表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/350

34. 水と、熱と

「あ、ちょっと待ってくださいね」


 背を向けたアルさんにそう断ってから、僕はインベントリから水袋を取り出し、採取で汚れた手にかける。

 数回かけて汚れを洗い落としてから、彼の隣りへと足並みを揃えた。


「んくっ……水、確かにいいですね」

「そうだろう? 俺も初めて飲んだときに実感したからな。例えアイテムとしての効果はなくても、精神への効果は馬鹿に出来ないとな」


 歩きつつ水をひと口飲めば、それだけで不思議と冷静な気持ちになる。

 そんな僕を見て、アルさんも思い出しているのか、少し笑いながら深く頷いた。

 しかし――


「……アキさん、俺の後ろに」


 多少の緊張を孕んだ声と共に、僕の前へ腕を出し彼は道を塞ぐ。

 直後、気配を感じれていなかった僕にも届く音を、前方の落ち葉が鳴らした。

 ――なにか、いる。


 音のした方へと僕らは視線を向ける。

 同時にアルさんは背中に背負っていた大剣を抜き、両手で正眼に構え、足を開いた。

 さっきまでの彼の雰囲気から一変して、まるで触れば切れてしまいそうなほどに張り詰めた空気。

 近づいてくる、一歩ずつ、少しずつ……。


 緊張しているのか……潤したはずの喉の奥が乾き、思わず唾液を飲み込む。

 その音が、とても大きく聞こえ、より強い緊張となって僕を襲う。

 しかしそのたった一瞬を狙ったかのように、茂みの奥から突如飛び出してくる影。

 一直線に、真っ直ぐに僕らへと――


「ッ!」


 刹那、重たい音が響き、僕の耳を貫く。

 小さく息を吐くアルさんは、右手で柄を持ち、左手は刀身を支えるようにして受け止めていた。

 そして、それを無理矢理に押し返し、右下から左上に抜けるように斬り返す。

 ブォンと力強く風を斬る音が鳴るも、魔物は素早く転身し、彼から距離を取った。


 攻めに少しの間が空いたことで、見えてしまった。

 黒い体に、顔の左右から伸びる角……。


「あ、ああ……」


 瞬間、脳裏によみがえる死の瞬間。

 踏み降ろされた足、吹き飛ばされ見えた空。

 わかっていた、わかっていたはずなんだ……森に来ればこいつが出てくる可能性があることなんて。

 でも、だからこそ、アルさんに――


「、ひゅ。は」


 頭は動く、動くはずなのに、僕の身体は全く動いてくれない。

 目は勝手に鹿を捕らえ、呼吸もままならない。

 耳の奥に響くシルフの声が、なんども反響して――


「いい加減に、しろ……ッ!」


 どれほどの時間が経ったのか、あるいは全然経っていないのか……唐突に冷たいものが顔にかかった。

 結果、ぽとりと僕の前髪から水滴が落ち、意識が現実へと戻される。


「……あ、れ?」

「聞こえるか! 動けるか!?」


 現況に追いつかない頭へ、低くも通る声が突き刺さり、僕は顔を上げる。

 そうして見えた先では、鹿の角を大剣で受け止めるアルさんの姿が見えた。


「動けるなら、立て! 身を隠せ!」


 その言葉に、僕は自分が地面へと座り込んでしまっていたことに気付く。

 急ぎ立ち上がろうと目線を下へ動かせば、投げ捨てられた水袋が見えた。

 僕の水袋じゃない――つまりさっきのは……。


「……ッ!」


 前方から、鉄を弾くような音が聞こえてくる。

 今はそんなことを考えてる場合じゃない、動かないと!

 未だ震える足をなんとか奮い立たせ、ゆっくりとながらも近くの木の陰へと。


「……ようやく本気が出せそうだ」


 僕が木の陰へと身を隠した直後、アルさんの構え――そして、表情が変わる。

 今までの耐える顔じゃなく、獰猛な獣のような笑み。


「終わらせるッ!」


 腰を低く落とし、大剣の切っ先を前へ。

 まさに突くことしか出来ないような構えを見せながら、彼は息を吐く。

 そんなアルさんの雰囲気に何かを感じたのか、鹿も後ろ足に力を溜めるように体を折り曲げ――


「ハッ、アァァ――ッ!」


 地面が割れるほどの踏み込み。

 直後に放たれる黒色の暴力。

 それが鹿とすれ違う瞬間、硬質な音が響き……舞い上がる砂埃に、僕は目を閉じた。



「アル、さん?」


 数秒ほど経ってから、僕はゆっくりと目を開いた。

 すでに砂埃も消えていて、視界を遮るものは何もない。

 だからこそ余計に……そこに立つアルさんの姿がよく見えた。


「……」


 アルさんは何も言わず、背中へと武器を戻し、インベントリからポーションを取り出す。

 そして、あおるように瓶を傾けた。


「……ごふ。まず」


 台無しだよ、本当に……。

 獰猛な獣のような雰囲気はすでに消え、そこにいたのはいつものアルさんだった。

 というか、ちょっとだけかっこ悪いアルさんだった。


「ああまずい……。もう飲みたくない……」


 戦っていた時の表情からはうってかわって、今となっては……人に見せては駄目な顔になっている。

 そんなアルさんをこれ以上見ているのもかわいそうで、僕はゆっくりとアルさんに近づき、インベントリから水袋を差し出した。


「アルさん。これ、使って」

「ああ、すまない……」

「それと、ありがとうございました……」


 思い出せば思い出すほどに酷い。

 僕がもっと早くに動き出せれば……アルさんもここまでダメージを受けることはなかったんだろう。


「さっきのがアキさんの?」

「はい」

「そうか。なら仕方ないな」


 そう言って彼は僕の頭に手を乗せ、ゆっくりと撫でてくる。

 「頑張ったな」なんて言いながら、ゆっくりと……。


「死ぬなんてことは、現実世界では最期の一瞬でしか経験しないことだ。だが今回のアキさんは、その原因となったものに対して立ち上がり、動くことができた。なら充分過ぎるほどに、頑張った」

「でも」

「確かにアキさんがもっと早くに動けていれば、俺がこんな不味いポーションを飲む必要もなかったが……いいじゃないか。俺はタンクだ」


 彼はそう言って僕の頭から手を離し、自分の胸を叩く。


「守ることが俺の仕事だ。だから、守るべき人が今生きているなら、それでいい」


 言って笑う顔がとても清々しくて。

 僕はお礼と共に、顔を隠すように頭を下げた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
お読みいただき、ありがとうございます!
スタプリ!―舞台の上のスタァライトプリンセス
新作連載中です!
気に入ってくれた方はブックマーク評価感想をいただけると嬉しいです
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ