んでいる姿を邪気にはしないのが私のママだから、話は聞いてあげていたみたいなのよね。
そんなある日、私が妊娠したことを知ってね、彼に「赤ちゃん、できたよ。」と打ち明けたら、彼が「その子は本当に俺の子なのか?」って聞いてきたんだよね。私は「もちろん、そうだよ。」って言ったんだけど、彼が少し考えてから「そうか・・・・・・、別れよう。安月給だから、俺には結婚なんてまだ出来ないし、自分ひとりの生活だけでも大変なんだ。」って言われたんだ。
何だか気の毒に思えて、「分かった、別れる。でも、私は子供を産んで育てるからね。」って言ったら
「ホント、お前って頭の中空っぽだなっ。普通、別れるってなったら中絶するだろ?!」って言われたんだよね。でも私は「中絶なんて出来ないよ、もう妊娠5か月だもん。あなたには迷惑が掛らないようにするから安心してね。」って伝えたんだよね。それからは、もう喫茶店にも来なくなったんだ。
私は、既に18歳になっていたんだぁ。出産予定日の1週間前まで喫茶店の営業時間だけママの手伝いをしながら働いていて、予定日前日の夜中に破水してママに産婦人科に連れて行って貰って、翌日の夜11時25分に無事に第一子の娘を出産したんだよね。
娘に会えた喜びは、本当に感激したし、産んで良かったって思ったんだ。
ママも反対しなかったしね。育児はママも協力してくれているからね。
娘が産まれたことを彼に伝えようとは思わなかったんだよね。
別に2人の間に『結婚しよう』みたいな会話も無かったし、特別な約束もしてなかったしね。
彼に娘が生れたって話したところで、何も変わる訳ないし、何となく無駄だって分かったからなんだよね。
この子は私の大切な娘なのは変わらないから、それだけのことなんだよね。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
次回は続きです。
宜しくお願い致します。