二
草の芽から、色とりどりの花をつける。
産まれたての犬や猫は、自らの足で、食料を探すようになる。
夏の訪れは、人々の気持ちもまた、浮き足だったものにさせた。
山村邸では、年に二回、大きな神事を行う。
一つは、虫の鳴く秋の頃、豊作に感謝するもので、もう一つが、初夏の頃に行われる、豊作を祈ったものである。
この時期は、神事を行う唯一の存在である山村にとっても、村の民にとっても大事なものであった。
もとより忙しい山村家は、この時期になると、より一層、忙しさを増す。
雇われの身である男は力仕事を、女は供え物の準備や、巫女の禊の手伝いを、子ども等は大人の助力なしでの家事や、建物の掃除を行わなければならなかった。
苦労とは常に、位の高い者から、低いものへ、より大きなものとなって降りかかる。
低い位のものは、その中で優劣をつけ、つまらない優越感に浸る。
時代を越えても、人々の本質はそのままに、その時を生きている。
五年が経過した現在でも、名無し子に対する劣等は、ついてまわった。
周りの大人たちは、口がきけないのをいいことに、一層働かせる。
子どもの前では話すべきではない話をする。
表立って苛めることはなかったが、汚い大人の考えは、純粋な子どもの目を誤魔化すことは不可能であった。
純粋であるからこそ、子ども内で名無し子に対する苛めが、瞬く間に広がっていった。
石をぶつける、水をかける、賄いを横取りする。
そうして、この子ども等も、優越感をおぼえていくのであった。
名無し子にとって、この時期は、心落ち着かせることのできる、大切な時期であった。
仕事が増えることより、身体に黄色や青黒い痣ができることの方が、ずっと嫌であったので、皆が忙しいことは、ありがたかった。
小さい頭で考えても、どうにも腑に落ちぬ、と反抗しつつも、山のモノではないかという、周りの疑念を、口のきけないことも相まって、自身も払拭出来ないでいたのであった。
祭祀の準備を始めて数日、山村邸に珍しく、お客が訪ねてきた。