妹ロイドは通常の3倍の速さで動ける! らしい
「ただいまー」
「よう、兄貴」
初日の仕事を終えて帰宅。家のドアを開けて靴を脱いでいると、1つ下の弟がやってきた。正直な話、あんま仲は良くない。
「ちょっと話があるんだけどさあ」
「なんだよ」
男兄弟で仲がいい家庭はそうそうないだろう。年の差が開いていればまだ可愛げもあったろうが、たった1コしか違わなければそこは男同士。ケンカの毎日だ。多分に漏れず、オレと弟も中学生くらいまでは、よくつまらないことでケンカをしていた。高校生になって多少は大人になったけれど、顔を合わせればやはりお互い、『嫌なもん見ちまった』という感じになってしまう。
「バイトはじめたんだろ? 金、貸してくれよ」
「は? お前アホなの?」
「この際アホでもなんでもいいよ。一万でいいから。頼むよ、マジで!」
珍しく頭を下げてきた弟。正直、土下座されても金なんか貸す気はサラサラなかった。
「今日働き始めたんだぞ。いきなりバイト代なんかもらえるかよ。日雇いじゃないんだからさ」
「チ。つかえねえな」
殴ってやろうか、こいつ。
「だいたいなんだよ、お前。なんでいきなり金が必要になるんだよ」
「それは……絶対に、笑うなよ?」
弟は急にもじもじすると、床を見てほほを真っ赤に染めた。
「アイドルのさ。シスターズって、今やばい人気じゃん? 俺、この前ネットで偶然見てさ。結芝リフィルちゃんがほんと可愛くてさ。ライブに行きたいんだ……」
「え。お前、リフィルのファンなの?」
「んだよ。悪いかよ」
「いや、別に……」
中の人は酒乱だぞ、やめとけ。
「そりゃ、アンリ派の気持も解るけれどさ。でも、リフィルちゃんがぜってー一番なんだよ! 俺、あの子のためならなんだってできる! だから、兄貴から金巻き上げるって決めたんだ!」
「じゃあ、自分で金稼いでいって来いよ……何でそんな笑顔がさわやかなんだよ」
「いや。バイトとか俺のプライドが許さねえじゃん? なんで俺が他人に頭さげなきゃなんねーの?」
「お前、マジで全日本厚顔無恥大賞に輝けよ」
「なあ、頼むよ。1万くれよー。ネットじゃ、シスターズに新しい動きがあるって噂になってんだよ。もしかしたら、新メンバーが追加されるかもしれねー、俺はそう睨んでるんだ。しかも、その子もめっちゃ可愛い!」
何気にこいつ、未来言い当ててやがんな。
「まあ、わかったよ。時給かなりいいから、一万くらいなら貸してやる。絶対返せよな」
「マジか!? 愛してるぜ、兄貴!!」
「キモイから10メートルくらい離れろ」
抱き着いてきた弟を投げ飛ばすと、弟はよっぽど嬉しかったのか、玄関で泣いていた。
「ああ、リフィルたん~。俺がいくよ! 待っていて」
「なあ、弟よ。リフィルが好きな男性のタイプって、知ってるか?」
「んなもん常識だろ。好きな人はお兄ちゃんみたいな人☆に決まってんだろが!」
弟の口から裏声でお兄ちゃんみたいな人☆という単語が出てきて、おぞましいほどの寒気がオレを包み込んだ。なにより、それを聞いてしまった母親がリビングから顔を出してきて、目が合ってしまった。ていうか、☆つけてんじゃねえよ気持ち悪い。
「お前に真実を教えてやる。正解は、ATMみたいな人。だそうだ」
「ああ!? リフィルちゃんがそんな欲にまみれた女の子なわけねーだろ! 趣味はお菓子作りで、りふぃる星からやってきた俺の天使なんだぞ!! 俺の全てなんだぞ!!」
弟が重症だ。もうこれ以上関わるのはやめておこう。ていうか、りふぃる星ってどこにあんだよ。
「ああ、リフィルちゃん……」
オレはこれ以上関わるのはまずいと思って、そうそうに自分の部屋へと引き上げた。
翌日。オレは朝食を食べるとすぐに出かけた。今日は9時からレッスンがあるそうなので、少し早めに出ておこうと思ったのだ。
レッスン、か。何をやるんだろうな。
「小田くん!」
「あ、佐山さん!」
コンビニでスポーツドリンクを買って出てきたところで、佐山さんと偶然出会った。
「おはよう、小田くん。今日から本格的にレッスンだけれど、大丈夫?」
「うん。気合い入れるよ。オレ、あんまり運動得意じゃないけれど、仕事なんだし。それに、なんだかワクワクしてるんだよね」
「ワクワク?」
「うん。だってさ。もしかしたら、オレがエレナを演じることで誰かに喜びや感動を与えることができるなら、時給3000円と同じくらい大きな報酬だよ」
佐山さんの前でイイカッコしときたいってのもあった。けれど、昨日の弟を見て少し考えるところもあったのは確かで、誰かを幸せにすることができるかもしれない。時給以上の何かが、すごく貴重な経験が積めるかもしれない。そう思ったんだ。
「そうだね。やっぱり、ファンの人たちからもらえるお便りやプレゼントを見ると、それだけ誰かに幸せな時間を届けることができたんだなって、思う。お金を稼ぐだけなら、コンビニのアルバイトでもできるけれど、アイドルにしかできなことって、いっぱいあるもの。がんばろ、小田くん!」
「うん!」
佐山さんはオレの手をぎゅっと握る。あったかくて、優しい感触がした。
「2人ともおはよう。手なんか繋いじゃって、仲いいのね」
「あ、妹子さん。おはようございます。って違うんです、これは!」
佐山さんと一緒に歩いていると、後ろから妹子さんがやってきた。
妹子さんはオレと佐山さんを交互に見て、意味ありげな笑みを浮かべた。なんか勘違いされてるな。
「ま、アンリとエレナは仲良し姉妹だものね。普段から役になりきっておくのもいいと思うわよ」
「つまり、どういう風に?」
一瞬、妹子さんの目が野獣のようにギラリと輝いた。
「んー。はるかちゃんのこと、お姉ちゃんって呼ぶとか。いっそ常に女装してしまうとか」
「なんでそうなるんですか」
「大丈夫、ちゃんとお洋服や下着は経費で落としてあげるから。兄助くん、男の娘としてイケると思う。私が責任もって可愛くしてあげるから。ね? 新しい自分始めようよ」
「ごめんこうむります! 今までの自分でけっこうです!!」
何気に妹子さんの目がマジだったので、オレは佐山さんを連れて歩くスピードを早めた。
「小田くん。レッスンも大事だけれど、妹ロイドの体を自在に動かせる訓練もしないといけないから、今日はハードになると思うよ」
「うん、そうだね。ってそうか。普通のアイドルと違って、レッスン以外に体の操作の訓練も必要になるのか……」
ビルに入ってすぐ佐山さんにそう言われ、オレは来て早々くたびれかけた。
「ねえ? やっぱり、男の子の体と女の子の体って、そんなに違うの?」
「へ?」
階段を上る途中、佐山さんがオレの服のそでをつかんでそう尋ねてくる。まあ、異性の体になる経験なんて早々あるもんじゃないし、興味があるのはわかるけれど……これけっこうデリケートなお話なんですがね。
「私、今まで異性とお付き合いしたことないし、男兄弟いないからよくわからなくて……小田くんが悩んでいるのを見て、少しでも役にたちたいと思ったの! 妹ロイドの体でダンスや歌を歌うだけならまだしも、妹子さん、来月のライブに出す気満々だし」
佐山さんは裏表なく、オレの身を案じてくれているんだ。でも。
「今のままじゃ何もアドバイスできない。でも、黙ってみていることもできないよ。私、小田くんの力になってあげたいの!」
優しいんだな、佐山さん。今どきこんな優しい女の子そうそういないぞ!
「あ、そうだ! いいことを思いついたわ!」
「え、なになに?」
昨日と同じ第二会議室に到着して、一歩目を踏み出したとき、背後で佐山さんが両手をポンと叩いた。そして、とんでもないことを言った。
「小田くんが裸になれば、男の子の体のことがよくわかると思うの。そうすれば、妹ロイドのコツやテクニックを的確にアドバイスできるようになると思う!」
佐山さんはマジなのか、オレのズボンのチャックに手をかけた。え、手をかけた!?
「まてええええええええええええええええい!」
オレは佐山さんがチャックを下ろさないようにその手を遮る。真面目と優しさがへんな方向に向かってるよ、この子!!
「どうして見せてくれないの!?」
「どうして見たがるの!?」
お互い一歩も譲らず5分が経過した時、突然理奈さんがチューハイの缶を片手に会議室へ入ってきた。
「おーす。んー? 朝っぱらから何やってんだよお前ら。ここ一応会社だぞ。そういうのはホテルでやれホテルで」
理奈さんは面白そうにこちらを見ながら、チューハイを一気のみする。あんたもそういうのは居酒屋でやれよ。ここ一応会社だぞ。
「さ、佐山さん。佐山さんの気持ちはすごい嬉しいよ。でも、これはオレが自分自身の手で解決しなきゃいけないことなんだ! 誰かに甘えていたら上達しない! 本当に困ったときは、佐山さんを頼るから!」
「……本当?」
「うん! 本当!」
ようやくオレのズボンが魔の手から解放される。はあ、朝っぱらから何やってんだよ。
「ごめんね、私。へんに意地を張っていたみたい。小田くんはもう、私にとって他人じゃないから」
「え?」
「昨日も話したけれど私、2つ年上のお姉ちゃんがいたの。お姉ちゃん、私のことすごく可愛がってくれた。アンリとエレナは姉妹だもの。そのオペレーターである私と小田くんも姉妹。私にとって小田くんは、可愛い妹同然だから」
「いや、そこは妹じゃなくて弟ってことにしといてほしいんだけど」
なんでみんなオレを女の子にしようとするのだろうか。
「小田くん。困ったことがあったら私に言ってね!」
「うん。じゃあ、とりあえずオレのズボンから顔を放してくれないかな。妹子さんの目が百合色になってる」
「え!? あ、ごめんなさい!!」
佐山さんが離れると、今度は妹子さんがグッジョブと親指を立てていた。
「うーん。いいわね。エレナはお姉ちゃん大好きっ子で、姉妹Loveでいこうかしら。百合が好きな層にもウケるかもしれない。ライブ中のパフォーマンスでキスとかしたりして」
「キ、キス!?」
佐山さんは耳の先まで真っ赤になると、その場で気絶した。おいおい、どんだけ純情なんだよ。オレのズボンの下みたらこの子、命が危ないんじゃないか? 佐山さんのためにも、ズボンは死守せねばならんな。
「さて、じゃあ今日もさっそくおっぱじめるわよー。理奈、チューハイしまいなさい。兄助くん、はるかちゃんをおこしてあげて」
「はい」
ようやくレッスンが始まるようだ。
「兄助くんにまず軽く説明しておくわね。シスターズは普通のアイドルと違って、妹ロイドの体でライブをするわ。妹ロイドの体はある程度外部から自動操作できるの。表計算ソフトでマクロってあるでしょ? 腕を上げたり足を上げたりといった体の操作をマクロ化して、ダンスの動きを自動化することも可能なの。いずれは完全なオートライブシステムを作り上げて、歌も録音したやつを口の動きに合わせて出せば、完全な自動ライブができるわ。これは1つの完成形ね。ただ、マクロ化するためのデータがまだそろっていないから、これは当分先の話。だから従来通りに妹ロイドの体を動かして歌を歌ってもらいます」
全自動ライブ……なんか、すごい話だな。
「今日から始めるレッスンは、本来の体でやってもらいます。ダンストレーニングにボイストレーニング。今日の午前中はダンストレーニングを。午後からは妹ロイドにプラグインして、ライブモードを兄助くんにも体験してもらいましょう」
「ライブモード?」
「男の子は知らないよなあ。妹ロイドの体は普段筋力にリミッターがかかってるんだ。ライブなどのパフォーマンス時には筋力のリミッターが外され、身体能力が通常の3倍になる。宙返りとかバク転とかいろいろできるようになるのさ」
そういえば、シスターズの2人はものすごい運動神経いいんだよな。そうか、妹ロイドだから普通の女の子とは違って通常の3倍の速さで動けるのか。って、どこの赤い彗星だよ!
「ライブモードの出力調整も重要な項目だからね。ダイナミックな動きを可能とする分、体を扱うのにも苦労するわ。慣れれば逆に楽しいと思うけれど。さて、ここまでで質問あるかなー?」
妹子さんは手を挙げてオレの顔を見た。
「いえ、大丈夫です」
逆にいろいろツッコミたい気分ではあるが。
「なければ、さっそくダンスレッスンにとりかかりましょうか」