チェックメイト
ピーーーっというサイレンのような音が鳴り響き、成瀬がゲームの一時中断を宣言した。状況確認のためらしい。
「ただいま、ごくわずかな時間に複数名のコールが宣言されたで、コール順の判定のために一時ゲームを中断いたします」
斉藤がのそっと立ち上がった。ぱさぱさと尻についた砂を叩き落とす。瀬戸、そして桐崎も起き上がった。現在の戦況を理解できているのはおそらくたった一人、斉藤だけだろう。加えて、最も優勢となったのが斉藤だということも。
「ビショップ……いや、瀬戸、ジョーカーだってことは読めてたぞ。おまえがあのときこっちの三人と不意打ちのようにカード交換を図ったとき、俺は、そうきたかって思った。ただ松井さんがグルだとは予想外でしたが」
斉藤は後ろを振り返り、こっちに来た二人の人物の顔を見た。志村と松井。両者ともに勝ち上がりが決まっているはずだ。どうして斉藤を援護するようなことをしたのか。桐崎は、こっちの作戦が斉藤に見透かされていたことに気がついた。
「俺たちの作戦が失敗することがあるならば、それは俺がこちらの三人の場を離れ、瀬戸と対峙するとき。そのときに瀬戸、あなたが志村、鶴見、松井の三人に接触してくることだ。あなたが手札のカードがなんであれ、絶対、ジョーカーではないといって三人とランダムにカードを交換し、4人の勝ち上がりを確定させる、といって接触してくることは予想がつきました。現にあなたがジョーカーを手にすることはほぼ不可能だと俺は断言しちゃってましたしね。とにかく重要なのは、瀬戸がジョーカーか否か。もしジョーカーであれば第一の作戦、ジョーカーでなければ第二の作戦に切り替える、そんな打ち合わせを事前にしてたんですよ。ゲーム開始前に」
すでに斉藤は瀬戸のあの行動を読んでいたのか。そんなに早くに。
「それで?」
「瀬戸がジョーカー。そうサインを志村さんから受け取り、俺は二つ目の作戦を実行した。といってもやることは簡単です。ただあなたたちが俺にカードを渡して来た瞬間に寄り切りと押し出しをコールすること。肝心なのは、そのとき一緒に志村さんと松井さんにも寄り切りをコールしてもらうことです。あなたたちよりもはやく」
「なあ……」
鳥越の小さな声が割り込んだ。
「全く何が起きてるんだか分からないんだが……つまり、瀬戸は実はジョーカーで、そのことを隠してて、仲間の桐崎が自分はジョーカーだと嘘を名乗り、自分の番号のカードを斉藤に渡す隙にいっぺんに押し出ししようとしたってことか?」
見事、見事と言いながら斉藤が大げさにパチパチパチと手を叩いた。
「その通りですよ。彼らが狙ったのは俺だけをゲームの敗退者にすること。同時に二人のジョーカーが一人の人物を押し出してしまえば、ジョーカー二枚が場から消え、ゲーム続行不可、敗退者は俺だけってことになりますからね」
「それか!瀬戸が言ってた、敗退者を一人だけにするっていうのは。にしても驚いた。桐崎とはジョーカーを持っているんだと思ってカード交換したから、初めはまた騙されたのかと思ったよ」
「じゃあ、瀬戸は俺たちを裏切っていたわけじゃないんだ。結果として俺たちは勝ち上がり決めれたわけだし…」
佐原に続いて鳥越が調子良く言った。あれ、でも……と次に声を上げたのは美里だった。
「確かにその方法で押し出しを狙うには斉藤に番号のカードをもたせなくちゃいけない。桐崎はだから斉藤とカードを交換するようにして自分のカードを持たせ、ジョーカーを手にした二人が攻撃する。だから斉藤は押し出しのコールをされる前に先にコールすることで押し出しを阻止した、ってのはなんとなくわかったんだけど、意味あるのそれ?コールを送らせただけで、押し出しを完全に防げたわけじゃない」
「意味がない?いいえ、おお有りですよ。だってこっちはしっかり寄り切り3つ、押し出し一つを先にコールしてるんですからね」
「寄り切り3つ?それおかしいだろ?寄り切ったのは、そこにいる志村と松井の二人だろ。あとのひとりは……あ……」
美里の張り上げた声はポツリと途中で途絶えた。そっかと頷く。
「いるじゃん、もうひとり。あのとき寄り切りしてた奴が」
「誰だよ、それって」
鳥越が尋ねた。それに美里は自分のことのように答えた。
「斉藤、自分自身だよ。斉藤は今、ジョーカーじゃないんだよ。つまり、寄り切りが使える」
「あ!」
「待て。しかしまだ押し出せないじゃないか!ジョーカーの二枚は桐崎と瀬戸が持っている。斉藤達は誰一人として押し出しのコールはできない」
佐原がそう言ったのを聞いてか、ふふっ……と斉藤は、口元を緩め、カードを握りしめた。斉藤の手の中で、トランプがぐしゃりと潰れた。
「押し出しをコールしたのは俺だ。みなさんにどうして俺が寄り切りと押し出し、両方ともコールしたのか……教えてあげましょう。ではまず、瀬戸、それに桐崎。お二人さん、どちらか私にジョーカーをください」
まさかの……ここでカード交換の提示?ここでもし斉藤とカードを交換したらまた斉藤はジョーカーを手にすることになるんだぞ。なぜそんな意味不明な交渉をして来たんだ、斉藤は。困った末に、桐崎は隣に目を移す。瀬戸が目をつむっていた。瀬戸は苦々しげにポツリと言い放った。
「わからん、まったく」
瀬戸が初めて悔しそうな表情を見せた。瀬戸さえも理解できていない異常事態。
「佐原が言っていることはもっともだ。斉藤はこのままじゃ寄り切り、それに押し出しできるわけがない。策があるとするんなら、コール順だ。あれに何か意味があるんだ、おそらく」
桐崎も明確には分からないが、斉藤がやたらコール順を気にしていることには気づいていた。しかし、それからどうするつもりなのかは全くだ。一体何を……。そのとき、姿を消していた成瀬が戻ってくるのが見えた。案外、コール順の判定に時間が掛かったようだ。
「それではお待たせ致しました。コールの早い順にお知らせ致します。一番目は、志村さんの寄り切り。二番目は、松井さんの寄り切り。三番目は、斉藤さんの寄り切り。そして四番目は、三者同時で斉藤さん、瀬戸さんと桐崎さんの押し出しです。以上でゲームを再開致します」
さっそく斉藤がさあと声を上げた。
「それではだれが死に、だれが生き残るのか。決めましょう」
志村と松井は斉藤の背後に回った。まだすぐには寄り切りをしないつもりか。
「俺たちは今から三回の寄り切りを使ってこの中の誰か一人の番号を特定します。というか、ばらします。あ、みなさんもちろんご存知ですよね?3つの番号を知っていれば、寄り切りは三回使えば確実に一人の番号を特定できることくらいは」
「そうだよ。瀬戸が説明してくれた」
鳥越が一人、答えた。
「じゃあ、みなさん。目を凝らしてしっかり見ててください。とっても大事なことですから」
斉藤はぐしゃぐしゃのカードを天上に掲げた。
「そーれ」
ぽーんと投げられたカードはきれいな放物線を描いて飛んで行った。放り投げられた結果、当然のようにあの禁断の境界線を越えてしまった。越えてしまえば、決して戻ることのできない禁断の境界線、サークルを。
「あああ————⁉馬鹿か、お前?カード投げるなんて、しかも、サークルの外に‼」
「もう、取り戻せませんよ。サークルの外には誰も出れないんだから」
口々に罵声が飛び交う。だが何も臆すること無く斉藤は、のんびり肩を回した。皆、目を丸くして斉藤の方に視線を向けた。
「まだ分かりませんか。言いましたよね、さっき。ジョーカーをくださいって。さあ、はやく。俺にジョーカーをください。だって今俺は、カードを持ってないんですから」
何馬鹿なことをと思いながら桐崎は斉藤を睨み返した。
「あげるわけないだろ。カード捨てた奴に」
感情が高ぶって、普段よりかなり強い口調になった。
「だから!いまや俺はカードを持っていない。かといってそのカードを拾いに行くこともできない。完全に捨ててしまったんですよ。これらが意味していることがわかりませんか?」
「はあ?何が言いたいんだ。さっさと……」
桐崎は茫然とした。やっと気づいた。斉藤が言わんとしていることが。
「俺らは押し出しできないんだ…唯一カード番号を知っている斉藤がカードを捨ててしまったから」
最後はほとんどささやくような声になって消えた。斉藤の喜色に満ちた笑顔が桐崎の視界の片隅に映り込んだ。
「加えて、あなた達は既にコールを終えている。必ず誰かに対して押し出しのコールをしなければならない。だが、俺に対してはコールできない。まあ、桐崎さんに限っては、先ほどカード交換を行った4人の誰かを押し出しすることはできますが、あなたにはそんなことできない。でしょ?そこでいい提案があります」
悪魔のささやき。これを聞いた、鳥越、美里、佐原、鳴門咲が慌ててカード交換を交互にし始めた。これで桐崎は、現状、誰も押し出しできなくなった。こうやって4人にカード交換させることも斉藤の狙いだったのか。
「これから寄り切り3つで誰かのカード番号を特定します。そのカード番号を特定された人物を押し出しすればいい」
「おいおい、それじゃあ、押し出しされるのって……」
「お察しの通り、俺、桐崎、瀬戸、そして志村、松井以外の全員が押し出し対象になりますね」
斉藤が澄まし顔で言った。一気に顔が青ざめた鳥越を始め、勝ち上がりを決めたと思って安穏としていたメンバーがやっとこの場の状況を察し始めた。斉藤の策略で再び場は混乱状態へ戻された。もはや絶対的優位を確定させた斉藤グループ以外は皆、同じく危機に立たされた。斉藤が人差し指を桐崎に突きつけた。
「知っているんですよ。あなたが、何のリスクを負わずにこの場へ来ていることを。もし両方ともカードを俺に渡さずに、自爆することも可能です。しかし、桐崎さんが俺にカードを渡しさえすれば、瀬戸を助けることができる。無論、桐崎さんは負けが決定しますが、それで桐崎さんが損をするわけではない。どうします?桐崎さん」
斉藤は最後に瀬戸をちらりと見た。瀬戸は何も応じない。斉藤の本当の狙いは桐崎だった。桐崎自らにジョーカーを渡させること。だが、まだ疑問点が残る。斉藤が本当にスクランブラーであるなら、前回の天使、瀬戸を潰すことが目的のはずだ。なぜ自分を落とす必要がある?桐崎は斉藤の思惑を計った。なぜ、自分を狙う?なぜ瀬戸を生かす?桐崎は、しばらくして、斉藤の前にジョーカーを差し出した。
「決心がつきましたか。ではありがたく」
斉藤はジョーカーを手に取り、そのまま隣にいた志村に手渡した。桐崎が不思議な表情をしているのを見て、
「それは後々。先に面倒ごとを終わらせましょう」
とだけ言った。そして、斉藤は全員を見渡した。寄り切る相手、つまり生け贄を決めているんだ。これで寄り切りの対象となったものは落ちる。確実にここで消える。
「志村さん。寄り切りをお願いします」
場が一瞬で氷ついた。もはやコールを妨害する者はいなかった。静寂。風の音。それ以外は、何も聞こえなかった。志村の声が虚空に響く。
「3・7・8 鳴門咲」
鳴門咲。敗退者は鳴門咲に決まった。桐崎は前に4人とカードを交換していたので、その3つの数字の中に確かに交換したカード番号が含まれていることがわかった。でたらめなコールではない。危機的状況であるにも関わらず、意外にも鳴門咲は驚きの表情を浮かべただけで、特に発狂するようなことはなかった。ただ、悲しげだった。
「イエスです」
ぼそりと言う。
「では、続いて、松井さん。今度は裏切らないでくださいよ」
松井は黙って鳴門咲の前まで歩いた。
「1・4・8 鳴門咲」
1・4はおそらく斉藤達が既に把握している番号だろう。番号を絞り込んでいる。ここでイエスと答えれば、鳴門咲の番号は8で決定だ。
「ノー」
「これで終わりです。1・4・7 鳴門咲さん」
斉藤を一瞥した後、鳴門咲は下を向いた。彼女の手からカードがこぼれ落ちる。
「待ってください。おかしくないですか」
鳴門咲は顔を上げ、きつい表情で言った。
「斉藤さんはカードを捨ててしまったんですよね?なら、カードを持たない身だということです。寄り切りできないはず」
「確かに、そうだ……」
佐原が遠巻きに賛成する。それを聞いて、斉藤は何を馬鹿なことをと返した。
「思い出してください。成瀬さんは、寄り切りができるのは、ジョーカーを持たないプレイヤーと言ったんですよ。俺は今、ジョーカーを持っていない。何も違反してないんですよ。ですので、早く寄り切りに答えてください」
斉藤が一枚上手だった。まさにルールの盲点をついて来た。確かに寄り切りが使えるのは、ジョーカーを持たないプレイヤー。それは、斉藤もこれで寄り切りが使えるということを示している。志村にジョーカーを預けたのはこのため。斉藤の知略にはどこにも欠陥がなかった。鳴門咲は、今度こそ膝を折り、うずくまった。
「イエス」
決した。7。それが鳴門咲のカード番号だ。ついにこの余興は完全に終局を迎えた。桐崎、鳴門咲の敗退。斉藤は、瀬戸の元へ駆け寄る。
「いっしょに押し出ししちゃいましょうか。鳴門咲さんを」
瀬戸は、顔を肩に埋めて、仕方なく斉藤の後を追う。当然だ。億の借金をしているんだ。ここで情に流されては勝ち抜けない。残り時間はもう、5分を切っていた。