バイバイ
暗闇のような夜の踏切。音もない、静寂の中の踏切。そこで僕は手を振っていた。肘から上のみを持ち上げて、小さく。踏切の向こうの彼女に、さよならの思いをこめて。
彼女はとても美しい。いつでも生き生きとしていて、どんな人に対しても優しさを振る舞っていた。僕もその優しさを受け取った一人だ。学業に関しても、とても優秀で、さらには運動でも成績を納めていた。まさに文武両道、まさに「理想の彼女」と言えるのではないだろうか。でもそれは、才能等ではなく、彼女が犠牲を払いながら、努力を惜しまなかったからだという事を、僕は知ってる。そんな彼女にこんな彼氏がいたということは、今でも不思議で、到底信じられないと僕は思ってしまう。
僕はそんな彼女を、彼女の家族と同じくらい、今でも長い間見守っていられた事を幸せに思う。だって「誰かと出会う」ということは、手のひらの近くにありながらも、自ら掴む事は決して出来ない事だからだ。僕らのずっと上には、気まぐれな神様がいて、飽きもせずに心を作っている。その心をどんな器に納めるか。犬かもしれない。猫かもしれない。魚かもしれない。花かもしれない。
人かもしれないし、君だったかもしれない。
そんな風に、同じように創られた僕らが、同じ動物で、踏切の向こうぐらいの距離に向き合ってる事は奇跡としか言いようがない。そんな大きな思い隅から隅まで言ってたら、間に合わない。
だから、
一言にして君に伝えるよ。
小さくてかわいらしい耳でしっかり聞き取ってくれたのだろう。彼女は口を動かし始めた。「まさかあなたが私を見送ってくれるなんて思いもしなかった。凄く不思議。」笑いながら彼女は言って、僕も少し照れながら微笑んだ。「本当にあなたは不思議な人。私はあなたに、何かをしてあげた事はないはずなのに。」しっかり僕を見て、彼女は話し続ける。
「私は、あなたがなんでそんな言葉をくれるのかがさっぱり解らないよ。けど」ここで彼女は一端言葉を切った。少しうつむいた後、僕の目を見て微笑みながら「けど、この言葉は、今の私が、沢山失って、空っぽになった私が、一番欲しかった言葉だよ。」そう言った。そして、静かにしていた踏切が一定の声を漏らし出した。「私はもうそろそろ行こうかなと思っているよ。その前にね」歩み出した彼女。踏切はまだ鳴っている。「あなたがくれた言葉だけに、この言葉を贈るよ。」赤い光りが走る景色で彼女は立ち止まって、
僕の方を見ながら言った。「ありがとう。」
騒ぎだす準備をし始めた踏切。彼女の姿はもうない。
「すっかり同じじゃないか。」彼女からの言葉を思い出して、小さく微笑みながら一人だけの場所で、言葉をこぼした。
僕は踏切を背にし、少しだけ、長く続く道を見つめ、滲む景色の中を歩きだした。