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第〇四話 朝食たち

 ピピピ、と電子音が狭い室内に反響する。


 窓枠に載せられたアポロを、ノブカズは手探りで掴んだ。うつ伏せで寝ていたノブカズは枕から顔を上げ、アポロを顔の正面に持ってきた。


「六時か……」


 朝食バイキングスタートのポップアップが表示されており、先ほどの電子音がその音だと気づく。


 昨晩は食事の後そのまま部屋に戻ってくるなり寝てしまった。そのため当然風呂に入っていない。朝風呂のシステムがあることを昨晩の食事時にカエデから聞いて、それなら入らず寝てしまおうと考えたのだった。


 アポロを握っていた手を離すと、アポロはそのままベッドでバウンドしてヘッドボードにぶつかった。興味なさそうにまぶたを閉じて視線を切ると、深呼吸一つ。次に尻を持ち上げて上体を引っ張り上げ、ベッドに尻餅をつく形で体を起こす。


 上体に下敷きにされていた左腕がしびれている。力を入れたりぶつけたりしないように気をつけながら、反対側の手でもう一度アポロを手に取る。


「風呂ってどこにあんだろ……」


 画面をタップし、様々なアイコンが並ぶ中から“館内なび”と書かれたものを探してタップする。


 音声検索機能を選択し、浴場と一声かけるとすぐにナビゲーションが始まる。


「風呂入らずにメシいくって手もあるけど……目ぇ醒めてないから食えそうにないし、まぁ風呂でいいか」


 一人ごちて、のそのそとベッドから降りる。サンダルに足を通してそのままクローゼットを開けて着替えを探す。


 クローゼットの最下段にはクリアボックスが四つ並んで入っており、いずれにも洗濯済みの服が綺麗に畳まれて入っている。その内から下着とTシャツを抜き取ると、立ち上がってクリアボックスの引き出しを蹴りいれた。


 痺れていた左腕の感覚が戻ってきたのを確認すると、左手で着替えを持って右手にバインダーアポロを掴んで部屋を出る。


 若干すり足気味の足音が廊下に響く。廊下の窓から見える景色は朝日を受けて淡く輝いて見える。ベンチも、芝生も、石畳も。すべてが朝の持つ独特の空気に染まっている。そこに鳥のさえずりが彩りを添えてくると、朝露で濡れた芝生の匂いがしたような気にさせられる。


「爽やかなこった」


 ちょっと斜に構えて悪ぶってみても、一度息を吸い込めば爽やかな朝の空気に染まって浄化される気がする。そんな感覚が心地よく、ふとコーヒーなど飲みたくなるのだった。


 そんなことを考えているうちに共同浴場に着く。男と書かれた暖簾をくぐり、スリッパを脱いで竹のタイルが敷き詰められた脱衣所に入る。


 脱衣かごも鍵付きのロッカーもすべて空いており、人の気配はしない。


「あ、タオル類持ってくるの忘れた……」


 うげー、と物憂げな表情を浮かべるが、ふと壁際のクローゼットを見れば、その扉に『バスタオル・タオルはこの中です、ご自由に』と書かれたプラカードが下がっていた。


「ありがたやありがたや」


 思わず合掌しそうになるノブカズだった。


 クローゼットからバスタオルとタオルを一枚ずつ抜き取り、近場の脱衣かごに放り込む。

 そそくさと脱衣し、タオル片手に浴場の扉を開ける。


 浴場内は湯煙で視界が悪い。さながら温泉だ、とノブカズは思いながら、掛け湯をして浴槽に浸かる。


 十人は余裕で入れるであろう浴槽で股を広げて足を伸ばす。大の字になりながら深呼吸を一つ。


 寝汗と冷房で冷えた内臓がじんわりと温まってゆく感覚が気持ち良い。盛大にあくびを一つ。


「くぁ~五臓六腑に染み渡る……」


 感覚としてはそんなもんだよなあ、と一人で頷きながら、この感覚が既知のものであること、大好きな感覚であったことに気づく。すると、不思議といつかは記憶が戻ってくると確信することが出来た。


「根拠なんてないけれど……」


 そう、根拠なんてないが、流れに身を任せていればいつかは。


 ふと、昨晩顔を合わせた三人の顔が浮かぶ。コウヨウ、ラン、カエデ。あの三人と居ると、どうしてか居心地が良かったのだった。単に性格の相性が良いのか、それとも何か失われた過去に縁があったのか。知っているような知らないような、それでいて他人とも思えない友人たち。初対面なのかそうでないのか、もはやどちらでも良いと思い始めている自分を発見する。


 寝て醒めたら夢だったらいい、でも夢だったらどうしよう。そんな相反する複雑な心境で昨晩床に就いたことを思い出す。


「醒めない夢を見続けられますように」


 今は、そう思えるノブカズだった。



     ●



「おはようございます」


 ニー対室内に声が響く。時刻は午前七時半だ。


 声の主は、奥の席に窓を向いて鎮座する部屋の主に声を掛けようか迷ってから、入り口すぐのコーヒーメーカーで紙コップにコーヒーを二杯淹れて持ってゆく。


「お疲れ様です、羽柴室長。徹夜なさったんですか?」


「……ああすまない、寝ていたようだ。おはよう梶」


 言いつつ羽柴はコーヒーを受け取った。一口すすり、無意味な濃さに顔をしかめる。


「……徹夜明けにはきついな、このコーヒーは。コーヒーメーカーの買い替え申請書、やっぱり今度出すことにするよ」


「香りもなく酸味もなく苦味しかない泥水、という感じですからね、買い替えには賛成ですよ。……それはそうと、昨晩は順調だったのですか?」


「ああ、世はこともなし……とは行かなかったが、あらかじめ織り込み済みのことばかりでイレギュラーはなかったよ」


 前日、テスター全員を電脳施術病院に収容し、エヌ対連絡室を立ち上げて形だけのミーティングを行ったニー対の面々だったが、最も時間と手間が掛かったのはテスターの家族への対処だった。


 施術病院内で泣き崩れる者、政府を糾弾する演説をロビーでし始める者、果ては無理やり子供を連れて帰ろうと面会謝絶の共同病室で一波乱起こす者……、実に様々な人間模様を見る羽目になった。対応に当たった課員の大半は徹夜だが、羽柴は梶を含む妻帯者には一時帰宅させて、今に至る。


「……昨日梶が帰った後も家族への説明に終始してたんだが、まぁ、子どもに興味のない親御さんが一番楽だったよ。でもな、酷い話だが、金銭的に問題ないと分かると酷くあっさりと引き上げる人もいてな、あれは正直一番精神的には堪えたよ」


「……お疲れ様です。このまま予想外のことが無ければそれに越したことは無いのですが。そういえば室長、朝食召し上がりました?」


 そういえば、と意外そうな顔で羽柴が首を振る。


「後で何かコンビニで買って来ますよ。……それはそうと、エヌの中の食事、すごいこだわりようだと聞きましたが室長のご発案だそうですね?」


「人間、働く理由には事欠かないが、共通しているのは食うためだ。働いていない人間、特に引きこもっている人間は食欲を満たすためだけに食べるから、食事する喜びという原始の感情も欠けがちでな」


「なるほど、基本的な喜びの感情を呼び覚ますわけですか。すると、本当の狙いは強制的な労働と極上の食事で勤労意欲を目覚めさせる、ということですか?」


「その通り。しかし現実に生きてる私たちがコンビニ飯ってのは皮肉な話だと思わんか?」


 梶は肩をすくめ、


「本当、羨ましい限りですね。今回の食事データを作成するのに一流どころのシェフや電脳麻薬プログラマを総動員したと言う話ですが、ちょっとデータ借りてきてお試ししたくなりますね」


「別にやっても構わんよ。ただ、データを再生し終えてから空腹感を感じると虚しくなるだけだぞ」


 うわぁ、と声をあげる梶。


「コンビニ飯なんて食えなくなりそうですね……。私今月娘が産まれたので小遣いがただでさえ少なくなったんですから、舌が肥えて高級な昼飯しか食べられなくなったら破産してしまいますよ。……でもそう考えると、テスターが現実に目覚めたら本物の食事が味気ないことに気づいてがっかりするんじゃないですか?」


「それこそ勤労意欲に結び付けて貰う。よりよいものを食べたいがために働きたい。そう思ってもらうための施策、というわけだ」


「夢の中では精一杯に楽しめ、目覚めれば努力が待っているのだ、ということですか。寝顔を見て喜ぶ親の気持ちがよく分かるというものです」


 羽柴は皇居を眺めながら微笑し、コーヒーをすする作業に掛かるのだった。



     ■



 結局、風呂を上がって部屋に戻るまで、誰とも顔を合わさなかった。


 ノブカズは着替えた下着類を入り口からベッドに放り投げると、そのまま食堂へ向かう。


 一応ナビゲーションソフトは起動しているが、たまに確認する程度で殆ど見てはいない。同じ画面上に表示された時計を何の気なしに確認すれば、六時十五分を回ったところだ。体が目覚めてきた実感とともに空腹を感じる。


「メシ食うぞー」


 分かりきったことをなぜ呟くのか、などと益体も無いことを考えながらスキップで食堂へ向かう。そのご機嫌ぶりが我がことながら不思議だとノブカズは思う。


 きっと今日のメニューを見るのが楽しみなんだ。


 毎日同じ機嫌で朝食を迎えられるのかも知れないと思うと、ノブカズは幸福だった。


 食堂に到着したノブカズだったが、座席の仮予約をしていなかったことに気づく。バイキングの列に並ぶ前でよかった、とノブカズは胸をなでおろす。


 入り口で突っ立ったままフレームアポロをタップする。すると軽やかなピアノのサウンドと共に画面外から猫のキャラクターが画面に飛び込んできた。


 その猫は数度飛び跳ねた後座り、吹き出しを表示させた。そこには、


【ファームウェアをアップデートしました】


【AIコミカライズが有効になります】


 吹き出しが一度消え、再度表示される。


【現在朝食第一部が開催中ネ】


 吹き出しをタップすれば、座席の予約を即座に行ってくれる。


 座席予約が完了した旨と座席番号が表示される。確認ボタンを押してダイアログを閉じる。すると、フレームいっぱいに食堂内の地図が表示され、地図をめくるようにして猫のキャラクターが最前面に出てきた。


 改めて猫を観察してみる。体も細め目も細め……というかすごく吊り目のコック帽をかぶった黒猫がそこにいる。


 ノブカズの感想はといえば、“なんかムカツク”であり、先ほどの発言語尾をよく思い出してみればぴったりの容姿だとも思う。


「AIのアバターって変えられるのかな……」


 一度かぶりを振って気分を切り替える。


「まぁとりあえずメシ行こう」


 バイキング待ちの列の最後尾に並ぶ。すると、後ろから肩を軽く叩かれたので振り返るとランがいた。


「おはよーノブカズ君。よく眠れた?」


「おーおはよう。んー体が軽いから、多分よく眠れたんだと思う」


 それは何より、とランが微笑む。今朝はノブカズがランの分もトレイを取って渡す。各自箸と大皿一枚をトレイに載せて列の流れに乗っていく。


 ノブカズがランの方に振り向いて、


「ランはいつもこの時間にメシ食うの?」


「うん、そうみたい。ノブカズ君は?」


「あー結局日常の行動ログ見てないや……」


「お気楽だねー。あたしは見とかないと落ち着かないから、日曜日の行動ログをアポロにリスト表示させてトレースしてるよ」


「まめだねぇ。俺はあんまりログとか興味ないな。流れに身を任せることしか考えて無かったよ」


 微笑むノブカズからランは目を背ける。少し遠い眼差しになり、


「そういう考え方が出来るって、ちょっと羨ましいかな……」


 寂しそうに微笑んだ。ノブカズが軽く視線を泳がせてから取り繕うように口を開く。


「……まぁ、俺はそういう風に考えて過ごそうと自分に課してるだけだから、さ」


「そうなんだ。……あ」


 ランの視線を追えば、中年の女性調理師が焼きたてパンの入ったバスケットを末端のテーブルに載せるところだった。


 ふふ、とランが笑い、


「今朝はパン食にしようかなぁ」


 おかず何があるんだろ、と楽しそうにまた笑った。


 先ほどランがした遠い目が気になるノブカズだったが、楽しそうにしているランを見て気分を切り替える。


「パン食ね。俺はおかゆが嬉しいかな。出汁巻き卵と梅干、根菜の煮物、焼き魚。朝はやっぱり和食でしょ」


「しっぶいねー、あたしはもう少し……そう、優雅な朝食がいい!」


 えー、とノブカズが抗議の声をあげる。


「何だよ優雅なって。朝飯に何求めてんの」


 ランがチッチッと指を振ってニヤリとする。


「分かってないなぁ、朝ごはんが良ければその日一日が良い日なんだよ?」


 一理あるのかなあ、と首を傾げるノブカズだったが、思いついたように表情を変えて、


「質素倹約を旨とし、決して驕る勿れ。粗食にこそ人生の秘訣があるのさ」


「どこのジイサマなのよ」


 二人の笑い声が食堂に響く。


 ノブカズとランはバイキングテーブルを観察する。



     ☆今朝のメニュー☆

小鉢     たことワカメの酢の物、長芋の月見とろろ、焼きなすのお浸し

スープ    コンソメ、いわしのあら汁

卵      生卵、出汁巻き卵、目玉焼き

魚      塩鯖、塩鮭かま、ぶりの照り焼き、カレイのムニエル

肉      生ハム、厚切りベーコン、肉豆腐、ソーセージ、レモンソルトのチキンソテー

野菜     きんぴらごぼう、ほうれん草のバター炒め

揚げ物    アスパラのロールハムカツ、バジル風味の鮭フライ

煮物     鯛あら、筑前煮、キャベツと根菜のポトフ

サラダ    生野菜のサラダとフレンチドレッシング、ベビーリーフとアボカドの和風サラダ

主食     パン(クロワッサン・ライ麦食パン)、白飯、粥(白・茶)

デザート   杏仁豆腐、フルーツ盛り合わせ(巨峰、マンゴー・キウイ・パイナップル・オレンジ)

飲み物    牛乳、コーヒー、オレンジジュース、紅茶、緑茶、ほうじ茶



 ランとは一旦別れて料理を取りに掛かる。


 ノブカズは小鉢に入った焼きナスのお浸しを取って鰹節と下ろし生姜をかけた。そのまま出汁巻き卵をプレートに載せて大根おろしをかけつつ、視線を塩鮭と塩鯖に向ける。数秒の思案の末、塩鯖をトングで大皿に載せて一旦保留し、先ほどの大根おろしをさらに大皿に盛り付ける。


 バイキングテーブルの終端にあるグリルまで行き、塩鯖を入れて焼いている間に主食のあるコーナーまで移動する。


 白飯とパンの他に粥があり、しかも白粥の他にほうじ茶で煮た茶粥があった。


「茶粥まであるとは……充実した朝食になりそうだなあ」


 ノブカズはそのメニューの充実振りに満足して満面の笑みを浮かべながら茶粥の入った鍋の蓋を開ける。するとほうじ茶の香ばしい匂いが辺りに広がった。


「これこれ、これですよ」


 柴漬けあるかなぁ、と呟きつつ周囲のテーブルを確認すれば、柴漬けと沢庵が小皿に載せられて並んでいるのが目に入る。


 ひとまず茶碗に茶粥をよそい蓋を閉める。漬物の置いてある場所まで来ると、漬物の載った小皿に種類があることに気づく。沢庵は共通しているものの、きゅうりの浅漬け、柴漬け、奈良漬けと三種類の違いがあった。一瞬迷うノブカズだったが、当初の考え通りに柴漬けが載っているものをトレイに載せる。


 ふと横に視線を投げれば蓋付きの桶があり、開けてみれば大きな梅干が綺麗に並んでいた。顔を近づけて匂いをかいでみればほのかに蜂蜜の甘い香りが鼻をくすぐる。


「いかにも軟らかそうで甘そう……、お粥に合わなかったらお茶請けで食べてもいいかな

 専用の箸で一つ二つとつまんでは漬物の小皿に載せる。都合三つ目をつまんだところで、やっぱり塩分過多かなとそっと戻した。


「今朝のご飯は素敵ご飯~♪」


 即興の歌を口ずさみながらノブカズはグリルへ移動する。いい色に焼けていることを確認して塩鯖を大皿に移す。くつくつと皮が膨らんでおり、脂が光を反射して輝いている。脂の乗っている証拠だ。

 塩鯖の香りがほうじ茶の香りと混ざって優しいハーモニーを奏でる。それを楽しいと感じながらトレイを抱えておかずのコーナーに戻る。鯛あらと付け合せのごぼうを小鉢に入れてトレイに載せて朝食完成。そのまま予約してある座席に移動する。


 テーブルには既にランとコウヨウが着いていた。ランがノブカズに気づき、


「緑茶、温かいの淹れといたよー」


「お、気が利くね。さんきゅ!」


 ノブカズはトレイをテーブルに載せて腰掛けながら続ける。


「でもどこにあったの? ランのトレイにはミルクとコーヒーまで載ってるけど」


「主食のコーナーの裏がドリンクコーナーになってたの。もし欲しかったら取ってくるといいよ」


「いや、食後にコーヒー欲しいけど、それは食ってからで良いや」


 言って、ノブカズはランのトレイを見る。


 ランは宣言どおりライ麦食パンをメインに、大皿にはレモンソルトのチキンソテーと目玉焼き、ほうれん草のバター炒め、キャベツと根菜のポトフ、サラダは昨日と同じく千切りキャベツとトマトの生野菜サラダ、ミルクとコーヒー、そしてフルーツ盛り合わせを一通り。


「朝は優雅に行くんじゃなかったの?」


 にやつきながらノブカズが揶揄すると、


「うっ、いいんです、これも立派な朝ごはんだよ!」


 あははと笑いながら次はとコウヨウのトレイを眺めてゆく。


 コウヨウの朝食は優雅とは程遠い丼飯であった。丼に入れられた白飯、肉豆腐、生卵、きんぴらごぼう、いわしのあら汁。飲み物にはほうじ茶を、しかもポットごと持ってきている。


「コウヨウ朝からよく食うなぁ」


 ノブカズが半ばあきれ気味に言うと、ランも同意して、


「ね、やっぱり普通じゃないよねあれ。絶対ビタミン足りてないって」


「うん、後食物繊維も足りてないだろ……。なあコウヨウ、朝からそんなん食って胃もたれしないの?」


 コウヨウはどこ吹く風といった体で、


「ああん? 馬ぁー鹿、しっかり食っとかないと力でねぇだろうが」


 そういうものかなぁ、と思いながら三人でいただきますをする。コウヨウは両手を合わせて、ランは両手を挙げて、ノブカズは両拳を腿の上で立ててお辞儀した。


 コウヨウは肉豆腐を箸で崩して白飯に掛け、さらに生卵を溶いて流し掛けた。


「すき焼き風丼の完成―!」


 ふふんと得意げに食べ始めるコウヨウだったが、ノブカズたちの呆気に取られた視線に気づき、


「なんだよー文句あんのかよー」


 垂れた不満に対してノブカズはかぶりを振った。


「いや、文句は無い……」


 コメントもし様が無い、と付け足してノブカズはテーブルの中央においてある醤油を取って出し巻き卵とお浸しに数滴掛けた。


 代わりに箸を手に取り、鯖を一口味見する。


「うん? 塩加減結構強めだねこれ」


 塩鯖に醤油はなし、と。


 確認が終わるとお浸しに箸をつけ、そのまま口に運ぶ。口の中に焼きなすと鰹節の香ばしさが広がり、最後に生姜の風味が鼻から抜けていった。箸を進めてそのまま小鉢を空にする。


 茶碗を手に取り、香りを楽しむ。少し渋めの焙じ茶の香りが甘いごはんの香りとブレンドされて柔らかく感じる。


「はぁぁ」


 吸い込んだ息を満足の吐息に変換する。余分な力が抜けていく心地よさを感じながら箸を手に取り、一口啜った。


 香り通りの味がする。


 マイルドな、焙じ茶粥。渋みは少なく、ほのかに甘く、秋の木漏れ日のような、そんな暖かい味。


 嚥下して鼻から息を吐き出す。焙じ茶色に染まった鼻息が鼻腔を湿らせて行く。


「平凡こそ料理の真髄なり」


 奇妙な独白をしつつ、箸は柴漬けを摘まむ。


 茶粥によく浸してから粥とともに口に運んだ。


 赤紫蘇の香りまで茶粥に染まっており、口に入れただけで優しさに包まれるようだった。咀嚼する。こりこりとキュウリの破砕音が顎骨を伝って耳に届く。


 ……この歯ごたえと柔らかな茶粥の味、幸せすら感じる。


 はああ、と吐息を漏らしながらうっとりとしていると、ふと視線に気づいて現実に引き戻された。


 ランとコウヨウがにやつきながらこちらを見ている。


「な、なんだよ」


 コウヨウが答えた。


「や、別に。昨日も言ったけど、ほんとあんた幸せそうに食うよなあ」


「ほんとだよね、なんていうか表情が一つのアトラクションみたいだよね」


「うぐ……、まあなんとでも言うがいい、俺は幸せなんだほっといてくれ!」


 くすくす笑う二人を放っておいて、箸は梅干しへ。


「酸味が多少あるといいんだけど……」


 まずはそのまま、と一口齧る。


 柔皮を潰すように噛み切ると、梅の酸っぱい香りとともに甘味が口いっぱいに広がる。しかし味は甘味が強く酸味が控えめだった。


「これはこれでおいしいんだけどなあ、茶粥には合わないな」


 甘味がくどくなるのが嫌なのだ。


「これは後でお茶請けにしましょう、うん」


 柴漬けを口直しに食べる。程よい酸味と食感が口の中をリセットしてくれる。


 また一口茶粥を啜る。馴染んだ味と香りで満たされる。


 鼻から息を大きく吐き出して茶碗から口を離し、箸で鯖の身をほぐす。おろした大根を身に乗せて口へ運ぶ。


 大根の鋭い辛味が鯖の脂で融和されて華やかになった。噛みしめるたびにじんわりとしみだす旨味と大根のフレッシュさが絶妙にマッチする。嚥下する前に茶粥を一口啜った。鯖の塩分が焙じ茶に馴染み、米の甘味が鯖の旨味をさらに引き立てる。


 ごくり、と呑みこむ。


 暖かな茶粥が体を芯から温めながら胃の腑に落ちてゆく感覚が心地よい。


 お腹にゆっくりと溜まってゆく。


 吐息を一つ。


 だし巻き卵に手を付けようとした時、コウヨウが声をかけた。


「ホント食うの好きなのな」


 箸を止めてコウヨウを見る。数秒首をかしげて考えた後、


「食べることが嫌いな人って見たことないけどな」


 そうじゃなくて、とコウヨウ。


「食べることに意味を見出してるっていうか、惰性で食ってるのとは違うっていうか」


 ふむ。


「多かれ少なかれみんな食道楽の気はあると思うけどね。まぁ、俺は毎食美味しく食べられればそれで幸せなのです」


 ランとコウヨウは顔を見合わせ、コウヨウが言った。


「料理下手な人とは結婚できない! なんて言うタイプじゃねえの?」


 ノブカズはまた数秒考えてから、


「まぁ上手いに越したことはないでしょ。それに元々の味覚って鍛えられるものでもないから、嫁選びでは割と重要なポイントなのかもね」


 しっかりしてるなぁ、とコウヨウ。ランも数度頷いた後、


「でもさ、どうやって料理上手な彼女探すの? 料理上手い人集まれーとか声掛けるの?」


 ぴたりとノブカズが動きを止める。さらに数秒思考して、


「うーん、確かに知り合った女性に片っ端から『あの、料理上手いっすか?』とか聞けないよね……」


 はぁん、とコウヨウが鼻で嗤った。


「朝からこまけぇ話すんなよー重いじゃんかよー」


「言い出したのお前だよ!」


 ふひひと笑うコウヨウに、ノブカズは「まったく」と呟いて食事を再開する。


 一方ランはすでにフルーツの段階に入っており、コウヨウに至ってはとうの昔に食べ終わってテーブルに頬杖をついていた。

新年早々食中毒にかかりました。

吐血って、ほんとびっくりしますね。


吐血の味は甘く、どこか魚のような生臭さと温かさがありました。

痛みよりも精神的なダメージの方が大きい、そんな印象でした。

参考までに。

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