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第7章 新歓ライブ

〈私だ。どうしたんだ、みのる君〉


 着信を鳴らすこと数回、ほたるのハスキーな声が聞こえてきた。今は屋久島大学にいるはずの時間だ。


「お仕事中にすみません。先生、今少しお話できますか?」

〈次の講義まで15分ある。すまないがちょっと待っていてくれ、今、人気の無い場所に移動するから〉


 電話の向こうからは、学生達のざわめきが遠巻きに聞こえている。

 こつこつと歩く蛍のヒールの音。扉が開閉する音と、静寂。どこか個室にでも入ってくれたのだろう。


〈……ん、もう大丈夫だ〉

「ありがとうございます。その……この前ボートに乗った時、あり植物と食虫植物のお話をして下さったのを覚えてますか? この緑化実験都市は大きな蟻植物のようなもので、蟻植物と食虫植物は似通った存在だと」

〈ああ、勿論覚えているとも〉

「実はそのお話でずっと気になっていたんですが、例えば人間サイズの獲物も標的にするような、そんな食虫植物を人工的に作り出すことは可能なんでしょうか?」

〈おや実君、ひょっとして探偵からSF作家にジョブチェンジするのか?〉


 電話の向こうで蛍がくすくすと笑う。


「はは……個人的にちょっと興味がありまして。ふざけたつもりはなかったんですが、お気を悪くされたらすみません」

〈とんでもない、生徒からのそういうユニークな質問、私はむしろ大好きだ。この大学の学生も志戸子学園のみんなも、とても優秀なんだがそういう常識の枠を飛び出した話をできる者がなかなかいなくて、寂しかったんだよ〉

「先生、それは褒め言葉と受け取って良いんでしょうか」


 僕が苦笑いしながら訊ねると、蛍は勿論だと答えた。彼女が言うと嫌味な感じがしないから不思議だ。


〈そうだな……生物の進化はすなわち環境への適応だから、今の地球の環境でそんな植物が自然に発生することはほぼ有り得ないだろうな。しかし、実君の言うように人工的に作り出すのなら、科学者として決して不可能とは言えない。もっとも、越えるべきハードルはいくつかあるぞ。実君、ハエトリグサを見たことはあるかね?〉

「北米原産の食虫植物ですよね。中等部の頃に夏休みの宿題で飼ったことがあります」


 実際に飼ってみると昆虫だけでなく、かつおぶしやチーズでも食べてしまう植物だ。


〈なら話が早いな。実君は優しいからそんな意地悪はしてないと思うが、ハエトリグサは、感覚毛かんかくもうをちょんちょんと触って餌をやらない悪戯を何度か繰り返すと弱って枯れてしまうんだ。あの単純な捕虫器ほちゅうきですら、葉を閉じる行為に相当なエネルギーを消費するから、空振りが続くのには耐えられない。第一の問題がこのエネルギーだ。植物が動くというのは凄く大変なことなんだ。だからハエトリグサは20秒以上の間隔で感覚毛に2回刺激がないと、つまり確実に獲物が葉の上にいると判断できないと葉を閉じないようになっている〉

「なるほど。では、仮にエネルギーの問題が解決したとしたら?」

〈次に問題になるのは、どうやって獲物を識別させるかだ。植物の環境感覚についてはハエトリグサで説明した通り、単純な環境刺激なら感知・応答できる。しかし、植物には動物と違って視覚も聴覚も嗅覚もない。これだと、既存の食虫植物のように罠を仕掛けて獲物を待つことはできても、動いていたり距離があったりする獲物を追いかけるのは難しい〉

「どうやって獲物を識別するか……ありがとうございます先生、助かりました」

〈どういたしまして。さっきも言ったが私はこういう話が大好きだ。またいつでも気軽に質問してくれ。……正直、実君から電話がかかってきた時は、また学園の誰かが失踪したんじゃないかと思ってどきっとしたよ。もしかして、何かあったのか? 探偵団のみんなは大丈夫か?〉

「……大丈夫です。蓮華さんの後は、僕の知る限り学園内で失踪事件は起きていません」

〈そうか……後、これは私の思い過ごしかもしれないんだが〉


 蛍が声を潜める。


〈最近生物部で、瑠璃るり君と黒曜石こくようせき君の様子がちょっとおかしいんだ。もしかすると、私のことを疑っているのかも……〉

「先生が、僕と接触していることをですか?」

〈わからないように気を付けてきたつもりなんだが……今度から、会う場所は公園じゃなくて大学の私の研究室にしよう。研究室ならセキュリティがしっかりしている〉

「了解です。すみません、先生まで危険な目にあわせてしまって……」

〈何、構わないさ、私が好きで実君に協力しているんだから。楽しいなんて言うと不謹慎だが……ほら、私もアガサ・クリスティのファンだろう? 探偵の手伝いをするのが前から夢だったんだ〉

「申し訳ありません」

〈だから何故君が謝る。そうだ、早速だが明日の朝、大学の私の研究室に来るといい。前に話した私の親友に会わせてあげよう〉

「ハナさん、でしたっけ?」

〈そうだ、あま波那はな。ちょっと変わった子だが、実君はきっと気に入ると思うぞ〉

「え、気に入るって、先生それどういう……」

〈あっ、いけない、そろそろ講義の仕度をしないと。それじゃあまた明日、実君!〉


 蛍のいかにもわざとらしく慌てた声を最後に電話は切れ、僕は頭をかいた。


「……どうして蛍先生に、本当のことを言わなかったの?」


 壁にもたれて電話のやり取りを聞いていたさくらが、そう訊ねる。僕は肩をすくめた。


「先生にあまり心配をかけたくないからな。それに一応嘘はついてないぞ。『失踪事件』は起きてない」

「結果論で言えばそうね」


 桜の視線の先には、部室のソファに横たえられ、眠ったままのゆうの姿があった。

 夕菜の不正改造は意外だったが、これまで見てきたものを積み重ねれば、納得してしまう部分もあった。大人しく真面目な優等生、姉を支えるしっかり者といえば良く聞こえるが、自分の意見を表に出さずに溜め込んでしまう、周囲に合わせる(悪く言えば流される)ところも見受けられた。

 あさ瑠璃るりの諍いもあってストレスがたまり、最終的に誘惑に負けてしまったのだろう。気の毒だが、よくある話だった。

 朝菜は保健センターからまだ戻っていない。夕菜のことで相当ショックを受けていたから、しばらくは戻らないかもしれない。植物の化け物に夕菜の不正改造発覚と騒動がたて続けにあったせいで、桜と二人きりだということに今になって気付いた。


「桜」


 名前を呼ぶと、桜は僕に振り向いた。


「その……悪かったな」


 決心していたはずなのに、いざ口に出すと、自分でも恥ずかしくなるくらいぎこちなかった。


「この前は、言い過ぎた」


 それでも何とか言い切ると、僕を真っ直ぐ見つめる桜のがんが、かすかに揺らいだ。


「実……れん委員長が言っていたことは、全部本当のことよ」

「……そうか」

「黙っていて、ごめんなさい」

「……ああ」

「ただし、その後に貴方が私に対して言ったことには、一つ間違いがあるわ。それを貴方に伝えたくて、この本を探していたの」


 そう言って桜は、バッグから一冊の文庫本を取り出した。繰り返し読んだのか、赤い背表紙のカバーはあちこちが破けてぼろぼろになっている。作者はアガサ・クリスティ、タイトルは『愛国殺人』と記されていた。


「あのアニメの原作よ。最初の『スタイルズ荘の怪事件』から最後の『カーテン』まで、エルキュール・ポアロが登場する87作品は何回も読んでるけど、この『愛国殺人』は特に私のお気に入りだわ。ネタバレするから嫌だったら耳を塞いで欲しいのだけど、この事件の犯人は国政に影響を及ぼすほどの権力をもった財界の大物で、自分の身を守ることがすなわち国を守ることだという傲慢な考えから、保身のために殺人を繰り返すの」


 愛おしそうに本を撫でながら桜が言った。目を閉じて、初めて読んだ時の感動を思い出そうとするかのように。だがちょっと待てよ。


「まさか、その本の犯人と似てるって理由で瑠璃さんが怪しいと思ってるのか?」

「そ、そんなことないわっ!」


 どうやら図星のようだった。


「もうっ、実のせいで話が脱線してしまったじゃない」

「悪い。続けてくれ」

「……私達DOLLは、製造されてから義務教育に入る前に、メーカーのプレスクールという施設で数ヶ月間、初期プログラムによる様々な環境下での動作確認、知識処理やパターン理解といった学習能力のテストを受けるの。私も、量産された第4世代型の子達と一緒に、共同生活をして過ごしたわ」


 僕が促すと、桜は静かに語り始めた。


「でも、私は他のDOLLと違った。違いすぎていた。技術者からは、情報を伝達する電子頭脳内のネットワークの構築のされ方が普通のDOLLとは全く違うって言われたけれど、専門的なことはよくわからないわ。とにかく、私だけ座学でじっとしていられず、集中力が続かない。窓の外の鳥に気をとられたり、先生の話をそっちのけで自分の想像に夢中になったりして、何度も叱られた。学習も、ある分野ではトップクラスの成績なのだけれど、他の分野は極端に出来が悪かったり、普通なら間違えるはずのないところで単純なミスを連発したり。集団行動でも、順番や決められた時間を守れなかったり他の子の邪魔をしてしまったり。場違いなことや失礼なことを平気で口にして、他者とのコミュニケーションにも問題があったんでしょうね、いつも独り浮いていたわ」


 少し意外だった。初めて会った日、桜は松島教諭の長くて退屈な話を真面目に聞いていたからだ。最初からそうだったのではなく、努力して改善された結果だったのか。


「辛かったわ。どうして自分だけ周りのみんなみたいに上手くできないんだろうって。自分が嫌いだった。友達もできなくて自由時間はスクールの図書室にこもる毎日。図書室の本を片っ端から読んでいたら、アガサ・クリスティのエルキュール・ポアロに出会ったの」


 桜の声が、一転して熱を帯びる。


「エルキュール・ポアロは物語の中でいつも他の登場人物達から変人呼ばわりされているのよ。特に舞台になる英国は島国で保守的だから、ベルギー人のポアロはよそ者扱い。喋る英語はワロン語訛りがひどくて、服装も趣味も立ち居振る舞いも英国人から見ると滑稽で、尊敬されるどころか馬鹿にされているの。ポアロの相棒のヘイスティングスやジャップ警部でさえ、ポアロの普段の言動にはいつもツッコミを入れているわ。でも、ポアロは実はそうやって変人呼ばわりされることで人々を油断させておいて、何気ない会話の積み重ねから事件を解明し、真犯人を突き止めるの。そういう非凡な才能を持つ名探偵に、私は心の底から憧れたわ」

「……本当に、お前が探偵部をつくろうとしていた理由がそれだったなんてな」


 僕が呟くと、アニメ版も原作も両方大好きだわと桜は付け加え、そして続けた。


「貴方の登校拒否を解消し、志戸子学園に復帰させるという目標は、確かに私の初期プログラムに含まれているわ。けれども、探偵部をつくりたいというのは、製造された後に私が自分で見つけ出した、私だけの目標。貴方を探偵部に誘ったのも、私の目標を達成するためよ。私は、私自身の目標のために、プログラムさえも逆手にとって利用してみせる。そして、私が私であることを証明してみせる」

「ははっ……なるほど」


 真剣な話なのに、何故かおかしかった。腹の底から、笑いがこみ上げてくる。


「なるほど、そうか。つまり、僕はお前の存在の証明のために、この学園に連れてこられたってことでいいんだな」

「ええ、そうよ」

「ははっ、ははは……!」


 僕は笑った。胸をそらし、天井を仰いで笑った。こんなに笑ったのは久しぶりだ。

 笑い過ぎて、涙が出てきた。

 指で目尻の涙を拭い、笑うのを止めて、桜に向き直る。


「それなら仕方ないな。お前の我侭に、とことん付き合ってやる」


 桜もまた、泣き笑いのような表情を浮かべていた。

 僕が差し出した手を、桜がぎゅっと握った。僕達はしばらく、そうしていた。




「……それで、貴方はこの植物の仕業なんじゃないかって考えているのね、実」

「ああ、実行犯という意味では、こいつが最も有力な容疑者だ」


 僕と桜は、さっきガスバーナーで焼いた植物の残骸のところに戻ってきていた。

 琥珀と蓮華の失踪した現場は、どちらも中庭に面した窓が割られ、そして植物の断片が残されていた。そしてどちらの現場でも事件のあった時間帯、太陽の光が部屋を向いて射していた。そこに朝菜の分析結果を合わせれば、一つの恐ろしい仮説が像を結んでくる。

 志戸子学園高等部の中庭は、様々な種類の樹木が高密度で生い茂る、ちょっとした森だ。その中庭で例の細菌が繁殖し、植物を操っているとしたら。

 さっき暴れたのは僕と朝菜が持ち帰った、現場に残されていた切れ端に過ぎない。つまり、もっと巨大なあれの本体が中庭に潜み、光合成で活発化する時間帯に触手を伸ばすようにして建物の中のDOLLを襲っている可能性がある。


「問題は、怪物がどうやって獲物を識別しているのか、だ。その法則さえ解明できれば、対策が立てられるんだが……ってお前は何故そこでワンセグをつける」

「悪いけど『名探偵ポアロ』の時間だわ」


 緊張感が無いにも程があるなと僕が呆れていると、桜が音量を上げていくにつれ、アニメ『名探偵ポアロ』のオープニングとは明らかに異なる楽曲が聞こえてきた。


「え、何これ……本日の『名探偵ポアロ』の放送はAK47ライブ生中継の放送延長のため、休止となります。ご了承下さい。ですって?」


 携帯を持つ桜の手が、怒りで小刻みに震えている。

 機械は持ち主の怒りなど我関せずで、日本国民なら誰もがどこかで嫌でも聞かされたことのある人気アイドルグループの定番のヒット曲を流し続ける。


《自動車全力で~アクセル踏みながら峠を攻める~♪》


 ブチッ!


「許せない……あんな、信者にCDの大量購入を競わせて総選挙(笑)とか言っちゃってる低俗な商業主義の見本みたいな連中のために、どうして稀代の名作である『名探偵ポアロ』が放送休止を強いられなければならないの? 畜生めぇNHK大嫌いだバーカ!」

「落ち着け桜、キャラが崩壊してるぞ」


 僕がなだめても、桜の怒りはエスカレートするばかりだった。


「そういえば、NHKは今朝のニュースでも全然関係の無い農家の取材で、AK47の歌を聞かせて育てたバナナは糖度が高くなるだとか、あからさまなステマをしてたわ! 民放ならまだしも、NHKは頼んでもいないのに勝手に放送している癖に受信料を払わないと訴訟を起こしてくるんだから、受信料って税金と変わらないじゃない。国民の税金で運営されている放送局が一アイドルグループに加担するなんて、こんなの絶対おかしいわよ!」


 その瞬間、僕は桜の肩を掴んで怒鳴っていた。


「桜! もう一度言ってみろ!」


 桜が僕の顔を見て目を丸くしている。


「……ごめんなさい実、貴方がAKファンだったなんて。お詫びに今度、握手券でも……」

「違う、さっきの話をもう一度だ!」

「国民の税金で運営されているNHKが一アイドルグループに加担するのはおかしいって……」

「その前は何て言ってた!」

「もう、どうしたのよ実……ええと、NHKの今朝のニュースが農家の取材で、AK47の歌を聞かせて育てたバナナは糖度が高くなるってステマを」

「それだ! ありがとう桜!」

「え? え?」


 ばらばらに手に入れていたピースが、ジグソーパズルの欠けた場所に次々とはまっていく。

 これまでに失踪した計6機のDOLLのうち、蓮華を除く5機は全て中島技研製第4世代型だった。

 加えて今日、あの植物が暴れだしたのはいつか。夕菜が部屋に入ってきた時だ。それも、実験台のすぐ近くにいた僕ではなく、遠くにいた夕菜を狙って襲いかかった。夕菜が現れるまでの長い間、あの植物は朝菜と僕の前ではぴくりとも動かなかった。

 そして、夕菜は不正改造によって、第4世代用のカロリー変換機関を増設していたことがわかっている。

 思い出せ。会議の席上で、あのトヨダ自動車製の二年生のDOLLは何と言っていた?

『……中島技研は第4世代型からヒトと同じ食生活を可能にするための、食物を分解して電気エネルギーに変える食物カロリー変換システムを実装なさったそうですが、システムの小型化に伴う技術的課題を克服できていなくて、駆動によって発生する微細な振動が機体全体に負荷をかけてしまっているとか……』そう、駆動によって発生する微細な振動。

 思い出せ。蓮華が失踪した現場には何があった。

 そう、譜面。パガニーニ『二十四の奇想曲』1番アンデンテ。頭の中に甦る、蓮華が奏でていた美しい旋律。とても高く澄んだ音色。

 まだ朧気にだが、ようやく見えてきた。連続失踪事件という大きな一枚の絵の全体像が。


「ただいま……」


 部室の扉が開き、朝菜が保健センターから帰ってくる。


「朝菜さん、帰ってきて早々で悪いんですが、僕達は事件について調べるために音楽準備室に行ってきます」

「……音楽準備室だと? 蓮華先輩の失踪の件か?」

「理由はまた後で説明します。ほら行くぞ桜!」

「ちょ、ちょっと待ちなさい実、私にはさっぱりだわ!」


 眠っている夕菜のことを朝菜に引き継ぐと、僕は慌ただしく部室を飛び出していった。桜を無理やり引きずって。






 音楽教諭の諏訪之瀬すわのせとりは、僕達がノックして音楽準備室に入っても、ぴくりとも反応しなかった。

 部屋の隅の床に座り込み、腕には例のヴァイオリンを抱いている。

 1億円以上と言ったが、「値段が付けられない」の方がより正確だ。オリジナルは18世紀につくられ世界に約200挺しか残っておらず、オークションにもほとんど出回らずに一部の企業や財団が所有して、極めて優秀な音楽家にのみ貸与される。

 今の諏訪之瀬教諭にとっても、このヴァイオリンの価値はまさしく「値段が付けられない」だろう。ただし、意味するところは違うが。


「諏訪之瀬先生、お話があります」

「……」


 僕が近付いて声をかけると、教諭はゆっくりと顔を上げる。

 初めて会った時生気溌剌としていた顔は能面のように青白く、抜け殻のようで痛々しかった。


「……貴方も、あの連中の仲間なの?」


 乾ききった唇が僅かに動いた。低くてささくれ立った声だった。

 あの連中とは、瑠璃や黒曜石達のことだろうか。答えるより早く、諏訪之瀬教諭はゆらりと立ち上がり、


「レンをかえせえっ!」


 咄嗟に間に入ろうとする桜を、僕は無言で制した。

 泣き腫らした目を血走らせて掴みかかってきた諏訪之瀬教諭を、そのまま受け止める。


「どうしてなのっ! レンは、レンは私の全てだった! なのに、どうしてっ」

「蓮華さんを連れ去った本当の犯人を探しませんか。先生の協力が必要です」


 僕の襟首を掴んだ彼女の手を握り、静かにそう告げる。諏訪之瀬教諭が動きを止める。


「僕も、先生と同じだった。大切な人を奪われる痛みを、僕は知っています。僕はこの事件の犯人を許しません」

「……貴方に協力すれば、レンはかえってくるの?」


 その問いかけに、僕は答えなかった。僕の予想が正しければ、蓮華を含め行方不明になっているDOLL達は、もう。

 代わりに僕は用件を切り出す。冷徹に。


「ここにはソノグラフという、スペクトログラムで音の分析を行う機械がありますよね?」

「? あるけど……」


 生気の無い教諭をパソコンの前に座らせると、僕は2枚のディスクを手渡した。

 1枚は保健センターから桜が無断で拝借してきた、中島技研製のカロリー変換機関が発する微弱な駆動音を入れたディスク。

 そしてもう1枚は、管弦楽部の一年生から借りた、蓮華のヴァイオリン演奏を録音したディスクだ。冒頭にはあの『二十四の奇想曲』が入っている。

 諏訪之瀬教諭に音源の入った2枚のディスクをセットしてもらい、パソコンのウインドウにカラフルな三次元グラフを2つ表示させる。


「先生、今からこの2つの音の波形を、音域毎にフィルターをかけて比較して下さい」


 諏訪之瀬教諭がよろよろと手を動かすのを、申し訳なく思いつつ後ろで見守る。グラフの横軸が時間軸で縦軸が周波数、他に信号成分の強さを示すZ軸がある。


「500ヘルツ以下でフィルター処理……」


 スペクトログラム分析を始めてすぐ、諏訪之瀬教諭の目が見開かれた。


「2番の音源、これ……もしかして、レンのヴァイオリン?」

「わかりますか」

「ヴァイオリンは倍音成分がとても高いの。高音域を調べてみるわね。次、700ヘルツ以下でフィルター処理……」


 僕の隣では桜が、見慣れないグラフに何が映るのかと目を凝らしている。


「次、900ヘルツ……あれ?」

「重ねて表示して下さい!」


 僕は思わず叫んでいた。

 重なった2つの音源、山あり谷ありのグラフの、赤い山の部分を指でなぞる。

 そこの波形パターンは、確かに類似していた。






 園芸部室。

 僕はスペクトログラム分析の結果をプリントアウトした紙とディスクを机の上に置いた。


「実、私にはまだよくわからないわ。怪物は音に引き寄せられていると?」


 桜の問いに、僕は頷く。


「6件の連続失踪事件、そして僕と朝菜さんがその現場から持ち帰った植物片が突然活性化して夕菜さんを襲った事件の計7件、その全ての場所で例外なく、900ヘルツ以上の波形のよく似た高い音が流れていたことがわかった。中島技研製のカロリー変換機関が発するヒトの耳には聞き取れないレベルの駆動音、そして蓮華さんのヴァイオリンだ」

「でもよ、植物には聴覚はねえんだぜ?」


 朝菜が頭をひねる。疑問はもっともだ。動物は音を耳で聞き取り、神経を介して脳へ伝達することにより音を判断している。だが植物は、頭脳も無ければ耳も持たないのだ。


「確かに植物は音を『聞く』ことはできません。ですが、植物が音の刺激に反応を示す、あるいは植物の生長に音が影響を与えることは、いくつかの実証例があります。米NBRF(国立生物医学研究財団)のサイトにアップされたレポートが興味深かったのでプリントアウトしました。これを」


 僕から受け取った英語がびっしりと記された分厚い紙の束を、朝菜はヒトであれば速読術のスピードでめくっていく。分子生物学と量子物理学の観点からかなりマニアックな英単語で書かれた論文だが、さすがはDOLLだ。


「音を用いた植物内タンパク質の制御に関する研究……特定の周波数によって植物組織の内部でタンパク質を合成するアミノ酸を振動させて表面電位にパルス状の波形を誘発させ、タンパク質合成を促進あるいは抑制する……応用が期待されているのはトウモロコシやジャガイモ、トマトへの害虫抵抗性の付与、ダイズやナタネへの除草剤抵抗性の付与、植物プランクトンの光合成効率の上昇……これだけか、実?」


「日本の研究機関も、おとげき植物しょくぶつこうかいに与える影響を調べる実験を行なっています。他には、水耕すいこう栽培さいばいにクラシック音楽を用いて収穫期間を短縮させたり、特定の周波数によって野菜の増収効果が得られる、果物の糖度が増す、花が長持ちするなど様々な実証例があります」

「ふん、どれも定量的研究に達していない怪しい話ばかりだ。こんなの科学じゃねえ」


 思った通りというか、朝菜は頑固だった。


「確証はありません。ですが、現に夕菜さんが襲われました」


 僕は、いまだソファで目を閉じ省電力モードのまま眠っている夕菜を示し、語気を強める。朝菜の身体がぴくりと震えた。


「何も知らない一般生徒よりも真実に近付いた僕達には、これ以上の被害を食い止める責任がある。今は一刻を争います。カロリー変換機関の駆動音を大音量で流せば、怪物をこちらからおびき出せるかもしれません。やってみる価値はあると思います」

「夕菜……」


 朝菜は夕菜の寝顔を見て、肩を落とした。


「……あたしは思い上がってた。夕菜のことは、姉の自分が何でもお見通しだなんて思ってた。あたしが夕菜のことを守ってやるんだって……でも本当は、あたしは何にもわかっちゃいなかった。夕菜の苦しみに、気付いてやれなかった」


 これまでのことを反省して、夕菜が目を覚ましたら姉妹でゆっくり話し合いたい。朝菜はそう言って寂しげに微笑んだ。


「くさして悪かったな、実。確かに現状ではそれが最善の策だ。あたしも手伝うぜ」

「ありがとうございます、朝菜さん。では、怪物をどこにおびき寄せ、どのような手段で退治するか考えましょう。音響設備が充実し開けた空間で、かつ中庭からある程度近い場所である必要がありますが、講堂は中庭から距離があり過ぎるし……」


 この課題をまだクリアできていなかった。さらに、朝菜がもう一つの課題も指摘する。


「攻撃するからには一回で確実に抹殺し、残骸を跡形も無く処分する必要があるぜ。厳密には怪物は植物ではなく、植物に寄生した細菌なんだ。感染力がそれほど高くなく今のところ学園の中庭に留まっているのが不幸中の幸いだが、怖いのはあの驚異的な成長力だ。小さな切れ端でさえ短時間であそこまで成長して、襲ってくるほどになった。中途半端な攻撃で『魔法使いの弟子』に出てくる箒みてえに分裂して増えるような事態になったら、目もあてられねえぞ」


 朝菜と僕が腕組みをして考え込んでいると、桜がにやりとした。


「安心なさい。どちらも私に当てがあるわ」






 日没後、学園グラウンド。


「良い設備ね、少し借りるわ!」


 恒例のジャイアニズムを披露しつつ桜が我が物顔でよじ登ったのは、いつだったかビラ配りをしていた軽音楽部の仮設ステージだった。

 ステージ後方にはスピーカーが大量に積み上げられ、まるで壁のようになっている。


「マーシャルスタックだわ。ジミー・ヘンドリクスやジミー・ペイジが愛用したマーシャルアンプ。12インチスピーカーが6個入ったキャビネットが2台重ねになって、その上にアンプを重ねて3段積み。高校生のバンドには贅沢過ぎるわね」


 相変わらず変なことにやたら詳しい桜の薀蓄うんちくを僕と朝菜がステージの下で適当に聞き流していると、校舎の方から「こらー!」という声と共に、4、5人の女子生徒が駆けてきた。

 恐らくは先日見た着ぐるみの中の人達だろう。


「ちょっとそこの赤い人! あたし達のステージで何やってんだっ!」


 先頭に立っているのは、頭にカチューシャをつけた、元気そうな女子生徒。失礼なので決して口には出せないが、カチューシャで髪をかき上げているから広いおでこにグラウンドの夜間照明が反射して正直眩しい。


「うわっ眩しい」


 桜が即座に口に出していた。こいつは本当に喧嘩を売る天才だな。


「なっ、あんた」


「いいこと、ここの機材は私達が全部そっくり接収するわデコ助野郎。これが瑠璃生徒会長の命令書よ!」


 軽音学部の部長と思しきカチューシャの女子生徒に、桜がA4のペラ一を突き付ける。当然そんな命令など存在せず、桜が捏造したものである。


「はあ? 渡さねーし!」


 カチューシャの女子は猛然と抗議した。


「新歓ライブの申請書、今回はちゃんと前もって生徒会に出して許可もらってるし。それに、うちの部は今年新入部員が入ってくれないと、来年は部員が一人だけで廃部になっちゃうんだよ!」

「先輩、落ち着いて下さい!」


 後ろから小柄なツインテールの後輩になだめられるが、部長のボルテージは下がらない。


「嫌だ、明日の新歓ライブは絶対成功させて、部員大勢集めて部費増やして、そんで卒業までに武道館でライブするんだ!」

「貴女今、武道館でライブがしたいって言ったわね」


 桜が唐突に話題を変える。カチューシャの部長が怪訝そうな顔をする。


「ん? ああ、言ったさ。悪いか」

「武道館でライブをするのにいくらかかるか知っているの?」

「それは……え、えーと」


 すかさず桜がたたみかける。


「武道館はその名の通り、本来は日本の伝統的な武道を普及奨励する目的で造られた施設だわ。だから日本武道協議会加盟の武道団体なら特別割引価格で利用できるけど、それ以外のコンサートやイベントでは割高よ。一回500万円以上はかかるといわれているわね」

「ごっ、500万円……」


 部長がごくりと唾を飲み込む。


「ふふっ、話は最後まで聞きなさい。私の製造元、中島技研は武道館を運営する財団法人のスポンサーをしているの。それでここだけの話なのだけれど、私は中島技研の特注DOLLで会社の上層部にコネがあるから、貴女達のバンドが特別割引価格で武道館を使用できるようはからってあげてもいいのだけれど」


 部長の顔がぱあっと輝く。ああ、胸が痛い。


「えっ! マジで? ちなみに、おいくら?」


 桜は指を一本立ててみせる。


「DOLLは嘘つかないわ」

「うっひょー! おーいみんな、武道館を1円で使わせてもらえるんだって!」


 そう言って、部長は仲間達のところへ戻ってわいわいやり始めた。


「……ふっ、ちょろいわね」

「相変わらず外道だな、お前」

「確かに事実と反する話を少し混ぜたのは認めるわ。でも、あの指を一本立ててみせたのは常識的に考えて100万円という意味よ。いくらなんでも1円と勘違いするのは、私の責任の範疇じゃないわ」


「なあ桜、ギター用アンプにプレーヤーを接続することってできるのか?」


 設備を見て回っていた朝菜がやってきて訊ねた。音源が入ったディスクを再生するには、プレーヤーをここの設備に接続できることが条件だ。


「……あ」


 桜が固まる。詰めが甘いのも相変わらずだな、こいつ……。


「話は聞かせてもらったわ! 私に任せて」


 そう言って物陰から現れたのは、音楽教諭の諏訪之瀬小鳥だ。この人いつからここに? とか、タイミング良すぎないか? とか一瞬思ったが、あまり深く考えないことにした。

 幸い、数時間前に会った時よりも、彼女の顔には生気が戻っていた。


「プレーヤーのヘッドフォン出力がステレオになってるから、左右をミックスする。出力インピーダンスが低いから、出力ラインに抵抗器を直列に入れて。万一、アンプに過大入力信号が入るとアンプの入力回路を壊す恐れがあるわ。接続はシールド線で。シールド線はモガミね、これで良いわ。音をクリアに伝えてくれる。後、音が割れないようにプレーヤー側の音量を調節して」


 諏訪之瀬教諭はさすが音楽の先生だけあって、指示は的確だった。


「ありがとうございます、諏訪之瀬先生」

「いいのよ。私には、こんなことしかできないけど……」


 僕が礼を言うと、諏訪之瀬教諭は目を潤ませた。

 ふと、ポケットの中でマナーモードにしていた携帯が震えているのに気付く。ステージから少し離れて画面を見ると、「クラス委員・御所ごしょうら深月みつき」の文字。

 つい最近までは着信拒否にしようか迷っていた番号だったが、今は躊躇わず電話に出た。


〈もしもし、糸川君……?〉


 控えめな声は、いつもより低く聞こえた。


「御所浦か。その……はくのことは」

〈……桜さんから詳しい話を聞いたわ〉

「そうか……ごめん、何て言ったらいいか」

〈ありがとう……私は大丈夫、もう大丈夫だから〉


 御所浦の声はやつれていたが、思ったよりも落ち着いていた。

 琥珀が消えた日のことを思い出す。初めてだった。あんなに取り乱した御所浦を見たのは。きっと今も辛いはずだ。それを懸命に耐えている。


〈……桜さんに頼まれて、私も聞き込みを手伝ったの。桜さんは一年生を中心に回って、私は二年と三年の先輩達に話を聞いてみた。何かわかったことがあったら糸川君に知らせるように、桜さんから言われてて〉

「あいつ、御所浦にそんなことさせてたのか……」


 僕達には、全部自分で回るって言っていたくせに。部外者を平然と使役するとは、いかにも桜らしい。


〈いいの、私も何か役に立ちたかったから……それでね、二年でも一名、新学期に行方がわからなくなったまま転校扱いにされたDOLLがいることがわかったの〉

「なんだって、二年生が?」


 入学したての一年生が新学期に転校するのは不自然だから裏サイトでもあれだけ話題になっていたが、比較的目立たない上級生は盲点だった。蓮華だけではなかったのか。


〈ええ、中島技研製の第2世代型で、昼休みに中庭に入ったきり行方がわからなくなったんですって〉

「その先輩、楽器とかやってなかったか? 中庭で練習してたとか」

〈いいえ、そういう話は聞かなったわ。むしろ、課外活動にはあまり積極的じゃなかったみたい。クラスでも、生物の授業の実験器具係をしていた以外はこれといった役職にもついていなかったそうだし〉

「生物の、実験器具係……?」


 その単語を、いつかどこかで聞いた気がする。

 頭の中を引っかき回し、その記憶を手繰り寄せた時、僕は――




〈……糸川君?〉


「あ、ああ。知らせてくれてありがとう」


 我に返って僕がそう答えると、御所浦は少し黙ってから、躊躇いがちに言った。


〈糸川君……中等部の頃に話してくれた将来の夢、まだ諦めてないんだよね?〉

「……諦めてないよ」

〈ごめんね、私は剣道諦めちゃったから、説得力無いかもだけど……糸川君は、やりたいことがあるんだよね。だから、諦めないで。頑張って〉


 そんな身の上のことを、僕は御所浦に話していたのか。今まですっかり忘れていた。


〈あ、でも、授業にもちゃんと出てね。この事件のことが済んだら。今のままじゃ単位も危ないし、松島先生やクラスのみんなも心配してるわ〉

「……わかったよ。悪かったな御所浦、今まで長い間心配かけて」


 苦笑して答える。松島教諭は面倒だからできれば御免こうむりたかったが。


〈いいえ。私、糸川君の……クラス委員だから〉


 挨拶をして電話を切り、仮設ステージに向き直る。


「作戦決行は明朝よ!」


 ライブでボーカル用に使われるはずだったマイクを握り、桜が声を張り上げている。

 まるでジャイアンのリサイタルだなと、もしこんな時、こんな気分でなければ、冗談が言えたかもしれなかった。

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