表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

カタツムリ

作者: 宇井2

爺さんの生活習慣

ガーン、そのあとにウヮンウヮンウヮンと続く。隣の部屋の爺さんがまた、布団を叩き損ねて、ベランダの鉄柵を思いっきり引っ叩いたのだ。爺さんが持っている布団たたきは時代もので、細い竹の棒の先端に藤の蔓をハート型にたわめたものが付いていて、全体を竹を細く割ったテープみたいので巻いてあるやつだ。実家の押入れの奥でも探したら出てくるかもしれない。百均で打っているプラスティックの布団たたき使えば、こんなに響かないものを。本当に迷惑だと、俺は畳に寝転んでテレビでどこの国かわからん外国のサッカーを見ながら思った。

俺は、下の街からやってきた。布団たたきの爺さんの隣に俺の爺さんが住んでいる。耳が遠くなり足が弱ったので、仕事もなくぶらぶらしていた俺に介護しろというわけだ。俺は、金もなくなってきたので、とにかく爺さんに食わせてもらうことにしたのだ。

ここは、前の山の上に二つのボタ山が見える昔の炭鉱町だ。石炭以外にも、鉛だの黒鉛だのといった鉱物も採れたらしい。もう炭鉱が閉じてから一世紀近くたつが、相変わらずボタ山は崩れずに、きちっとした三角錐の形で残っている。若いもんは皆街に出てしまっている。俺たちが住んでいるのは、かってこの辺りが栄えていたころの町営住宅で、当時はモダンな3階だてのアパートだった。周りには、肉屋も金物屋もパチンコ屋だってあったと爺さんは自慢している。今じゃ、人も減って、アパートの壁のモルタルもあちこちはがれ落ち、残っているのは隣の爺さんみたいな年寄ばかりだ。それでも爺さんは元気に、毎日布団を干し、3時ごろになると、うまくいったときはパンパンパンと周囲の山にこだまを響かせるほど布団を叩いて取り込むのだ。時には、ガーンとなるが。


コンビニもないだろうと、車に常食にしていたカップラーメンの詰まった段ボールを何箱も載せて、ここにやってきた。ボタ山は夏休みに泊りにきた子供の頃とちっとも変っていない。変わったのは、爺さんとアパートと俺が年をとったことだけだ。それから、周囲の山の木が密集して森が暗くなったことと、川べりのススキ原が広がっていたことだ。初夏の日差しの中で川べりの土手に立つと、川に沿って風が起こり吹き抜けていく。ススキの原のあちこちに波を起こす。


それにしても、今日の爺さんのガーンの後の唸りが長かった。叩きどころが悪かったのか。その上、「来るぞ、来るぞ」とブツブツ言っている。うちの爺さんもベランダから顔を出して、「そうか、とうとう来るか。」と言う。俺もベランダに出て、両爺さんを見て「爺さん、どうした。気でも狂ったか。」と呼びかけた。「迎えがくるぞ。」と二人の爺さんが言った。


初夏の騒動

次の日は、雨だった。初夏の山中は、カシの房の小花が咲いた匂いと雨に濡れた土の匂いが混ざりあう。その時、隣の爺さんのガーンウヮンウヮンウヮンが唸った。とうとう気が狂ったか、雨なのに布団を叩いている。すると、うちの爺さんもベランダを開けて外を見る。「湿気で畳がふやけるから、はやく窓をしめろよ。」と言うが、「見てみろ。とうとう迎えがきたぞ。」うちの爺さんまで狂ったか。6月の雨は人を狂わせる。本当にお迎えに来られては困るので、爺さんを中に引っ張り込もうとベランダに出ると、小さな銀色の泡が雨粒とは逆に空に向かって昇っていく。隣の爺さんがガーンウヮンウヮンウヮンとやるたびに、柔らい黒土から次々に湧きだし、浮きあがっていく。なん千という数の銀色の泡は雨に濡れて鈍く光りながら空に向かっていくのだ。空は厚い雲が覆い、雨はしとしとと降り続いている。「はやく、写真を撮って、ネットワークとやらに送れ。それが、お前の仕事だ。そのために呼んだのだからな。」そんな話は聞いていないが、とにかく俺は急いで動画をとりアップした。


次の日から、大変なことになった。まず、俺の動画が作り物ではないかとの問い合わせ、数千件。どこで撮影したのかという問い合わせが数千件。中には、読めない外国文字メールもあり、何を言っているかは、あくまで想像だ。メディアから、研究機関から、大学からの問い合わせに俺は1日中対応するはめになった。そして、次の日はもっと大変だった。この山間の忘れらた街には、ほそい道路が一本だけ通っているが、そこが渋滞なのだ。車の列は、道路が大きくカーブして谷を渡る橋の上まで続き、その先は山に隠れて見えなくなったが、まだ続いていた。


科学調査隊

何人もの有名な科学者が俺が写真を撮ったときの状況を聞きに来た。俺は仕方がないので、爺さんが布団叩きでベランダを叩いたらこうなったと説明した。すると、科学者は爺さんの部屋のベランダの振動周波数を調べ、布団叩きの形状を計測した。それから、布団の熱伝導率と磁性も計測した。そして、サンプルとしてベランダの錆た部分と布団を持ち帰ることになった。二人の爺さんは呆けた顔して、にやにやしていた。次に、科学者は銀色の玉が出て行った穴を調べるという。案内して泡が上がった所にいく、そこはボタ山の近くの丘の斜面であったが、たしかに沢山の丸い穴が開いている。そこに、あの泡球は埋まっていたようだ。穴は空っぽになっているが、中に虹色に光る薄い膜が付いていた。俺はとっさに、昔見たカタツムリの這った跡を思い出した。森の中で、虹色に輝く筋を土の上に発見し、得意になって葉っぱに乗せて持ち帰ったら、いとこにカタツムリかナメクジの這った跡だと言われてがっかりしたものだった。それにそっくりなのだ。ところが、科学者はそういった地球上のありふれた生物ではないものを想定しているらしかった。空洞になった穴の大きさを測り、放射線量を計測し、防護手袋をして、土のサンプルを密閉容器に入れた。


それから何日も調査は続いたが、あの現象は起きていない。しかし、俺と爺さん達は忙しかった。科学者や取材班は宿泊先がないので、アパートの前の空き地にテントを張って調査を続けていたが、食糧がない。そこで、俺が大量に持ってきたカップラーメンを売ることにした。俺は、アパートの前に台を作り、そこにカップラーメンを置いた。そして、爺さん達は代わる代わる湯を沸かし、運んできた。おおいに儲かった。そのうち、アパートの周りには、下の街に行った人が上ってきて屋台を出し始める。土地の名産とか言って饅頭を売ったり、お子さんへのお土産にといって、宇宙人フィギュアを売る店が並んで、久しぶりに昔のようににぎわった。あちこちで、「お久しぶりです。」と挨拶が交わされる。ここに至る道の脇に、「宇宙人の里へようこそ」との看板まで出ている。誰も宇宙人だとは言っていないのに。


騒動の結末

その後、何回か同じように雨が降った。隣の爺さんは科学者に促されて布団叩きでベランダの柵をガーンと打ったが、計画的、検証的に打ったせいか何も起こらなかった。俺が聞いていても、明らかに爺さんは、いつもとは違った叩き方をしていた。人々はだんだんと減っていった。結局、1か月もすると、また元の静けさに戻った。


しばらくしてから、テレビで調査に来ていた科学者が記者会見をした。調査の結果、泡の出た後には微量の反磁性物性を持つ鉱物を検出したという。鉱物の薄い膜に覆われた泡が水分を含み、反磁性物性が強まり上昇したものと思われる。と述べた。かって鉱山であったことにより、環境的に可能であったと考えられると述べた。反磁性で物体を浮上させるには、強大な磁場が必要であるが、それも、当時の何等かの気象条件により生成されたものであろうと会見した。ベランダの布団叩きについては、一切言及されなかった。

二人の爺さんは、テレビの記者会見を見て顔を合わせて大笑いした。「わしらが子供の頃から、丁度今時、あの泡は空に飛んでいっとる。」「なんだ、それじゃ正体を知っていたのか。」と俺がきくと、「多分、虫じゃ。」「何の」「それはわからん。子供の頃から泡虫っていって、中に小さな虹色した幼虫が入っておった。」「なんで、それをしゃべらなかったの」「お前に儲けさせるためだよ。その金を元手に何かすることだな。」と言って、二人は歯のほとんどない口を開けて笑った。「不思議に、ベランダを叩きたくなるのだ。すると、出てくる。」と言った。


山が静かになった後に、爺さん達は2回ほど、「そら、来るぞ」と言って、ベランダをガーンウヮンウヮンウヮンと叩いた。すると、本当にまた、雨の中にあの泡虫が上っていく。「どうして、分かるんだ。」と聞くと、二人して「お呼びがかかるじゃ」と言うだけだ。俺は気づいていた。その時の空はいつも雲が厚く覆っているのだが、泡虫の上がって行く上空には、黒い雲が布団のよう浮かんでいて、ことさら雨が強くふり、泡虫が上りきるとその雲の中に消えていくのを見たのだ。爺さん達と科学者の見解はどちらも正しいと言えそうだ。爺さんの布団叩きの振動数が作用して、土の中のある生物を覚醒させる。それをあの布団のようなものが強力な磁場を起こして回収して行く。布団雲と泡虫の正体が何者であるかは分からないが、爺さん達に害を及ぼす心配はなさそうなので、俺はこれ以上追及しないことにした。カタツムリみたいなものだろう。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ