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夏休み

      一


「正孝くん」

浩二が来た。キッチンテーブルで朝食のトーストを食べていた。最後の一切れを口に入れ、コーヒー牛乳で流す。タオルとおにぎりが入るバックを持ち、サンダルを履くと外に出た。

「おはー、きょうも暑いな。じゃ、行くか!」

バックをかごに入れると山崎正孝は自転車にまたがった。

鳥居浩二は高一の夏休みに入ると毎朝八時に来た。お互いTシャツに短パン。長身の背も体格も同じで、顔と腕、足が日に焼けているのも同じ。

自転車の横には二メートルほどの白いサーフボードがブロック塀に立て掛けてある。

彼はそれを抱えると自転車にまたがった。今から五〇分掛け、海に向かう。サーフボードは浩二の兄の物。二つ上の兄はラーメン店で働いていて、昼間はサーフボードを自由に使っていいと了承を得ていた。

「きょうこそボードに立ちたいな」

ペダルをこぐと浩二が言う。僕らはまだボードの上に立った試しがない。サーフィンを初めて二週間はたっているのに。

「どっちが早く立てるか楽しみだな。いち早く立ったほうにマックのハンバーガーとコーラをおごることにしようぜ」

小麦色に焼けた浩二は、白い歯を光らせ話してきたので正孝はうなずいた。

 正孝の家を出て二〇分はたつ。浩二の自転車は止まった。サーフボードを右手から左手へ持ち替えた。腕が疲れた様子だ。正孝が代わりボードを持つことにした。

初めは輸送も困難であった。二メートルあるボードを片手で持ち、自転車を走行させるため、思うように進まない。何度も休憩をした。それが二週間も通うと慣れ、片手走行は様になった。交替で運ぶのも浸透する。

「ボードを持ってると、じろじろ見られるよ」

正孝は持ち慣れてか余裕ができ、人の視線が気になった。

「ああ、やっぱ珍しいんじゃないか」

「女が見てくれるのはいい気分だよ。注目度もあって」

女子高生に見られると得意げになった。高校一年の正孝と浩二は坊主頭。まだ中学生に見られることもある。高校といえば髪の毛が伸ばせると思うが、僕らの入った高校は校則が厳しく、一年生は坊主頭である。サーファーといえばかっこいいイメージだが、坊主頭では様にならない。

「だけど女の前を通るとバカにするやつもいるから」

昨日海へ向かう途中、中学生のサーファーと女子高生にバカにされ、浩二は『うるせえ!』と怒鳴っていた。海に入っているときも、先輩サーファーに中学生かと言われたときもある。そこだけが不快だ。

町中を抜けた。港湾道路を通り、国道バイパス下の自転車道を三キロほど走る。堤防が続き海岸近くの民家を抜けると、ブランコのみの小さな公園がある。その付近にはテトラポットが山積みに置いてある。

海に着いた。時刻は九時。テトラから海岸を見下ろすと、すでに数人海に入っていた。

波は腰くらい。サーフ参考書では人の背丈で波を判断する。ひざ、腰、胸、肩、頭というように。まだボードに立てないため腰の波は十分過ぎる。まだ小さくてもいいと正孝は思った。

正孝は家からサッカーパンツで来た。そのまま海に入る。サーフトランクスは高価な物で買えない。浩二は兄のトランクスを履いているので、それでも格好はサーファーだった。

最後にボードを持った正孝の腕の疲れは回復していない。体操代わりに腕を回した。浩二はボードに滑り止めワックスを塗っている。立てたときを想定し、入念に塗っていた。

海岸へは、だれが造ったのか、テトラポットにかかる木の橋を伝わり下りる。町内の釣り好きの人だろうか。でもそのおかげで海岸へ降りることができた。

 サーフの順番は浩二から。波の立つポイントへパドリングをする。その間、正孝は岸で見守るのだ。それは三〇分ほど続く。

岸から浩二を見ていると、海で知り合った山田と稲葉に話し掛けていた。学年は同じの彼らは、自分に振り向き手を振った。正孝も振り返す。彼らは各自ボートを持っていて岸からうらやましく思った。

三〇分後、浩二は上がった。何度も波に乗れていたが、立つことはできない。

 正孝の番。数日前ボードに座ることができた。波を待っている間、ボードの中心辺りをまたぎ座ることをいう。初めは不安定で座れる状態ではなかったが練習のせいできるようになった。でもそれは波待ち状態での座ること。波へ乗り、ボードに立てるのが本来のサーフィンである。

「山田っちいいな、各自ボードあって」

パドリングでこぎつけポイントに着いた正孝はうらやましがった。ポイントといっても隅にいる。いい場所にはベテランサーファーがいるので、やり始めの正孝たちは隅に追いやられるのだった。

正孝は三度目の波にやっと乗れた。素早く立とうとする。が、こけた。いつもこの状態。

あともう少しなのにと悔やんだ。

十気圧防水の腕時計を見ると三〇分がたっていた。あっという間だ。岸を見るとバスタオルを日よけにする浩二が手を上げ待ち構えていた。今度は自分が暑さに耐えなくてはならない。川と岸を行ったり来たりするだろう。


      二


静岡は港町に生まれた浩二と正孝は、小学校一年からの親友である。一八〇ある背や細みの体格は似ていて、家も近所である。動物に例えると正孝は猿顔で浩二は犬顔。犬猿の仲という例えではなく仲はいい。

 昨年、中学三年の夏休みに正孝は家族と富士方面へドライブに行った。国道一号バイパスから埠頭の景色を通り過ぎ、川の橋を渡ると右は河口だった。そのとき、河口から東側の岸に波がざぶざぶと打ちよせていた。ここで波と遊べそうだ。正孝はこのことを友人の浩二に話し、夏休みは自転車で泳ぎに行った。

 波と戯れて遊ぶとおもしろく、何度か自転車で遊びに行った。気象のことは何もわからず、ここの海は常に波があるものだと思っていたら、波のない日もあった。そのときはがっかりして少し泳いで帰った。

河口の沖ではサーフィンをしている。それに興味はなく、ただひたすら波と戯れていた。

ある日は台風の接近からか、波打ち際はとても巨大な波。危ない日は川で遊んだ。これが中三の夏休みだった。

浩二とは高校も同じ。一番仲はいいが、まさか高校まで一緒とは不思議だった。部活は入らなくてもいい。でも加入していないと何かと体裁は悪かった。僕らはそんな方を選んでいた。

正孝の中学時代はブラスバンド。高校も入りたかったが、規模の小ささにあきれてやめた。浩二の中学時代は野球部。もう練習づけに参っていて、野球をやりたくはないと聞いた。ほかにやりたいこともないという。帰宅部のため帰りも毎日一緒だった。

 七月に入り、浩二は夏休みにバイトをやろうと話してきた。が、まだバイトなどやる気にはならない。お金は入るがせっかくの休みで遊びたかった。

夏休みに入った初日、朝八時に浩二は来た。まだ起きたてだった。こんなに早く何かと思えば、サーフボードが自転車に立て掛けてあった。

「あっ、すげえ。それどうした?」

正孝は目を大きく開けて聞いた。

「兄貴が最近やりだした。それを借りて来たんだ」

とTシャツに短パン、サンダル姿の浩二は言う。このときは眠気も覚め、サーフィンができるという喜びで胸がいっぱいになった。目指す場は昨年遊んだ河口の海岸。ということで浩二はバイトはやめ、サーフィンに変更。これがやり始めた切っ掛けだった。

ボード輸送は大変だ。休み休み海へ向かった。やっと着き、見よう見まねでやってみた。が、まったくできない。簡単、楽勝という考えは打ち砕かれた。

ボードへうつ伏せに乗ってこぐが思いどおりにいかない。まず進まなかった。コントロールもできないため浩二と意気消沈した。やる前は楽しみだったが、やった後は落胆だった。

 浩二は立てるまで毎日練習しようと言った。これが二週間前である。

毎日海に行くと顔なじみもでき、それが山田と稲葉。ほかにもいるが、年上の人たちなのであいさつ程度だった。一日海にいるので知り合いは次々できた。

河口海岸の景色はよく、海岸から東側には富士山が見える。正孝も初めは景色がすばらしく思い、海からよく眺めていたが今では慣れた。この前は外人が泳ぎに来ていて、正孝に英語で『マウントフジ?』と聞いて来た。『イエス、イエス』と答えると喜んでいた。

そんな富士山は有名なのか、と浩二と顔を見合わせ笑みが浮かんだ。

河口の海は川の流れによって砂がたまる。そこに砂の州ができ、うねりが入るとサーフ可能の波が立つと先輩サーファーから聞いた。

海に入ると河口正面は砂が埋まっており、あとは一〇センチ以上の玉石であった。玉石のところにはフジツボという貝の一種がこびりついているので、下手をすると足の裏を切る。正孝と浩二も何度か切った。今では慎重に海へと入っていく。

河口の海は川の流れもあり遊泳禁止だったが、近所の子供やガード下で行っているバーベキューの人たちも海や川で泳いでいた。

河口に通って三日目に、僕らは子供を助けた。川で遊んでいた小学一年ほどの子供二人が、深みにはまり、川から海へ運ばれたらしい。日光浴していた正孝たちは子供の叫び声で気づき、浩二が慣れないサーフボードで沖に向かった。正孝は泳いで向かった。

 救出した子供たちは必死でボードにつかまっていたので、戻るときがまた苦労した。僕らはビート版のバタ足の要領でボードを岸へと向かうのだが、足がつかないところは進んでくれない。浩二とともに川の流れに負け、焦ったほどだ。

ようやく岸まで来たときは疲れ果てた。子供たちは怖かったのか震えている。僕らも体力がなくなり、一時間は寝そべった。それだけ海は危険が多かった。正孝は、

「あいつらのおかげで腕の力はないぞ、もう……」

「しんどかったな。これだけ活躍したんだから何か表彰されてえな」

浩二も寝そべりながら見返りを期待した。

「そんなのねえだろ、あいつらの親が見てるときに助けたなら何かしらありそうだが、いないしな。それにテトラを上がって帰ったぞ。テトラ上がれるじゃ近所のガキだ」

正孝は子供の習性を見て話した。海岸を西へ五〇メートルほど歩けば木で造った階段がテトラポットに掛けてある。だが子供たちは目の前のテトラポットを上がって帰った。それで正孝は地元の子と判断した。浩二も納得する表情だった。

「もっとパドリングがうまくならんとポイントまで時間が掛かるし、見た目もかっこ悪い。やっぱ基本はパドルだよ。波に乗ることよりパドリングをしっかりマスターしないとダメなんじゃないか?」

正孝は岸から見ているとき、先輩たちがポイントまで素早くパドリングでこぐ姿を見て思った。サーフハウツー本にも〈基本はパドリング〉と。

「そうだったな。おれっち早く立とうとばかり考えているから、基本が全然できてない。やっぱパドルの練習するか。体力回復したら」

浩二も基本の大事さを子供を救出してわかった。

 その後、充分休憩を取った僕らは波のあるポイントには向かわず、河口の川溜まりの中でパドリングの練習をした。雨が降ったわけでもなく川の流れはゆるい。潮の流れもなくプール状態に近くパドルの練習にはもってこいの場所だった。背筋を反らせながら僕らはサーフボードへうつ伏せて位置を考え、ああだこうだと話ながら夕方五時過ぎまで練習をした。


      三


正孝の夏休みの日々は、朝七時三〇分ごろ起き、身支度をして八時に浩二が来る。そして海へ向かう。九時から海に入り、昼まで交替でサーフする。

 僕らの昼食はおにぎり。毎日母に作らせていた。母はOKだった。昼に作る手間が省け、おにぎりなら時間は掛からないと作ってくれる。正孝は助かった。小遣いを使わなくてすむのだから。浩二も同じで母が作ってくれた。

午後も交替でサーフや休憩をし、夕方五時ごろ帰る。日没ぎりぎりの夜七時までいたこともあった。夜は宿題やサーフ参考書を読んで過ごした。浩二も同じだ。

特にサーフ本は何度も読んだ。蒲団をサーフボードに仕立て、立つ練習を何回もした。

イメージトレーニングをして翌日実践するのだが、イメージほど簡単ではなくうまくいった試しはなかった。

ある日、浩二が来ない。どうしたのだろうと思い電話すると、熱がありサーフはむりと言った。寝冷えなのか風邪をひき、行くつもりだったが母にとめられたらしい。

 正孝は残念がった。サーフボードがないからだ。あれば独りでも行く。手ぶらで行けばただの海水浴だ。兄の物なのでボードだけ貸してくれとは言えない。浩二も『貸すから行って来い』と言わないのであきらめるしかない。

でもサーフをしたい。物置に大きなスチロールがあることを思い出した。魚をもらったときの大きなスチロールだ。それでできるかと思い物置に入った。縦七〇センチ、横五〇センチほどで、厚さ五センチくらいのスチロールだった。これは使えると思い、早速海へ行く準備をした。

向かう途中はスチロールのため軽くて疲れなかった。ボードを抱えての自転車走行に慣れていたので、スチロールは短く輸送は朝飯前だった。

いつもより早く到着し、独り準備運動をして海に入った。風は弱く波は膝程度。先輩サーファーが四人入っていた。毎日いる上級生の先輩たちとも顔なじみとなり、一人ひとりにあいさつをした。スチロールのことを笑われた。が、ポイントまでパドリングできたので満足である。

きょうは交替もなく一日できる。スチロール上に立つことはむりだが、波へ乗る練習はできる。まるでボディーボードのようだが、スチロールなので様にならない。でも波へ乗れるだけ満足だった。

 数回ほど滑るとスチロールにも慣れ、パドルもなじんだ。

昼になると波はより一層小さくなり、人がいなくなった。休憩を取っていた正孝はチャンスとなり、スチロールと海に入った。先輩たちがいると気を使うし、ルールもあるのでなかなか乗れない。今はだれもいないので素早くポイントに向かった。

一人もいないのは初めてだ。自由にできると思えば波が来た。思いっきりパドルすればスーッと滑った。気を使わなく乗れた。このスチロールも捨てたものではない。このほうが軽いためかえって乗れるのかもしれない。楽しめることで正孝の胸がいっぱいになった。小さな波でも十分。これほどまでに波へ乗ったのは、通って初めてのことだった。

 一時間も自由に乗るとさすがに腹は減る。が、まだ人が来ない。今のうちにやらなければ、また人で込み入る。正孝は昼を抜いてスチロール乗りを楽しんだ。逆に考えると浩二の風邪のおかげかもしれないとも思った。

 サーフでは波に乗ると立つことを考える。スチロールは最初から立つことを考えなくてすむので思考も減った。滑るだけでいいのだ。サーフとは違う意外な練習となった。

夕方まで二人だけ。ヘトヘトになるまでやり、夕方におにぎりを食べた。そして日が暮れるまで楽しんだ。きょうは充実した日。疲れ果て、帰りのペダルは異常に重かった。

 夜、浩二へこの日のことを電話で伝えた。彼は一日蒲団の中だったのでうらやましがった。熱は下がったというので、明日は海に行く様子だ。浩二の母は何かとうるさいから、明日も行かせないだろう。でも強引に来ると思う。一日自分に遅れを取ったから。

毎日、浩二兄のサーフボードを使うため、兄はいつやっているかというと、水曜と早朝と聞いた。早朝は週三日で、水曜は車で御前崎方面へ行くらしい。ゆえに正孝たちの水曜は初め海水浴だったが、兄は最近もう一枚ボードを手に入れた。つまり二枚になったので兄のご好意により、浩二と水曜も使えるようになった。

 ときおり手ぶらでも来た。ボードを聞くと兄が友人に貸すことになり、正孝のスチロールで海に行くときもある。波に乗る練習のみだが、ないよりはいいのでそれになった。

ルールもある。ボードに傷をつけた場合、自分たちで直すことだった。サーフボードはウレタンフォームと樹脂で造られている。浅瀬の玉石に擦ると傷や穴があくというもろい物。樹脂を塗っては埋め込むのだが、手にべとつき面倒な作業で時間も掛かる。貸してもらうので感謝して直している。ボードが壊れると浩二の下で手伝った。早く直したいため、浩二家で終わるのは深夜におよぶときもある。

正孝のスチロールは直す必要がない。ただ擦れていくばかり。だが五回使ったころスチロールが割れてしまった。

「ああ、割れちゃってぇ。浅いとこに突っ込んだんだ」

正孝はスチロールに慣れて素早く波に乗れていたが、調子づき浅瀬の玉石に当たり割れた。たかがスチロールなのだが、そのときは宝物を壊した感じとなり、浅瀬まで滑ったのを悔やんだ。自分のボードを失うようだった。浩二はただ笑っていた。このやろうと思うが、スチロールを二回ほどの使用では浩二に愛着はなかった。でも、落ち込んだ正孝を見ていたのか、スチロールを今まで使わしてもらいありがたかったと自転車をこぎながら言った。それを聞き、浩二はいいやつだと心が晴れた。帰りには缶ビールを買い公園で飲んだ。飲んだ口実は、スチロールへのお別れ会だった。

 初心者サーファーの僕らは、二週間ほどはこのような日々を送った。


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